01 発端 誹風柳樽ハ川曳の滑稽にして
さみたれのつれ/\にあそこの隅ここの棚よりふるとしの前句附のすりものをさかし出し机のうえに詠むる折りふし書肆何がし來りてこの儘に反古になさんも本意なしといへるにまかせ一句にて句意のわかり安きを擧げて一帖となしぬなかんづく當世誹風の情を餘剰をむすべる秀吟等あればいもせ川柳樽と題す |
初美 およそ誰かに読んでもらおうとする態度じゃないわね。仮名遣いはともかく漢字は常用漢字が基本、句読点も入れるのが普通じゃない。あと、濁点、半濁点もね。返り点はどうでもいいか。
家守 わかりました。次から気をつけるようにします。
それで、この序にあるように万句合勝句刷をこのままにしておけば反故になる、つまり、散逸しちゃうから前句だけで意味のわかりやすいのをまとめて一冊にしたというのが「柳多留」。実際に散逸したのがかなりあるらしい。編者はここにあるとおり、呉陵軒可有という人。
初美 読み下すとご料簡あるべしか。何か思わせぶりな名前ね。
家守 次は「末摘花」初編の序。
誹風柳樽ハ川曳の滑稽にして呉陵軒の集冊也往年続て当時其十一篇を出せり予其巻々にもれし戀句を人しらすこそ竊々とものし侍るに終跋を世上へ末摘花とハ名の立事にはなりけらし |
家守 これから本当にどう進めていこう。
初美 だったら、グルーピングすればいいんじゃないの。
家守 初編の最初にあった「貝」に類する句とか、「下女」が出てくる、同じようなテーマの句を集めていくということ?
初美 そっちのほうがわかりやすいんじゃないかなあ。類似句との説明の重複も省けるし、「末初2」とあれば出典もわかるでしょう。
家守 そうしようか。
ああ、それともう一つ、川柳の基本は笑いだということ。この本質を見失ってはいけないと思う。例えば「柳多留」初編の第一句、
五番目ハ同し作ても江戸産レ 初2 五番目は同じ作でも江戸産まれ
この句が川柳のあらゆる特徴を代表してると何かで読んだことがあるけど、およそ現代人には意味がわからないよね。さて、これは何でしょうという、いわばなぞなぞなんだよ。
初美 この意味、少なくとも呉陵軒という人はわかっていたんでしょう。
家守 いや、一句で句意のわかりやすいものを基本的には選んでいるから、多くの人がわかっていたと思う。この句は、六阿弥陀仏といって、行基が手彫りしたという6体の仏様が江戸の東側の端っこの六つ寺に1体ずつ安置されていて、それらを全部回ればたしか30キロぐらいの距離になって、野がけというか、ピクニック気分で丸一日、過ごせるというので、結構、人気があったハイキングコースだったみたい。それで、四国八十八箇所よろしく1番から6番までついていて、その5番目が江戸にある寺だったというわけ。
初美 だから、5番目は江戸にあって、そのほかのものは江戸の寺ではないということなのか。
家守 そういうこと。だから、なぞが解けるとにやっと笑うでしょう。それが川柳。柳多留はその後、このなぞなぞ要素がもっと強くなっていって、破礼句はそもそも下ネタだから、すぐににやっと笑わせることができるけど、「五番目は」は江戸の住人以外にはよくわからない。川柳は江戸生まれの文芸であることを初句で表しているというわけなんだ。
「末摘花」初句の「蛤は」も同様のことが言える。この句が祝言当日のことだというのは前に言ったよね。二枚貝の両貝殻は、貝合わせよろしく同じものとしかぴったり合わないというので、八代将軍・吉宗がだったらよかんべと吸い物に出すことを決めたんだよ。それから数十年後のさる地方の祝言の献立を見たことがあるけど、蛤の吸い物なんてなかったからね、これはほぼ江戸か、その周辺地域限定の習慣といっていいんじゃないかな。これを巻頭句に据えたことで……。
初美 江戸だっていうことを見せつけたかったわけね。
家守 インパクトという意味では間接的なので強くはないけど、そういうことみたい。
初美 そういえば、厄介だとか言った理由をまだ聞いてなかった。
家守 川柳は、人々の生活の一断片を表も裏も区別なく写し取った何でもありの世界だから、もちろん、吉原や四ツ目屋、閨の戯れ事や筥のものまで何でも出てくる。そうなると、やがて収拾がつかなくなっちゃうんじゃないかという危惧がある。
初美 ある程度、セレクトするつもりなんでしょう。
家守 「末摘花」は全4編、すべてを合わせても2300句余りだからね。でも、浜の真砂に限りはあっても人がいる限り、川柳のネタは尽きないからなあ。
さて、今回はこれぐらいにしようか。コピーは持ってるよね。
初美 へっ。この紙束を読んでおけと私に言うの。
家守 最後に「末摘花」各編の序を載せておくことにするよ。
〈二編序〉(天明3年) 年/\の末番の中より句中ニ戀のおかしミを書ぬき見れハ美婦より夜食膳をすへらるゝこゝちもありや又大尾の戀句ハ名古屋木綿の情のたつふりしたるを拾ひあへ交にして末摘花の後篇とはなしぬ あさくさ 似實軒著 〈三編序〉(寛政3年) 男神の餘れるを女神のたらざる所へ教しへ鳥ニ點頭(ウナヅキ)玉ひ交合の道始りしより此かた年毎ニ大社の神集メ集らせ玉ひ男女妹背の仲立チし玉ふも蒼人(アヲヒト)くさの種の盡せざろ御世話ならずやかゝる目出たき樂ミなれば此うへの遊ハ有ルまじきものをと戀の笑ひの壽惠津睦花を袂の内より取りいだし参らせ候 かしこ 〈四編序〉(享和元年) 末摘花みつの編ハ川やなぎのいとおかしくはらの皮をよれるすへはんの句々なりけらし尚四へんをとすへぜんに元より好の道に口なめすりしてみす紙ニものし其はし書き取のめすのミ きやうにやわらぐ初春 |
初美 紙束を読んでおけって、2丁の続きは3丁表か、「そこかいてとハいやらしい夫婦中カ」。往来であてつけられちゃったら、周りのほうが恥ずかしくなるよ。「帆はしらの立たを寝かす舩びくに」「女房のすねたハ足を縄にない」。そのまんまじゃん。「よしねへと前を合せるおちやつぴい」。当時は着物だから手を入れようと思えばスカートのように簡単。しかも女の人は腰巻だけでパンツなんて履いていなかったからね。くだらない男。少しは考えろよ。「人間のたけり迄ある小間物屋」。これは本当にいい迷惑だった、四ツ目屋。
ああ、そうだ、家守くん。あれ、いない。帰っちゃったのかな……これって最後を私に締めろという意味かしら。
今回はいわば凡例みたいなものだったのかな。だから、「発端」なのか。
では、皆さん、これからようやっと本編が始まるようです。また、付き合わされるのか。今回はロングランみたい。嫌だなあ。