阿奈遠加志 下巻

阿奈遠加志 下巻
 
 
(はしがき)
 若き男女など、仮にも徒々しき(あだ/\しき=すけべっぽい)戯れ言をば言はぬこそよけれ。大方の人の上といふとも、見にくゝ、聞きにくからんかぎりは、「おのが身に思ひあはせて、さばかりをかしげにも語らふことよ」と、人々におとしめ、あなづられなんこと(ばかにされること)、うたてのわざ(情けないこと)なるや。さはいへ、この狂女には、年頃、離れぬ物の怪あり。そが名を黄楊(つげ)の文手(ふみで=筆)と呼びて、世にも人にも知られたる、いみじき曲者(くせもの)になんありける。さるは今かく、なべての人には捨てられ果てたる身にすら、昼夜(ひるよる)、傍ら去らず、雨注ぎ、風吹く夜など、必ずこの物の怪出で来て、おのれを苛(さいな)めつゝ、かく現(うつゝ)なきことをしも口走らするなりけり。あな、物狂ほしや。
 
 
〔1〕
 
 豫州禅門、小一条といひける女房におぼゝれ給ひける頃、いかでかの(女陰が摩羅を)うまく喰ひしめたらん所を見ばやと思して、(女が)よしや/\只中につと置き返り給ひて、脂燭(しそく)さして、つく%\と見給ふに、年は二十(はたち)に今少し足らざりけれど、かの所は十文字をふたつ合はせたらんやうに、艶やかに肥えふくだみて、雛尖(ひなさき=陰核)のほどよりそら割れのわたりかけて、薄紅(うすくれなゐ)に潤ひて、露を帯たる気配、得も言はれず。
 日頃の勤行(ごんぎやう)も打ち忘れ給ひけるにや、「芍薬花開菩薩面(しゃくやくはなひらくぼさつのめん)」と微笑みのたまひければ、女、打ち驚き、「あな、おふけなや(恐れ多い)」とて、二布(ふたの=腰巻)して覆はむとするを、また自らのをかへり見給ひて、「椶櫚葉散夜叉頭(しゅろのはさんずやしゃのあたま)」とぞ誦し給ひける。
 女、浮きたることをのみのたまふものかなと思ひて、
    憂しやたゞ情けの露はかゝれども
        実をし結ばぬ花のたとへは
 とて、御首にすがりつきたり。
 禅門、いとらうたしと思して、火、吹き消ち、またきと抱(いだ)きしめ給ふほど、「只箇一点無明焔、煉出人間大丈夫(ただこのいってんむみょうのほのお、いりだせにんげん……)」と、古事を唱へつゝ、(子の誕生を)祈誓し給ひけるとぞ。いと貴(たふと)きためしならん。
 
 
〔2〕
 
 男の心は浅はかなるものかな、ひとたび、うるさき心、きざしぬれば、たゞには得やまぬにこそ。浮き雲の障り(生理)などかこち聞ゆるをも、しひて帯、引き解きなどすめる、いと腹立たし。されど、相思ふ中の稀の逢瀬などは、なほ罪許されぬべきを、いそのかみ(=古の枕詞)珍しげなき夫婦(めをと)の仲らひにすら、さるあだごとの多かめるはいかにぞや。後、悔い思ふべきわざとは自ら思ふめれど、さてだに得耐えず、紅蓮の血潮に棹を横たへ、修羅の巷に心をやりたらんは、何ばかりのあはれかある。いと浅まし。
 近き頃、何がしの殿、北の方の御もとにしばし途絶へておはしましゝに、
「うら悪しの障り多かるたゞ中にて、妬う生憎(あやにく)なり」
 と(北の方は)苦しがり給ひしかば、さらに異人(ことひと)など召さむも人悪しとや思したりけむ、「よしさらば」とて、少し身動(みじろ)きし給ふほどに、女君の白う清げなる御足を股長(もゝなが=まっすぐ)に引き伸ばし、斜めに打ち違へさせ参らせて、その上につと添ひ臥し給ひつ。女君、かゝる戯(たは)れめくわざ(=素股)はまだ見も習ひ給はねば、いと怪しと思して、
「そは異所(ことどころ)にて侍るものを、さてだに御心は行くにや」
 と問はせ給ふに、殿、
    ともし火の明石の瀬戸をよそに見る
        須磨の浦こそうらめつらなれ
 と微笑み給ふ。女君、きと心づき給ひて、さては古御達(ふるごたち=古女官)などのともすれば枕言(まくらごと=口ぐせ)に言ひ囁く「すま」とやらむはこのあたりにや、と思しあはするも初々しくて、我ながら恥づかしと思したり。御返しとはなくて、
    心あれや明石をよそに行き通ふ
        雁はとゞめぬ須磨の関守
 となん一人ごち(独り言)給ひける。やむごとなき御上にも、かゝる御戯(たはぶ)れはなほあるにこそ。
 
 
〔3〕
 
 六条の頭(かう)の殿、若かりしほど、斉宣の病(=好色癖)おはしまして、さゆり姫ゆり、多く集へおき給ひしかど、おほん恵みのかゝらぬ蔭なく(等しく寵愛したので)、内に怨むる女なんなかりき。
 さるはまた、外に京極わたりにも、貴(あて)なる若人を隠しおき給ひて、折々、通ひ住み給ひけるに、十五、六ばかりなる小賢しき童、一人、具し給ひて、晴なる(=公の)人とては近くもさぶらはせ給はず、この童をのみ親しう侍らせ給ひけるほどに、得も言はずこちたき(何ともいえない殿と女君の淫靡な)御睦言(むつごと)どもの耳に入る折々あるをいとゆかしがりて(童は知りたがって)、いかでかの打ち解け給へらむ所を見奉らばやと思ひ、殿のおはします北表の御簾長押(みすなげし=すだれかけ)に、竹梯子の軽(かろ)げなるを寄せかけて、酒の果つるを待つほどに、
「あな、せわしや。帯も解きあへ侍らぬものを」
 と、むつがり(すねて)給ふ声のほのかに聞えたりければ、「すはや」と思ひ、梯子を伝ひ上りて、いと忍びやかに差し覗きたりけるに、いつのほどにか、女君を御膝の上に抱き乗せ参らせて、帯、引き解き給ふほどなりけり。
「あな、小暗(をぐら)し。かくては例の眺めもいかでか」
 とて、(殿は)大殿油、近う差し寄せ給へれど、御几帳の陰に覆はれて、なほほの暗かりければ、女君をば後ろの畳み衾(たゝみぶすま=たたんだ夜着)に寄せ掛け参らせ、自らは御枕引き寄せて、仰け様(のけざま)に臥し給ひしかば、かの合ひ口の所まで、残る隈なうなん拝まれたりける。殿も女君も御顔の貴にらうたげなるにはさらに似合はず、茎、険(さか)しう聳ちて(そばだちて=そびえ立って)、谷、深う切れたるに、ふさやかに(ふさふさと)か黒き毛さへ、ものすごきまで生ひ塞(おひふた)がりたるを、御手差し伸べてやをら掻き上げ給ひながら、
「大やう、山の佇まひ、海の面(おも)など、折につけつゝ、見所なきにしもあらねど、この気配にはをさ/\なずらふ(なぞらえる)べくもあらず、酒池肉林の楽しみといへども、はて/\はこの一所(ひとところ)につゞまる(集約される)ならひにこそ」
 など、打ち笑みつゝ、菱食(ひしくひ=大型の雁)ともいふべき大かりの頭(かしら)をつと差し当てゝ、すぶ/\と突きつけ給ふほどに、潤ひいみじう溢れ出でゝ、丹田のわたりまで、なめらかに濡れそぼれ給ふ。殿、
    草も木も雫ぞ深き雨雲に
        半ば飲まれて立てる岩根は
 と打ち誦し給ふに、女君、いたう羞(はぢら)ひ給へる御気配にて、「いかでさは(どうして、そんなことを)」など、御口覆ひ給ひながら、
    我と我が涙や注ぐ雨雲を
        小笠に着つゝ濡るゝ岩根は
 と、聞え紛らはし給へど、なほ面(おも)なくまばゆし(合わせる顔がなく、恥ずかしい)と思して、ひたと抱きつき給ふ。
「こは、はしたな。歌に負けての相撲(すまひ)ならましかば、いで、もの見せ奉らむ」
 とて、仰向けに押し臥せ参らせ給ふに、(女君は)やがて両足(もろあし)打ち掛けて、御腰も千切るゝばかり引き締め給ひつゝ、御髪(みぐし)投げ出だし、反り返り給ふほど、艶やかに麗しき御髪いみじう振り乱れて、息もつきあへ給はず、たゞ、「心地よや、耐え難や」のほかには物をも得のたまはず。現(うつゝ)もなげに足掻き狂ふ御気配、名立たる絵巧みの筆の限りを奮へる偃息図(おそくづ=艶画)の巻といふとも得及ぶまじう、今はと打ち見るほどに、男君はなほいたう思し念じたるさまにて、
「とみに興つきたらんは、中々、さう%\し(物足りない)かるべし。いでや、今一度、起きかへりて、御顔をも見せ給ひね」
 とて、引き起こし参らせ給ふを、女君、いと苦しげなる御声の下より、
    かくながら消えばや露の起きかへり
 とのたまふを、とく起きかへらんとにやと思して、引き立て給ふに、さはあらで、
        君が光に会ふもまばゆし
 とのたまひつゞけたりしかば、今ひとしほ、らうたさもいとほしさも添ふ心地し給ひて、「あな、あはれ」と抱きしめつゝ、諸声(もろごゑ=ともに声をあげて)泣い給ふほど、長押なりける童も、得耐えず物狂ほしきまで思ひ乱れ、足、踏みのべて、珍宝(ちうぼう)を手繰り始め、覚えず力をや入れたりけむ、長押、ふつと折れて、梯子を抱きながら御枕の上にどうと落ちぬ。
 殿も女君も「あなや」と驚きて、踊り退き給ひけるが、萱草色(くわさういろ=黒黄色)の衣に裾濃(すそご)の袴、はきたる小童なりければ、御太刀引きそばめ給ひて、「こは何者ぞ、とく面(おもて)を見せよ」とて、肩上(わたがみ=後ろ髪)のほどを荒らかに掻きつかみて、引き起こさんとし給ひけるに、童、言葉もなくて、
    かく(かき)ながら消えばや露の起きかへり
        君が光に会ふもまばゆし
 とそいひける。いつばかりのことにや。
 
 
〔4〕
 
 なべてやむごとなき御方々の御合(みあひ=結婚〜床入り)の作法、嫡妻(むかひめ=正妻)にあらざるかぎりは、衣服を脱ぎ、二布を解き、赤肌になりて、御衾のうちに入る習ひにこそあれ。こは清からぬものをまとひながら、貴き御肌へに触れ奉るを憚るにやあらん。
 桂昌院殿(将軍家光妾)、故大殿(将軍綱吉)を産み給ひて後は、「御衣(みぞ)ながら(着物を着たまま)こなたへ」と召しけれども、「さてはおふけなし(それでは分不相応)」とて、下の御衣一重(ひとへ)ばかりを御許し被(かうぶ)らせ給ひて、同じ御衾には大殿籠り給ひしかど、なほ二布をばまとひ給はず、御下拭ひの紙なども自ら取り収め給ひて、つひに人手に渡し給はざりしをこそ、いみじきためしにはいふめれ。
 さるは、打ち解け給へらむ閨の中といへども、礼を備えざること能はざるは聖(ひじり)の御掟にしあれど、大やう、男女の相逢ふ心ばへは、恥も人目も得忍びあへず、我が顔のならんやうも忘れて、身を悶え、声を立てなど、すべて現(うつゝ)もなげに取り乱したらむこそ、このわざの本意(ほい)には適ふべき理(ことはり)なり。
 さるは、さばかり貴き御人に召され参らすとも、足手をたわめず(曲げず)、瞬きもせず、幼子(をさなご)の這子(はふこ=はいはい人形)寝せたらんやうにてうちあらんは、かへりては用意なき振る舞ひとこそ見ゆれ。内(内裏)の御饗(みあへ=饗宴)などに、喜びを奏し給ふとて、やむごとなき人々の舞踏といふこと、し給ふを見れば、手の舞ひ、足の踏む所を忘れて、ことさらに威儀を取り乱し給ふも、またはた礼の一種(ひとくさ)にあらずやとぞ、何がしの博士は言ひける。
 
 
〔5〕
 
 故姫君、いと若うおはしましゝ頃、いつの衣々(きぬ%\=逢瀬の後の別れ)にか、殿の御裾より下拭(したのご)ひの紙、ほろ/\と落ちたりけるを、御足して押しやり給はんとするを、傍らよりつと差し寄りて、御打衣(うちぎ)の裾に引き隠し給ひつゝ、
「あな、はしたな。人、召せ」
 とて、いと心苦しと思したるに、その御応(いら)へとては聞えさせ給はで、
「こをだに後の」
 と独り言のやうに打ち誦し給ひける、殊にやむごとなく、貴かりきかし。
 
 
〔6〕
 
「国清うして才子貴く、家富て少子驕る」とか。時めく家の若人だちなどは、内外の使ひ人など、はしたなめ(こき使って惨めな思いにさせ)給ふも多かるこそ、うたてある(情けない)わざなれ。
 西京のわたりにや、何がしの公達、小君だつ(こぎみだつ=遊女っぽい)客人(まらうど)を帰し給ひつる後にて女の童(めのわらは)を召し、「これ捨てよ」と足して蹴り出し給ふを見るに、これもかの忘れがたみめくもの(下拭いしたらしい紙)なりしかば、まづ妬き心地せらるゝに、「いたう濡れたるぞ、紙かけて拾へよかし」とのたまひしかば、日頃、おのれこそ(小君になんか負けるもんか)と思ひ上がりしにも似ず、いとかくはしたなきことをも承るものかなと思ふに、いとゞしくつらくや思ひたりけん、
    情けなの言葉の露や変はらじの
        契りならぬ紙かけよとは
 と、少し気色(けしき)ばみて、怨(えん)じ聞ゆるに、いつのほどにか、かばかりには大人びつらむと、とみに慈(いつく)しう思しなりて、「な怨(うら)みそ、まづこなたへ」とて、帯、引き解き給ひき。
 これらは生まれながらの良き物、持ちたればこそあれ、なべての鬼稚児(おにちご=不細工な若者)ならましかば、心はまめ立つとも、いかにかあるべし。ある人、「鬼稚児」を題にして、
    鬼稚児の股に椿(唾)の花散らす
        春の心の闇ぞあやなき
 
 
〔7〕
 
 弘長二年(1262)の秋の大風に、やむごとなき御館(やかた)ども、いたく吹き荒らしたりけるに、西八条わたりに参りて、寝殿を修理(すり)しける柿師(こけらし=屋根葺き屋)、母屋の庇(ひさし)より何心なく内を見入れたるに、屏風ども、幾重(いくへ)ともなく立て巡らし、いみじき御衾ども、あまた敷き重ねたりければ、「怪し」と思ひてやをら伺ふに、殿と思しき人、若う麗しき女房に衣、押し脱がせて、つと添ひ臥し給ひつゝ、白う清らかなる股(もゝ)のわたりより、かの黒々とあるところを心地よげに掻い撫でゝ、頬(ほゝ)、すり合はせ、口ねぶりなど、睦れ合ふ気配、たゞ絵に描きたらんやうに見やられたりしかば、男、とみに目くるめき、心乱れて、あるにもあらず、さら/\と走り下りて、八条の北、何がしの小路なりけるおのが家に馳せ帰りぬ。
 妻、驚き、
「などてかく早うは帰り給ふにか」
 といふに、答(いら)へだにせず、
「とく、とく帯、引き解き給ひてよ、今しばしためらひ給はんには、おのれは死なんとぞ」
 とて、着たる物ども、引きはぎたりけるに、上辺(うはべ)こそあれ、下には海松(みる=緑藻)の如(ごと)、破(や)れたる布子(ぬのこ)に、黒く萎え汚(けが)れたる二布をさへしつれば、さる方の目移しには見るべくもあらず。まづ興醒めて覚えしかど、さりとも赤裸にだになしたらんには、貴きも賤しきも何ばかりのけぢめ(=へだて)かあらんと思ひのどめて、かの汚(きたな)げなる物をもかなぐり捨てたりけるに、斑(まだら)なる鮫肌に、骨高う顕れて(骸骨のような胸板が現れて)、かの物難(ものむづか)しげなるわたりには、赤く枯(から)びたる毛の痩せ/\と生ひ縮(しゞ)れて、今見し雪の肌へとはをさ/\似るべくもあらず。
「今死なんとのたまふからは、いかさまにもし給へ」
 とて、覆ひ隠さむともせず。
 両膝(もろひざ)広げてゐざり寄るに、得ならぬ(言うに言われぬ)香りさへ、ほが/\と薫(くゆ)りかゝれば、覚えず反り返られて鼻覆ふほどに、さばかり誇り切りたる一所もいつしかしほ/\となりて、たゞ呆れに呆れ居り。妻、いよ/\心得ず、
「いかなる物の怪に遭ひてかゝる現(うつゝ)なき様には狂ひ給ふやらん」
 と打ち泣くに、男、頭(かしら)を掻きつゝ、
「さればとよ、物の毛は白き所に黒くふさやかに生ひ出でたるが、練絹(ねりぎぬ)の幕に蝙蝠(かはほり)のついゐたらむやうに見ゆるこそ飽かず懐かしけれ(心がひかれる)。かく赤う枯びたる毛のふは/\と生ひ縮れて、黄牛(あめうし=飴色の牛)あくびしたらむさまなるは、疎ましう、憎くさへぞ覚ゆる」
 とて、唾、したゝかに吐きかけたりしかば、妻、打ち腹立ちて、
「こは無残なることをもし給ふものかな。さるほどならば、今、死に給はんずとも、妾(わらは=あたし)が知る所ならめや」
 とて、がばと起き返りたりけるに、男、から/\と打ち笑ひて、
「死なんとはおのがことにあらず。これのことよ」
 とて、前を掻き現したるを見るに、実(げ)にありにしもあらず、萎えしをれて、草叢(くさむら)の中に横たはり臥したるが、更に息づく気配だにせず、言ふ甲斐なく(腑甲斐なく)、哀れなる今際(いまは)の様なりけるとぞ。
 
 
〔8〕
 
 三条の大刀自(局頭)、時なくなりて(不遇になって)、昼寝をのみ飽かぬことゝしける頃、衣の前、いとしどけなくして、物覆ふ心もなく、仰向(あふむ)け臥したるを人見て、「あな、きたな。こは何物を入るゝ門口にか」と戯れければ、女、とりあへず、
    入れられぬ世と知る/\も昔より
        あきたる口は得こそ塞(ふた)がね
 とぞいひける。いかばかり憎かりけん、あな浅まし。
 
 
〔9〕
 
 京近き何がしの院の亀若とて、いみじき児ありけり。年は十八、九ばかりにやあらん、稚児には少しさた(定=年齢)過ぎたる心地すれど、見目容(みめかたち)、類ひなく麗しかりければ、大徳、二無く愛(かな)しうし給ふあまり、僧にも男(をのこ)にも、たえて世に合はせ給はざりしかど、三枝何がしなん、もの詠む友にて、一人親しう行き通ひける。
 何がしは年ややまさりて、色好みの道にはなべてならざりしかど(尋常ではなかったが)、男狂いの方はいみじき嫌いにて、いさゝか後ろめたうも思さゞりしかば、さばかりの大徳すら御心を許し給ふなりけり。
 いつばかりのことにか、雨そぼ降りて、いと徒然(つれ%\)なりける夜、大徳はおはせず、男だつ者もありあはせず、互(かた)みに打ち解けて、火を吹き、酒温めなどして、例の品定め(=源氏物語の雨夜の品定め)めく戯れ言ども、打ちしめり語らふあまり、何となく物心悪くなりて、せめての心やり(気晴らし)に、日頃すさめぬわざをだに(日頃は気が乗らない男色でも)と思ふ心なん出できにける。
 されど、打ちつけにも得取う出ず(出し抜けにも言い出せず)、物に触れて心を引き見るに、いさゝか厭はし気(げ)なる気配もせねば、得たりと思ひて、
「いたう更けもやしつらん、大徳の帰りおはせぬほどに、しばしもまどろみ給ひね。おのれもいたう酔(ゑ)ひつ」
 とて、傍らに臥しつゝ、長く両脚を伸べて寝ぶる。「偽なくまた真なし」とか、何がしの禅師の古言(ふるごと)を打ち誦しつゝ、欠伸し、伸びし、目を拭(のご)ひなどするに、主(あるじ=稚児)、頭を打ち振りて笑ふ。
    乱れ合ひて折れ伏す葦の中にこそ
        あるかなきかの世をも悟らめ
「されど、浅き御心にはいかでか」
 など、彼(あれ=稚児)より気色ばみ促す気配、いたう馴寄(なよ)れたり。さはいへ、悪(わろ)びれたる好き心にはあらで、灯のもとについ居つゝ、塵掻いひねりて、物深う案じ入りたる気配、面(おもて)、白う、肌へ、細やかにして、貴(あて)に気高く、高位の公達といふとも、立ち並びては気圧され給ひぬべく覚ゆるを、あはれ、女にて見たらましかばと、なほ飽き足らぬ心驕りに、清々(すが%\)しう返しだにせず、
「葦間も葦間にこそよれ、海松布(みるめ=見る目)なき渚には心も寄り侍らず。まいて、かく仙釈の窟(世俗から離れた場所=寺院)に馴れ遊ぶ男(をのこ)は、人の秘めおく桃など盗まんとは思ひかけ侍らず」
 と微笑み言ふも、やがてそれを潮(しほ=機会)にと思ふなるべし。
「あなにく(ああ、憎らしい)。人の真面目(まめ)だつをば、妬うも打ち崩し給ひて、いかなる御心にか。『ありと思へばあり、なしと思へばなし』。こは色即是空になして人を嘲らんとにやあらん。いで、さらば呵責して誠のみ心を明かさせ参らせんものを」
 と言ふ/\、つと寄りて、腰のあたりをしたゝかに摘む。
「あな、痛や」
 とて、驚き起き、口を開かば、いかでか恁麼(じんま=如何に)の心を知られんとて、ものをも言はず、まづとく抱き伏せぬ。返す/\も男女の仲にてかく戯(ざ)れもし、戯(たは)れ逢ひたらんには、今一際、興あるべきわざなるを、雪を踏む/\花を忍ぶとかいふらむ心地せられて、なほ飽かぬ恨あれば、半(なか)らは戯(たはぶ)れのやうにて、我が物を潤すすら物憂く、さりとて人の尻に唾(つばき)落としかけむも味気なしなど、身じろぎし、たゆたふ(躊躇する)ほど、下よりいと柔らかなる手、差し出でゝ、裏より元まで残りなう潤して、「こゝを」と言はぬばかりに差しあてがひたり。
 あな、うたて(残念無念)、女ならましかば、いかに相思ふ仲なりとも、かばかりにませまじを、それに優らぬ身の程を思ひ知りてこそ、かく懇(ねもご)ろに、情け/\しうは心を尽すらめと、あはれにらうたさも添ひて、やをら入れ試むるに、幼かりしほど、友だちと戯れ合ひし心覚えには比ぶべうもあらず、温かに潤ひ満ちて、ぬる/\と吸ひ込むやうになん入りぬる。
 こはけしからずや、かばかりの味はひなるはこの児に限れるか、はた寺児は皆かくざまなるものにやなど思ひ続くるも上の空ながら、さすがに荒らかにもつきつけず、袖ぐゝみ肩を引き締めて、そく/\と刻み始むるほど、
「あな痛や、かくては得忍ぶべうもあらず。いかにせまし」
 と泣く。
 こは年にも似ぬ甘えようかなと、いと心得ず、手、差し出でゝ、ものぎはを掻い探るに、むく/\とふさやかなる毛の、しかもいたう濡れそぼ垂れて探らるゝに、まづやと打ち驚きて、
「あな浅まし。こは下界の人(=稚児)にてはおはせざりけるものを、うたてく(情けなく)心なく過ぎつるのみかは。葦間のなぞ/\々をすら了解し侍らざりしことよ。いざ、さらば、まづこなたへ向き給ひね」
 とて、抱き起こすに、頭より汗いみじう流れて、薄花桜の色に匂へる顔ばせも得言はれず、こぼれかゝれる額髪など、風の柳の露吹き乱したらむやうに覚ゆるも、たゞ夢かとのみたどられて、楚人の石(卞和〔べんか〕が王に献じた石)の、玉と現れけむ折の心地ぞしたる。女も今さらに、いと恥づかしうまばゆげにて、
「つひに男にて逢ひまゐらせばやと思ひ侍りしかど、今宵といふ今宵、切(せち)なる願ひの適ひぬる嬉しさ、袖にも身にも余り侍りて、かく思はずなる変化の姿を現しまゐらせることよ。何ごとも煩悩の闇に暗れ惑へるほどと思し許して、な疎み給ひそ」
 など、愛だれたる(甘えた)声しつゝ、わび聞ゆるほどに、外の方に物音して、「大徳、帰り給ひぬ」といふに、いといたう慌てゝまたの夜の契りをだに得尽さず、名残りなのつらききぬ%\なりしとぞ。
 
 
〔10〕
 
 鶯、経を囀れども、妙法を悟れりや否や。衣を黒染めにして苔の岩屋に隠れ住む人、はた世の春に心なしや否や。今、これを問はんとするに物憂く、答へを聞くとも、大方は味気(あぢき)なかるべし。『問はぬもつらし、問ふもうるさし』とは、かうやうの類ひをや言ふべき。
 まことや亀若は、またの夜のことゞも、これかれ契りしことあれば、まづその兼言(かねごと=約束)のごとく、後園のくるゝ戸を開けて待たばやと思ひ、大徳の誦経し給ふ宵の間のほど、いといたう忍びて庭に降り立ち、岩橋をたどる/\萩薄分け行くほどに、夕月の香りほの暗うして、露いと冷やかなり。されど、まださのみいたうも更けねば、人もや知るらむと、虫の音の小止(をや)むすら妬うつらくて、しばしたゆたふ。
    誰ならぬ心の鬼に襲はれて
        さと(さっと)吹く風もすごき木がくれ
 と一人ごちつゝ、からうじて貫木(かんのき)外して、帰り入らむとするに、
「あな嬉し。殿か」
 と、てつと入りくる者あり。「まづや」と驚きて胸のみ轟けど、さすがに声をば立てず、誰にかあるらんと返り見るに、近きあたりに住みける何がし衛門がいつき娘(箱入り娘)にて、まだ十五、六ばかりの女子(をみなご)なれば、やう/\心落ちゐて、
「こは、いかで」
 など言ふに、袖にすがりて、
「日頃、人しても言ひ、文しても聞え、さばかりの繰り言ども数へ参らせつれば、さこそは疎ましとも、憎しとも思しつらめど、人知れぬ思ひのやる方なさと思し念じて許させ給ひね。さるは今、かく忍び来つるも、殿の五戒とやらんを強ひて破らせんとには侍らねど、とてもかうても、殿故に永らうまじき(あなた故に私は長生きできそうにない)この身にて侍れば、同じくは御手にかゝりてこそはと思ひ定め侍りぬ。せめてはこれをだに妾(わらは)への御情となして、とく/\」
 と言ひつゝ、身を震はし泣き惑ふ気配、いといとほし(たいへんいたわしい)。
 色白う、あえかに(なよっと)やせ細り、髪さへいたう乱れたるを、誰故ならぬ恋のやつれにかと思ふも、いと胸苦しくて、あはれ、まこと男ならましかば(自分が本当の男だったら)と悶へ思へども、甲斐ある身ならねば、ともかくも慰めわびて、案じ患ふほど、女、
    筒井筒井筒の忌みを守るとも
        人の浮き瀬は汲まぬものかは
 とて、よゝと泣くを、
    乱るらむ振り分け髪のそれならで
        人のまもりの肩過ぎぬとや
 と打ち聞けど、さる戯れたることなど言ふべき折にもあらねば、さは言はで、
    筒井筒井筒の忌みを守りしは
        妹(いも)見ざる間の心なりけり
「さるは、かく会ひまゐらせて、いかでつれなくもてはなれ聞えむ。いざ/\こなたへ」とて、袖を取る/\いと暗き一間へ誘(いざな)ひ入りぬ。「さて、かく人知らぬことには侍れど、年頃の戒めを破らんとならば、まづ御仏に告げてこそ御許しを被(かうぶ)り侍らめ。只、しばしのほど待ちおはせ」
 とて、立ちて行きぬ。
 女、掌を合はせて後ろ影、伏し拝み、かく良き折に出で会ひぬることも、ひとへに阿弥陀仏の御手引にこそなど、嬉し涙にさへむせばれて、今や/\と思ふほどに、奥の間の障子、しめやかに引き開けてやをら入り来ぬ。
 いたう暗ければ、互(かた)みに在り処(ありか)をだに得知らず、左右(さう)より手まさぐりしつゝ探り寄りて、ものをも言はず、ひたと抱きあひぬるほど、現(うつゝ)とも覚えず。夢と知りせばなど思ふに、心も心ならず、胸のみ踊らるゝに、男はいたう思ひのどめるさま(落ち着いた様子)にて、内股(うちまた)のほどに手、差し入れ、柔らかにさと生ひたる薄毛のほどより、雛尖(ひなさき=陰核)のわたり掻き探り、指(および)ばかり差し入れ試みて、いと堅うてぬらめくものゝ、ふたがるばかり大きやかなるを押し当て、そゝとあしらふほど、亀の尾のあたりより内股かけて、かゆく、こそばゆき心地も得言はず、新枕のほどは、たゞつらく苦しきものとこそ聞きしが、こはいかなることにかなど、足手(あして)も縮(しゞ)まるばかり心地よく覚ゆるに、男、今はと身構へして、つぶ/\と押し入るほど、「あ」と脅えて、痛く耐え難きこと言ふばかりなし。
 裂けもやしつらんと目くれ、心惑へど、命をさへ捨てばやと思ひ定めぬ逢瀬なれば、泣かぬばかりに念じ居るを、男、いやましに(ますます)腰、高う突きつけ、鼻息荒う呻(うめ)き出でつゝ、顔押し当てゝ口をねぶるに、針のやうなる髭の剃りくひ、いら/\と擦られたりければ、あなや、我が思ふ人にかばかりの髭はおはせぬものをと思ひて、手、差し出でゝ頭(かしら)を掻い探るに、いが栗のごとき法師頭(あたま)の耳元にこぶさへあるは、疑ひもなき大徳なりけりと思ひ知りぬ。
 こは浅まし、謀られたりけり、と思ふに、憎く口惜しくはらわたもずた/\になる心地すれば、今は恥をも人目をも忍びあへず、
「誰(た)ぞある、とく助けよ。あな、つらや、耐へ難や」
 と、声の限り泣き叫び、食ひつき、掻きちぎりなどするに、大徳もさすがに少しひるみ給ひしかば、やがて跳ね返して逃げ出でぬ。大徳、あまりに名残り惜しと思して、物を覚えず、赤裸のまゝ、くるゝ戸の外まで追ひ出で給ふ。寺の法師ばら下部など、件の物音に驚き、「太刀よ、長刀よ」とひしめきて、こゝかしこより追ひ出づ。外の方には衛門が郎等従者など、娘が行方、尋ねるほどにて、はしなく(ばったりと)行き遭ひしかば、「曲者ござんなれ」とて、内よりも外よりもひた/\と取り囲みぬ。さて、つひにはいかゞなり給ひけむ。なほ聞かまほし。
 
 
〔11〕
 
 御名の前をほとといふは、いと古き世よりの名なるを、東(あづま)の方にてはぼゝとぞ呼ぶめる。
 こゝに武蔵の国何がしの郡、墨田といふ川のほとりに観音堂あり。霊験あらたなりとて遠近の人々、参り集ふこと大方ならず。いつばかりのことにか、同じ国、神田(かみだ)といふ所の賤の女ども、六たり、七たり(六人、七人)、打ち連れて詣でたりけるに、若き男ども十人ばかり、はしたなく寄りきて、その賤の女どものうち、十三、四ばかりの清げなる童のありけるを、荒らかに掻き抱きて逃げ去りぬ。
 母、同胞(はらから)もそのうちにありしかば、「あなや」と驚きて追ひ行きけるに、堂の前なる並木のいたう茂りたる所にて、行方をだに知らずなりぬ。右(みぎり)も左も葦、茅などいみじう茂りて、いづこをはかと尋ぬべきやうもあらず。殺されもやしつらんと泣き惑ふほどに、娘、いさゝかもつゝがなくて帰り来りぬ。人皆喜びて、「いかゞしつるにか」と問ふに、
「件の男ども川のほとりにゐて行きて、向け様に打ち倒(たふ)し、由々しき目にあはせんとし侍りしが、年のほど、二十(はたち)ばかりにやと覚ゆるやむごとなき女房、つと出で来給ひて、『そはまだ世を思ひ知らぬ童にて侍るものを情けなし。とく放ちやり給ひね。さるほどならば、自ら一人、とゞまり居て、いかさまにも殿ばらの御心に従ひ参らせん』とのたまふを、男ども喜びて、『それこそ願ふ所なれ』とて、ひた/\と取り囲み侍りしほどに、からうじて逃れ帰りぬ」
 と言ふ。母、同胞、涙を拭(のご)ひて、
「そは汝(いまし)が日頃、信じ奉る、これの本尊の御形(みかたち)を現じ給ひて、とみの(急な)災難を救はせ給へるにこそあらめ。まづその首にかけたる名号を取う出て拝み奉れ」
 とて、錦の袋より取り出だしけるに、かの一軸、汗流れて、湯気立ちたりければ、さてこそとて、集ひて見奉るに、『観世音菩薩(くわんぜおんぼさち)』と書きたる『菩』の字、いたく濡れたゞれて、わたり一寸ばかりがほど穴、開きたりけり。不思議など言はんも中々にて、人皆、いと賢くぞ(もったいなく)覚えし。
 
 
〔12〕
 
 吉野の奥、賀生といふ所に、山の芋を掘りて商ふ男あり。ある日、里遠き谷間に下りて芋を掘るに、いと長やかに大きなるを見出でしかば、いかに疵つけずに掘りえんと思ひて、根、深く掘り入りて、おのがからだ、半(なか)らあまり穴の中に潜り入りたりけり。
 こゝなむ金峰山へ通ふ直路(すぐみち=近道)にて、御嶽修行(みたけすぎやう)の山伏一人、友に遅れて急ぎ通ひけるが、この芋掘る男の、穴の中より尻ばかり出だして、むくつきたりけるを見て、何物にかと怪しみつゝ、つと寄りて伺ふに、まだいと若やかなる尻の、色、白う膨らかなるなりければ、「あな嬉し。こはおのが日頃、潔斎してものゝ欲しかりけるを、神明仏陀の憐れみて授け給ふなりけり」と喜び、会釈もなくかの尻の上にまたがり、誇え切りたる苛高(いらたか)に唾、したゝかに手繰りつけ、「南無帰命頂礼」と言ひながら、つぶ/\と刺し入れにけり。
 男はかゝることゝも知らず、「あ」と脅えけれども、穴の中なれば働くべきやうもなく、只、「痛や、耐へ難や」と叫ぶのみなれば、修行者、しすましたり(してやったり)と微笑み、思ふまゝに楽しみて、足とく過ぎ行きぬ。
 連れなりける男、上の山にありけるが、この声に打ち驚き、急ぎ降りけるに、穴なる男、やう/\とよろぼひ起き(よろよろ起き上がり)、只、呆れに呆れたるさまにて、山道の方を守り居たりければ、「やよ、何ごとぞ」と問ふに、
「さればとよ、しか%\のことにて、この穴のうちに潜り居しに、とみに(急に)五体すくみて得働かず、尻の痛きこと、例ふるものなし。やゝありて手足伸び、尻の痛みも薄ろぎしかば、とく起き上がりて見るに、痛かりしも理(ことわり)。一人の大山伏、おのがこの尻の穴より出でゝ侍り。もし怪しと思さば、あれ見給へ。あの九十九折(つゞらをり)をつまづきがちに急ぎ行く旅人は、やがてその山伏なり」
 と言ふ。友、つく%\聞きて、
「この山のことは名立たる霊場なれば、さる不思議もあるまじきにあらず。さて、その汝(いまし)が尻の穴は、いかさまにかなりつる」
 と問ふに、男、
「そはまだ自らも知らず。とく/\見て給はれ」
 とて、尻を空ざまにして(空に向けて)つくばひ臥したるに、力もなげなる尻の、ぽゝん/\と続けざまに出でたりければ、友、また驚きて、
「なほ油断はし給ふな。後より後達(先達の後ろに続く者)の出でくるにこそ。法螺の声の聞ゆるは」
 とぞ言ひける。
 
 
〔13〕
 
 兵衛尉何がしといひしは、もとは由緒(よし)ある武士(ものゝふ)にて、誉れ多き者なりしかど、世の乱れにあひて、時を失ひ、年頃、相なれたる妻と老いたる母、稚(いとけな)き子を具して、遠き田舎に隠れ住みけり。さるはなほ、朝夕の煙をさへ立てわびたりければ、かく貧しうなり果てゝ、子など出できたらんには、なほいかなる憂き目を見るべうも知らず。今より後は、妹背(いもせ)の契りを断ちて母を養い、子を育みてんと堅く誓ひけり。
 かくてその年も暮れて春になりしかど、衣類調度なども、飛鳥川の淵瀬定めずなし果てゝ、老いたる人、幼き者の肌へを覆ふべき物すらはか%\しからず、年頃、着ならしつる衾(ふすま=夜着)引き解きて、衣につゞりなどするも、いといたう胸、ふたがることのみ多くして、妻、
    今しはた見るも寒しや諸声(もろごゑ)に
        泣きし昔を忍ぶ衾は
 とて打ち泣くもいと哀れなり。
 夏になりぬれど、薄物の単衣をだに持たらず、男は夜もすがら蚊やり燻(ふすぶ)るを役にて、いも寝られず。
「天地(あめつち)は広しといへども、我がためは狭(せば)くやなりぬる」
 など、山上の大夫が詠みけむ問答(山上憶良の貧窮問答歌)の古ごとなど打ち誦しつゝ、来し方行く末のことゞも思ひ続けてしばし居眠(ゐねぶ)るに、焚きさしたりける蚊やり火の、とみに燃えつきたりければ(燃え上がったので)、「あはや」と驚きて打ち消たむとするに、幼き者、寝怖(ねおび)れて母の衣、引きつゝ、遠く転(まろ)びたりければ(寝返りを打つと)、うまく寝入りたる母の気配まで、いとあらはなるに、仰向きて膝をさへ立てたれば、えも言はぬ隈々(くま%\)残る所なくなん拝まれたりける。
 月花のいみじき眺めすら、雲に隠れ、霞に覆はれなどして、今少し見ばやと思ふほどこそ、あはれとは言ふめれ。まいて、かくもの難しげなるあたりの、際やかに見えわたりたらんには、なべての人ならましかば、すさまじとさへ思ふべきを、渇しぬる者は飲をなしやすしとか、三十路(みそじ)にだに足らぬ男の、一年あまりがほど、手まさぐりをだに得せず、切(せち)に物欲しう覚束なく思ふ折節なりしかば、心のなしにやあらん、つぶ/\とふくらかなる尻の色は、さすがに白う清げにて、懐かしう打ち守らるゝに、やがて何くれのことも打ち忘れて、かの黒駒の白泡を噛みたらんやうなる所を、一鞭(ひとむち)当てゝ見ばやの心なん起こりにける。
 されど、重き誓ひのある仲なれば、容易(たはやす)きことゝも思(おぼ)えず。詮ずる所(とどのつまり)、目をだに覚まさせずば、何ばかりの口舌(くぜち=いさかい)いらじものをと思ひて、わなゝく/\忍び寄り、大根(おほね)を洗ひあげたらんやうなる太もゝを左右(ひだりみぎり)に押し分けて、からうじてまづ両膝(もろひざ)割り入れたり。この上は例ひ驚き起くとも、えこそ徒(あだ)には、と思ひて、火のごとく誇え切りたる大首元より背筋かけてたぶ/\と潤し、ふさ/\と生ひかゝれる黒髪を上ざまに掻き上げ、吉舌の下つ方にさと押し当てゝ、手を添へながら、ぬら/\と滑らかし入るほどに、太もゝより腰筋かけて引き据ゑらるゝ心地するに、うたてや(無念)、まだ半(なか)らばかりだに至りつかぬほどに、堤、破れて、精水(しやくすゐ)を千仞(せんじん)の谷にとかいふらんやうに、白きものすら漂ひて、言ふ甲斐なく(=腑甲斐なく)口惜しく、只、胸のみ打ち轟くに、やがてきと心づき(正気になり)、
「こは浅まし。母のため子のため、神かけてさへ誓ひおきぬるものを、黄金(こがね)の釜を掘りうるばかりのこと(=思いがけない幸運に出合ったこと)こそ得せねども、かばかりのことせんとはいかでか思ひたりけむ。神にも仏にも蔑まされ参らむことは言ふもさらなり。もし今にも目を覚ましたらんには、いかにとか言い訳きこえん」
 など、思ひつゞくるに、何心もなげなる寝顔すら、空恐ろしきまで打ち守られて、また思(おぼ)えずわなゝかれつゝ、膝、引き抜くほど、我ながらいたう恥づかしと思ひたりける。
 さるは(というのは)、男も女(をみな)も妻(夫)恋ふる道は、高き賤しきを隔てぬ習ひにしあれば、男魂(をのこだましひ)持たらん人ならましかば、例ひ、やむごとなき女官(にようくわん)、北の方を盗み参らすとしも、かばかりにはよも怖ぢ戦(おのゝ)くまじきを、かく公(おほやけ)ならぬ誓言を、切(せち)に忘れがたう思ひて、まさしきおのが妻をすら、かくまでに怖ぢはゞかりけむことよ、なほさすがに捨てがたく、あはれならぬかは。
 冬にもなりぬ。男は例のことにて弓矢、手挟(たばさ)み、雉子、兎など狩り暮らして、雪、みぞれにそぼたれつゝ帰り来ぬるに、幼き者、門の戸に出で迎へて、「家御前(かごぜ=おかあちゃん)の見え給はぬは」とて、いみじう泣く。父、聞きて打ち微笑み、
「そは例の米買(よねか)ひにやあらん、よし/\、今宵はおば君と吾子(あこ)と白き飯(いひ)食うべよ。羹(あつもの=汁)には何をかえさせん、な泣きそ、いざ/\」
 とて、手を取る/\内へ入るに、母、いたう悲しげによろぼひ出でつゝ、
「おのれは耳の遠ければ、よくも聞きとゞめ侍らねど、嫁御の吾子らへ置きつるをとく見給へ」
 とて、消息(せうそこ=手紙)だつもの、投げ出したり。男、心得ず、中、開き見るに、

心は慌たゞしきほどにて、何ごとも得尽し侍らず。たゞ、一言、聞えおかまほしきことありて、あら/\、書き置き侍りぬ。
さるは、定めて御心もやつきさぶらひつらん。この文月(七月)のほどより、心地、たゞならず覚え侍るものから、さるべき理(ことはり)も心得侍らねば、只、大方の悪戯(いたづら)にこそはと思ひ慰めて、人知れずいたはり侍りしかど、いつしかよそ目(はた目)のほどもつゝましう(恥ずかしく)、面なき(おもなき=面目ない)までなり侍りぬ(=腹が出てきてしまったということ)。
昔物語などにこそ、かく思はずなることも聞き侍りつれど、今の世の人など、ゆめ/\、あるべきことゝも思ひ侍らざりしが、いかなる因果妄執のしわざにやさぶらふらむ、この五月(いつゝき)あまり、昼夜、束の間も忘れ侍らで、千たび思ひ、百(もゝ)たび考ふれど、さらに/\思ひわく方も侍らず。
年頃、頼みおきさぶらひつる神仏すら、言ふ甲斐なく、怨めしく、たゞ死ねとのみ教へにや。このほどは由々しく、恐ろしき夢をさへ、打ち続け、見さぶらひつれば、言ふ方なく、悲しく、口惜しく覚え侍るものから、今は誓ひのごとく、この世の御暇乞ひさぶらふなんかし。
 とあるに、まづ打ち驚かれて、「こはうたて。誤りにき」と歯噛みをなすほどに、「白き飯、とく食びてよ。家御前はなど帰り来給はぬにか」と幼き者のすがり、泣くにも、いといたう心急かれて、只、「おゝ/\」と応(いら)へしつゝ、押しやりて読む。
母君にもよく/\聞えなし給ひてよ。阿古丸がこと、二人して育まぬ恨み、いかばかりとかは思(おぼ)し知るらん。今、死なん命よりも、かえりては(かえって)つらく、口惜しくこそ打ち嘆(な)かれ侍れ。
 と読むほど、母、いと腹立ちて、
「こは日頃にも似ず、母がとくより聞ゆることをば、などて(なぜ)答(いら)へをだにし給はぬぞ。あれ見給へ。阿古丸が泣き伏して起きも上がらぬは、飢ゑ凍えて死ぬにもやあらん。嫁御も嫁御なり。いづちへかいにけん。情けなき母にもあるかな。その文はなぞ、誰(た)が方よりのとて、さばかりには見入れおはするぞ」
 など、いぶかり、つぶやき給ふも胸痛く、「只今、聞え奉らん、まづ/\」とて読む。
母君の御布子(ぬのこ=綿入れ)は、裾を合はせ果てゝ、南の棚に置き侍り。阿古丸には、自らのひとつ、脱ぎ置きて侍れば、凍えもし飢ゑもそし侍らぬやうに、よく/\いたはり給ひね。たゞそれのみをこそ、供養とも施物(せぶつ)とも。草葉の陰より
 など、いとくだ/\しきかぎりになりて、こちたく(ひどく)長々しく、こと果てず。半(なか)らにして追ひ出でもやせん(追いかけよう)と思へども、もし出でにし方の知らるゝもこそと思へば、読み果てざらんもさすがに心憂くて、とやせまし、かくやせまし(どうしよう)と悶えわづらふほどに、母、また泣く/\、
「こは物の怪のしわざにやあらん。あまりにも/\情けなく、つらき父(てゝ)にもあるかな。主も持たぬ身にて、今、仇の襲ひくとも、母を捨て、子を殺してよき理にやある。老いの長生きばかり憂きものはあらじ。現在の子にすら、いとかく、つらう、情けなく、うとみ果てられて」
 など、障子隔てゝ泣き腹立つも、いと/\おふけなく(恐れ多く)、畏し(かしこし=もったいない)と思へど、さりとて皆がらに(ことごとく)語り知らせば、例の病、起りて、すぐさまに絶え入りもやし給ふらんと、なほいとつれなく聞きさしつゝ(聞き流しながら)、からうじていやはて(最後)を見れば、
    いつの世に晴れなば晴れむ乳もなき
        子ゆゑに迷ふ母の闇路は
 とあるに、何くれのことも覚えず(呆然として)、いでさらばとて、太刀、取りはきつゝ、
「よしや海にもあれ川にもあれ、千尋八千尋の底に沈むとも、今ひと度、生かして会ひ見ずば、生々世々、何の面目(めいぼく)ありて、かの世には生まれ会ひならん」と、血眼になりて立ち上がり、外の方を見い出したりけるが、また内を返り見て、「母君はいづこぞ、阿子丸は」と呼ぶに、答へはさらなり、人影だに見えず。「こは浅まし。いかに成り行きつらん」と、さらに胸、打ち轟かれて、「あな暗や。松(=松明)はいずこぞ、付竹(つけだけ)は」と慌つるに、まづ妻の名を呼ばるゝもいとわりなしや(是非もない)。この後のことゞも、いと長ければ、まづこゝに書きさしてん(書くのをここまでにしておく)。
 まことや婬欲の身を損なふこと、必ずしも色に愛で香に迷ふのみにあらず。見る目なき浦に心浮かれ、徒の(あだの=空しい)大野に身を下す類ひのごとき、皆、これ徒し好き心の致す所にして、いはゆる婬欲にあらずや。色と呼び、恋と名づくるは、そも/\末なり。さるは、この何がしのごときも、色に愛づるにあらず、香に惑へるにあらず。束の間の徒の心やりに、長き世の恨みを残しけむこと、またもとより、さるべき理(ことわり)にこそあれ。さるは万(よろづ)の戒め、近きを捨てゝ遠きを求むべきにあらず。生きとし生ける人、まづ切(せち)に戒むべきは、たゞこのことぞと言はまほしき(ただ、淫欲だと言いたい)。
 
 
阿奈遠加志  下巻 畢
 
 
(あとがき)
 
 この一巻、まづ打ち見るより、いと面はゆくて(恥ずかしくて)、面隠しに(顔を隠して)さへ開かれるゝものから、女の心得べきこと、はたなきにあらざめるを、我が大人(うし=ぬし〜夫)の勧め聞え給ふまに/\(ままに)、汗、あえつゝ、からうじて写しとゞめぬ。彼の狂女の伝へのごときは暇のあらむ折り、別(べち)に記さまほしうなむ。
時に文政五年壬午年(1822)六月。清水氏の女(むすめ)記しつ。


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