阿奈遠加志 上巻
阿奈遠加志 上巻
はしがき
女の果敢なき筆して、なか/\に物書かずば、さてやみなむ(書かないほうがいい)。もし、いで書かむとならば、何がし衛門の国史になずらへて、世継の翁の物語(赤染衛門編とされる『栄花物語』)を著しけん心おきてこそあらまほしけれ。されど、そは世に数まへられ(世に認められ)、人にも人と思はれたらむ上(うへ)のわざにこそあれ。かくい腑甲斐なく世にも人にもふるされはてゝ(見放され果てて)、朝夕の煙(けぶり)をだに立て侘びたる物狂ひなどが、千々に思ふとも、た易(はやす)く真似び得(う)るきはならめや。これを物に例へむに、梧桐といふ木の琴瑟(きんしつ)に切られたらむには、鬼神をも泣かせつべく(いたく感動させられよう)、火桶につくられて三伏の暑さにさへあへらんは、何ばかりの声をも得たつまじきに等し。
さはいへ、遠く身の昔を顧みれば、何がしの院の雀めきて詞の林にも立ち交じらひ、漢音(からごえ)をさへづりて、人聞きをわずらはしゝ例(ためし)、なきにしもあらず。かばかりの今すら、なほ折りにふれては筆、取らまほしきことのみ多かるを、はたいかにせむ。よしや、つく%\思ふに、今の世とても、世に数まへられ、人にも人と思はれむ人は、何がしの文(ふみ)、くれがしの伝へなど言ひて、宗々しく(むね/\しく=ちゃんとした)よしありげなる冊子ども綴り出でゝ、色をも香をも知られたらん人に、いよゝます/\よしと思はれむこと、いみじきわざなるべく、はたかくい腑甲斐なく、物に狂ひて、「をかしきこと語れ、戯(ざ)れ歌口走れ」と、あなづり弄ばるゝ、似非嫗(えせおうな=みすぼらしいおばば〜自分のこと)などが、筆のすさびにとならば、またはたほど/\につけて、似つかわしき文もこそはと、なほ負けじ魂に思ひ起こして、この正無事(まさなごと=冗談事)をしも書い始めつるは、いつばかりにかありけむ。月をも日をも忘れつ、年の名はもとより知らず。たゞ、かくいふは、もとの花園の狂女、童べの指差して、「あなをかし」と呼ぶ者ぞとよ。
〔1〕
尻の穴、その隣めく所を呼びて、
「前殿はまだお目覚め給はぬにや。昨夜(よべ)はいかなる客人(まれびと)のおはしましつるにか、いと賑はゝしくて、余所(よそ)ながらいも寝られ侍らざりき」
と言ふ。
前、いと恥づかしげにて、
「何ばかりのことも侍ざりしが、昨夜は亡き人の逮夜(命日の前夜)にて侍れば、いさゝか御法(みのり)のわざを営み侍りし」
と言ふ。
尻、首肯(うなづ)きて、
「実(げ)にさればにや、見慣れぬ大法師の出入(いでい)り繁く侍りつるは」
とぞ言ひける。
〔2〕
肛門の襞目は四十八本あるよし、古くから言ひ伝へたれども、物に記せることはなきにや。四十四の骨節、八万四千の毛竅(毛穴)などは内典(仏教経典)にも多く載せられしかど、この襞目のことは見えず。
また肛門の一名を菊と呼ぶことも、この襞目のその花房に似たる故の名なるべけれど、こさはもしさるよしに基づきて言ふにや。何がしの院の女房一条が集に、男のものに言ひつかはしける、
をみなへしなまめく野辺をよそにして
菊に心や移ろひぬらん
とあるは、やがてこの異名を詠めるなるべし。
〔3〕
男(をのこ)の陰頭を「かり」と呼ぶことは、「かゝり」といふ意味なりとぞ。さは陰戸の肉叢(しゝむら)にかゝる個所(ふし)なる故の名にて、外典(経典以外の仏教書物)の文に、「〔糸+参〕袿(サンカヽ)りてとゞまる」などとある「かゝり」なり。
しかるを、「かり」とのみ省きていふことも、いたく近きことゝは思はれず。大学頭敦光朝臣の『陰車の記』に作者の名を隠して、「婬水校尉高鴻」と書き給へるを、今の博士たちはたゞ唐読み(からよみ)にのみ読むめれど、「高鴻」は「たかゝり」と読みて、やがてこの「かゝり」の名をおぼめかし(ほのめかし)給へるなり。
歌にも多くは、雁のことにのみよそへ詠めども、こはその頭に似たる故の名と心得(こゝろう)るは僻事(ひがごと)なり。近き集どもに見えたるうち、帰雁を、木工権頭高賢、
乙女子が越(こし)の白嶺(しらね)を思ひ出(い)でゝ
心もそらに雁や立つらん
また雲間雁を、小少進、
誰(た)がために咲きとく風ぞかりたかの
佐保の山辺の雲の下帯
このほか、なほ多し。三十六番歌合(うたあはせ)に、寄露恋を、女房、
かりにだに訪(と)はるゝ草の庵ならば
かゝらん露の玉の門(かど)かは
これらは雁には関はらず。
さてこの歌、判のとき、並頭の病ありとて、負に定められけるを、作者、いと本意(ほい)なきことに思ひしかば、判者、何がしの卿、聞き給ひて、
「よしや、この歌の心を思ふに、頭を並べて寝むことは、もとよりの願ひならずや」
と、笑はせ給ひけるとぞ。
〔4〕
陰門のうち車寄(くるまよせ=軒先)めくものを「ひなさき(雛尖)」と呼ぶは何の謂れにかあらん。つく%\思ふに「ひな」もまた「ひだ」なり。肉叢の畳まれたる所なるゆゑにいふなるべし。「さき」とは物のなりいでたる所をいふ名なればなり。唐国(からくに)の人は、口の舌あるになずらへて、「吉舌」とぞいふめる。古歌には「あまさかる雛尖」と続けたり。これも同じ歌合に、旅を、
あまさかる雛尖遠し下紐の
関より奥のもや/\のさと
また、これを「さね(核)」と呼ぶことは、唐名に「陰核」などいふことあるより、呼び伝へたることなるべけれど、これもやゝ古き世よりのことにや。「古葉類林」といふものに、
ほとのさね百余(もゝま)り八つを得てしがな
数珠につなぎて摩羅祈るかな
「摩羅」は梵語なり。
〔5〕
何がしの相公(参議=大臣)、その御臣属(しんぞく)のうち、御名立ち給ひける(悪い評判が立つ)頃、その方の人を召して、
「それの殿、色に溺れ給ふよし、世の聞えあり。何なりとも見聞きしことやある」
と問ひ給ひしに、その人、しばし考へて、
「色(いろ)といふばかりのことこそ侍らね、ろもじ(呂文字)などはあまたゝび見侍りつ」
と申(まを)す。相公、聞かせ給ひて、
「実(げ)にも、『にもじ』などは目にも触れじかし」
とて笑ひ給ひき。
呂は口と口と相続くなり(口吸いのこと)。仁は二人相逢ふなり。平仮名といふもの出でこぬ世には、下部だつ人すら、なほかくいみじかりけり。
〔6〕
何がしの亜相(大納言)、幼き童(わらは)べの手習ひすとて、文机(ふづくゑ)にかゝり居つゝ、汚げなる手わざするをほの見給ひて、
「こは何をかくにか」
と問はせ給ふに、童、そ知らぬ顔して、
「難波津(子どもが手習いの初めに学ぶ歌)をこそ」
と申しゝかば、「ほゝ」とうち笑ひ給ひて、
浦あしの角ぐむ(芽を出す)ほどの小指似(こしゞ)もて
かきもや習ふ恋の難波津
とぞ戯(たはぶ)れ給ひける。「指似」とは童べの「珍宝(ちうぼう)」をいふ。今も常にかくいへる国々、多しとなん。
〔7〕
内(内裏)にて障り(さはり=生理)ある女を「手なし」と呼ぶことは、上(うへ=おかみ)の御調度に手、ふるゝことを忌むゆゑなりとぞ。
近き頃、何がしの朝臣、夜にまぎれて、女の寝たる衾(ふすま=夜着)のうちへ忍び入り給ひけるに、女、手をふりて、「手なし/\」といひたりければ、いと本意(ほい)なくて、
玉の門(かど=玉門)さして這ひ寄る夕顔の
つらしやすがる手さへなくして
となんのたまひける。女、返しとはなくて、とりあへず、
いく夜かも待つに訪(と)ひこぬ足なしや
手なしをときと(どきっと)驚かすらん
とぞいひける。その果てはいかにかしけむ。
〔8〕
源の敏といひける好き者ありけり。月の明(あか)ゝりける夜、御局の下卑者(はしたもの)ども、三人四人(みたりよたり)集ひて湯浴みしけるを、ものゝ隙より差し覗きたりけるに、夜目遠目とか、いづれも/\白う清らかにて、さと(さっと)隈(くま)ある所など見ゆるも、飽かず見所ある心地す。敏、とみに心、惑ひて、「掛け金などあらば捩(ね)じ切りても入らばや」と思ひて、こゝかしこと探るほどに、「や」と驚く声して皆逃げにけり。されどなほ遠くは隠れぬにや、いと忍びやかに(ひっそりと)囁き笑ふ声など聞ゆるに、いと口惜(くちを)しと思ひて、
浅茅原たが分けんとか照る月に
見かける露の玉の門ぞも
といふに応(こた)へる者なし。
「とく(早く)応(いら)へ給へ。さのみ、な恥給ひそ」
と責めたりければ、うちより、
夜よしとて露も払はぬ草の原
胡蝶に似しは恥じずしもあらず
となむいひける。
声、いと大人びたりければ(ひどいばばあ声だったので)言葉もなくて行き過ぎたり。後ろ手(後ろ姿)こそはうち萎(しほ)れたりけれど、前の一所(ひとところ)は、なほいかにかありけむ。
〔9〕
同じ人、伊豫(愛媛)の出で湯に湯浴みしける時、同じ湯船に入り居たりける尼法師のいと貴(あて)になまめいたるを見て、例の心、乱れ、「いかで抱(いだ)きつかばや」と思ひ、足、差し伸べて、心あてのほどを探りけるに、尼、うち驚き、「こは狼藉なり」と腹立ちけれども、男、なほ微笑みて、
とても世をよそに古江の尼小舟(あまをふね)
足の触(さは)りをなに厭ふらん
といふに、尼、つく%\と聞きて、無量の慈悲心をや起こしたりけむ、あたり見回し、人もなかりければ、いと忍びやかに、
さらば早(と)く棹差し寄せよ世を海の
見る目はなほも厭ふ尼舟
とて、やをら寄りきにけり。敏は至が後(子孫)にて、(手の)いちはやき雅男(みやびを)なればさらにもいはず。尼君もいかなる智識(高僧)にかありけむ。
〔10〕
三条の殿、いまだ若うして、今の北の方の御もとに通ひ住み給ふ頃、いたう夜更けて、酔ひのまぎれにおはしたりける(訪れた)を、すぐ御床に誘(いざな)ひ、入れ参らせたりしかば、やがて例の手まさぐりし給ふに、いつしか御潤ひのいみじう流れ出でゝ、そこら濡れそぼたれ給へるを、
「あな、あさまし。いかなる御夢の名残りにか」
と、かつは心もとなげに怨じ聞え給へば、女君、少し面はゆげ(恥ずかしげ)にて、
恋ひ/\て逢ふ嬉しさにせきあへず
濡るゝは袖の習ひのみかは
と、いと忍びやかに聞え給ひしかば、やがて御心、解け給ひにけり。
さて、御子だち、いできさせ給ひて後は(子どもらが生まれてからは)、いと事削ぎたるさま(ことそぎたるさま=質素な暮らしぶり)にて、皆、御手づから育て参らせ給ひにける。さるは妹と兄(いもとせ)の御仲らひもひとしほ御情け深く、いつも/\若草の愛づらしげになん、睦れ合ひ給ひにける。
水無月(六月)ばかりにや、いと暑う耐へ難き宵のまのほど、例のことにて御床に入らせ給ふより、「とく/\」とおぼし急げど、若君、寝困(ねこう)じて寝入り給はず。とにかくにこしらへわび給ひて、あながちに(無理強いして)乳房を含め参らせ給ふほど、若君、足を空様になして(そらざまになして=空に向かってぴんと伸ばして)、御衾をおいやり給ひしかば、御薄物(薄い夏衣)など、しどけなく押し畳まれて、雪のやうなる御肌へより、得もいはぬ所さへ露(あら)はなるを、(三条の殿は)「よそにのみやは(この機を逃すものかと)」念じわび給ひて(堪え切れなくて)、御後ろの方よりやをら寄り添ひ給ふに、
「あな、うたて(あん、やだってば)。まだ乳も放ち給はぬを、ようせずば、これ、幼き人の病(やま)ひとやなり給ひなむ。典薬頭(てんやくのかみ=医局長)もこちたくおきて(うるさく戒めて)侍りつるものを」
とて、衣、引きて、おし隔て給ふ。
いたう辛(つら)しと思しめすめれど、さすがに「否」とも拒(すま)ひ給はず、只御手をのみ挿し入れてかい探り給ふに、温(あたゝ)かに潤い満ちて、こぼれぬばかり気色(けしき)ばみておはするを、こは自らも早くより催されおはしつるにこそと、いとほしうらうたし(可愛い)と思す。
「あな、うるさ。まことにそのものならずとも、心、ときめきせられむには、幼き人の御ため、さるべきことゝも思ひ給へ侍らず。なか/\なる御物思ひさせ給はで、今しばし、念じ(堪え)おはせよ」
と切(せち)に隔て給へるに、さすがに強いても得ものし給はず(行わず)、魚取らむとて呵責(かさく)せられつる猫の心地して、口ねぶりしつゝ、またゝきするさま、いとほしげなり。
幼子の乳房離れて寝(ぬ)る間さへ
あな待ちどおし短し夜ながら
と、腰の句に力を入れてのたまひづるも、うたての(甚だしい)御好き心やと、飽かず口惜しう打ち聞き給ひて、
みどり児の生ひ先願ふ心から
待つは久しきためしをや知る
と、おとな/\しう(大人びて)聞えなし給ひて、やがて自らも眠(ねぶ)たげに、腕(かひな)片敷き給ふを、情けなくつらしと思して、
「今はよも起き侍らじを。あだに心、焦(い)られのみさせ給ふものかな」
とて、後ろより御手差し伸ばして、乳房、ふつと引き取り、強いて此方(こなた)ざまに引き向け参らせ給へば、やがてまた(子が)むつがり泣い給ふ。
「あな、妬(ねた)や」
と、こぶし振り上げぬばかりにのたまへども、はた甲斐なし。声立てぬ子はすかすよき(なだめすかすのも容易)習いにしあれど、こなたの曲者(いちもつ)をも先よりなだめわび給ひて泣いざくり(泣きじゃくり)をさへすれば、「よし/\、今は」とて、此方ざまに(背を)背けつゝ、あやしの手わざをなん始め給ふ。
「こはけしからずや。さる浅ましき手わざは、牛飼ひ童(わらは)などが見にくき絵など繰り返したらむ折、せめての心やりにこそすめる悪事(いたづらごと)なるを、人の親とさへ仰がれ給ふ御身には、恥づかしとも思したらぬにや」
など、まめだちて(真面目に)諌め聞えさせ給ふを、そ知らぬさまにのたまひ消ちて、しばし御身をわなゝかし給ふさま、いと興醒め顔なり。
「夜はいたく更けぬにやあらん。あれ、聞き給ひね。人は皆、静まりはてゝ、蚊の声のみおどろ/\しう、四面楚歌の声とか、あはれにものすごくさへ聞きなされ侍るは。いざ、早く寝(い)ねさせ給へ。麻呂も早く/\」
と、(三条の殿は)只、よそごとをのみのたまひて、やがて立ち給ひなんとするを、あまりにしれ%\し(白々しい)と思して、
「やよ、待ち給ひね。今少し、聞え奉るべきことあり」
と、後ろ手に御袖を捉へ給へれば、
「騅(すゐ)、行かず、騅、行かず(騅は楚の項羽の愛馬の名)。今宵のことはまづ何ごとも御許しかうぶらばや」
とて、只、逃げ足のみつくり給ふ。
こはいつのほどにか、煩悩の闇をば早く晴らし給へるにこそ、と思し推(はか)るに、憎く、腹立たしく、興、醒めてものも言はれ給はず。つと起きかへり給へる御気配、笑み多き日頃の御面持ちより、かえりて貴(あて)に気高く、さと身に沁む心地せられ給ふに、やがてまた御心、動き立ちて、
「いざ、のたまふことあらば、こなたへおはせ」
とて、自らの御衾に抱き入れ給ふ。されど、なほ初めにおぼし懲りて、若君はいかにと見やり給ふに、何の心もなげにこぶし投げいだして、反り返り、寝入り給へる気配。いとらう/\しう愛敬づきて、仇敵(あたかたき)も微笑まれぬべきさまし給へるを、かく心、慌たゞしき際にも得見捨て給はで、
引かれきてよそに千歳(ちとせ)を契るとも
知らでや母をまつのみどり児
とうち誦し給ふ御気配、さすがに情けなからず(情があり)、母君もやう/\御心(みこゝろ)解け給ひぬ。この後のことゞも、なほ多かれど、こちたければ(面倒臭いので)もらしつ。
〔11〕
近き頃、綾小路殿に召し使はれける若侍、御館(みたち〜主人)の童べを謀(たばかり)り出だして、御前の前栽の中に率(ゐ)て行き、秘かにこれが(童の)菊を愛でんとす。童、切(せち)に拒(すま)ひて聞かず。
「さのみつれなく、な振る舞ひそ。しばしのほど忍び給ひね(しばしの辛抱じゃ)」
とて、とざまかうざまに(ああだこうだと)抱き伏せて、むくつけきもの、差し当てたりけるが、あまりに心、焦(い)られやしけん、さしも小さやかなる花房に、たふ/\と(どばっと)露を置かせてけり。
家司だつ者(けいしだつもの=事務方の者)、ほのかに伺ひ見て、憎やと思ひしかば、急ぎ、殿へ馳せて参りて、かう/\なんと告げ奉る。殿、聞き給ひて、しばし涙ぐみておはしましけるが、
妹(いも)と寝(ぬ)る床よ離れて鳴く雁の
涙や菊の露とおくらん
とうち誦し給ひて、
「哀れのことや。只、見過ごしてよ」
とぞ、のたまひける。いといみじかりけり(つらい〜立派)。
〔12〕
藤六郎郷絢(さとあきら)といひける武士、三井寺の児をそゝのかし出でゝ、花見歩(あり)きしに、酔ひのまぎれにや、中門の脇の廊に連れ行き、ものもいはず、前ざまに押し伏せけり。「こは何ごとをか」と驚くに、六郎打ち笑ひて、
「何ほどのことかあらん、ただうつ伏しておはせ」
といふ/\、手に唾(つばき)したりければ、稚児、いと心もとなげに後ろを返り見て、
唾して矢尻潤す音聞けば
後ろ向かで(百足)は得こそたまらね
となんいひける。さすがに三井寺の児故、鐘の縁起を諳(そらん)じたりけむと、人々、興じあひけり。
※鐘の縁起:
〔13〕
叡山の稚児、宝珠丸、大人になりて後、京にありけるが、右近の馬場の引折(ひをり=馬に乗っての競射)の夜、仏師運慶らと何がしの院にて酒、酌み交はしけるに、運慶、宝珠丸が幼き頃、貴(あてに)らうたげなりしさまども語り出でゝ、
「あはれ、人目だになくば、今とてもたゞには得こそ」
など、戯(たはぶ)れければ、男、とみに色を失ひてつと立ちぬ。
さて、院主の御前に参りて、
「しか%\の恐ろしきことこそ侍れ。今宵一夜はこゝへ寝かしね」
といふ。院主、うち笑ひ給ひて、
「男色の執心深きことは女犯(にょぼん)にまさるといへども、しかも久しからず。筍(たかうな=たけのこ)の味、ひさばかりいみじきも、わづかに一旬を経ぬれば、膚堅く節高くして喰ふに堪へざるが如し。汝(いまし)、今、三十路(みそじ)に近く、運慶もまた老いぼれたり。何ばかりの恐れかあらん」
とのたまひけるに、男、なほ打ちわなゝきて、
「さ、なあなづり給ひそ。かの髻僧(けいそう=総髪の僧)めは、近き頃まで、不動明王の御尻をすらほりたる奴にて侍るぞ」
といひける。
〔14〕
肛門の名を菊と呼ぶことは前にもいへるが如し。釜と呼ぶことはまたやゝ後になるや。
近き頃、菅野何がしといひける京侍、四十にあまるまで母を養ひて妻を持たず。ともすればかの手わざのみしけるを、親しき友、伺ひ知りて、
「あたら(もったいなくも)子を捨つるにや」
と笑ひければ、男、涙を流して、
母ゆゑに子はあまたゝび捨てつれど
釜のひとつも掘り得ぬぞ憂き
とて、いたう泣きけり。
なべて功(いさを)を立つるには、物憂く、報いをむさぼるに切(せち)なる者は、皆、この男の連(つら=同類)になんあるべき。
〔15〕
博士経章は若き時、自らその陰を切断(た)ちし人なりき。さて、そのなきがらをば、年頃(年来)、愛(かな)しうしける思ひ者に与へて、「よきに葬れ」といひしに、やがて鳥部野(とりべの=京都東山の火葬場)に送りて火葬にぞしける。
女、いたう名残りを惜しみ、せめては煙(けぶり)の末をだに、今一度、見ばやとて、市女笠引きかぶり、女の童(めのわらは)一人ばかりを具して出で発つ折しも、しぐれがちなる頃(時雨が降る晩秋)にて、道のほど、はか%\しからず。何がし寺の杜の木の間より、煙のいと心細く立ち上るを見て、ものも得いはず、胸のみ、つと塞(ふた)がるに、
鳥部野や跡なき露の玉の茎
煙となりて立つが哀れさ
とて、いみじう泣くを、具したりし童も、年よりは大人びてやありけん、
窓に立つ煙の末もたゞならず
亡き玉茎の行方と思へば
となんいひて泣く。女、懐(ふところ)より数珠(ずゝ)取う出て、
せめてはと押しする数珠の玉の茎
涙にのみも濡らしつるかな
とて、ともに声、立てて泣きぬ。いと哀れなりけり。
〔16〕
学生(がくしょう)何がし、九条大宮の女房を恋ひて、いかで逢ひ見んと思ふに、歌は知らず、詩など物せんもむくつけかりなん(無粋だろう)と思ひて、古き歌をいさゝか書き変へて、
目には見て手には取られず月の中の
うさぎの如き君にもあるかな
と、人して聞えさせけり。
女、あはれとやおぼえたりけむ、「いつばかりのほど忍びてよ」といひおこせたりければ、いと嬉しと思ひて行きぬ。仲立ち、ともし火、ほの暗き所に誘(いざな)ひ入れ、「しばし、こゝに」とて行きぬ。
主、今や出てくると待つに、夜中過ぐるまで音もせねば、謀(はか)られやしらむと口惜(くちを)しく腹立たしければ、よしや、たゞならんよりは、かくてもとく思ひをば晴るけむものを、と思ひて、大木の切杭(きりくひ=切り株)を見たらんやうなるしたゝか物をまくり出して、撫でつ、さすりつ、悶えつる折、女、後ろの方よりやをら入り来て、「こは浅まし」とて、やがて逃げんとするに、男、慌てゝ、
月の中のうさぎの如き君を待つと
一人くひぜ(切り株)を守りしが憂さ
「哀れと思せ」とぞ、わなゝき、いひける。
〔17〕
兵衛尉信賢、馬より落ち、腰を損なひて籠り居ける頃、若き女に足、さすらせけるに、ふとうるさき心起りて、内股(うちまた)に足、差し入れ、例の所をそとあしらふに、女、顔打ち赤め、身もだえしつゝ、
「あな、苦しや。腰も叶ひ給はで、なか/\なる物思ひをもせさせ給ふものかな。とくやめ給ひね。人もや見るらん」
と侘ぶる(切ながる)に、傍らなる障子のほと/\と鳴りしけるを怪しと思ひて差し覗きたりければ、次の一間にて薬、暖め居る童の火吹竹に珍宝(ちうほう)を挿し入れて腰、蠢かすなりけり。
「やよ、童。汝(いまし)、束帯にあらずして、いかで尿筒(いばりづつ)をば用ゐるぞ」
と戯(たはぶ)れければ、童、きと返り見て、
「殿は御着背長(きせなが=鎧)をも召さずして、いかで毛沓をば履い給ふやらん」
とぞいひける。
※尿筒:束帯を着たとき、尿筒をはめておき、そこに尿をした。
〔18〕
何がしの卿、六条わたりなる女のもとにおはしける夜、ふたがり(生理)の程なりければ、いと寂々(さう%\)しくて大殿籠りけるに、夜半(よは)過ぐる頃、風のいみじう吹き出でゝ、寝(い)も寝られ給はず、がばと起き返りて女を引き動かし給へば、何ごとにかとうち驚くに、
秋風の立ちてはたゞにやむも憂し
月の障りの雲の帯解け
とぞのたまひける。
〔19〕
木登りの刀自といへりしは、顔、形は清げなりしかど、心は男めきて、気疎き(けうとき=ものすごい)振る舞ひをなんしける。
いつばかりのことにか、里居のつれ%\に、紅葉を手折らむとて木に登りけるを、隣なる好き者、ふと垣間見たりければ、やがて童して消息(せうそこ=手紙)聞ゆ。
「大方の余所目(そよめ)にだに見参らせては(たまさか垣間見ただけなのに)忘れられ侍らぬを、思ほえぬ木の間より、いとはしたなくて、いが栗の笑(ゑ)ましき所をさへ拝み参らせぬるうへは、今は得堪ふべくもあらず」
など、猥(みだ)りがはしう走り書きて、
いが栗のそれと見しより人知れず
恋をましら(=猿)の音をのみぞ鳴く
「いかに/\」とあり。
女、いと早く返事(かへりごと)すとて、件の木の枝に結ひつく。
いか栗のいかにと問ふに落ちずとも
語らば落ちん一夜(ひとよ)来まさね
とぞいひける。
「木登り」の名を得しはことの時のことにや。
〔20〕
内(内裏)の女房、青侍の妻となりて、子など出(い)できたりしが、夜泣きする病ひありて、夜中、暁ともいはず、「よしや/\」とて泣き狂ひしかば、男、人悪し(ひとわろし=外聞が悪い)と思ひて、しばし途絶えける(訪問しなかった)を、妻、いたうつらしと思ひて、
「向後は(これからは)『よしや/\』をやめ侍らん」
と誓ひて寝たりけるに、はじめのほどこそあれ、今はの際になりて、いと耐へ難くやありけん、さすがに「よしや/\」とは言はで、「あしや/\」とぞいひける。男、あな心苦しやと思ひしかど、外(ほか)の折ならねば、息巻き、腹立ちもせず、いと小声にて、
よしとあしと音(ね)にはな泣きそ難波潟
子や目覚むらん親や聞くらん
といふに、物も覚えぬさまにて、いよゝ声高に泣くを、母こそ耳遠にて障子をさへ隔てたれば、怪しむばかりもあらざりしかど、六つばかりになりける女子のやがて寝怖れて(ねおびれて=うなされて)、頭、もたげたりしかば、「よそや、忍び給ひね」といふに、女なほ得堪へで、
よしとあしと難波につけて子はさすが
見つともいはじ聞きつともいはじ
とて、いやましにさくりあげゝるとぞ(ますますしゃくり上げて泣いたとか)。
〔21〕
鎌倉右大将家(源頼朝)、陸奥の仇(みちのくのあた=奥州藤原氏)を討ち給ひし頃、京侍二十人ばかり具し給ひける中に、(手の)いちはやき男(をのこ)ありて、狭布の里(けふのさと=奥州の白布の産地〜平泉近辺?)の賤の女(しづのめ)と相馴(あひな)れにけり(親しくなった)。
いつばかりにかありけむ、人をも具せず、忍びてまかりたりけるに、女、門の外に出で迎へて、
「今宵は同胞(はらから)のもとに客人(まらうど)ども、あまた集ひ侍れば、早(と
)く帰り給ひね。されど、たゞに別れ参らせんもいと心憂し。こゝにて、早く/\」
といふほどに、立ちながら尻、引きまくりて、男の前に差し当てたりけり。男、浅ましと思ひたりけれど、かうやうの折にあひては、九十九髪(つくもがみ=白髪のおばば)をも得避けぬ本性(ほんじやう)なりければ、やがて抱(いだ)きつきて、からうじて心をやりにけり。
さて、一人、立ち帰りけるに、所がら、珍しきわざをもしつるものかな、人の見たらんには、と思ふに、今さら汗、あゆる(落ちる)ばかりに覚えければ、
細布の胸も合はせず錦木の
立ちながらせし名をやくださむ
と心のうちに思ひつゞけゝる。その後は(賤の女のもとへ)行かぬなりけり。片田舎にはかゝる類ひ、なほいと多かることゝぞ。
〔22〕
府生良実といひける好き者、越の国(こしのくに=北陸道)に放(はふ)れさまよひける頃、柏崎といふ所の遊女(あそびめ)めく者と相馴れけるが、障ること(差し障り)ありてしばし行かざりしかば、女、死ぬほどつらしと思ひて、歌をなん書きておこせる。
人魂(ふとたま)のひから(ふから)/\と脱(の)けて行(よ)かば
恋ひ死(せ)ぬけれど我(わせ)を忍(せ)のばな
男、何ごととも聞きわかねど、恋しといふことにてやとて、行きて寝にけり。女、限りなく嬉しと思ひて、
「今よりは、行平の中納言(よきふらのちやうなこん=在原行平。須磨に隠棲)殿とやらんの、須磨の汐汲(しよくみ)と相馴れ給ひけんやうに、愛(かな)しうし給へや」
とて、両足(もろあし)打ち掛け、腰、高うもたげて、追従し(つゐそうし=おもねて)もてなす。男、いと心づきなし(不愉快)と思ひて、
汐もなく持たぐる腰の浦の浪
返りこんとも得こそ契らね
とぞいひける。女もまたその心をば得知らで、なほ思ひけりとなん、愛で喜びけるとぞ。
〔23〕
皮つるみ(かはつるみ=せんずり)とかいふ男(をのこ)の手わざこそ、類ひなくいみじきものなれ。名を立てず(浮き名を立てず)身を損なはず、世のわづらひとなりし例(ためし)をも聞かねば、これもまた、もとは聖仏の御教へ(ひじりほとけのみをしへ)にもやあるらん。さるは世にありとある人、煩悩の闇に心、惑はさゞるは、千人(千たり)に一人も在りがたかめるを、たゞに一拳を昇降して無量の罪科を即滅せんこと、いとも/\尊きわざならぬかは。しかるを女の身にとりて、これに似たるばかりの慰めごとなきは、また何の因縁にかあらん。ひとへにこれ、女の罪障深きによるなるべし。
近き頃、小宰相の御もとに、客人(まらうど)のやうにて侍(さぶら)ひける古孀婦(ふるやもめ)、厠に行くごとに、歌をなん口ずさみけるを、人々、怪しみて立ち聞きたりしかば、
ともすればやる方なさに雇ふ手の
指の思はんことも恥づかし
とぞいひける。これらはいかなるわざをしつるにか。いと浅まし。
〔24〕
何がしの僧正、いと若うおはしましゝ頃、いたく女犯を戒め給ひて、ひたぶるにこの手わざをのみ、つとめ給ひけり。衆侶のうち、たま/\伝へ聞く者ありて、諌め参らせけるは、
「釈尊、邪婬を戒め給ひて、女犯はさらなり、おのが手に婬するものをすら、三悪道に堕落せんと教へ給ひき。しかるに後、天親菩薩(世親)に至りて、なほ深く思ひ、遠く諦め給ひて、幼童の尻に婬することを許し給ひぬ。今、まさしく仏医経にも載せられ侍るにあらずや。我朝二大師のごときも、また皆、この御教へを奉じ給ふといへども、なほその痛苦をみるに忍び給はず、こゝにおきて幼童の足を斜めに打ち違へて、内股(うちもゝ)に婬することを始め給ふ。これ、いはゆる素股なり。今時、緇侶(しりょ=僧侶)の徒にあらずといへども、慈悲心深き者はこの御教へによらざるはなし。かつ、かの手婬のごときは、ひとり支那のみにあらず、震旦(中国〜天竺)に手〔手+上下〕といひ、また輪去来といひ、我国に皮つるみと呼びて、いづれの国にも、凡そ下鄙醜のわざとし、似非稚児(えせちご)、乞食法師すら、なほこれを恥ぢ思ふにこそ侍れ。
つら/\とこのことの様(やう)をおもんみるに、緇侶のともがら、このわざをのみことゝして、尻に婬し内股に婬することを知らずば、いかでか愛着恋慕の情を悟り侍らむ。若し愛着恋慕の情を悟り侍らざらんには、またいかでか愚夫愚婦を済度し侍らむ。これもはら、菩薩二大師の深く思ひ、遠く諦め給ひし御心にこそ侍るめれ。あはれ、今より後、彼の手わざをやめ給ひ、さるべき児ども多くさぶらはせ給ひて、生きとし生ける物の得去らぬ情慾をも少しは思し知りかねし」
とぞいひける。僧正、眼を閉ぢ、合掌して聞きおはしけるが、
恋せじのうき瀬をしのぐ皮つるみ
それさへ仇の名にや流れし
とのたまひて、いみじう悔い思しけるとぞ。
〔25〕
ある人、皮つるみといふことを題にして、
心ゆく後に思へば淵は瀬に
変はる飛鳥の皮つるみかな
こは後、悔い思ふにやと、をかし。またある人、輪去来といふことを思ひて、
めぐり逢ふ道こそなけれ小車の
輪のみは仇にゆきかへれども
また、ある集のうち、玉莖を詠める、
暮ると明(あ)くと千(ち)すり百(もゝ)すり磨きけん
いさをも著(しる)く照れる玉莖
この歌のこと、先達の言に、「千すりは皮つるみの別名、百すりは胯婬の異称なり」と言ひき。げにさもありぬべし。
〔26〕
前の揚名介何がし、若き時、その妻におぼゝれていたく患ひけるを、母、いと悲しみて、強ひて引き離ちて異所に住まはせけり。されど、さばかり衰へ果てたる子を一人、在らしめんこともまたさすがにて、自ら寝床に行きて、宿直物(とのゐもの)の袋など納むる所よりやをら伺ふに、歌をなん繰り返してうち誦しける。さては妻のことをば忘れつるにやと、嬉しくて聞くに、
隔つともよしや吉野の皮つるみ
心は通ふ妹(いも)と夫(せ)の山
とぞいひける。
〔27〕
男莖形(をはしがた=張形)とて、玉莖の形を真似びつくることは、いと上つ世(かみつよ)よりのわざにて、石しても木しても造り、もとは神わざにのみ用ひられしを、奈良の京(みやこ)になりて高麗百済(こまくだら)などの手部どもが、呉といふ国より多く鬻ぎ出だす(ひさぎいだす=売り出す)水牛といふ物の角(つの)してつくりはじめたるは、様形(さまかたち)きはめて麗しく、綿を湯に漬(ひ)でゝ、その角の空洞(うつほ)なる所に差し入るれば、温かに肥へ膨(ふく)だみて、まことのものと何ばかりの区別(けぢめ)もなきを、宮仕(みやづかへ)の女房たちなど、いと珍しとて愛でくつがへり(ほめちぎり)給ふあまりに、男もすといふ皮つるみを女もしてみんとて、やがてその具にばかり用ひ給ひしなり。
さるをやゝ古き世には、『角(つぬ)のふくれ』とぞ歌にも詠みける。いずれの頃にかあらむ、大蔵卿何がしといふ人ありけり。日頃、つれなかりける(つれない)女房に、いかで言ひ寄りてむと思して、かの男莖形をなべてよりは(並よりは)いと大きやかにつくらせて、人知れず送り給ひけり。されど、ようせずば(男莖形を)返しもやすらんと思しわづらふに、さもあらざりければ、いと嬉しと思して、(女房の閨に)夜深う忍びて行きて、その寝たる所を伺ひ給ひけるに、ともし火もあらで、月のみ心細う洩れ明かす気配なるに、衾(ふすま=夜着)をさや/\と鳴らして苦しげに息つく声の聞えたりければ、こはしすましつ(まんまとはまったわい)と喜びて、細殿の障子をほと/\と打ち給ふに、答(いら)へこそせねど、物音の聞えずなりにければ、いと小声にて、
軒端もる月にや喘ぐ呉(くれ)の牛の
角(つぬ)のふくれに忍び逢ふ夜は
とぞまづ驚かし給ひにける。その後のことはいかにかありけむ。今の世の宮仕人もかゝるわざせぬはあらざめれど、いと恥づかしきものに思ひて、まめなる所には、花薄(はなすゝき)穂にも出ださず(ちっとも見えない)、密男(みそかを)など持たらむは、水鳥の浮きたる名をしも厭はぬさまなるこそ、いとうたてのわざなれや(嫌なことだ)。
〔28〕
前の阿波の佐官(さうかん)、坂上のつねとしといひしは、いと実用(じちよう=実直)なる人なりけれど、たゞひとつ、若人(わかうど)の得堪へぬ病なんありける。
家は五条わたりの所狭き(ところせき)住まひなりけるが、垣、一重(ひとへ)ばかりを隔てゝ、しめやかに行ひ済ましたる(仏行にいそしむ)孀婦(やむめ)ありけり。まだ、いと若うして艶(なまめ)くを、よそにのみやは(ほったらかしにするのもなあ)と思ひて、折りに触れつゝ、言通はしたれども(ことかよはしたれども=手紙を送ったけど)、気清う(けぎよう=さっぱりと)もて離れて、つれなくのみ振る舞ひければ、妬うも口惜(くちを)しうも思ひなりて、今は人伝(ひとづて)を待たず、うちつけに(だしぬけに)こそはと思ひて、夜深う忍び入りぬ。
いたう傾(かたぶ)きたる藁屋の壁さへ落ち散りぼひて、ともし火のみひとりきら/\しう光りいでたる気配、こよなうあはれなる心地するに、
「いざ、とく寝給へ。昨夜(よべ)もいみじう更け侍りつるものを」
といふ声。まがふべくもあらず。
さてこそ、日頃、つれなかりしも理(ことわり)なれと、息巻き、腹立ちて、そと(そっと)差し覗きけるに、男(をのこ)めくものは、をさ/\見えず、只今、引き抜きつらんやうなる大根を湯して温めて、頭の方(かしらのかた)四、五寸ばかりのほどに、手拭やうのもの引き結ひて、鍔(つば)のやうに覆はせ、さて、いたう萎へ、垢づきたる衾のうちに、する/\と引き入れたり。
何ごとをかすらんと目も離たずに守り居るに、足を空ざまになして、ひた/\と物音さするほどこそあれ、
「あな、心地よや、耐へ難や。こは死にもやすらむ。今少し、奥の方を」
とは、忍ぶに堪へぬ常言になんいふ習ひなれど、蝦夷(えみし)、粛慎(みしばせ=中国の夷狄)、禍つ国(まがつくに=忌まわしい国〜冥土)にまでも心行くやうに覚え侍るなど、いと耐え難げに泣くを、男、あはれのことやと身にしめて(しみて)聞くほどに、こなたのも(イチモツも)今や折るゝかとばかり誇え切りて、足をだに得運ばず(歩けない)。まづこゝにて皮つるみをと思ふに、皮さへ張り詰めて、よくも働かず。唾(つば)吐きかけ、手づるみにやせましと思へば、咽喉(のんど)枯れて、露ばかりの潤ひもなし。あな妬やと悶え狂ひて、曹操が青梅の古事(ふるごと)など、かくあわつけき(うわの空の)中にも思ひ続けつゝ、からうじて頭(かしら)少しばかり潤(うるほ)したるに、壁も揺するゝばかり白きものしたゝかに弾(はじ)け出でゝ、はし鷹(鷂〜はいたか)のねぐら見たらんやうに、雪の柳めく綾(あや=模様)をさへなしぬ。
内にもいかゞしつるにかあらん、音もせずなりて、大息のつかるゝほど野分だつ風の夜ぶかう吹き出でゝ、門守(かども)る犬の気疎げ(けうとげ=恐ろしい)に友、呼び集むるさへ、おのれを咎めんとにやなど、何がしの物語めきて、心、おどろ/\しう、やう/\に夢の醒めたらんやうに覚えければ、
大根(おほね)のみ入るゝ孀婦(やむめ)の穴あはれ
かくても人につらき操は
とて、日頃、つれなかりしをも、かへりてはあはれと思ふ心なん出で来にける。
〔29〕
ある博士の言ひしは、
「大要(たいやう=およそ)男女、相逢(あひあ)はん時、あまりに早(と)く思ひを果たさむは、甘葛(あまづら)を食らふ人の、糸根ばかりをねぶりたる心地ぞすべき。さりとも男は恨みなかりなかるべきを、女に取りて情けなく寂々(さう%\)しと思はぬことやはある。さるはこのわざの手だれと思ふ男は、心を無何有の郷(むかうのさと=無為自然の境地)におき、身を速吸名門(はやすうなと=渦潮)に砕かんと、勤(いそ)しみつとむる心おきてこそあらまほしけれ。さてこそ、おのれをおして人にあてがふ教へにも叶ひぬべきわざなれ」
とぞいひける。さるは川竹の節(よ)慣れぬ肘枕(=新手枕)、あるは白浪(盗賊)の名を厭ふ床の浦(=夜這い)ならばこそ、嫁教鳥(とつぎをしへどり=鶺鴒〜交合を教える鳥)の真似びをだにようせぬほどのこともあるらめ。大人同士(おとなどち)のまぐはへ(まぐわい)ならんには、妹背の仲といふとも、この用意なからん男は浅ましと心劣りせられぬ人やはあるべき。
昔、鄙の片山里に賤の夫婦(めをと)ありけり。その妻、男のさる用意なきことを恨み思ひけるが、あるとき、
ならい添ふ契りも牛の一突きや(=早漏)
誰を妬みの角ならなくに
と詠みて、やがて暇(いとま)をなん乞ひける。男、いたうつらしと思ひて言ふやう、
「おのれ(おいら)、わごぜ(お前さん)をおろそかにせずといへども、一度(ひとたび)心、きざしぬれば、みてるを保ち、長きに堪へむことを得せぬ本性(ほんじやう)にて、今さらすべきやうも侍らず。さはいへ、世にはおのれらがごとき男もあまた侍るにこそ、都の市には、老いず死なずの薬とて、みてるを保ち、長きに堪ふるいみじき薬の侍るよし、伝へ聞きつれば、おのれ、自ら求め、帰りて日頃の御情に報い、おのが心のあくよなき限りをも知らせ参らせてむ、只、まづしばしのほど待ちおはせかし」
とて、やがて旅装(よそ)ひをして家をいでぬ。
都といふ所は音にこそ聞きつれど、何れの国とだに知られねば、山深き所を分けつゝ、いと心細うてたどり行くに、一人の修行者、会ひたり。もし都の人ならんには、道のほどを求はゞやと思ひて、近々(ちか%\)と立ち寄りたりけるに、(修行者は)あれよりとくに見知りて、
「汝(いまし)は薬、求めにて、都に上る人ならずや」
といふ。男、あまりに思ひかけず、こは神か仏かと打ち驚き、「ただ、さなり/\」とてひざまづきぬ。彼の人、笑ひて、
「そはたとひ都まで尋ねゆくとも、いましらがごとき田舎人(ゐなかうど)のとみに求めうべき薬にあらず。今、幸いにおのれが持たるを分かち与ふべし」
とて、ひとつの紙包みをえさせたりしかば、「あなうれし」と押し頂き、それが名を尋ぬるに、
「おのれは久米の仙人とて、世にも知られたる尊(たふと)き聖(ひじり)なり。いましがその妻をいたはることの切(せち)なるに愛でゝ(=感心して)、かくはするぞ」
とて、やがて雲に乗りてうせぬ。男、たゞ、夢の心地のみせられて、涙にさへくれつゝ、風の行方を臥し拝みぬ。
かくて二、三日を経て、夜中ばかりに家に帰りつき、教へのごとく試むるに、はたしていみじきしるしあり。互(かたみ)に喜ぶこといふばかりなし。男、興がるあまりに、
「こはおのがものゝ不死はさらなり、わごぜの玉の門も不老門にやなり侍らん」
など、おとがひ(あご)ゆる/\笑みさかやく。妻なん都人の子なりければ、歌詠むわざなどもほと/\習ひてやありけん、嬉しさのあまりに、
思ひきや儚(はかな)き露の玉の門(かど)
老いをよそなる名に負はむとは
といふに、男、聞きて、今、この返歌とやらんをせずば、なほ侮(あなづ)られもやせんと思ひて、
「よくこそ詠みなされつれ。おのれも一首、詠じ侍らん。時にまづ聞えおくべきことは、不老門前日月遅といふ古詩の侍るが、おのれはそれに基づきてつかうまつらんと覚悟し侍り。たゞし、歌は訴ふるの義とか、心の誠を述ぶるのみにて、相伝口授などいふかたくなしきことにはかゝづらひ侍らず、たとひ歌道の掟に違ふことありとも、な笑ひ給ふそ」
とて詠む。
日や月やとく入り遅く出でゝなむ
こゝは老いせぬ門の前ぞや
といふ。
天地(あめつち)を動かすまでにはあらざりけるにや、やう/\隙白う明けわたりて、こゝかしこ人声など聞ゆるに、まづ早(と)くこの一番(つが)ひを終へて、明日の夜こそはといふほどに、やがてまた引き組みて、例の早業をと思へば、薬の気、ます/\しみとほりて、火照り痛むこと例へんものなし。互(かたみ)に腰たゆく、汗のみ流れて、心行く気配もせず。やう/\真心になりて、妻とゝもに起きかへりつゝ、
「仙薬ばかり人に役なき物はあらじ。浦島が子の常世の国に住みはてざりしを、遅や(おそや=愚鈍だ)とばかり、もどき(=咎め)、思ひしかど、そもまたかゝる苦しみやありけん」
など、(男は)打ちつぶやきて、たゞ呆れに呆れ居たりけるが、
「きと思ひ出せることにこそ侍れ。彼の仙人が教へ侍りし詞のうちに、『いまし、もし不老不死を厭ひて成仏得脱を願はん時は秘密の呪文あり。これを唱へて御仏のあか(閼伽=水)を飲むべし』と言ひ侍りき。今、その呪文は忘れずといへども、御仏の垢をばいかにしてとみに求め侍らむ」
といふ。妻、しばし考へて、
「そは御仏に奉りし水のことには侍らずや」
といふ。男、あざ笑ひて、
「たとへ仙人の住む国なりとも、水を垢とはいかでか言ひ侍らん」
とて、さらにうけひかず。ほと/\言ひ抗(あらが)ひけるが、
「よし/\、また思ひ出せることあり。上の山寺にまします賓頭盧(びんづる)尊者こそ、御腰のあたりより御足かけて、いたう垢づき給へれ。いで、さらばこの御垢を削りてのみ侍らん」
といふまゝに、かの鉄槌のごとく誇え切りたるものをあながちに叱り戒めて、足を空に惑ひ、出でにけるとぞ。
なべて思ひの切(せち)なるにあたりて、神仏の助けをかうぶりたらん人、いつも/\かくあるものとのみ心得て、おのれが勤むべき道に怠らん人は、誰(たれ)とても賓頭盧の垢を飲むにいたりなんかし、と智識だつ人(高僧)は言ひけり。
上巻 畢
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