03 屁子  越前ものろりと出すとおそろしい



初美
 このタイトル、一瞬、尼かと思っちゃった。ヒが比になっただけで雲泥の差よね。あれ、水がつくと今度は泥になるのか。ということはあまり月とすっぽんほどの違いはないのかな。屁子は何と読むの。
家守 へのこ。
初美 へのこって何。
家守 説明するまでもないと思うんだけどなあ。
初美 でも、私を含めてわからない人はいるはず。そういう人のための私は聞き役だって、はるか昔に話したことがあるような気がするけど。
家守 だったら、これがいいかな。「痿陰隠逸伝(なえまらいんいつでん)」という平賀源内が明和5年(1768)ごろに書いた戯文の冒頭の部分。これでほぼ言い表されていると思う。現代仮名遣いで原文の漢字のいくつかは開いたよ。

 天に月あれば人に両眼あり。地に松茸あれば股にかのものあり。その父を屁といい、母をおならという。鳴るは陽にして臭きは陰なり。陰陽相激し、無中に有を生じてこのものを産む。よって字(あざな)を屁子という。稚(いとけな)きを指似(しじ)といい、また、珍宝と呼ぶ。形備わりてその名を魔羅と呼び、号を天礼菟久(てれつく)と称し、また、作蔵と異名す。万葉集に角の布具礼(ふくれ)と詠めるも、疑うらくはこのものならんか。漢にては……陰茎といい、玉茎といい、肉具と呼び……男たる人ごとにこのもののあらざるはなし。その形状(かたち)、大なるあり、小なるあり、長きあり、短きあり、あるいは円(まろ)く、あるいは扁(ひら)た、また、元太(もとふと)、頭がち、白まらあれば黒まらあり、木まらあれば麩まらあり、いぼまらあれば半皮あり、空穂(うつぼ)あればすぼけあり、かり高あれば越前あり、上反りあれば下反りあり。そのさま、同じからざることは人の面の異なるごとくなれば、一々に言い尽くすべうもあらず。

初美 そうきたか。今回は直球のど真ん中だね。
家守 いや、今後も、うっちゃり、けたぐり、猫だましなんていう際物はないはず。もっともどうなるか、成り行き次第というのはあるけど、それで、ここではブツそのものを扱っていこうと思っている。つまり、「その形状、大なるあり、小なるあり、長きあり、短きあり、あるいは円く、あるいは扁た、また、元太、頭がち、白まらあれば黒まらあり……」といった形や色に関する句を取り上げていこうかと。だから、「ちんほうへへのこむほんをすゝめこミ 末四27(ちんぼうへへのこ謀反を勧め込み)」といった、暗喩的な使い方をしている句は扱わないつもり。
初美 どうしていきなりこんなすぐに意味のとれない、厄介な句を引っ張り出してくるのかな。もっと簡単なのはなかったの。
家守 探したんだけどね、どれもいまいちで、これもどうかとは思ったんだけど、後々のことがあるから、ここで扱っておいたほうがいいかと思ってさ。というのは、この句は源頼政が以仁王に進言して平氏討伐の令旨を出させた句と解釈されていて、ちんぼうは当時30歳の以仁王、へのこは当時76歳ごろの源三位入道のことで、以仁王を子ども扱いするのもどうかとは思うけど、「へのこありそうには公家衆見へぬ也 末二12」という句があるように、これが江戸者の京の公家衆に対する一般的な見方だとしたら、以仁王をそう呼ぶのはごく自然なことだろう。
 それで、このような歴史を題材にしたものを詠史句と呼んでいて、例えばどんなのが扱われているか、末摘花初編からピックアップしてみると、八百屋お七、二位尼、お染久松、絵島生島、建礼門院、在原行平・業平兄弟、小野小町、玉藻の前などなど、詠史句を解釈するにはまずこれらの故事を調べなければいけないからむちゃくちゃ面倒なんだよ。そこで、藐姑射秘言で扱っている題材とか、絵島生島のような有名な事件などのほかは取り上げないでおこうかと思っているんだ。
初美 高校では日本史が必修ではなくて選択科目になっているそうね、日本史は中学でやっているからという理由で。
家守 でも、二位尼や小町、業平は主に古文に出てくるから、歴史を知っていても詠史句の解釈にはあまり役に立たないんじゃないかな。もっとも栃木の那須地方の人だったら玉藻の前には詳しいかも。そういった地の利はあるかもね。
初美 玉藻の前って私にもわからないし、ほとんどの人にとっては説明が必要だと思う。
家守 殺生石のこと。あとは自分で調べて。
 では、本論に戻ろう。

   古市で息子へのこの仲間入 末三3

 古市は現在の三重県伊勢原市、伊勢神宮の内宮と外宮の間、山田と宇治に挟まれた高台で、江戸時代には娼家が軒を連ねていて女郎は総勢600人程度、伊勢参宮帰りの客で大層賑わったところだったそうだ。句の意味は言うまでもないことなんだけど、息子がちぇりい君じゃなくなって大人の仲間入りをしたということ。つまり、へのこというのは痿陰隠逸伝にあるように形が備わって、えっちができるようになったもの、あるいは既にしたことがあるものを呼ぶみたい。英語のdickとほぼ同義だね。ちなみに現在の古市はすっかり当時のおもかげはなく住宅地化しているそうだよ。
初美 回りくどいなあ。女を経験してcherry boy、つまり、童貞を卒業したという意味ね。
家守 僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る。
初美 それは「道程」でしょう。
家守 いや、そして新しい世界が開かれるかも。
初美 何を言っているのかな、女と男の違いをわかっているのかしら、この人は。男はやり逃げもできるけど、女は子どもを産んだら育てていかなければいけないのよ。もちろん、何だ、破瓜か、それはエポックだけど、単なる通過点にしか過ぎない。子どもができたらもっと大変なことが待っていて、そうなったらちゃらけたことなんか言っていられなくなるのよ。
 そんなことより話を進めると次に挙げる句は……。
家守 その前に今の関連でこっちを挙げておくことにするよ。

   ちんほつ子いつか毛の子と成にけり 破礼10(雑体)   ちんぽっ子いつか毛の子となりにけり

 これは「最破礼」にある句。最破礼というのは以前にも別の項で少し触れたけど、出版されたものではなく、好事家の間で書き写されて流布していたらしい。ただ、原本はとじられていて丁数を示すことはできるし、柳多留拾遺のように項目名もあるから、異例なんだけど、便宜的にここでは項目名も括弧で入れておこうと思っている。最破礼にある項目というのは、丁数順に、故事、雑体、雑体(追加)、仲條、異形、新世帯、あらそひ、旅行、間夫、曲事、蒸婦、娘、傾城、歌妓、きりミせ、舩饅、惣嫁、陰馬、杜多、盲者、盲者(コセ=瞽女)があり、それぞれの項目名に関連する句が集められている。だから、「破礼10(雑体)」というのは、最破礼の10丁め、雑体という項目にある句であることを表している。
 でもさ、この項目名を見ただけでも、編者は相当、くせがあることがわかるよね。歌妓は芸子(踊り子)、舩饅は私娼の船饅頭、惣嫁は上方の名称だけど、ここでは江戸でのそれに相当する夜鷹のこと、陰馬は陰間、杜多は坊さんのこと、「ずだ」と読むらしいし、間夫は吉原連だと「まぶ」と読んじゃうところだけど、そうではなくて間男、句では真男という字が使われていることもあるし、蒸婦は情婦、愛人じゃなくて好き者の女程度の意味だけど、句の表記がこんな感じだし、また、手書きだから写し間違いもあったりで、結構、扱うには厄介だったりする。
 句の意味の説明は不要だよね。それで、へのこという呼称について、最破礼には摩羅という語が散見されるんだけど、末摘花に出てくるのはへのこばかりで、以降の狂句になってくると圧倒的に摩羅が頻出するようになる。どうしてなのか、理由はわからない。

   ししきがん高しぬ/\と女出し   末三7    紫色雁高死ぬ死ぬと女出し
   へのこはいかにも黒きのをたつとミ 末二34    へのこはいかにも黒きのを尊み
   むらさきハへのこにしてもしごくなり 末初20    紫はへのこにしても至極なり

 へのこの色は紫か、黒が最上。現代でも位の高い坊さんしか紫の袈裟は着られなくて3句めはそんな意味。1句めは死ぬ、死ぬと嬌声を上げながらバルトリン腺液を出す女。

   へのこくらべの巻はてんこそり  末三17
   かり高ハくわへて引と思ふなり      末三23
   かり高はぬく時藪の音がする    末三27
   出来合ハおかりがひくうごさりやす   末四11

 1句めのてんこそりは上反り、これが筆頭だということ、2句めはしている最中にひっかかるという意味だね。
初美 かりというのは亀頭のことだから、かり高はかさの大きい松茸。3句めは笹やぶを歩くと、かさ、かさという音がするから、それをかり、かりとひっかけただけなんじゃないの。そんな程度だと思うよ。
家守 さっきから何気にえぐいことをさらっと言ってるよね。
初美 何だか、私、もう吹っ切れちゃったみたい。
家守 最後の常識だけは持っていてよね。それがなくなると転げ落ちるばかりだから。
 それで、4句めは出来合いの張形は小さいとぼやく奥女中というところかな。

   かんぞうとたこと出合てしんどうし 末初9   かんぞうとたこと出合って振動し

 かんぞうはもともとは漢方の甘草、ここでは甘草まらのことで、理由がよくわからないんだけど、最上の一つとされている。たこは吸いつくような、また、吸い込むような女のそれで、これも最上のもの、名器同士が取っ組み合えば家が激しく振動することもあるよね程度の意味。「出合」という言葉が使われているから、これは出合茶屋関連の句かもね。
 そういえば麩まらというのも最上とされている。というのは、女の大きさに合わせて、麩は水を吸ったように大きくも小さくもなるからという理由だそうで、「女大楽宝開」という本では、「一麩、二かり、三そり、四かさ、五赤銅に六白、七木、八太、九長、十すぼ」と順位づけしているんだけど、水を吸った麩はふにゃふにゃでしょう。だから、下品のほうに数えられることもあって、痿陰隠逸伝で触れている麩まらは木まらと対になっているから後者の意味合いなのかもしれないね。

   たことふを出してもてなす出合茶や 末二5

 これは前者。出合茶屋ではたこと麩の料理を出すという意味ではなく、客の女と男がたこと麩まらで互いにもてなし合っているということ。
 一方、大きいのはというと。

   青女房へのこのうきなたてる也   末三25
   板ねふとおぼしき人の青女房    末二21
   子桶からなめらの下る板ねぶり  末三11
   まれものを湯屋で見て來て咄す也 末三33
   どこの湯やにも二三人名代あり   末四25

 青女房というのは顔色が青白い病気のような女房、板ねぶ(板ねぶり)のねぶるはなめる、銭湯で小椅子に座ったときに床板をなめるように長く垂れ下がった一物のこと、なめらはなめら蛇、シマヘビまたはアオダイショウのことだと言われている。
初美 1句め、毎夜、亭主に責められているから、顔色が悪いんだろうなんて浮き名を立てられてもねえ。2句めは、そんなものを持った亭主の相手をする女房は苦痛なだけだよということかしら。
家守 だから、何度も言うけど、そんなこともあるに違いないと作者が面白がっているんだよ。

   ぞんの外ゑゝ男だがぞうのはな 末三11   存のほかええ男だが象の鼻

 鼻が大きいのはあれも大きいという俗説があって、だから、ある程度、大きいのはともかく象の鼻のように長すぎるのは問題だよなということかな。ただ、江戸時代の象の絵を見ると鼻先が小さく描かれているから、長いのは長いんだけれども、先細という意味か、下反りという解釈もあったように思うよ。

   はりかたの引もの下の方へそり 末二20   張形の引けもの下のほうへ反り

初美 象は享保14年(1729)と文久3年(1863)の2回、江戸で見せ物になっているわね。文久3年のときは両国に見せ物小屋があって大勢が訪れたそうよ。それで、このときの絵では確かに鼻は先にいくほど細くなっている。
家守 享保14年のときは珍し物好きの吉宗の発案で輸入されたんだよ。民間に払い下げられた後、現在の東京・中野坂上で飼われていて、死んだ後、骨を近くの宝仙寺が保管していたんだけど、第二次大戦の空襲で燃えてしまったそうだ。
初美 どうでもいいような細かいことを知っているのね。
家守 昔、調べたことがあってね、それだけのことだよ。

   ゑちぜんはつるの出そうなへのこ也  末初30
   越前の住はへのこの下さく也      末初32
   越前ハ一生おさな顔うせす        末四21   越前は一生幼顔失せず
   越前はゑみわれさうにおやす也     末四23   越前は咲(え)み割れそうにおやすなり
   ゑちぜんハへのこくらべをいやといゝ  末三11   越前はへのこ比べを嫌と言い
   おれき/\にも有物ハ皮かぶり     末四25   お歴々にもあるものは皮かぶり
   しゆしやうにも見へる出家の皮かぶり 末三5    殊勝にも見える出家の皮かぶり

 これらはいずれも皮かぶりの句。越前松平家では当初、槍の穂先に熊の皮の袋をかぶせていて往来を歩いていた。その袋から転じて皮かぶりのことを越前と俗称するようになったんだ。鞘から抜いた刀や槍の穂先を抜き身というんだけど、抜き身というのはへのこの異称でもあってね、抜き身の槍先に袋をかぶせているのは皮かぶりだろうと。ただ、越前松平家もそう呼ばれていることを知ったんだろう、親藩で将軍の親戚筋の家柄だから、さすがにこれではまずいと思ったんだろうね、文政のころには槍に袋はつけていなかったとかいう記述が「甲子夜話」にあったと思う。さきに出てきた順位づけの10番めにあるすぼ(すぼけ)も皮かぶりの異称で、源内の戯文の最後に出てくる半皮、うつぼもそのことなんだけど、うつぼとすぼけの違いはわからない。
 句に戻ると、つるの出そうなは先細でつるが出るキュウリのような、咲み割れそうは栗のいがが割れて実がのぞいている状態、その形が笑っている口のように見えることから形容だね。そういえばいま、何気に思い出したんだけど、包茎のままにしておくとかりが大きくならないから、早めに処置したほうがいいというようなことを聞いたことがある。でも、手術で切っちゃうと跡が残って、それとはっきりわかったりするからなあ。
初美 切らないでたぐり寄せて縫いつけるのか、接着だったか、そうして戻らないようにするオペもあるらしいよ。
家守 へえ、そんなのもあるんだ。でも、何であなたがそんなことを知っているの。
初美 うっ、口が滑った。それにはお答えできません。
 ところで、4句めにあるへのこ比べなんて男の子たちはするものなの。
家守 どうなのかな。普通はしないと思うけど、例えば何人かで酔っ払ってその気になっちゃうと何が起こるかわからないし、そこに女の子がいたら乱交だってあり得る話だよ。
 それで、越前ではこんな句も末摘花にはある。

   越前ものろりと出すとおそろしい 末四7

 のろりというからには大きいんだろうね。そんな巨大なものをのろりと出された日には、ましてそれが皮かぶりだったらぎょっとする。

   ふきがらをじうといわせるちんこ切 三2
   知れぬ字を砥へ書て聞くちんこ切  三5

 さて、これは?
初美 これは羅切……いや、違うなあ。それだとしたら意味がとれない。何だろう。ねえ、もしかしてこれらの柳多留の句は下ネタとまったく関係なんじゃないの。
家守 ご明解。漢字で賃粉切りと書くこれは、賃金をもらってたばこの葉を刻む人のこと。1句めは吸っていたたばこを水の入った桶に落として火を消し、刻んだ商品に火が燃え移らないようにしているところ、2句めは桶に指を浸して、たばこを刻む包丁を研ぐ砥石にこんな字かと書いて聞いているところ。これらの句にどんな破礼の意味があるんだと悩んだらおかしいなと思って遊びで入れてみた。
初美 家守君、あなた、案外、性格が嫌らしいのね。
家守 でも、柳多留にあるこっちは本当の羅切のことだよ。

   奥家老らせつしたのを鼻に懸 二14

 殿様へ羅切までして忠義を尽くして仕えているので、そんなことをしたのを鼻にかける奥家老。かつての中国の宦官のことでも念頭に置いてつくった句なのか。でも、いくらまじめだからといって、そこまでする必要はないし、実際にそんなのがいるわけはないんだけど、奥家老が殿様に意見するのは妾に関することが多いので、殿も少しは自重しなさいという意味もあるのかな。
初美 でも、奥家老といえば老人なんだから、いまさら、要らないものは要らないでしょう。
家守 そう、あっさりと言い切るなよ。何歳になっても現役の人は現役なんだから。



初美 ところで、へのこで一項目を設けたということは、いずれ、ののさまもやるということなのかしら。
家守 ののさま……末摘花の中で使われると、幼児語も何となく淫靡な響きがすると思うのは考えすぎかな。でも、いずれやるかといったら、それはないだろうね。だいいち、句がそんなに多くない。川柳の作者はほとんどが男なんだから少ないのはしようがないよ。
初美 だったら、ついでにここで少し紹介しちゃえばいいんじゃない、たこだって何度か出てきたんだし。
家守 でもさ、一度、使った句の再掲はしないでおこうと思っているんだよね。
初美 いずれ、どこかで使うかもしれないということ? でも、必要があれば重出だってやむを得ない場合があるだろうし、再掲する場合はそのときに断りを入れればいいんじゃないかしら。
家守 句に続けて括弧して初出の項目名を入れるなどということかい。
初美 とりあえず、いまの段階ではそうしておいていいんじゃないの。重出があるかどうかは今後のことだから一切ないかもしれないし、あるかもしれないし、それは現時点では何とも言えないことでしょう。
家守 じゃあ、少し待っていて。関連するのを集めてみるよ。



家守
 お待たせ。それで、時間もなかったのでとりあえずかき集めてみたというところ。あまり期待しないで。
 まず、たこ関連ということで。

   針だこのかわりさねだこ持参也 末初14

 句の最初に針とあるところからすると、針妙か、お針子だろうね。裁縫を専門にする人たちのことで、江戸の町方では針妙、吉原ではお針子またはお針と呼んでいた。この句は多分、吉原のお針子のことだろうね。たこは皮膚にできるたこのことだけど、吉原で働いている者だから、針だこのかわりに仕事そっちのけでさねだこをつくって持ってくる者もいるだろうほどの意味だと思う。

   かわらけもまゝあるものと湯番いひ 末初14

 かわらけは漢字だと土器、酒を飲む素焼きの平べったい皿のような器のことなんだけど、ここではぱいぱんのことを指している。
初美 ぱいぱんって?
家守 麻雀の牌で白のことを白牌(ぱいぱん)といって、そこから転じて真っ白で陰毛のない女のことをそう呼んでいる。麻雀は明治になってイギリス経由で伝わった中国のゲームだから江戸時代にそんな隠語はない。吉原の女郎は摘草と称して部分的に剃っていたし、一般に男も長いと短くするのが多かったみたい。えっちしているときに毛が入っちゃうと、粘膜が切れたりするからそうしたらしい。
初美 そういえば現代のロシアの女の子も剃っているらしいわね。それが向こうでは常識だとか。多分、江戸のときと同じ理由だと思う。
家守 寒い国だからなあ、ウォッカを飲んで熱いものだから薄着で外に出て凍死する人が多いらしいし、家の中だとほかにやることがないのかねえ。
 ところで、さきに引用した「女大楽宝開」では女のも順位づけしていて、「一高、二まん、三蛤、四たこ、五雷、六洗濯、七巾着、八ひろ、九下、十くさひ」とある。1位は土手高、2位は饅頭、以下、はまぐり、たこ、5の雷は雷つび、6の洗濯は牛蒡を洗うことかな、7の巾着は口をすぼめることから締まりのあるもの、8は広い、9は下つきという意味だと思うよ。
初美 牛蒡を洗うというのはどういう意味なの。
家守 牛蒡は細いでしょう。だから、男のが小さいのか、女のが広いのか、大きさが合っていない、すかすかの状態のこと、雷というのはしている最中に空気が入って音が鳴ることだったと思う。
初美 1番めから3番めは?
家守 土手というのは丹田の下のあたり、そこが饅頭のようにふっくらしているという意味らしいんだけど、それがなぜ上位にランクされるのかはよくわからない。やわらかいということなのかな。はまぐりは「蛤であげるがむすめ気にいらず 五19」の句のように新鉢を意味しているのかも。ただ、多くの場合、はまぐりにそんな含意はないんだけどね。
初美 何か個人的な趣味というか、価値観というか、そんなランキングみたい。
家守 たこや巾着を筆頭に挙げる人もいるしね。

   かわらけと茄子夜る湯にさそひ合 末三23
   中條のなすを見るのハまんがまれ  末初7

 なすというのは子宮脱のことだという。これはある意味、大変だよね。
初美 子どもを産んだお母さんがなることがあるらしい。現代だとひどい場合には手術するらしいんだけど、昔は簡単にそんなこともできないから何かと苦労したんじゃないかしら。だから、暗くなってから誘い合って湯屋へ行く。
家守 ただ、女相手の中条もほとんどなすを見ることはないというのだから、めったにないことなんだろうね。

   じやうかいはときわの方へ付たい名   九16
   ほゝハたゝせはきを以て宜とする   破礼27(異形)   ぼぼはただ狭きをもって宜とする

 平清盛は出家して浄海(静海)を名乗った。常盤は源義朝の妾で義経らの母親。平治の乱で清盛に義朝が負け、常盤も捕まって清盛の妾になったと言われている。武家の二大棟梁それぞれの妾になったんだから、常盤にこそ上開とつけたほうがいいんじゃないかという意味。開、貝、つび、ぼぼは女性器の称で、ぼぼは現在の九州地方でも使われているもともとはハングルの言葉だったはずだよ。これには開の漢字をあてることもある。

   かさのないものは女のおえたなり   末二32
   女中のハかさばらぬので持たもの  末初5
   男のハじやまになろふと女の気    末初15   男のは邪魔になろうと女の気

初美
 女には男のような厄介なものはないからね。
家守 だから、こんな句もあるよ。

   おやしたも知れぬで女つみ深し 末初10   おやしたも知れぬで女罪深し

 女罪深しは当時、仏教談義でよく使われていた語だとか。この句は、おやしたのがわからないのは、かえって罪深いんじゃないかぐらいの意味かな。

   男にハあがりさがりのなんハなし 末四25   男には上がり下がりの難はなし

 これはさっきの上反り、下反りのことじゃなくて、女の上つき、下つきのような難は男にはないということ。
 とまあ、あれは上品、これは下品とあれこれ品定めする句を見てわけだけど、とどのつまりはこういうことなんじゃないのかな。

   大小長短か上り下りハ迷ひ事  破礼28(異形)
   なんのなきへのこを上品と申也 破礼27(異形)

 2句めの難がないというのは傷物ではないということでもある。つまり、梅毒とかにかかっていないということ。結局は普通がいいんじゃないのと。
初美 大きいとか、小さいとか、長いだの、短いだの、上反り、下反りはみんな迷いごと、気にしすぎということかしら。くだらないわよね、男って、そんなことに一喜一憂するなんて。それより見てくれなんかは二の次、男女の間にはもっと大事なことがある。ねえ、家守君。でも、真性包茎はどうなのかしら。清潔じゃないし。
家守 何でこっちを見ているんだよ。
 最後に、痿陰隠逸伝の最後に載っている狂歌を紹介して今回は終わることにするよ。

    春も立ちまた夏も立ち秋も立ち冬も立つ間になえるむだまら


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