逸著聞集 巻之下

逸著聞集 巻之下
 
 
〔1〕
 
 白拍子太玉王(ふとだまわう)が家なる女にある法師通ひけるを、本妻(むかひめ)浅ましく物妬みの者にて、いかにせんと妬みけれども、なほもちひず(=取り上げず)通ひける程に、建長六年(1255)二月二日の夜、またこの僧、かの女に相宿りして、事ども企てけるが、かの女をこそするに、本妻をする心地に覚えければ、怪しう恐ろしく覚えて、引き離れて見れば、この愛持ち(あいもち)の女なり。またすれば本妻をする心地なり。なほ恐ろしく覚えければ、這ひ下(お)りたりけるに、五、六尺ばかりなる蛇(くちなは)、いづくよりか来つらん、件の頭(かしら)にあやまたず喰ひつきにけり。振り放たんとすれども、いよ/\喰ひつきて、口は裂けけれども離れざるときに、しかねて、刀を抜きて蛇の口を裂きてけり。裂かれてやがて蛇は死しぬ。その後、この僧、件の物腫れて、身心もなやみて(=病んで)生ける正体もなかりけり。件の蛇をば堀川に流したりければ、京童(わらは)べ集まり見ける。まことにや、この本妻もその夜よりなやみて、やがて失せにける(=死んだ)と申し侍り。恐ろしきことなり。
 
 
〔2〕
 
 坊門院(=高倉天皇娘)に年ごろ召し使ふ蒔絵師ありけり。仰せられるべきことありて、急度(きと)参れと仰せられたりければ、浅ましき大仮名にて御返事を申しける。「たゞいまこもちをまきかけてさぶらへばまきはてさぶらひてまゐりさぶらふべし(只今、子持ちを婚(ま)きかけて候へば、婚き果て候ひて参り候ふべし)」と書きたりけり。この文の言葉、悪し様(あしざま)に読まれたり。こは何ごとの申しやうぞとて台所の沙汰(=処置)しける女房、その文見さして投げたりける。これによりて蒔絵師がもとへ重ねて、「いかにかやうなる狼藉の言葉を申すぞ。只今のほどに確かに参れ(=すぐに参れ)」と仰せられければ、蒔絵師、慌てふためき参りたりけるに、「この返事のやういかなることなるぞ」とて見せられければ、「すべて申しすぐしたこと候はず(=申し誤りはございません)。『只今、御物(ごもち=宮廷品)を蒔かけて候へば、蒔はて候ひて参り候ふべし』と書きて候へ」と申しければ、実(げ)にもさにてありけり。「仮名は読みなし(=仮名は読みよう)」といふこと、まことにをかしきことなり。
 
 
〔3〕
 
 同院の侍長に兵庫助則定といふ者ありけり。むげに(=ひどく)年若き者にて侍りけるが、侍の雑仕(=侍所の使いっぱ)に小松とて、六十ばかりなる老女(おうな)を最愛しけり。傍輩ども笑ひて「小松婚(ま)ぎ/\」と言ひけるほどに、ある日、台盤所にて女房、侍を召して「小松薪(こまつなぎ)を急度/\参らせよ」と仰せられけるを、この小侍、小松まぎ急度参れと仰せられるぞと心得て、思ひもかけぬ兵庫助を召して参れば、「こは何ごとぞ」と仰せければ、「さも候はず。『小松まぎ、急度参らせよ』と仰せに候へば、召し参りて候ぞかしと申しける。をかしかりけることかな。
 
 
〔4〕
 
 持明院になつめ堂といふ堂あり。淡路の入道長蓮(ちやうれん)が堂なり。築地(ついぢ)の崩れたりけるを築かせたりけるに、築く者ども、おのがどち(=お互いに)物語するとて、聖覚(せうがく)法師の説経のことなど語りけり。その折しも聖覚法師、興にかかれてその前を通りけりに、これらの物語に「聖覚の」と言ふを、供なる力者法師聞きとがめて、「親婚(ま)きの聖覚や、母婚きの聖覚や」など、睨(ね)めつゝ見返り/\にらみけり。築地つく男(をのこ)にてはあれど(=人夫を蔑しているのだが)、当座には主を罵(の)るとぞ聞えける。かゝる不祥ことありしかと、かの法印人に語りて笑ひけり。
 
 
〔5〕
 
 近きころ、近江の国海津にかねといふ遊女ありけり。そのところの沙汰(=評判)の者なりける。法師の妻にて年ごろ住みけるに、件の法師、またあらぬ君に心を移して通ひけるを、かね、漏り聞きて安からず思ひけり。ある夜、(かねに)合宿(あひやどり)したりけるに、法師、何心なく、例のやうにかのこと企てんとて、股に挟まりたりけるを、その夜は強く挟みてけり。しばしは戯(たはぶ)れかと思ひて、「外せ/\」と言ひけれど、なほ挟みつめて、「わ坊主めが人侮(あなづ)りして、人こそあらめ、おもてを並べたる者(=他の遊女)に心移して、妬き目見するに物習はかさん(=思い知らせてやる)」と言ひて、たゞ締めに締めまさりければ、(坊主は)すでに泡を吹きて死なんとしけり。そのとき外しぬ。法師はくた/\と絶へ入りて、わづかに息ばかりかよひけるが、水吹きなどして、一時ばかりありて息あがりにけり。かゝりけるほどに、このかねは大力のきこえありて、人、怖(お)じあへりとなん。
 
 
〔6〕
 
 昔、陽成院、位におはしましけるとき、滝口(=警護兵の)道則、宣旨を受け給はりて、陸奥へ下る間、信濃国「ひくう」といふところに宿りぬ。郡司に宿をとりぬ。設け(まうけ=ご馳走)して持てなして後、あるじの郡司は郎等引き具して出ぬ。いも寝られざりければ、やはら起きて佇み歩(あり)くに、見れば屏風を立て廻して畳など清げに敷き、火、ともしてよろづ目やすきやうに設(しつら)へたり。空薫物(そらだきもの)するやらんと香ばしき香しけり。いよ/\心覚えて、よく覗きて見れば、年廿七八ばかりなる女一人あり。見目、事柄、姿、有り様、ことにいみじかりけるが、たゞ一人臥したり。見るまゝにたゞあるべき心地せず、あたりに人もなし、燈は記帳の外にともしてあれば赤くあり。
 さて、この道則思ふやう、よに/\懇ろにもてなして心ざしありつる郡司の妻(め)を、うしろめたき心遣はんこと、いとほしけれど、この人の有り様を見るに、たゞあらんことは適(かな)はじと思ひて傍らに臥すに、気憎(けにく)くも驚かず、口覆ひをして笑ひ臥したり。言はん方もなく嬉しく覚えければ、長月十日ごろなれば衣(きぬ)もあまた着ず、ひと重ねばかり男も女も着たり。我が衣をば脱ぎて女の懐へ入るに、しばしは引き塞(ふた)ぐやうにしけれども、あながちに気憎からず懐へ入れぬ。男、前のかゆきやうなりければ探りて見るに物なし。驚き怪しみてよく/\探れども、頤(おとがひ)の髭を探るやうにて、すべて跡形なし。大きに驚きてこの女のめでたげなるも忘られぬ。この男、探りて怪しみくるめくに(=慌てるに)、女、少し微笑みてありければ、いよゝ心得ず覚えて、やをら起きて、我が寝床へ帰りて探るにさらになし。
 浅ましくなりて、近く使う郎等を呼びて、かゝるとは言はで、「ここにめでたき女あり。我も行きたりつる」と言へば、喜びてこの男去(い)ぬれば、しばしありてよに/\浅ましげにてこの男いできたれば、これも探るなめりと思ひて、また異男(ことをとこ)勧めてやりつ。これもまたしばしありて出きぬ。空を仰(あふ)ぎてよに心得ぬ気色にて帰りてけり。かくのごとく七八人まで郎等をやるに、同じ気色に見ゆ。
 かくするほどに夜も更けぬれば、道則思うやう、宵にあるじのいみじう持てなしつるを嬉しと思ひつれども、かく心得ず浅ましきことのあれば、とかく出んと思ひて、いまだ明け果てざるに急ぎて出れば、七八町行くほどに、後ろより呼ばひて馬を馳せて来る者あり。走りつきて白き紙に包みたる物を差し上げて持てく。馬を控えて待てば、ありつる宿に通ひしつる(=給仕していた)郎等なり。
「これは何ぞ」と言へば、
「これ、郡司の参らせよ(=差し上げよ)とさぶらふ物にて候。かゝる物をばいかで捨てゝはおましさぶらふぞ。かたのごとく御設けして(=形ばかり朝食の用意をして)候へども、御急ぎにこれをさへ落とさせ給ひてけり。されば拾ひ集めて参らせ候」と言へば、
「いで、何ぞ」とて取りて見れば、松茸を包み集めたるやうにて物九つあり。浅ましく覚えて、八人の郎等どもゝ怪しみをなして見るに、まことに九つの物あり。一度にさつと失せぬ。さて、使ひはやがて馬を馳せて帰りぬ。その折、我が身より始めて、郎等ども皆「あり/\」と言へり。
 さて、奥州にて金受け取りて帰るとき、また信濃のありし郡司のがり(=もとへ)行きて宿りぬ。さて郡司に、金、馬、鷲羽なんど多く取らす。郡司、よに/\悦びて、
「これはいかに思(おぼ)してかくはし給ふぞ」
 と言ひければ、近く寄りて言ふやう、
「片腹痛き(=笑止千万な)申しごとなれど、初め、これへ参りてさぶらひしとき、怪しきことの候ひしはいかなることにか」
 と言ふに、郡司、物を多く得てありければ、さりがたく(=断れないと)思ひてありのまゝに言ふ。
「それがし、若く候ひしとき、この国の奥の郡にさぶらひし郡司の年寄りてさぶらひしが、妻の若くさぶらひしに忍びてまかりよりて候ひしかば(=忍んで参りましたところ)、かくのごとく失ひてありしに怪しく思ひて、その郡司に懇ろに心ざしを尽して習ひてさぶらふなり。もし習はんと思しめさば、このたびは公(おほやけ)の御使ひなり。すみやかに上り給ひて、またわざと下り給ひて習ひ給へ」
 と言ひければ、その契りをなして上りて、金など参らせてまた暇(いとま)を申して下りぬ。
 郡司にさるべき物など持て下りて取らすれば、郡司、大きに喜びて、心の及ばん限りは教へんと思ひて、
「これはおぼろげの心にて習ふことにはさぶらはず。七日水を浴み、精進(さうじ)して習ふことなり」と言ふ。
 そのまゝに清まはり(=身を清め)して、その日になりてたゞ二人連れて(=二人きりで)深き山に入りぬ。大きなる河の流るゝほとりに行きて、さま%\のことゞもを得も言はず罪深き誓言ども立てさせけり(=さまざまなことについて、口にもできない罪深い誓いを立てさせた)。その郡司は水上へ入りぬ。
「その川上より流れん物を、いかにも/\鬼にてもあれ、何にてもあれ、抱(いだ)け」と言ひて行きぬ。
 しばしばかりあるに、源(みなかみ)の方より雨降り、風吹きて暗くなり、水増さる。しばしありて川上より首(かしら)一いだきばかりなる大蛇(おろち)の、目は金椀(かなまり)を入れたるやうにて、背中は青く紺青(こんじやう)を塗りたるやうに、首の下は紅のやいにぞ見ゆるに、『先づ来(こ)ん物を抱け』と言ひけれども、せん方なく、恐ろしくて草の中に臥しぬ。
 しばしありて郡司来たりて、「いかに取り給ひつるや」と言ひければ、「かう/\覚えつれば取らぬなり」と言ひければ、「かく口惜(くちお)しきことかな。さてはこのことは得習ひ給はじ」と言ひて「今一度試みん」と言ひてまた入りぬ。
 しばしばかりありて、やまばかりなる猪の出で来て、石をはら/\と砕けば、火きら/\と出づ。毛をいらゝかして走りてかゝる。せん方なく恐ろしけれども、これをさへと思ひきりて、走り寄りて抱きて見れば、朽ち木の三尺ばかりあるを抱きたり。妬く、口惜(くや)しきこと限りなし。初めの物もかゝる物にてこそありけれ、などか抱かざりけんと思ふほどに郡司来たりぬ。「いかに」と問へば、「かう/\」と言ひければ、
「前の物を失ひ給ふことは得習ひ給はずなりぬ。さて異事(ことごと)のはかなき物をものになすことは習ひぬめり(=些細な物を思い通りにすることは習えるだろう)。さればそれを教へん」
 とて、教へられて帰り上りぬ。口惜しきこと限りなし。
 大内(=大内裏)に参りて滝口どもの履きたる沓(くつ)どもを争(あらが)ひをして、皆、犬子になして走らせ、古き藁ぐつを三尺ばかりなる鯉になして、台盤の上を躍らすることなどをしけり。御門(=帝)、この由を聞こしめし、黒戸(=黒戸の御所)の方に召して習はせ給ひけり。御几帳の上より賀茂祭など渡し給ひけり。
 
 
〔7〕
 
 今は昔、陪従(=地下の楽人)はさもこそはといひながら、これは世になきほどの猿楽(=滑稽なこと)なりけり。
 堀川院の御時、内侍所の御神楽の夜、仰せにて「今宵、珍しからんこと仕れ」と仰せありければ、職事家綱を召して、この由仰せけり。承りて何ごとをかせましと案じ、弟(おとゝ)行綱を片隅へ招き寄せて、「かゝること仰せ下されたれば、我が案じたることのあるはいかゞあるべき」と言ひければ、「いかやうなることをせさせ給はんずるぞ」と言ふに、家綱が言ふやう、「庭火白く焚きたるに、袴を高く引き上げて細はぎを出して、『よりに/\夜の更けて、さりに/\寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん』と言ひて庭火を三巡りばかり走り巡らんと思ふ。いかゞあるべき」と言ふに、行綱が曰く、「さも侍りなん、たゞし公(おほやけ)の御前にて、細はぎ掻き出して、陰嚢(ふぐり)あぶらんなどさぶらはんは、便なくや(=不都合)候べからん」と言ひければ、家綱、「まことに、さ言はれたり(=それは言うとおり)。さらば異事(ことごと)をこそせめ。かしこう申し合はせてけり(=相談してよかった)」と言ひける。
 殿上人など仰せを承りたれば、今宵、いかなることをせんずらんとて、目をすまして待つに、人長(にんじやう=神楽の舞人の長)、「家綱、召す」と召せば、家綱出て、させることなきやうにて入りぬれば(=大したこともせずに入ってしまったので)、上(=帝)よりもその事となきやうに思しめすほどに(=面白くなく思っているに)、人長、また進みて、「行綱、召す」と召すとき、行綱、まことに寒気なる気色をして、袴を股(もゝ)まで掻き上げて、細はぎを出だして、わなゝき寒げなる声にて、「よりに/\夜の更けて、さりに/\寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん」と言ひて、庭火を十廻りばかり走り回りたるに、上より下ざまに至るまで、大方、どよみたりけり。
 家綱、片隅に隠れ、きやつに悲しう謀られぬるこそとて、仲たがひて目も見合はせずして過ぐるほどに、家綱思ひけるは、謀られたるは憎けれど、さてのみやむべきにあらずと思ひて、行綱に言ふやう、「このこと、さのみぞある。さりとて兄弟の仲たがひはつべきにあらず(=仲たがいを続けるわけにはいかない)」と言ひければ、行綱喜び、行きて睦びにけり(=仲直りした)。
 賀茂の臨時の祭りの帰り立ちの御神楽のあるに、行綱、家綱に言ふやう、「人長、召したらんとき、竹台のもとに寄りてそゝめかんずるに(=騒ぎ立てたとき)、『あれは何するものぞや』と囃(はや)い給へ。そのとき、『竹豹(ちくへう=豹皮)/\ぞ』と言ひて、豹の真似をつくさん」と言ひければ、家綱、ことにもあらずて(=容易なことと合点し)、のきゐて囃さんと言ふとき、行綱、やをら立ちて、竹の台のもとに這ひ寄りて這ひ歩(あり)きて、「あれは何するぞや」と言はゞ、それに次て、竹豹と言はんと待つほどに、家綱、「かれは何ぞの竹豹ぞ」と問ひければ、ただ今言はんと思ふ竹豹を先に言はれにければ、言ふべきことなくて、ふと逃げて走り入りにけり。
 このこと、上までも聞こし召して、中々由々しき(=かえって面白い)興にてぞありけるとかや。先に行綱に謀られたる当たり(=仕返し)とぞ言ひける(=人々は噂しあった)。
 
 
〔8〕
 
 順徳院の御位のとき、女院の御方に屁ひりの判官代といふ者ありけり。後には宮内大輔になりて侍りにしや。幼きより不便の者に(=可愛がって)思しめして、近く召し使ひけるが、屁をひるよりほかのことなかりけり。立つにもひり、居る(=坐る)にもひり、働く(=動く)拍子ごとにひりけり。わざとせんとしもなかりけれど、病にてかく侍りけるとかや。上をはじめて皆、ならひにければ(=馴れてしまったので)、をかしみ笑ふこともなかりけり。
 ある日、孝道朝臣参りたりけるに、女院、御興がい(=座興)に判官代を召して仰せられけるは、「あれに参りたる者こそ、おのれが病をばよく療治する者にて侍べけれ。会ひて問へかし」と仰せられければ、「いまだ馴れぬものにてさぶらふ(=人に尋ねるのは馴れていません)。いかゞ候べからん」と申しけり。「何かは苦しからん(=遠慮があろうか)」と仰せられければ、走り向かひ、進み出て言ふやう、「返す%\思ひがけぬ申し事にてはさぶらへども、世に浅ましき病を持ちてさぶらふを、それによく療治のやうを知らせ給ひたるよし受け給はりさぶらう間(=聞きましたので)、無礼を忘れて参りてさぶらふ」と言ひければ、孝道朝臣、「何ごとにて候」と言へば、いとすゞろぎて(=そわそわして)とみにも言ひ出さず。
 とばかり(=しばらく)ありて、「別(べち)のことにはさぶらはず。屁のいたくひられさぶらへば、晴れにても(=晴れの場所でも)得控へさぶらはず(=出られません)。御所にても仕(つかうまつ)られさぶらへば、かつは便なき方もさぶらふ。いかゞ仕るべき」と言ひければ、孝道、心早き(=機転のきく)者にて、はやく人に化(け)そうせられにけり(=騙されたんだな)と心得て、「世にやすき。療治には御宿所に出て、しばしこれを大事と思ふさま息づみて、ひられんを期(ご)にひらせ給へ(=自分の部屋にいて、ここが大事な場所と思って辛抱し、辛抱できなくなったらひりなさい)。いつも/\かくのみ息づみならひさぶらひぬれば、おのづから晴れにては『これは人前ぞかし』と思ふ心にて息づみ候はましければ、ひられさぶらはぬぞ。内々にてよく/\息づまれ候ひて、ひりつくされさぶらふべし」と言ひければ、「まことにやすき療治にて候。すみやかにさして試み候ふべし」とて、やがて罷り出て、教えるごとくにするに、いよ/\習ひになりて、ひりまさりければ(習慣になって一度にたくさんひるようになったので)、せん方なくぞ侍りける。比興(ひきよう=おかしい)の療治のしやうなりしか。
 
 
〔9〕
 
 藤大納言忠家といひける人、いまだ殿上人におはしけるとき、美美しき色好みなりける女房と物言ひて、夜更くるほどに、月は昼より明(あか)かりけるに、堪へかねて御簾をうち被(かづ)きて長押(なげし)の上にのぼりて、扇をかきて引き寄せられけるほどに、(女房は忠家に)髪を振りかけて「あな浅まし」と言ひてくるめきける(=身をひるがえす)ほどに、(屁を)いと高く鳴らしてけり。女房は言ふにも耐へず、くた/\として寄り臥しにけり。
 この大納言、「心憂きことにも遭ひぬるものかな。世にありても何にかはせん。出家せん」とて、御簾の裾を少し掻き上げて、抜き足をして、疑ひなく出家せんと思ひて、二間ばかりは行くほどに、そも/\その女房過ちせんからに、(自分が)出家すべきやはあると思ふ心、またつきて、ただ/\と(=ひたすらに)走り出られにけり。女房はいかゞなりけん、知らずとか。
 
 
〔10〕
 
 昔、久しく(=長く修行を)行ふ上人あり。五穀を断ちて年ごろ(=永年)になりぬ。御門聞こし召して、神泉苑にあがめ据ゑて、ことに尊み給ふ。木の葉をのみ喰ひける。物笑ひするする若公達集まりて、この聖の心見んとて行き向かひて見るに、いと尊げに見ゆれば、「穀断ち、いく年ばかりになり給ふ」と問ひければ、「若きより断ち侍れば五十余年にまかりなりぬ」と言ふを聞きて、一人の殿上人の曰く、「断穀(だんこく)の屎はいかやうにかあるらん。例の人(=普通の人)とは変はりたるらん、行きて見ん」と言へば、二、三人連れて行きて見れば、穀屎(こくのくそ)を多くひりおきたりし。怪しと思ひて、上人の出たる隙(ひま)に「居たる下を見ん」と言ひて、畳の下を引き開けて見れば、土を少し掘りて布袋(ぬのぶくろ)に米を入れておきたり。公達見て手をたたきて、「穀屎聖(こくくそひじり)/\」と呼ばはりて罵り笑ひければ逃げ去りにけり。その後は行き方も知らず、永く失せにけりとなん。
 
 
〔11〕
 
 このごろ、無沙汰の知了房(ちれうばう)といふ者ありけり。能書にてなん侍りける。ある人、「古今(=古今集)を書き写してたべ」とてあつらへたりけるを、受け取りながら大方書かざりければ、主(ぬし)、しかねて、「今はただ書かずとも返し給ふべし」と言ひければ、知了房、答へけるは、「過ぎにしころ、痢病(=ひどい下痢)をつかふまつりしに、紙多く入り候にしを術つきて、さりとてはとて、その古今の料紙をみな用ひて候なり」と言ひければ、主、言ふばかりなく覚えて、「料紙こそさやうにもし給ひたらめ、本はさぶらはん。それを返し給はつらん」と言へば、知了房、「このことにさぶらふ。その本をも紙、味噌水(みさうづ=味噌汁雑炊)にみな使ふまつりて候をばいかゞ候べき」と言へけり。ともかくもいふばかりなくてやみにけり。無沙汰の名をつけれども、以てのほかに沙汰きゝてぞ振る舞ひたりける。
 
 
〔12〕
 
 橘の百樹(ももき)といへる蔵人ありけり。とみのことありて伏見へまかりけるが、神無月のは〔下虫食文字明らかならず〕夜もやう/\更けゆくほどに、みな打ち伏しぬ。この女房は不寝(ふみ)の病ありて、つねにいとやすく寝られざりけるが、ねら〔此下闕文〕逆息(さかいき)になりてぞ駆けきたりけるが〔以下闕文〕。
 
 
〔13〕
 
 班田使(あづちだのつかひ)の国巡るにつきて下りける青侍ありけり。虎の威を借る狐(くつね)とやらんにて、この主(しう)の勢ひを笠に被(かうぶ)りて、つねに傍若無人の振る舞ひをしたりける。一日(ひとひ=ある日)、道のほとりに見目よき女の桑取るありけるを、やにはに抱き伏せて押してまくばひ(=まぐわい)せんとしけるを、とかく否み抗ひけれども、つひに突き入れられにけり。
 さる間に、その夫(つま)の男出で来て、「こは無礼(むらい)の者かな。のどかにやはおくべき(=ただじゃすまさん)」としがみかゝりけるを、(青侍は)したゝかなる男なりければ、さながらはたと睨まへて、「こやつ、おのれをばそも何の者とかは思ふ。班田使の大勅(おほみことのり)承りて、違へる(=違法)を改め正す職なり。されば何にても(俺が)いふべきことをば、手を束(つか)ねいたゞきに捧げてこそ(=頓首して拝み)承るべけれ。もし違犯(いぼん)におきては、斬頸(=斬首)の定めたるべし」と言ひければ、田舎人(いなかうど)の実法(じほう=ばか正直)なる心に怖ぢ畏まりて、つい居て土にぬかづきて(=土下座して額を土にすりつけ)、妻に向かひて言ひけるは、「かりそめながら大まつりごとなるぞかし。あなかしこ(ああ、勿体なや)、なほざりには思ひ給ひそ。恐れながらよくこそ持て上げ(=もてなし)給へかし」とぞ言ひける。痴(をこ=たわけ)の礼法(らいほう)かな。
 
 
〔14〕
 
 若殿上人、打ち群れて茸狩(たけが)りせんとて、そこら道の行く手の紅葉狩り暮らし(=紅葉狩りをしながら)、嵯峨の大井川(=大堰川)打ち渡り、嵐山に至りて、こゝに平張(=天幕)打ち、筵敷かせ、破籠(わりご=弁当)取り出し、酒酌み交はして遊びけり。そこら山の果物、草片(くさびら=野菜や茸)なんど取り拾(ひら)ふほどに、とある木の枝に塩茄子の一つかゝりてありけるを、一人が見つけて取り下ろし言ふやう、「こゝにいと珍しきもの、あさり得たり。山につきて、いかでかゝるものあるべきやは。これ、天の賜(たまもの)なり」とて、人も我も悦びて、つゞしり(=一口ずつ)喰ひ、また盃を巡らしけり。
 さる間にいづこよりか、かたゐ(=乞食)の翁、出で来たり、そこらの木の下立ち巡り、草掻き分けよろぼひ歩(あり)けば、そこなる小舎人童の言ひけるは、「おのれ翁、物尋ぬるさまなるは何にかある。いかなる宝失ひてはあるらん」と笑へば、「さんさぶらふ(=そのとおりです)。物失ひて侍る。おのれは脱肛(だこう)といへる悪(わろ)き病の侍るが、それが差し出るほどなれば、起居も心のまゝならで悩み臥し侍るに、さる病には塩茄子差し当てぬればよきと人の教へしほどに、しか仕候へば、その間はしばらくおこたり(=病が癒え)侍れば、よき事として常にしかふまつり侍るが、今日なん里へ物乞ひにまかるとて、こゝの木の枝にかけて干しおきてさぶらひしが、鳥獣(けだもの)の食(は)み候しやらん、このもかのも尋ねさぶらへども、ふつにかいくれて見えさぶらはず。もし、さるものや見給ひし」と、さも哀れにしはがれ声して言ふを殿原(とのばら)聞きつけて、こは先に喰らひたりし塩茄子は、このかたゐが脱肛にあてたりし物なりけりと思ひなすに、さまでうまかりし酒も肴も胸元(むねもと)へ突き返す心地して、あきれふためきて、取るものとりあへず逃げ帰りけり。得ものに堪へぬ人/\は、道のほどにもえも言はれぬことなどし散らしけるとなん。
 
 
〔15〕
 
 昔、多武の峯に増賀上人とて貴き聖おはしける。きはめて心猛く厳しくおはしけり。ひとへに名利を厭ひて、すこぶる物狂はしく(=異常に)なんわざと振る舞ひ給ひけり。三条大后宮(おほきさいのみや=皇太后)、尼にならせ給はんとて、戒師(=戒を授ける師僧)のために(使いの者を)召しにつかはされければ、(使いの者は)「最も貴きことなり。増賀こそはまことになし奉らめ」とて参りけり。弟子ども、この御使ひを(上人が)怒りて、打ち給ひなんどやせんずらん(=打擲などしないだろうか)と思ふに、思ひの外に心安く参り給へば、ありがたきことに(=珍しいことだと)思ひ合へり。
 かくて宮に参りたる由申しければ、喜びて召し入れ給ひて尼になり給ふに、上達部僧ども多く参り集まり、内裏(うち)より御使ひなど参りたるに、この上人は目は恐ろしげなるが、躰も貴げながら、わづらはしげに(=具合いが悪そうに)なんおはしける。
 さて、御前に召し入れて御几帳のもとに参りて出家の作法して、めでたく長き髪をかきいだして、この上人に鋏ませらる。御簾中に女房たち、見て泣くこと限りなし。鋏み果てゝ出なんとするとき、聖人高声に言ふやう、「増賀をしもあながちに召すは何ごとぞ。心得られさぶらはず。もし(=もしや)汚きものを大きなりと聞こしめしたか。人のよりは大きにさぶらへども、今は練り絹のやうにくた/\となりたるものを」と言ふに、御簾の内近くさぶらふ女房たち、外(ほか)には公卿、殿上人、僧たち、これを聞くに浅ましく目口はだかりて覚ゆ(=目は点、口はあんぐり)。宮の御心地はさらなり。貴さもみな失せて、おの/\身より汗あえて(=冷汗がたら〜り)、我にもあらぬ心地す(=茫然自失)。
 さて、聖人(ひじり)まかり出なんと袖掻き合はせて、「年まかりてより(=年を取って)風邪重くなりて、今はたゞ痢病のみつかまつれば、参るまじくさぶらひつるを、わざと(=わざわざ)召し候ひつれば、相構へてさぶらひつるを(=どうにかこうにか参上したが)、堪へがたくなりてさぶらへば、急ぎまかり出でさぶらふなり」とて、出ざまに西の対のすのこについゐて、尻を掲げて楾(はんざふ)の口より水を出だすやうにひり散らす音高く、くさきこと限りなし。御前まで聞ゆ。
 若き殿上人、笑ひ罵ること夥し。僧だちはかゝる物狂ひを召しける事とぞそしり申しけり。かやうにことにふれて物狂ひにわざと振る舞ひけれど、それにつけても貴き覚えは、いよ/\まさりけりとなん。
 
 
〔16〕
 
 岡の屋殿の御随身(みずゐじん=家来)、卜部の有時は好色の方にとりては、をこのくせもの(=痴れ者)なり。
 ある夜、若殿上人参りあひて、淵酔のあまりにつび(=陰門)のよしあし言ひ抗ふほどに、有時も参りけるに、「いかゞそこには珍しき品やある(=珍品話はあるか)」と問ひければ、したり顔して、「さん候。世にかはらけ(=土器〜パイパン)といへるは最も第一に申(まを)し候。大方、女の見目よきにもよらずさぶらふ。さるものこそ、目の当たりに(=手近に)侍る」と言へば、人ら、ゆかしがりて、「それ、いづくにかある」と言へば、「まことには有時が姉にて候がもとに、近江より参りてさぶらふ端た者の十七八ばかりなるが、顔ふくらかにして(=へちゃむくれ)、肉(しゝ)づきも背高く肥えふくだみ、脛なんどはふた/\として(=大根)、すべて申さんにつけてはとりどころ(=長所)もなく、心とゞむべきものにも侍らず。さるに、ひと日(=ある日)夜更くるまで酒食(たう)べ酔ひあざれて、道のほどもたど/\しくさぶらふまゝ、姉なるが家にまかり候ひしに、人、みな静まりぬれば打ち驚かさんも便なく覚えて、出居(でゐ)の脇よりそと(=そっと)入りて、そこら見巡らし侍りしに、かの端た者の常に寝穢きと承りしが、いかなるゆえにか今宵はたゞ一人起きゐて、ともしび、かすかにかゝげてもの縫ひ物してさぶらひしを、酔ひ心地に口の滑らかに覚えさぶらへば、口そゝがんとて水求め候へば、この女がまかりぬ。仄暗き紛れに何となく捨て難く覚ゆれば、抱き臥せて、まづ陰戸(かくれ)のほどに手を差しやりたれば、すべてなめ/\として、いさゝか毛といふものなければ、こはそれにこそありけれと心の引く方にて、やがて攻め伏せてさぶらひき。その後もこのものゝさすがに捨て難くて、折々は這ひ寄られさぶらふ。もしこのこと浮きたる(=信用できない)ことゝも思さば、さ見せ参らせんはいと易きほどのことなり」 と言へば、みな人、「女は物恥ぢするものにこそはあれ、いかでかさること、人に見するやうやはある」とあざみあらがへば、「そのことにさぶらふ。押し立てゝ所望せんには誰ありてか『を(=はい:返事)』とは申すべきぞや。それはよく/\こそ謀り出してん」とて日を定めぬ。
 さて、その日になりて、姉がもとへはよきに言ひ紛らし言ひやりて、かの端た女召し寄せて、欲しがるもの喰はせ、酒飽くまでに強ひふせぬ。時は三伏の堪へがたきころ(=極暑)なれば、かしこう謀られて、取り乱して臥したり。足を打ち開き、裳裾まくり開けぬれば、いかにもあらはなれど、よく酔ひてつゆ知らず。
 かくて屏風たゝみ寄せたる陰よりかはる%\見するに、毛の薄/\と見ゆるに、みな人腹立ちて、「さらでありけるものを」とて、有時を責め苛みて帰りぬ。有時はさらに心ゆかで、一定かはらけのいかにして左右(さう)なく毛は生ゆべき。いぶかしき事と思ひて、這ひ寄りて見るに、つびのぬれ/\に潤ひたるに五月蠅(さばへ)といふものゝひまなくゐまりたるが、つと立ち寄りたるに驚きて、さと(=さっと)飛びさりければ、もとの化はらけにぞなりたりける。みな人帰りにければ、せん方なくてぞやみにける。あまりにみだりがましき抗ひなりける。
 
 
〔17〕
 
 五月雨晴れ間なく、つれ%\なりける雨の夜に、なま上達部二三人うち寄りて物語するほどに、はて/\はあらぬことゞも言ひ出して、つびの品定めになりけり。その座に右馬助なにがしとて若き文章生(もんじやうしやう)のありけるが、差し出て言へるは、「いかによき天骨(=天性)あるとも、四つの具、備えざれば上品(じやうぼん)とは言ひがたし」と言へば、傍らなる人、「四具とはいかに」と問へば、「さればさぶらふ。この四つの名さぶらへども、等閑(なほざり)には得知り侍らず」とて、指(および)をかゞめて、「一つには子宮(こつぼ)、二つにはよもこうし、三つには鰭(はた)ひれ(=びらびら?)、四つには柘榴返し(=つぶつぶ?)」とかき数へて言ひければ、皆人、笑ひ罵りて、「それが本拠(よりどころ)やある」と言へば、「すべて旧説なり」とて、打ちひゞろぎて(=鼻をひくひくさせて)ゐたりけり。それよりこの書生をば陰門(つび)博士といひけるとか。奇怪の博士もありけるかな。
 
 
〔18〕
 
 伊豫守(いよのかみ)に受領して、任国へ下りける人の家なる女(=娘)に物言ふ(=言い寄る)男ありけり。ある夜、夜這はんとて、からうじて忍び入りけるに、その傍らに乳母(おもと)の嫗(おうな)の臥したるが上を高這ひして越ゆるとて、いと長き物の怒りたるを、あやまたず嫗女(おうな)の歯もなき口につと差し入れつ。
 さりければ打ち驚き惑ひて、「あな/\、盗人の入りたり。やよ/\」と罵り騒ぐに、便なくてすのこの上に這ひかゞまりぬ。嫗、起き惑ひて、「やよ/\、痴(をこ)の盗人なり。杖突きて入りたるが、突き損じて吾(あ)が口に突き入れたり。大方杖の塩ばゆく、生臭きぞいぶかしき。海賊こそ入けめ」と言ふに、皆人、驚きて、弓箭(ゆみや)取りしたゝめ、まつ(=松明)振り立てゝ、ひしめきあひけるとなん。
 思ふにこのあたりは、昔の純友(=藤原純友)が余党のなほ残りて、つね/\人を侵しかすめければ、さることに聞きこりして、かくは思ひよりけるなるべし。
 
 
〔19〕
 
 鎌倉の最明寺殿(=北条時頼)ときこえしは、今の世には賢人のきこえありしが、また物にとりてはをかしきこともいます人にてありけり。常に双六を好みて打たれけるに、ひと日、女房と打ち高じて、打ち負けたらん方、赤裸にならんと、それを賭け物にして打たれけるに、女房、打ち負けてければ、今は定めのごとく赤裸になるべきにてありけるを、大方、術なく覚えて掻いひそみてありけるを、若き人%\責めさいなみて、とかくひこづらひ(=引っ張り)けるまゝに、うつ伏しながら思ひわびて、常に頼み参らする地蔵菩薩(ぼさち)をしきりに念じて参らせけり。
 さりければ、とかくして帯引き解きて、衣かなぐり捨て、赤裸にして双六の局(ばん)の上に押し上げ立たさすると思ふほどに、にはかに堅らかに軽々(かろ%\)と覚えければ、不思議に思ひてよく見れば、女房にはあらで、ところ%\箔打ち禿げ古(ふり)に古たる地蔵菩薩にて、さながら陰戸の形(かた)のあからさまに具したるにてぞありける。
 驚き怪しみて「こはいかに」とその女房を尋ね、求めければ、傍らなるところに衣ひき被(かづ)きて、さゝやかにてかゞまり伏しゐたり。心得で、「いかにかくてはあるぞ」と問ひければ、「さることさぶらふ。先に苛まれしとき、大方悲しく覚えて、常に頼み参らする地蔵菩薩をしきりに念じ参らせければ、夢ともなくうつゝともなくおはしましてあり。吾(あれ)、汝に替るべしとの給ふと思ふほどに、心のきん/\と眠(ねぶ)るやうに覚えしまゝに、その後のことはさらにわきまへ侍らず」と答へければ、その信心の感応にて身替(むがは)りに立たせ給ひて、恥見せ給はぬなりけりと随喜(ずゐき)の涙を落として、やがてその地蔵の御形(みかた)をいつきあがまへて(=あがめまつり)、そのときの有り様のまゝに双六の局の上に立たさし参らせ、衣(ころも)、足袋、新たに調(てう)じて、そこなる延命寺といふに安置し奉りけるとかや。今もありとぞいふなる。
 
 
〔20〕
 
 昔、巨勢金岡(こせのかなおか)といふ絵巧みのありけるが、時の者(=著名)にてぞありける。異色(こといろ)をも混じへず、墨ひとつもて十二重の遠山を畳みなせり(=重ねて描き分けた)とかや。
 あるとき、男(をとこ)女のまくばひする絵ども書けるが、おつるくまなく(=書き残しもなく丁寧に)思ひ巡らしてければ、我ながらもあはれ書きにたり(=よく書けた)と思ひければ、妻なる者に言ひけるは、「おのれ、画書く道にとりては、目に近きものはさらにもいはず(=いうまでもなく)、目に見えぬ鬼神(おにがみ)、ひとの国なる獅子、虎の形といへども、賢くわきまへて悟りて、それがあるべきさまをこそ書き出だすにてこそはあれ、まいて男女のある形はその肺肝(こころのうち)まで書き出してこそ侍れ。これ見給へ」とて取り出しければ、妻、つら/\うちまもりて(=見ながら)言ひけるは、「実(げ)によくも書かれたり。さりながらひとつの難のこそ侍れ。さるわざするとき、女の足の指(および)、必ずかゞみさぶらふものなり。眼(まなこ)もかつ眼閉(ぬひじき)かつ半眼(あきて)、瞳、ま中にありとこそ申せ、かゝることをも具してこそ、誠のさかひ(=境地)に入るべきもの」と言ひければ、手をはたと打ちて、「いみじくも申されたり」とて、のち/\はさる定めに書きけるとなん。
 
 
〔21〕
 
 あるところに色好みの男ありけり。男といはず女といはず、あまりに好きありきけるほどに、はて/\は気疲れ、身やせ衰へ行きければ、そのころ、典薬の頭(かみ)なりける和気基斎(わけのもとすけ)といへる者呼びて、病の有り様見せ、薬のことなど問ひ聞きけり。基斎、脉を探り、うち守りて言ひけるは、
「これはおぼろげの御病には候はず。年月重ねし怠りなるべし。文に考ふれば、房事過度腎虚不動なんど申す症にて侍る。ようせずば御命にも及ぶほどこそ出こんずれ」
 と言へば、大きに驚き惑ひて、
「さてもの給ふことなれば、いみじき大事なり。そはいかにしてか命生くる道のさぶらふべき。南無薬師仏(なもやくしほとけ)、病難救ひ給へ」
 と嘆きければ、いとほしく(=気の毒)なりて、
「さらば吾(あ)が申すまに/\(=ままに)な背き給ひそ。薬はいかにもまゐらすべし(=薬はどうしてもさし上げましょう)。これ、つとめてきこしめさせて、常の修養(すやう)こそことに専(せん)とすることにこそ侍れ(=ふだんからの修養こそ第一)。それが中にも構へて房事を慎ませ給へ。金櫃医略(きんきいりやく)といへる書(ふみ)に、『春は三、夏は六、秋は一、冬はなせそ(=するな)』とこそ見えさぶらふ。これ必ず忘れ給ふな。この定めに背き給はずば、いかで過ち侍らん」
 と言ひ教へければ、この人、物思へるさまして、頭(かしら)打ち傾(かたぶ)け、ものをも言はで居たりけるが、やゝありて、なまにぶくの(=力のない)声して言ひ出しけるは、
「教へ給はること、まことに嬉しくて畏まりて候。かくまでありがたき御教誡(おしへ)、いかでか背きさぶらふべき。さりながら、こゝにひとつの難儀のさぶらふよ。いでや夢ばかりの手枕なりとも三はさても候べし、ほとゝぎすの一声に明くる短(みじか)夜に、六つといへる定めこそは、いと術なく覚えさぶらふは、いかにしまつらん(=夢見心地の閨で三回はどうにかなろうが、ほととぎすの一声で明ける夏の短い夜に六回はできそうにない。どうしよう)」
 と言ひ出しければ、基斎、呆れて言ふべき言の葉もなくて、「さればしかさぶらはん(=じゃあ勝手になさい)」とて、まかり出にけるとなん。基斎が目の当たり語りき。人悪(わろ)ければ、その名、洩らしつ。
 
 
〔22〕
 
 伏見なるところに痴(をこ)の薬師(くすし)ありけり。あるべき病を療治(をさむる)には、その験(しるし)いさゝかもなかりけるが(=しかるべき病はまったく治療できないが)、えせ病などをば思ひもよらぬことして験えてんげれば、さすがに捨てるべきやうもあらぬものに人にも思はれけり。
 ある人、落架風(らつかふう=あごが落ちる病)病む人ありけるをば、大きなる太鼓を仰向(あふむ)けて、その皮の上につらづゑ(=ほおづえ)つかせ置きて、さていかにもすこやかなる大童して、その太鼓を荒らかに打たせければ、その響きに誘はれて、おのれとつきあひてけり(=自然にくっついた)。また、瘧(わらはやみ=おこり)する人の薬乞ひけるをば、薬のことはとかくもいはで、やにはに刀を抜きて、「くわ、差したる仇、ござんめれ(=そりゃ、目指す仇、覚悟しろ)」とて追ひかけゝれば、前なる水に逆さまに落ち入りてけり。さるをとかく脅かしありきて、やゝあらせて、「さて今は上がりそ」とて引き上げて、火多く焚きあたらせ、薬与へければ、やがて忘れにけり(=おこりが直った)。
 かゝる事ども聞きおよびて、ある滝口の男(をのこ)の今年廿になりけるが、まだ定まれる妻もなくて一人住みなるが、玉茎(まら)のいかにもしたゝかにて、常に勢ひ猛におこりければ、とかくなごめんとしけれども、すべてせん術なかりければ、しわびてこの薬師のがり行きて、対面(たいめ)して言ひけるは、「おのれ、かく/\のこと侍りて、もてあましさぶらふを、ある人の『それ、病にて侍る』と教へ候ひつれば、御とこにかゝりて、せめておこたる(=ふにゃっとなる)ことあるべきかとて参りて侍るなり。申すにつけては、いかに恥がましく候へども、無礼(むらい)をも顧みで申し出るにて候。よきに療治し給はれかし」とうち侘びければ、やがて承諾して薬与へてけり。
 さりければ、その薬を一月がほど飲みけるに、すべてつゆ験もなかりければ、また行きて言ひけるは、「先に給はりし御薬、怠ることなく服しさぶらへども、これと思へることもさぶらはず。いよ/\勢ひ高じ候やうに候へば、いかにさぶらはん」と嘆きければ、薬師、首打ち傾(かたぶ)け、こと思へるさまして、「こは沈痾(ふるきやまひ)にて侍れば、大方の薬にては、ことゆくべしとも覚え侍らず。薬補(やくほ)は食補(じきほ)にしかずなど見えたれば、こたみは(=今度は)異薬(ことぐすり)をもまゐらすべし。また、その上に朝夕の合はせには、鰻魚(むなぎ)、鶏卵(かひこ)、すべての宍(しゝ=獣肉)、さては山薯蕷(やまのいも)、牛蒡(うまふしぎ=ごぼう)、よく苡仁(よくいにん=はと麦)など召し候へ。これ必ず効験(しるし)あるべし」と教へれば、やがてその定めにしてけり。
 さりければ、件のもの、いよ/\天逆(あまさか)さまに怒り出て、火のごとくにほとぼり(=ほてり)ければ、これにしわびて金椀(かなまり)に水を汲み入れて冷やさんとせしかば、この水やがて湯になりければ、湯にてつ、大方、奴袴(ぬばかま=さしぬき)大口を突き張りて差し上げぬれば(=袴が大きなテントを張るので)、これを抑えんとて銭(あし)をつらぬきといふものにさして(=銭緡〔ぜにざし〕をつくって)打ち掛けたれど、肩を打ち越して後ろざまに跳ね上げぬれば、いかにもしわびて、また薬師のがり行きて、かき口説きて言ひけるは、「のたまふこと、しさぶらへば、いよ/\誇りかになりまさりて、束の間もなごみさぶらふ気(け)もなく候。かう/\のことさぶらひし。これもし欺(あざむ)かせ給ふにやとまで思ひなりて侍ければ、今は恨みまゐらする心のなきはさぶらはず(=恨みさえいたします)」と言ひければ、薬師はほくそ笑みして、うち頷き/\、「かしこうつかうまつりて候へ(=首尾上々)。薬力の著(いちじろ)きこと、今にして知りさぶらへ。近きに必ず、こと成りさぶらふべし。ゆめ疑ひ給ふな」といともなげに言へば、なほ心得で、「かく、常しなへ(とこしなへ=永久)に怒り逆立ちて萎ゆることなく、大方、臍のあたり離れず候。かうての果て/\は、いかにや/\ならんとすらん。いと術なくさぶらふ」と言へば、「さは、そのことこそ、いとよきことに侍り。早くは腎をけづり、火を鎮めることを旨としさぶらひしに、そこの御珍宝(ちうほう)は、いとしうねき(=執念深い)ものにて、たゞ逆(さか)かひに逆ひて、いや立ちに立ちぬれば、かくては悪(あ)しかりけりと思ひ計りて、こたみは上さまへ立てこらかして、腹のほどにしかと引きつけさぶらはんとこそは計り出でさぶらひぬる。いま/\見給へ」と言ひゐたりけるとなん。後(のち)は知らず。いかになりけん。
 
 
〔23〕
 
 明法(めいばふ=法律)博士大江為武(おほえのためたけ)が娘は、さる家に生まれけるからにや、唐の大和の書(ふみ)どもうかがひければ(=心得ていたので)、父のぬし、嬉しきことに思ひて、律令格式のことまで教へにけり。さりければ、その方にはことに才(ざえ)賢くて、父のぬしが断りかぬる(=判断できない)疑獄(うたがはしきうたへ)をも著(いちじろ)く考へ(かうがへ=考えて判断する)などしければ、懐刀(ふところがたな)とぞ思ひける。
 かくて、この女には左大辨なりける人ぞ棲みけるが、ひと日、夜うち更けて、いと酔ひすぎて入り来て、例のこと企てけるが、さる酔ひのすさみにや、後ろざまにかき抱きて男色(おとこ)するやうにしけるを、女は門(かど)を違えたるにか(=お門違いをしているのか)と思ひをるに、いよゝあらぬ方へ差し入れんとしければ、つと引き放ち、うち腹立てゝ憤(むつか)り言ひけるは、かゝる御振る舞ひこそいと心得ね。女をば女する道あり。それをこそはうけひき申さめ(=それだったら同意しましょう)。かく理(ことはり)に背きし奸(たはけ)はいかでかは承(うけたうばら)ん。律令にて勘当せば(=照らし合わせれば)、門籍(もんじやく=門へ入る許可証)失(な)うして公門(くもん〜肛門)を闖入するといへる犯罪(つみ)にこそはあらめ。かゝる無礼(むらい)の御振る舞ひあらば、父のぬしへこそは訴(うた)へ申さん」と憤りければ、男、大きにもてあまして、さま%\すかしこしらへて(=なだめすかして)後、やうやく腹落ち居にける(=怒りがおさまった)となん。
 かゝる振る舞ひはあるまじき悪戯事(いたづらごと)なれど、また、さまで言ひ諫(かん)しなんも(=諌めるのも)、女/\しき方は疎かるべし(=女らしくない)。極熱(ごくねち)の草薬食ひけん女もかゝる類ひなるべし。
 おほよそ、人には短きところもあるならひぞかし(=短所もあるのが普通)。直き(なほき=真っすぐな)木にも曲がれる枝はありけるものを、毛を吹き疵(きず)を言ふ(=人の欠点をあげつらい、かえって自分の欠点をさらす)ことの理なき戒め、思はざるべけんや。
 
 
 
□□□としのかのうといへる神無月のはじめつかたしぐれかきしきる□□□に於て眼病をしのぎて筆をそめ□□□ものならし

大蔵千文〔花押〕

 
 
客歳(=去年)冬十月ノ交、京都ニ赴クノ時、東海道ヲ経歴シ、遠州浜松ノ駅、某氏ノ亭ニ泊ル。予固(もと)ヨリ年来ノ好(よしみ)アルヲ以テ酒肉ヲ設ケ張リ、饗応あしたニ移ル。之ニ依リテ和歌一首ヲ詠ジ、以テ之ニ与フ。主人感悦シ、数度之ヲ吟詠ス。主人頗ル国風(=和歌)ヲ好ムヤ、閑談ニ及ブノ間、予ニ語リテ云フ、僕ガ故郷ノ親族、奇書ヲ好ム癖ノ者有リ。先日一書ヲ借リ之ヲ写ス。□□□狼藉尾籠タル也。然シ乍ラ古雅ノ物也。□旅ノ労憊ヲ慰メ奉ラン為ノ由ニテ、□□ヲ持テ、予ニ示シ之ヲ見セシム。其夜、閑燈眠ラズ□□ノ時ニ於テ之ヲ読ムニ、殆ド捧腹絶笑ス。故ニ頻リニ懇望シ遂ニ之ヲ□□□□ス云々。京都ニ於テ同寮朋友、日夜往来相継ギ□綴、是ヲ以テ謄写ノ遑(いとま)アラズ、僅ニ夜陰ニ臨ミ倉皇トシテ録写シ、卒ニ之ヲ稿ス。然リト雖モ未ダ再ビ繙閲ニ及バズシテ、曠(むな)シク日月ヲ亘ル。今年東向ノ砌リ、件ノ本ヲ以テ遂ニ之ヲ返璧ス。□□東武閑隙ノ日ニ之ヲ握翫シ、年代事実等於テ□□孝察スル所有リ。故ニ今別ニ考ヲ作リ左ニ記ス。
此書一帖本、外題ノ号無ク、未ダ何代何人ノ撰ナルカ詳ニセズ。本ノ長サ七寸八分半、横幅六寸九分許(ばかり)、附墨七十三葉、但シ両面也。斯紙ハ古代ノ物タルハ疑フ所無キ者カ。寛文五年ノ序巻首ニ有リ。是モ亦タ何人ノ染筆ナルカヲ知ラザル也。巻中、少々朱筆書入等有リ。磨滅シテ読ム可カラズ。之ニ依リテ書入レズ、遺憾ト謂フ可キ者也。巻尾ニ奥書有リ、序ト別人ノ筆也。年号無シ。但シ支干有リト雖モ得テ考フベキ無シ。花押モ亦タ半バ蠹蝕ス。此ノ外、巻中虫食磨滅ノ字少ナカラズ、異本無キヲ以テ補填シ得ズ、蓋シ闕如ス。彼ノ序ニ云ジ、貞和四年ト。然レバ則チ寛文五年ニ至ル星霜、已ニ三百十七年ヲ歴ル也。又云フ、恐ラクハ著聞、今昔ノ逸文カト。今試ミニ之ヲ校索スルニ、今昔物語、宇治拾遺ノ事跡四五章、故事談ノ事跡二三章也。余リノ多クハ古今著聞集ノ事実也。之ニ依ヨリテ今本ト校比スルニ大同小異ニシテ、且今ツハ今本ニ無キ所ノ者多数也。彼ノ著聞集ノ序ニ云フ、建長六年応鐘中旬、散木士橘袁撰ブ所也ト。其ノ第十六巻ニ興言利口ノ部ヲ載ス。大ヨソ此ノ書ノ筆法ト相似タル如キ也。然リト雖モ標題ノ下ノ真名ノ小序、彼是同ジカラザルカ。然レバ則チ古昔、二三通ノ異本有リテ、此ノ帖ハ今本ト同ジカラズ、而モ広繁ヲ為ス事、疑フ無キ者也。然シ乍ラ此ノ書、題号無キヲ以テ心ニ慊(あきたりなか)ラズ、然リト雖モ余不敏、狼狽狐疑、猶予シテ憶断スル能ハズ。故ニ或ル人ニ謀リテ云フ、此ノ書、何ヲ以テ外題ト為サンヤト。或ル人云ハク、蓋シ聞クナラク、古ニ逸詩逸書ノ号有リ。然レバ則チ此ノ書モ亦タ将ニ、逸著聞集ヲ名ト為サントス。予云ハク、善イ哉ト。故ニ姑(しばら)ク其巻首ニ冠シ以テ標題ニ備フ。後覧ノ人、幸ニ訝ル勿レ。而シテ之ヲ是正セバ、マサニ大幸ト為スベシト云フノミ。
 
元禄十五壬午年神無月上旬五日 武陽江都住人 三省子
 
 
 
書ヤ軒轅氏ノ遺(おと)ス所カ、象罔ノ得ル所カ。赤水ハ広ク、崑岡莫シ。離朱ヲシテ之ヲ索メシメ、契詬ヲシテ之ヲ求メシムルニ、シカモ得ル可カラズ。已ニシテ其ノ木蘭ノ櫃、桂椒翡翠、薫緝うん藏(=隠し持つ)シテ曰ク、沽(う)ラン哉、沽ラン哉、吾モ亦タ善価ヲ待ツモノ也ト。実ニ象罔ノ索ニシテ其ノ珠諸人ニ在リ、誠ニ測ル可カラズル者有ルニ非ズヤ。アヽ寛延己巳ノ秋、淡海高潤甫識ス。
 
 
 
逸著門集 巻之下 終


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