01  発端  誹風柳樽ハ川曳の滑稽にして


初美 久々に来てみたけど、相変わらず、この長屋は殺風景よね。こんな昼間だったら、普通は子どもたちが「ありゃりゃん、ありゃりゃんらん」とか歌いながら駆けずり回って、井戸の周りでは奥さんたちが井戸端会議をしながら洗濯とかしてにぎやかなはずなのに誰も出ていないじゃない。もっともこの長屋は、夜は少しは景色が変わるようだけど、昔はともかく今は夜もほとんど人けがないみたいね
 家守くんはたしかこの家だったよね。おーい、家守くん、家守くんはいるかあ、というより死んでいないかと聞いたほうが正確かしら。何せ来るのは10年ぶりぐらいだから。もっとも皆さんの前に出るのはこちら以来だからもうちょっと前だけど、その後、家守くんとは実はちょっぴり会ったことがあるのよね。
 おーい、や、も、り、くーん。まだ、寝てるのかしら。こんなに陽が高いというのに、おや、戸があいた。あけるよ。ねえ、家守くん、いるの、私よ、初美。家守くん、いる? いないか。
 それにしてもこの部屋は何というむさくるしいところなんだ。野郎のひとり暮らしというのは本当にうじがわきそうよね。万年床が敷いてあって、あの枕元に積んであるのは、どうせ殿方ご趣味のくだらない枕草子ね。この長屋にもどこかにあったわね。そうくると、大概、次は丸まったちり紙、「この紙くずをもやしておくと、おぎゃあ、おぎゃあができやす」なんてくだりがどこかの草双紙にあったわね……おや、ないなあ。いかん、私は何を考えているんだろう。
 そういえば、さっき、ここの長屋に戸が少し開いていた家があったよね。家守くんはそこかしら。
 外に出て数軒進んだここね、少しだけあいている。その戸をあけて家守くんは……というか、誰の人影もないなんだけど、うっ、げほ、げほ、何だ、このほこりは。戸の内側の桟のところにもたまっているじゃない、ひどいな。おや、暗いからよくわからなかったけど、向こう側の壁にも戸があるみたいね。まずはあそこをあけようかしら。
 お邪魔しますねといっても、誰もいないから遠慮することもないんだけど、どうも人様の家に入るのは気が引けるわね。あれ、畳の上に何か文字やら書かれた紙が散らばっている。壁にも貼ってあるよ。あら、ここにはロフトもあるのか。まあ、そんなことより奥の戸をあけてと。うわっ、何、この強い風は、しかもほこりが舞い上がって、ぐっ、ぐわあっ、息が。ああっ、さっきの紙がばらばら舞って外に出ちゃう。それにしても何て強風なの。外に舞っていった紙を拾わなくちゃ。
家守 おい、何をしているんだ。えっ、あんたか、何しに来たんだ。
初美 久々だというのに随分なご挨拶じゃない。ほかに言いようがないかな。それにしても元気そうね。
家守 10年ぶりくらい、もうちょっとかな。いま、いくつになったんだ。たしか、あんたはたしか……。
初美 レディに歳を聞くものじゃないわよ。私は永遠の2X歳よ。
家守 何だ、そのXというのは。
初美 だって、このサイトは20禁でしょう。18歳と正直に言うわけにいかないじゃない。だから、2X歳にしたの。
家守 これまでの間にバツ2になったという意味か。
初美 おい、殴るぞ。
家守 で、きょうは何で来たんだ。バツ2の報告か。
初美 くどい。これ以上、歳のことは聞かないで。


初美 ところで、ここ、あそことあなたを探したけど、いなくてどこへ行っていたのよ。普通、家守というのは長屋にいるものなんじゃないの。
家守 それは現代の時間決め集合住宅の管理人の場合だろ。こっちだって生活しているんだから、たまには出かけるさ。
 ところで、あなたがさっきから持っている紙は何なんだ。
初美 ああ、そうそう、これなんだけど、そこの空いてる家があるでしょう。少し戸があいていたので家守くんがいるのかと思って戸を開けたら、さんざんな目に遭っちゃったけど、この紙がばらばらと落ちていたのよね。床に落ちてたのはもちろん、壁にも貼ってあったし、ほこりもすごかった。
家守 おかしいな。ここは空き家のはずなんだけど、落ちていたのはどんな紙?
初美 これ。文字らしいんだけど、蛇がのたくってるようで私には読めない。これよ。
家守 これは真ん中に折り目があるから何か冊子だった紙だね……おや、これって。
初美 何が書かれてるの。
家守 少し読んでみるよ。

    蛤は初手赤貝は夜中なり
    若旦那夜ハ拝んで昼叱り
    ぜんたいが過ると咄す薬

初美 何なの、これは。蛤や赤貝は食べておいしいから何かのレシピか、次の若旦那はよくわからないけど、その次は最後に薬とあるから薬の調合の前置きかしら。
家守 いや、これはそうじゃないよ。「誹風末摘花」みたいだね。もうちょっと読んでみないと真偽はわからないけれど。
初美 末摘花って「源氏」に出てくる……そんなわけないか、この長屋にそんな高尚なものがあるわけないよね。
家守 そんなことを言うなよ。
 それでさ、もうちょっと、この紙を読んでくるよ。あなたはこの長屋の、こっちからだと入り口の木戸すぐ手前の左側に部屋があるじゃん。そこで待ってて。
初美 あなた、そこで変な気を起こすんじゃないでしょうね。
家守 何を言ってるんだ。あそこは会所だよ。こんな長屋にそんなものは必要ないんだけど、吉原連がつくれとうるさくてさ、きのうもそこで少し飲んでいたんだけど、早い話、寄合い所だよ。詳しくはそっちを読んでくれ。
初美 変な男が来ることはないの。
家守 誰も。最近、この長屋は静かなものさ。もっとも女は以前からほとんどいないはずだけど。
初美 さらに危ないじゃん。
家守 大丈夫だよ、こんな狭い裏長屋だよ。大声を出せば何事かと誰かは出てくる。


初美 そういえば、今、気がついたんだけど、ここのタイトル、発端になっているじゃない。これってもしかして何かが始まることのアナウンスかしら。ということは、私は以前の二の舞になるということかしら。だったら大変じゃない。私はあなたの顔を見て、用も済んだから帰るよ。
家守 待って。それよりか、発端ということは、これが新しい店子になるってことか。これはいささか厄介だな。
初美 厄介って?

    引すりのくせに早ハ尻斗
    下女の尻つめればぬかの手でおどし
    せんやくをいたゝけば下女ついと迯
    今ふうハすてつへんから寄かゝり
    ねたふりで夫にさわる公事だくみ
    かつかれた夜はふつかけを二ツくい

家守 やっぱり。これは「誹風末摘花」。初編が安永5年(1776)に出版された川柳の破礼句(ばれく)集、つまり、下ネタの句ばかり集めたやつのことさ。
初美 まずいよ、また、こんなのに付き合わされるのは嫌なんだけど。
家守 じゃ、そこの会所で待ってて。


初美 全く信じられないよ。会所で待ってろなんて言っておきながら、ぼうっとして待ってるのも何だから、紙の散らばっていた部屋を掃除しとけだの、壁に貼りついているのをひっぺがしとけだのと人をこき使って、もっともあいつも少しは手伝ったから今回は許すことにするけど、さて、お湯が沸いたし、お茶でも……ん、これってあいつのために入れてるってこと。結局、何だかんだでうまく使われてるのか。
家守 お待たせ。さっきの紙さあ、最初から順番に並べ直して編ごとにとじてきたよ。これがあなたの分。140枚ほどあったから全部揃ってるみたいだね。
初美 こんなのを渡されても。
家守 大丈夫。現代仮名遣いをそれぞれの句につけておいたよ。
 それで、本題なんだけど……。
初美 これを本当に次の店子にするつもりなの。
家守 だって、部屋の中に落ちていたんでしょう。ということは、これを店子にしろよという意味だと思うよ。
 それで、「末摘花」がどういうものであるかの前に川柳というものを説明しなくちゃいけないね。
初美 そんなのはどこかのサイトにあるでしょう。そっちに任せれば。
家守 その手は確かにあるけど、そんなことを言い始めちゃったら、わざわざ「末摘花」を店子にする必要もないし、「吉原」や「四ツ目屋」だって要らなくなっちゃう。
初美 この長屋のレーゾンデートルなんて、所詮、そんなものでしょう。
家守 そうまで言うかな。
初美 それに、あなた、この紙束を見て厄介だとか言っていたでしょう。厄介ならやめればいいんだし、それでも続けたいなら、私とじゃなく誰か同好の士と下品に笑いながらやればいいじゃない。
家守 厄介というのは後で説明するとして下品は勘弁してほしいな。
 で、川柳のことなんだけど、もともとは前句付といって五七五七七の下の七七、例えば「かたつけにけり/\」とか、「よこに成けり/\」とかいった、いわばどうとでも解釈できるような前句のお題を出して、これに合う付句の五七五を募集したんだよ。
 それで、応募する人は一句一句に幾らかのお金をつけて応募する。こうして多くの句が江戸中から集まってくるんだけど、もちろん、秀句もあれば駄句もあるからセレクトしなければいけないよね。こうして選び出された秀句が万句合勝句刷(まんくあわせかちくずり)という刷り物になって配られたんだ。選ぶ人を点者といって、明和(1764〜1772)のころだけでも20人ほどいたみたいで、中でも柄井川柳の勝句刷はおもしろいと評判になってどんどん人気が高まっていった。ピークには2万以上の句が寄せられ、選び出されたのが2〜3%ぐらいというから、まあ、おもしろいというのはわかるよね。
 ここで「柳多留」初編の序を紹介しておこうと思う。

さみたれのつれ/\にあそこの隅ここの棚よりふるとしの前句附のすりものをさかし出し机のうえに詠むる折りふし書肆何がし來りてこの儘に反古になさんも本意なしといへるにまかせ一句にて句意のわかり安きを擧げて一帖となしぬなかんづく當世誹風の情を餘剰をむすべる秀吟等あればいもせ川柳樽と題す
于時明和二酉仲夏 淺草の麓呉陵軒可有述

初美 およそ誰かに読んでもらおうとする態度じゃないわね。仮名遣いはともかく漢字は常用漢字が基本、句読点も入れるのが普通じゃない。あと、濁点、半濁点もね。返り点はどうでもいいか。
家守 わかりました。次から気をつけるようにします。
 それで、この序にあるように万句合勝句刷をこのままにしておけば反故になる、つまり、散逸しちゃうから前句だけで意味のわかりやすいのをまとめて一冊にしたというのが「柳多留」。実際に散逸したのがかなりあるらしい。編者はここにあるとおり、呉陵軒可有という人。
初美 読み下すとご料簡あるべしか。何か思わせぶりな名前ね。
家守 次は「末摘花」初編の序。

誹風柳樽ハ川曳の滑稽にして呉陵軒の集冊也往年続て当時其十一篇を出せり予其巻々にもれし戀句を人しらすこそ竊々とものし侍るに終跋を世上へ末摘花とハ名の立事にはなりけらし
安永五年盂秋 書林星運堂述


初美 だから、読みやすくしようよ。
家守 これもそのままだったか。まあ、読める人にはわかるから、このままにしておこう。
 それで、これのおおかたの意味をとってみると、「柳多留」は柄井川柳の滑稽で呉陵軒が選んだもの、当時というのは当代という意味で、「末摘花」刊行の安永5年までに「柳多留」は11編まで刊行されている。諸色高直、今にめいわくが安永元年だから明和2年の11年後か。それで、おいら、つまり、「末摘花」の編者は、その「柳多留」の巻々から漏れた恋句をこそこそっと集めてみたというところかな。版元の星運堂は「柳多留」の版元でもある。
初美 恋なの、愛じゃなくて。
家守 愛なんて言葉はおよそ江戸時代の文献には、まれに使われることがあったように思うけど、まず出てこない。愛に代わって当時、使われてたのは慈悲という言葉だよね。情けをかけてくださいってこと。恋は最終的にはえっちを含意してるのが当時さ。でもさあ、時にはあなたも男にお情けをくださいなんて言ったことがあるんじゃないの。
初美 はい? 何のことでしょうか。



家守
 さて、これからどのように進めていこうか。
初美 最初からやっていったらいいじゃない。
家守 それはむちゃだよ。たとえばさ……。

    蛤は初手赤貝は夜中なり       末初2
    若旦那夜ハ拝んで昼叱り
    ぜんたいが過ると咄す薬とり
    引すりのくせに早ハ尻斗
    下女の尻つめればぬかの手でおどし
    せんやくをいたゝけば下女ついと迯
    今ふうハすてつへんから寄かゝり
    ねたふりで夫にさわる公事だくみ
    かつかれた夜はふつかけを二ツくい

 これらは初編の最初に出てくる句で、第一句の末に「末初2」とあるのは、末摘花初編2丁にある句という意味。今後はこういった表記で出典を示していこうと思うけど、「」という小さい字は前の漢字の読みを表していて、「柳多留」は代表的な柳句集だから、句集を表す文字を省いて単に「初2」と表すのが一般的。あわせてほかの柳句集の略号も紹介しておくと、「柳多留拾遺」は拾、「さくらの実」は桜、「川傍柳」は傍、「藐姑柳」は藐、「柳筥」は筥、「柳籠裏」は籠、「最破礼」は破礼、これらはすべて川柳出典表記の一般的なルールに従っている。ついでに言っておくと、引用する句は末摘花と同時代の編になるこれらの句集、そして、柳多留は同じように31編までにしようかと思っている。ただ、これら以外に引用する場合はその都度、何らかの説明を加えることにするよ。
 それで、「最破礼」についてはあまり知られていないようなので説明しておくと、柳多留拾遺の序で触れられている、「物名のかけたるハ最破禮をもて補ふ。その数二十巻とハなれり。しかれども、此巻なん、むかしより此道の大事とすなるものからたやすく梓にのせす」とある最破禮の句集のこと。長らくこの序の意味することが何なのか、わからなくて省みられなかったんだけど、数十年前に原本が見つかってようやく日の目を見ることになった句集。ただ、全部で1500ほどの句が載っていて、そのうちの3分の1は末摘花と重複していたり、かつ破礼じゃない句もあって編者の意図がわからないところはあるんだけど、研究者によれば柳多留拾遺と最破礼の編者は同じらしい。

 さて、末摘花に戻ろう。「蛤は」は祝言をあげている当日のこと、「若旦那昼ハ」は下女相手のことだし、次の「ぜんたいが」は一体全体、うちの旦那はやりすぎでと下男が薬屋で話している図で、まあ、想像するところ、腎虚の薬をもらうために順番待ちしている薬取りの会話だよ。
初美 安永5年というと1776年、現代から240年ほど前のことになるから、およそ現代ではわからないことも多いんでしょう。
家守 そうなんだよ。調べればある程度、潰していけるものもあるけど、例えば2丁裏の最後の句、

    かつかれた夜はふつかけを二ツくい 末初2   かつがれた夜はぶっかけを二つ食い
 
 今度は少し工夫してみた。仮名に漢字をあてて現代仮名遣いのやつを添えるというのはどうだろう。
初美 何か、違和感もあるけど、とりあえず、こんな感じでいいんじゃない。まずいと思ったら途中で修正していけばいいのよ。いつもそうやっていたんでしょう。
家守 内輪をばらすなよ。
初美 ところで、この句って意味がわかりそうでわからないなあ。
家守 かつぐというのは、ここでは、人をさらう、かどわかすという意味。ただし、両者が合意している場合にも使われる。
初美 ぶっかけというのは。
家守 ぶっかけそば。つまり、かけそばのこと。ただ、ぶっかけられたととることもできる。
 破礼句の解釈の基本はできるだけいやらしくということなので、それでいくと、女がかどわかされて二人の男に強姦されたということなんだけど、ちなみにこの句の前句は「こゝろよい事/\」であることが専門家の研究でわかっている。もっとも、前句までつけることは今回が最初で最後になると思う。
初美 女の人が力ずくで男に犯されて快いわけないじゃん。
家守 男にとっては気持ちいいかもしれないけど、女にとってはね。だから、この解釈は腑に落ちないんだよ。
初美 五七五の17字しかないから、ほかの解釈もできるんじゃないかしら。
家守 それはある。「末摘花」に載っているから破礼句として扱うけど、そうじゃない解釈ができる句がたしかいくつもあったはずだよ。
初美 この句は?
家守 例えば柳多留にこんな句がある。

   かつがれる宵にしげ/\うらへ出る  七2   かつがれる宵にしげしげ裏へ出る
   かついだハうそ手を引て迯た也   三〇6   かついだはうそ手を引いて逃げたなり

 これらは女がかつがれることに合意している句で、両方とも駆け落ちの句。1句めは男はまだ来ないかとたびたび裏口へ出るという図で、これは箱入り娘だろうね。それで、かつがれて、さっきの「ふつかけ」の句に戻ると、宵に逃げると夕食がまだだから、ある程度、逃げたところでかけそばを食べ、さらに行っておなかがすいて2杯めを食べるという解釈もできる。二八そば屋はかなり深夜まで営業していたみたいだけど、現代でも女の人が一人で立ち食いそばに入るのにはかなり抵抗があるでしょう。当時だとましてなおさら二八そばを女が食べるなんて、ふだんだったら恥ずかしくてとてもできやしない。でも、最後の手段として、これしかないと思って駆け落ちしたのだから捕まっては元も子もないし、当時、ファストフードといえば二八そばぐらいしかないから、好いた男と一緒なら立ち食いなど恥ずかしいとは思っていられないというところかな。柳多留には男女の二人連れを見なかったかとそば売りに聞いている句があったと思う。だから、こういう面倒な句は扱わないほうがいいんじゃないかと思ってるんだよね。
初美 十分、取り上げているじゃない。
家守 「かつかれた」の句は例外。たかが数行だけど、あれやこれやと、この結論にたどり着くまでにかなり時間がかかっているんだよ、たった1句のために。
初美 どうせ、裏長屋の一介の家守。日がな一日、時間はたっぷりあるんでしょう。
家守 そんなにひまでもないんだけどねえ。


家守 これから本当にどう進めていこう。
初美 だったら、グルーピングすればいいんじゃないの。
家守 初編の最初にあった「貝」に類する句とか、「下女」が出てくる、同じようなテーマの句を集めていくということ?
初美 そっちのほうがわかりやすいんじゃないかなあ。類似句との説明の重複も省けるし、「末初2」とあれば出典もわかるでしょう。
家守 そうしようか。
 ああ、それともう一つ、川柳の基本は笑いだということ。この本質を見失ってはいけないと思う。例えば「柳多留」初編の第一句、

    五番目ハ同し作ても江戸産 初2   五番目は同じ作でも江戸産まれ

 この句が川柳のあらゆる特徴を代表してると何かで読んだことがあるけど、およそ現代人には意味がわからないよね。さて、これは何でしょうという、いわばなぞなぞなんだよ。
初美 この意味、少なくとも呉陵軒という人はわかっていたんでしょう。
家守 いや、一句で句意のわかりやすいものを基本的には選んでいるから、多くの人がわかっていたと思う。この句は、六阿弥陀仏といって、行基が手彫りしたという6体の仏様が江戸の東側の端っこの六つ寺に1体ずつ安置されていて、それらを全部回ればたしか30キロぐらいの距離になって、野がけというか、ピクニック気分で丸一日、過ごせるというので、結構、人気があったハイキングコースだったみたい。それで、四国八十八箇所よろしく1番から6番までついていて、その5番目が江戸にある寺だったというわけ。
初美 だから、5番目は江戸にあって、そのほかのものは江戸の寺ではないということなのか。
家守 そういうこと。だから、なぞが解けるとにやっと笑うでしょう。それが川柳。柳多留はその後、このなぞなぞ要素がもっと強くなっていって、破礼句はそもそも下ネタだから、すぐににやっと笑わせることができるけど、「五番目は」は江戸の住人以外にはよくわからない。川柳は江戸生まれの文芸であることを初句で表しているというわけなんだ。
 「末摘花」初句の「蛤は」も同様のことが言える。この句が祝言当日のことだというのは前に言ったよね。二枚貝の両貝殻は、貝合わせよろしく同じものとしかぴったり合わないというので、八代将軍・吉宗がだったらよかんべと吸い物に出すことを決めたんだよ。それから数十年後のさる地方の祝言の献立を見たことがあるけど、蛤の吸い物なんてなかったからね、これはほぼ江戸か、その周辺地域限定の習慣といっていいんじゃないかな。これを巻頭句に据えたことで……。
初美 江戸だっていうことを見せつけたかったわけね。
家守 インパクトという意味では間接的なので強くはないけど、そういうことみたい。
初美 そういえば、厄介だとか言った理由をまだ聞いてなかった。
家守 川柳は、人々の生活の一断片を表も裏も区別なく写し取った何でもありの世界だから、もちろん、吉原や四ツ目屋、閨の戯れ事や筥のものまで何でも出てくる。そうなると、やがて収拾がつかなくなっちゃうんじゃないかという危惧がある。
初美 ある程度、セレクトするつもりなんでしょう。
家守 「末摘花」は全4編、すべてを合わせても2300句余りだからね。でも、浜の真砂に限りはあっても人がいる限り、川柳のネタは尽きないからなあ。
 さて、今回はこれぐらいにしようか。コピーは持ってるよね。
初美 へっ。この紙束を読んでおけと私に言うの。
家守 最後に「末摘花」各編の序を載せておくことにするよ。

  〈二編序〉(天明3年)
年/\の末番の中より句中ニ戀のおかしミを書ぬき見れハ美婦より夜食膳をすへらるゝこゝちもありや又大尾の戀句ハ名古屋木綿の情のたつふりしたるを拾ひあへ交にして末摘花の後篇とはなしぬ
  あさくさ
  似實軒著

  〈三編序〉(寛政3年)
男神の餘れるを女神のたらざる所へ教しへ鳥ニ點頭(ウナヅキ)玉ひ交合の道始りしより此かた年毎ニ大社の神集メ集らせ玉ひ男女妹背の仲立チし玉ふも蒼人(アヲヒト)くさの種の盡せざろ御世話ならずやかゝる目出たき樂ミなれば此うへの遊ハ有ルまじきものをと戀の笑ひの壽惠津睦花を袂の内より取りいだし参らせ候   かしこ

  〈四編序〉(享和元年)
末摘花みつの編ハ川やなぎのいとおかしくはらの皮をよれるすへはんの句々なりけらし尚四へんをとすへぜんに元より好の道に口なめすりしてみす紙ニものし其はし書き取のめすのミ
  きやうにやわらぐ初春

初美 紙束を読んでおけって、2丁の続きは3丁表か、「そこかいてとハいやらしい夫婦中」。往来であてつけられちゃったら、周りのほうが恥ずかしくなるよ。「帆はしらの立たを寝かす舩びくに」「女房のすねたハ足を縄にない」。そのまんまじゃん。「よしねへと前を合せるおちやつぴい」。当時は着物だから手を入れようと思えばスカートのように簡単。しかも女の人は腰巻だけでパンツなんて履いていなかったからね。くだらない男。少しは考えろよ。「人間のたけり迄ある小間物屋」。これは本当にいい迷惑だった、四ツ目屋。
 ああ、そうだ、家守くん。あれ、いない。帰っちゃったのかな……これって最後を私に締めろという意味かしら。
 今回はいわば凡例みたいなものだったのかな。だから、「発端」なのか。
 では、皆さん、これからようやっと本編が始まるようです。また、付き合わされるのか。今回はロングランみたい。嫌だなあ。


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