04 腎虚  こゝはまだいきてござると女房なき



家守 腎虚とは、広辞苑に「漢方の病名で、腎気(精力)欠乏に起因する病症の総称。俗に、房事過度のためにおこる衰弱症を指す」とあるよ。つまり、性欲減退、Erectile Dysfunction、そして不能となっていくわけだけど、こんな言葉を聞くとへこむ人が多いんじゃないかな。
初美 とっても憂鬱よね。
家守 あんた、そうなのか。
初美 違う。あなたの相手をするのがよ。何かさあ、何度もこんなことをやっていると、だんだん、自分が下品になっていくような気がするのよね。何で私はこんな下卑たことを言っちゃったんだろうとか、これまでの項目を読み返すとかなり落ち込んだりするんだよ。しとやかでちょっと色っぽい女の人をイメージしてやってきたつもりなんだけど、下ネタを何のてらいもなくしゃべっている自分が嫌になってくる。それに、そもそも、腎虚って男の人の病気なんでしょう。
家守 前にも言ったけど、最後のたがだけは外さないで。
初美 うん。さて、気を取り直していくか。
 腎虚ねえ。元気がなくなっちゃったのか。元気といえば、こんな句があるよね。

   かなしさはむかしハ帯へはさんたり 末二1   悲しさは昔は帯へ挟んだり
   地紙うりおへるがさいごこまるなり   末三11   地紙売りおえるが最後困るなり

 地紙売りは扇の地紙を売り歩く人たちのこと。若いやさ男の場合が多く、伊達を気取って薄着だったみたいね。柳多留23編25丁にはこんな句もあるよ。

   地紙うりがまんが過て風を引 二三25

 寒い冬なのに薄着だから、挙げ句に我慢が過ぎて風邪をひき、やせ我慢であることをつい露呈しちゃった。 前の二つの句は、地紙売りはおえると薄着で隠せないから困っちゃうし、1句めは、そんなときにはよく帯に挟んだものだったよなと、老人が若いころを回顧している句かしら。もっともこの句は地紙売りではないし、武士か、町人の句であるんでしょうけど、昔は元気がよかったなあ、いまではすっかり小田原提灯になっちゃったのが悲しいよとぼやいているとか。でも、男の子って昼の日なかに何の脈絡もなく元気になっちゃったりするの?
家守 小田原提灯って……。
初美 蛇腹になっていてコンパクトにたためる携帯用の提灯。そこから転じて、くたっとなって元気のない老人のあれを意味するのにも使われるのよ。

   御いんきよハめかけのせきにはみ出され 末初5   ご隠居は妾のせきにはみ出され

 えっちしている最中に、妾がこほんとせきをしたらぽろっと出ちゃったという、これも小田原提灯でしょう。
 でもさあ、さっきの句に戻ると帯の下に挟めるほど長いものなの。日本人の勃起したのは平均で14〜15センチだったっけ、そんなことを聞いたことがあるよ。
家守 小田原提灯とか14センチとか、また、臆面もなくきわどいことをへれっと言ってるよね。
初美 ほへっ。また、やっちゃった。もう、どんどん、私のイメージが崩れていく。
家守 あなたのイメージが何ぼのものか、それはさておき、帯に挟むことに関していえば、女の場合は胸の下あたりで巻くけど、男の場合は下腹で巻くし、帯には幅もあるから、そんなこともできるんじゃないかな。それと、昼、日なかに元気になるというのは、そういう句があるんだから、そういうこともあるんじゃないのかな。
 そういえば、提灯に関してだとこんな句もあるよ。

   帆柱のてうちんになる殘念さ     四二10   帆柱の提灯になる残念さ
   隱居のへのこ穴はたへこしをかけ 四二17   隠居のへのこ穴ばたへ腰をかけ

 帆柱というのは、以前に出てきた「帆はしらの立たを寝かす舩びくに 末初3」にもあるように元気のいいへのこ。それが提灯になっちゃったのは残念無念だと。
 さてと、このままだとテーマからどんどん逸れていっちゃうような気がするから、そろそろ本題に入ろうか。

   入聟のじんきよハあまり律義過 末四32   入り婿の腎虚はあまり律義すぎ

初美 奥さんから、してよと毎日のようにえっちをせがまれて、腎虚になっちゃった婿さんね。
家守 川柳には約束事というか、イメージの類型化というものがあって、例えば相模下女は好き者、信濃者の男は大飯食らい、留守居や隠居のような老人は娘好きというようなキャラクタライゼーションのことなんだけど、入り婿は家の中では肩身が狭く、嫁に頭が上らないというのもその一つで、だから、嫁に言われっ放しで反論もできない。この句はせがまれると断れないので、やりすぎて腎虚になることもあるだろう、それはあまりに律儀すぎやしないかという句だね。

   じんきよをばかたつくるしいやつがやみ 六17   腎虚をば堅っ苦しいやつが病み

 元禄年間に上方で書かれた「好色訓蒙図彙」という本の中に腎虚の人の絵が載っていて、うろ覚えなんだけど、骨と皮だけのようにやせこけた気むずかしそうな顔の男だった。堅苦しく、融通が利かない、いわばクレッチマーのいう分裂気質のような人の絵だった。

   介兵衛といふ人じんきよやみはしめ  二二8   介兵衛という人腎虚病み始め
   あのやせでどつから出すかきつい好 末二18

 2句めの出すのは腎水、つまり、ザーメン。あんなにやせているのに、どこからそんなに腎水を出せるのかねえとあきれている。ところで、腎虚が進むと逆に性欲は高進するとされていて、後で詳しく触れるけど、下五の「きつい好」からすると、この句はそのことも踏まえているんじゃないかな。
 一方、腎虚の反対を腎張りといって、クレッチマーのそれだと躁鬱気質体型の人のこと。性欲は絶倫で、「好色訓蒙図彙」のイラストでは、酒をぐびぐび飲んでいて下腹が出ている小太り。赤ら顔と本文に書いてあったと思う。酒にもめっぽう強いんだね。

   ふんだんてあらふとたゝくふとつてう  末初28   ふんだんであろうとたたく太っちょう
   ふとつちやう小原に三ツ程ハ出し   末初10   太っちょう小原に三つほどは出し

 小原というのはおはらさかずき、酒を飲む平たい皿で豪華なものは蒔絵が施されている。直径は2寸4分というから7〜8センチで、「屁子」の項に出てきた器具の土器(かわらけ)とほぼ同じもの。この句は、腎張りだったらそのさかずきに3杯ほども腎水を出すだろうという意味だね。
初美 それぐらいのさかずきに3杯だと50cc程度か、もうちょっと多いかな。でも、そんなことはあり得ない。
家守 腎水の量は2厘5毛ともいうからね。

   二リン五もうの出しつこハうまいなり 末三21   二厘五毛の出しっこはうまいなり

 人体は五輪五体からできていて、五体というのは例えば頭、頸、胸、手、足とか、頭に両手、両足という五つのことなんだけど、その輪が厘に転じて5厘の半分、つまり、男の精2厘5毛と女の血2厘5毛がまじって人は生まれるともされている。句はこのことを踏まえていて、厘は重さの単位とした場合に匁の100分の1、1匁は3.75グラムなので2厘5毛は0.1グラムにもならないのか。この重さの水だと0.1cc弱……変だな、そんなものか。
初美 それも普通はあり得ないと思うよ。 
家守 物の本には1回の射精量は2〜4ccないし3〜5ccと書いてある。
初美 小さじ1杯弱かしら。いずれにせよ、おはらさかずきに3杯は大げさだよ。

   腎ばりの妾まことにへきゑさし  末四8   腎張りの妾まことに辟易し
    
 下五「へきゑさ し」は「へきゑきし」の誤り。
   お妾はめうりのために腎虚させ  末四9   お妾は冥利のために腎虚させ

家守 2句めはお妾とあるから、この場合は武士、旗本クラスの妾のことだろうね。妾は殿の夜の相手をするのが仕事だから、それなりのテクを身につけていたりもして、殿の要求に応じて妾冥利に時には腎虚にさせちゃうこともある。殿が腎虚になれば相手ができないから、妾は給金をただもらいになるでしょう。だから、こんな楽なことはないから腎虚にさせちゃうんだろうけど、その妾ですら腎張りの相手をするのは辟易するという、それだけ腎張りは絶倫ということだね。
初美 赤ら顔の小太り、年齢的には中年よね、顔は脂ぎったりしていて、そんな人にねちねちとしつこく責められるのか。どうだ、初美、気持ちいいか、どうだ、いいだろなんて言われて……う、う、背筋におぞぞが……。
家守 そこまで想像しなくたっていいじゃん。

   なぜじんきょさせたとしうと娵をにち 末初14   なぜ腎虚させたと姑嫁をにち
   姑めの大腹立は水がへり       末三23   姑の大腹立ちは水が減り

 水というのは、もうおわかりのとおり、腎水のこと。
初美 古来、嫁姑問題の話題は尽きないけど、何でおまえは息子を腎虚させたんだと姑になじられてもねえ。嫁にしてみれば旦那が求めるから応じたまでのことで、嫌なら断ることもあるんだから、原因はむしろ旦那のほうにあるんでしょう。文句のつけどころがお門違いよね。
家守 そう言うなよ。川柳の作者はほとんどが男なんだから、どうしてもそっちの視点になっちゃうのは仕方がないよ。
初美 それはそうなんだろうけど、何か釈然としないなあ。

   金よりも水がほしいと隠居いゝ 末三28
    「金」の読みは「かね」。

家守 こちらは隠居の老人。
初美 腎水が欲しいと言われても、こればかりは年齢的なものだからどうしようもないよ。



家守
 では、ここから少し医者とのやりとりの句を見ていこうと思う。

   のつきつた御いしやぢんきよと申しあげ 七11   のっきった御医者腎虚と申し上げ

 「のっきった」は「乗り切った」の促音便。難局などを乗り切るところから、意を決して、思い切ってという意味。
初美 思い切って腎虚だと告げるなんて、清水の舞台から飛び降りるみたいで仰々しいんじゃないかしら。
家守 腎虚は必ずしも死に至る病ではないし、しばらく安静にして養生していれば治るんだろうけど、当時は何が起こるかわからないからね、これで命を落とすこともあったみたいだよ。
初美 最悪のことを想定して、だから、しっかり養生してくださいと、御医者とあるから御典医が殿様に言上したのかしら。
家守 それはあるね。御典医といっても立場上は家来だから、それがやりすぎだからほどほどにしてくださいと進言するのは、結構、勇気が要ると思うよ。
初美 そういうことか。

   やうだいをいふとじんきよとのみこまれ 末初24     容態を言うと腎虚とのみ込まれ
   いしやさんにわたしがどくといわれやす 末三25     医者さんに私が毒と言われやす
   はからしい病気女を見るもどく        末二10     ばからしい病気女を見るも毒
   あのつらに腎虚ハ二人のなす所     破礼20(雑体)

家守 房事過度が腎虚の原因の一つであることを考えれば、これらの句の説明は不要だよね。

   がになつて女房じんきよじや無といひ  九31   我になって女房腎虚じゃないと言い
   よそでへりますと内義ハいしやへいひ 末初16   よそで減りますと内儀は医者へ言い

 我になって腎虚じゃないと突っぱねているのは、腎虚だとされちゃうとその原因が自分にあることになるから、女房は意地でも認めたくない。話している相手は医者ではないかもしれないけど、例えば井戸端会議で、「あなたの亭主、腎虚なんだって」と言われて「そうなんです」と答えでもしようものなら、お盛んなこととか、可愛がってもらって羨ましいとか、からかわれちゃうから腎虚じゃないと言い張っているんだろうね。
初美 それに、よそで腎水を減らす亭主って、浮気するにももう少し上手にしなさいよという感じよね。でも、ばれなきゃいいというものでもないけど。
家守
 それはそうだし、あなたの言うことにも一理はあるけど、こちらは以前にも紹介したことがある医者の待合室の様子の句。

   ぜんたいが過ると咄す薬とり 末初2

 当時の医者といえば漢方医や鍼灸師などのことだけど、生薬の調合に時間がかかったのか、繁盛していると思わせるためか、病人や薬取りを相当待たせたらしい。となると、待っている人々の間では自然と会話が始まるわけで、これもその一こま、薬取りは商家の下男か、一体全体、うちの旦那さんはやりすぎだから体を壊すんですよなどと無駄口をたたいている。
初美 やりすぎているのはえっち、薬は腎虚の薬ということかしら。
家守 この句が破礼句であれば、当然、そうなるだろうね。そして、冒頭でも述べたとおり、腎虚が高じてくると、Erectile Dysfunction、その挙げ句に不能になってしまう。

   もふ仕事も願も不叶腎虚なり 破礼16(雑体)
    「不叶」は読み下して「かなわず」。

初美 仕事も願いもかなわず腎虚だなんてあまりに寂しすぎる。
家守 破礼句にもならないしね。それで、柳多留にこんな句があるよ。

   申子の願も叶す腎虚也 六八20   申し子の願もかなわず腎虚なり

 この句は、どこかの万句合勝句刷のオリジナルのパクりだと思うけど、最破礼の「もふ仕事」はその句の写し間違いらしい。
初美 子ども欲しさにせっせとはりきりすぎちゃったのね。それで腎虚になったと。

   あてこともない事和尚腎虚なり     破礼58(杜多)
   さたのかぎりハくわどうにてせんげ也  一八4      沙汰の限りは火動にて遷化なり
   極すまぬ事ハじんきよて遷化也     三三9

家守 「あてこともない」は「途方もない、とんでもない」、「遷化」は高僧が入滅すること。妻帯はもちろんのこと、女を買ったり、妾を囲うのも当時の坊さんは一般に禁じられていた。その坊さんが腎虚になるなんて、女相手だからとんでもないことだし、挙げ句に命を落としたのが徳の高いはずの高僧ではさらに至極まずい。
初美 でも、柳多留でも吉原や岡場所通いする僧侶の句がぞろぞろあるんでしょう。
家守 それだけごく当たり前のように横行していたんだろうね。たしか寛政(1789〜1801)のときだったと思うけど、吉原に手入れがあって一晩で80人近い坊さんが捕まったことがある。
初美 そういう人たちはどうなるの。
家守 全員、島流し。
初美 たったといえば語弊があるかもしれないけど、そんなことで遠島になっちゃうのか。お坊さんにとってはいっときの快楽も命がけね。
 おや、何気に気づいたけど、最初のほうの「帆柱」などの四二10とか、「申し子」の六八20、「極すまぬ」の三三9は、誹風柳多留42編10丁、68編20丁、33編9丁に出ているという意味だったよね。以前に柳多留から引用するのは31編までとか言ってたんじゃなかったかしら。
家守 引用したのは多少、話が膨らむかなと思ったから。
初美 前言撤回?
家守 確かに、そのときは引用するのは柳多留31編までにしておこうかと思っていたんだよ。31編までは万句合勝句刷から抜き出した句も載ってるし、末摘花とほぼ同時代につくられているから。でも、これ以後ので破礼句といったら、天保6年(1835)の「柳の葉末」という破礼句集があるにはあるけど、そのほかは柳多留にしか載ってないからね、31編以降はいわゆる狂句になっていって、どうでもいいような駄句の嵐ではあるんだけど、中にはおやっと思う秀逸なのが浜の真砂の中から宝石を見つけるようにまれにあるらしい。
初美 だから、31編以降も目を通しているのね。それで何か見つかったの。
家守 破礼句があることはあるんだけど。
初美 めぼしいものがないと。それって時間の無駄じゃないかしら。それよりは万句合勝句刷とか、それから抜き出した柳多留拾遺等々の何だ、柳句集というのかしら、そちらを見ていったほうがいいんじゃないの。
家守 同時並行で複数のことはできないから、一応、気にとめておくことにするよ。
 では、本題に戻ろうか。それで、次の句はというと、これだね。

   その藥ぢんきよさせてがせんじてる 末三26   その薬腎虚させてが煎じてる

 男を腎虚にした相手は、まあ、嫁さんだろうね。
初美 腎虚にしておいて治るのを願って薬を煎じるぐらいなら、そうなる前に房事を慎めよということかしら。

   ばつた/\ていしゆのかわる美しさ 一九3    ばったばった亭主の代わる美しさ
   かとく公事しんきよさせたが相手也  末初12   家督公事腎虚させたが相手なり

家守 ばったばったと亭主が代わっていくのは、嫁さんが美人だからやりすぎて、亭主が腎虚で死んでいっちゃうからだし、「家督公事」は家督をめぐる争い。ここでは旦那を腎虚にして、死なせた妾を相手に奥方が争っている。
初美 美人と3日いれば飽きる、ブスと3日いれば慣れるとか聞いたことがあるけど、美人の妾と正妻の訴訟合戦か。先ほどの「お妾はめうりのために腎虚させ」の句じゃないけど、冥利のために腎虚にしておいて、 まして妾に子どもがいて正妻にいなかったら、相当、面倒くさいものになるわね。



家守 ところで、腎虚はまた腎虚火動の症ともいって、こちらは不能ではなく、逆に性欲が高進してエレクトしっ放しになっちゃう。腎虚には両極の二つの症があるんだね。

   はだかにてくわどうの症はおつかける 末初18   裸にて火動の症は追っかける

 情欲の炎が燃え上がって、でも、水(腎水)がないから火が消せなくて熱くてしようがないでしょう。この句は、だから、裸になって女を追いかけるというものだけど、実際にそんな男がいるわけはないから、そんなのがいたらどうだろうとおもしろがっているんだね。
初美 水がなければ消火できないのは事実だけど、火事と火動を結びつけるのはちょっと強引じゃないかな。
家守 少し調べてみたんだけど、火動の症は水がないために火が消せなくて高じるといった説明は見当たらなかった。でも、どうやらそうらしい。
初美 ふうん。てっきり、人のふんどしで相撲をとってるとばかり思っていたけど、たまには自分で考えたりもするんだ。
家守 人聞きの悪いことを言わないでくれよ。でも、辞書があるのに引くこともなく、この言葉の意味は何だと腕組みして悩む人はいないと思うよ。

   娵の身に成てうれしいじんきよ也 末初30   嫁の身になってうれしい腎虚なり

初美 この句の意味は、これまでの話の流れからいくと火動の症でずっと長もちするから、嫁の身にとってみればうれしいものだということか。
家守 嫁というは、世帯を持ってそれほど日が経っていない人たちだから、すること、なすことが照れくさかったり、恥ずかしかったりするわけでしょう。そんな些細なことでも赤面するような人が、ずっとできてうれしいなどと思ったりするだろうかとも思うんだよね。もっとも、昼も夜もしょっちゅうやりまくっている新世帯なんていうのもあるはあるけど、この場合の腎虚は火動の症じゃなくて精力が減退したほうかもしれない。旦那が腎虚になるまでかわいがってもらってうれしいと思っているとか。
初美 旦那さんの精力が減退してうれしいなんて思うお嫁さんがいるかしら。さっきの「なぜじんきょさせたとしうと娵をにち」の句じゃないけど、姑ににぢり倒されるなんてつらいじゃない。
家守 とすると、この句は火動の症のほうなのかな。
初美 それほど時間をかけて引っ張るほどの句ではないと思うよ。
家守 あなたの言い分にとりあえず賛同しておくよ。それでと。

   床についてもおやしてる病なり    末四24
   りんじうせう念でへのこハ木のやう 末三6    臨終正念でへのこは木のよう

家守 「臨終正念」は、広辞苑によると「死に臨んで心乱れず往生を信じて疑わないこと」。最期のときを迎えてもはや迷いなどないはずなのに、へのこはいまだ煩悩のかたまりで木のようになっている。
初美 臨終に臨んで、まだ、煩悩の犬って……。

   亭主立往生をするうつくしさ     末四31
   こんはく爰にとどまつておへてゐる 末四14   魂魄ここにとどまっておえている
   甚兵衛がへのこ在世のことくおへ  末二19   甚兵衛がへのこ在世のごとくおえ
   気のどくさへのこ斗にみやくが有  末二25   気の毒さへのこばかりに脈があり

家守 こちらは絶命後。立ち往生といえば衣川で仁王立ちのまま絶命した弁慶が有名だけど、1句めの「亭主立ち往生」はそうではなくて、へのこをおやしたまま絶命したということ。火動の症で死ぬとそうなることがあると当時は信じられていたというか、そうなることもあると思われていたみたい。「甚兵衛」は腎虚の擬人化。
初美 2句めの「魂魄ここにとどまって」ってすごい執着じゃない。
家守 へのこの周りに炎がぽわぽわと、ともったり、消えたりしているとか。
初美 人魂は嫌だなあ。

   ゆかん場のわらいじんきよで死だやつ 末初12   湯灌場の笑い腎虚で死んだやつ

家守 現在でも納棺の前に遺体を、湯を絞ったタオルなどで拭いて清めたと思うけど、湯灌とはこのこと、また、寺には湯灌をする小屋があって、これが湯灌場。この句は死者の衣類を脱がしたら、「この仏さん、おっ立ててるよ」「腎虚だったのか」とどっと笑いが起きたというところ。家持ちは自宅で湯灌をすればいいんだから、寺でするのは長屋住まいだね。

   ちんきよにて死だを娵ハくろうがり 末初12   腎虚にて死んだを嫁は苦労がり

初美 亭主が湯灌場で笑われていたら、お嫁さんは穴があったら入りたい気持ちよね。
家守 それもそうだし、結局、嫁さんが旦那をし殺したことになるわけだから、それで変な浮き名が立つのも嫌なんだろうね。

   相手ありながらしにぞんぢんきよ也 末二39   相手ありながら死に損腎虚なり

 この句の作者は、えっちの相手がいるのに腎虚で死ぬなんてかわいそうだと、つい、同情しているのかもしれないね。

   こゝはまだいきてござると女房なき 末二16   ここはまだ生きてござると女房泣き
   泣ながら女房へのこへ土砂をかけ 末二39

 「土砂をかけ」は土葬のことではなくて、土砂加持をした砂をおえたへのこにかけているところ。この土砂を遺体や墓にかけると極楽往生ができるとか、硬直していた遺体がぐにゃぐにゃとやわらかくなるとされている。
初美 煩悩の魂魄が現世にとどまっているんだから、この土砂で未練を残さず、成仏してねというところね。



初美 ところで、さっきから何気に思っているんだけど、用語集みたいなものって必要じゃないかしら。
家守 用語集ってどんな。
初美 例えば「おえる」とか「へのこ」とか、既出の語の解説を一覧にしたもの。これまで再出の語については既知のものとして一度も説明したことがないけど、「おえる」なんてどさくさ紛れに解説していたから初出がどこだったか、読んでる人が探そうと思うと、とてもわかりにくいと思うよ。そんな語をバックナンバーをすみずみまで探して、調べなきゃならないとなったら酷でしょう。
家守 誰がまとめるの。
初美 もちろん、私は違う。
家守 言い出しっぺのくせに逃げるのか。
初美 だって、私にできるわけがないでしょう。
家守 それはそうだ……が、かなり面倒くさいなあ。
初美 読む人の便宜を考えたら必要だと思うよ。
家守 これを読んでいる人なんているのかな。
初美 誰かはいるでしょう。それに項目が増えてきてから始めるは面倒だよ。
家守 確かにそれはそのとおりはそのとおりなんだけど、うーん、考えておくよ。


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