栄花遊二代男



男は強し、女は弱し。一婦一淫を保たば腎虚は女にあるべけれど、強きを頼み、性悪をするゆえ、脾腎の虚は男の惣名となりぬ。詩経に君子をまめやかなるというより、業平をまめ男と伊勢が物語を作り、またそれを小粒の大豆(まめ)にとりなせし八文字屋がまめ男の前後の秀文妙作も、春と秋と去れば桜木の老いなんことも惜しく、その前後の面影を借りて、いまを盛りの栄花二代男と号して思い入れを書しは、見ん人誠にまらかいことというならんかし。

目録 一之巻

第一 醜男(ぶおとこ)は女のふる雪の下の百姓
 信心の誠に姿を変生(へんじょう)男、ころころ喜ぶ大豆右衛門は、二代目の強い武者

第二 女房にぬれかかる水遊びの親仁(おやじ)
 明日は腎虚、舅は白髪の天窓(あたま)、振りほどくふんどしは幅広な昼の床入り

第三 強そうに油ぎったる五十嵐の手代
 天窓とともにかいて行かるる乗り物の似せ女、めっけて絞らるる腎水は涙のたね

一 醜男は女のふる雪の下の百姓

 母の宝蔵(たからぐら)を出てから早桶に入る夕べまで、人間は頼みごとが絶えることがない。一色が叶うと二色を願うのは、生まれた者の常であろうか。この願いがない者は、諸人に気を詰めさせる四角張った文字を書く親方か、または尊い場所へと救い給うお仏さまよりほかはない。とかく凡人とって逃れられないのが願いごとである。
 三代将軍の御母堂のふるさと、京の雪深い下辺に作蔵という貧しい百姓がいた。天罰が下ったような醜男(ぶおとこ)で、誰も寄りつきたがらない女でもなびこうとせず、二十四文の惣嫁でさえ嫌がるほどだから、まして一皮むけた女が甘い言葉をかけるはずはなく、年盛んになるまで独り暮らしの男であった。
 たまたま畑へ木綿引きに出た女をとらえ、無理わざをしようとしたこともある。しかし、女はわめき、網のなかの生きた鯛のように跳ね回って、思うようにさせてくれない。せめて小力(こぢから)があれば、押し伏せて埒(らち)を明けるのに、力も味噌っかすのため、逆に女に頭をはり飛ばされて逃げられ、後ろ姿を見ながら醜さでは俺の勝ちだと気を晴らしている。
 まったくこれでは男に生まれた甲斐がなく、死のうと思ったこともあった。しかし、惜しいのは命よりその一物。その見事さたるや道祖神(どうろくじん)に恥じない、筋骨たくましい鬼かげ仕立て、道鏡をあたかも小児と見下すほどである。だが、さてもの千両道具も、これでは誰にも知られることのない深山(みやま)の花。このまま散り果てる無念さに死に切れず、石のまま磨かれることのない卞和(べんか)の玉のような一物を明け暮れ握りしめ、千夜が一夜の秋の夜もころりと宵より独り床。遠島先で月を見るようなわびしい心地で、面白くもなく暮らしていた。
 近所の友だちは、この男の不器量さをからかい、訪れては、あそこの後家、ここの娘をせしめたなどと色話をする。そのたびに、作蔵は無念の涙で袖を濡らし、『我はよくよく前世で恋の種を蒔かなかったから、このような色利かずに生まれたのだろう。親たちは我をこしらえたとき、何を考えて気をやったのか。お袋もお袋、十月(とつき)の間苦労して、我らのような色利かずの醜男でも、生むときの痛さは変わるまいに』と両親を恨んだ。
 そのころ気心の知れた友が枕草紙を持ってきてくれた。作蔵はそれらの枕本を自分の妻と定め、心地好い絵を見ては右の手を可愛がっていたが、そのなかでも大豆右衛門(まめえもん)の秀文が心を引いた。
『この物語は我が身の上とそっくりだ。この男も最初は醜男だったのを嘆き、山城の深山に分け入って仙女に会い、身を化して大豆右衛門となり、一生栄花をなしとげた。我がその仙女と会うのは難しいが、この大豆右衛門を信心すれば、何かあやかれはしまいか』
 と、ふと思い立った作蔵は、大豆右衛門が法体して豆休(ずきゅう)となった姿を大豆がらで彫り刻み、かやのからの厨子に安置せしめ、一段高い木枕の上に据えた。
 作蔵は毎日、大豆を五十粒ずつ供え、『我が大願が成就すれば、一生大豆を断ちます』と肝胆を砕いて祈り、一日に三度水垢離をし、そのたびに『南無豆休大先生』と唱えること百遍、一度も怠ることはなかった。これほど強く思い続けていれば、何か納受がありそうな気もする。信心からか気のせいか、ときには不思議なこともあるので、作蔵はますます丹精を込めて祈願しつづけた。
 月日の経つのは早く、大願を起してはや三年が過ぎた。この間、隣家が乾いた鞘を打って大豆を収穫しても、作蔵は信心する先生の名を打つのはもったいないと、大豆を蒔かないように心がけてきた。
 四年目の二月十五日、涅槃会の日のことだった。その日も作蔵は、釈迦は仏法の太祖、豆休先生は好色の太祖、仏法好色変わることなしと、豆休先生に燈明をあげ、いつものように水を浴び、礼拝をした。その夜のことである。不思議なことに、厨子がきらびやかに光を放ち、豆休先生が厨子を離れ、姿を現したのである。小さな手を上げて作蔵の頭を撫で、かすかな声で話しはじめた。
「よきかな、よきかな。汝、我を信ずること、年月久し。四年とはさても根気強く祈りしぞや。たとえ我が姿なきつくりごとにしても、汝が信心のごとく厚くせば、などか霊のなからんや。神は虚にして霊なり。神は敬うによりてその位(い)を増す。汝が志に免じ、霊ここに現れ、大願を叶えん。
 そもそも汝は我と前世を同じくして、うがいをせぬ不掃除な口にて女の口を吸い、髭を剃らずに頬ずりをし、あかぎれ足で雪のごとくなる柔肌の太ももをすりむいたる報いにて、醜男に生まれ出でたれば、性(しょう)を変えねば色は利かずと知るべし。我はかねて子孫を残したく思えども、何を言うにもからだが豆ほどなれば、我に添う女房なし。もっとも無量の女と交わりたれども、人の腎水にてよきことをせしゆえ、我に子種があろう道理なし。しからば養子を迎えんと思えど、その志の堅固なる者なければ、豆休一人にて朽ち果てんと嘆かしく思いしに、天、我を見捨て給わず、汝のような誠ある者、我を祈ること祝着せり。いまより我が後を継ぎ、二代目の大豆右衛門となるべし。昔、仙女に貰いし妙薬の飲み残し、一粒あれば汝に授けん。これを飲み、性を変えて楽しむべし。
 さりながら、わけて示すことあり。人のからだに入り、交合(やりくり)をするとも、よく筋を糺すべし。我、最初、弟のからだに入り、姉の寝たるをその女房と心得、取りかかりしに、姉と知れ、弟のためと思い、寝たぼけたる真似して済ましぬ。そのとき姉も寝入りばなにて、弟と気づかずに快く取らせたらば、畜生の沙汰に落ち、魂は他人でも姿が弟なれば、この言い訳世間へ立ちがたく、若い男は死するもあらん。我ゆえに人を殺すことの罪甚だし。我、いまこのこと悔いるなれば、汝、人のからだに入るとも、せかずに差し合いを繰りて交合すべし。忘れても人の女房と間男することなかれ。女房を取りたくば、その夫のからだに入りて思い出をすべし。いたずらに道ならぬことをするは、誠の好色人とは言われず。この二品を背けば、たちどころに汝を殺さん」
 と示された。
 作蔵が感涙を流し、「その儀は必ず慎みます」と誓いを立てると、豆休は懐より妙薬を一粒出して作蔵に与えた。
「我はこれより神上りせん」
 豆休が東を向くと、鶺鴒(とつぎおしえどり)が飛んできて、豆休の前に降り立ち、腰を下げる。すかさず豆休が飛び乗ると、すぐに鳥は光とともに飛び去っていった。
 作蔵は有難さに胸が熱くなり、豆休の御跡を九拝してから、おもむろに授かった妙薬を飲んだ。すぐに舌先がしびれ、咽喉はむずがゆく、口中は締め寄せるように、にわかに熱くなってきた。まるで長命丸を飲んだような心地である。
 何と飲みぐるしい薬だと思いながら夢から覚めた。自分の上に何やら覆い被さり、ものに包まれたように重ぐるしい。これは不思議とあちこちくぐり抜け、ようやく這い出してみると、包んでいたのはいつも着ていた夜着だった。からだが小さくなったのだ。『大願成就、有難や有難や』と、いまは小さくなった手を合わせ、再び東の方を拝した。
 さて、これからどうしようか。こんなとき独り身は心安いものである。江戸へ行ってみようと思い立った二代目大豆右衛門は、誰に断りを言うこともなく、すぐに家を飛び出した。そのとき、東へ下る生鯛を乗せた早追いの馬がやってきたので、これ幸いとその馬子の袖に飛びついて、ひとつ跳ねて野髪(馬のたてがみ)に取り付き、鯛の籠をつづら馬代わりにして乗り込むと、四方を眺めながら江戸を目指した。

二 女房にぬれかかる水遊びの親仁(おやじ)

 早馬に乗った大豆右衛門は、飛ぶように小田原町(日本橋)の河岸にやってきて馬から降りた。河岸には山のごとく魚が積み重なり、道いっぱいに置かれていた。この魚がすべて売り切れてしまうのだから、江戸の繁華は想像するにあまりある。大豆右衛門はしばらくここにいて楽しもうと決めた。だが、河岸はいかにも生臭い。そこで名に聞く本町通りなら、定めて美しい者がいるに違いないと、そちらへ行ってみることにした。
 本町通りに近づくにつれて、軒端狭しと建ち並ぶ白壁づくりの大きな館が見えてきた。それぞれの瓦の紋は銘々の家名を表わしている。大豆右衛門は金襴緞子、紗綾縮緬を引き散らかした家に入るつもりだったが、どこも似たような豪奢ぶりなので、田舎者のため目が迷うほど肝を潰した。
『江戸だな、やはり江戸だ。米河岸では俵物が富士のように積み上げられ、魚河岸には肴の山、呉服町は見たこともない奇麗な反物が目に余るほど置いてある。日本一番蓬莱の国は江戸で決まりだ。唐にもこれほどのところはあるまい』
 品物がこれなら見目よい女もあるだろうと、きょろきょろ見回してみたが、ここは皆京都の出店のため、女といえばずる賢い女猫(めねこ)のほかはないので、結構な宝物であっても気乗りがしない。大豆右衛門は早々本町通りを抜け、室町へと向かった。
 室町を回っていると、大構えの家から丁稚が出できて、菜売りを呼び込むのが見えた。美しい者がいそうな家である。すぐさま菜売りの菜の籠に飛び込むと台所へ通された。
 台所には大竃が立ち並び、流しの近くで男が何かを切っていた。奥のほうが煌々と明るく、見るからに金持ちの家のようである。下女が出てきて菜を選びはじめた。
 しかし、その下女はこの大家に不釣合のいけず女だった。顔はあばた面で鼻がひしげ、口は広く、姿は横に幅広。ただし、尻付きは台所にかけてある大まな板を見るようで、これだけはこの大家に相応であった。世の中にこんな女がいるのかと思えるほどだが、下女がこれでも家の奥はゆかしいに違いないと、汚ながりながらこの女の袂に取り付いた。下女は茶の間へ入っていった。
 茶の間は広く、四方に暖簾が垂れ下がり、側使いらしい女たちがいた。いずれも美しく、我が推察に間違いなしと大豆右衛門はうなずき、これなら奥さまはさぞや美しいに違いない、早く拝顔したいものだと、茶の間を出る腰元の帯先にぶら下がってついていくと、はたして奥さまの居間にやってきた。その美しさたるや、年は二十七、八ほどのようだが、器量がよければ三ツほど若く見えるから三十ぐらいか。鼻筋がとおって目の張りもよく、錦手の茶碗で茶を呑む口元が可愛らしい。すぐにも食いつきたいほどである。
 ああ、慈愛(うつくしび)の天女ともいうべき、これほどの女を我がものにして、横抱きにする旦那の果報者め。さあ、自分も果報の手始めに、この奥さまの御亭(ごて)さまに乗り移って取ってやろうと、あちこち回って旦那を探してみたが、それらしい姿がどこにも見えない。
 ふと表と思われるほうから、鼓を打つ音がかすかに聞こえてきた。大豆右衛門はこれこそ旦那殿に違いないと思い、幾間も抜けて音を尋ねていくと、十畳敷の奇麗な居間に、置頭巾(おきずきん)をかぶり、座布団に座った六十七、八の親仁(おやじ)がいて、十二、三の若衆が打つ鼓を聞いていた。この家の隠居らしく、暇つぶしの慰みに鼓を聞いているようだ。この親仁に用はなし、旦那が入り用だと、大豆右衛門は奥さまの部屋に戻り、再び旦那のいそうな部屋を探し回ってみたが、やはりどこにも見当たらなかった。きょうは外出して留守なのだろう。晩になって帰ってきてから、あの奥さまをせしめても遅くはない。
 そうこうするうち、無性に腹が減ってきたので、大豆右衛門は茶の間へ行き、棚へ駆け上がって見渡した。飯鉢がある。蓋に両手をかけ、えいやっと投げ飛ばすと、案の定、飯が入っていた。これは忝い。大豆右衛門は両手を飯鉢に突っ込み、小さな手のくぼの早業で腹をつくった。だが、腹は満たされても旦那が帰るまで暇なので、それまでの間、使用人の女や子どもを見立てておくことにした。旦那の特権で奥さまついでに下女らも取りのめすのは簡単なことだ。
 大豆右衛門が女部屋に入ると女が三人いた。うつ伏せになったり、足を投げ出していたり、たばこを呑んだりして、思い思いにくつろいでいる。
「おさつどの。いまごろ若旦那さまは京都で奥さまをお見立てであろう。嶋原の白人とやらのところに大方あるであろうの」
 と裁縫の御物師(おものし)らしい女が言う。
「これ、おみつどの。何を言わっしゃる。嶋原に白人などというところはない。白人とは吉原の呼出しという女郎衆のようなもの。京都の畷(なわて)にある嶋原は、吉原と同じ廓(くるわ)じゃ。そんなことを言って京下りの手代衆に笑われさんすな」
「わしゃそんなことは知らぬ。若旦那さまが奥さまを見立ててお帰りなされようと、この広い江戸でお探しになっても、器量のよいお方があろうに、はるばる京都まで上っての吟味とは。やがてお下りなされたら、ご拝顔申し上げましょう。さぞ美しかろうよ」
 というおさつの口調には半分嫉(そね)みが混じっていた。
「おお、それは知れたこと。我らのようなお多福が京都にはあるまいて」
 おみつは京都のことを多少は知っているらしい。
「それはそうと、親旦那さまの奥さまは、あのお若いお年で七十になる男と連れ添うとは、さぞお嫌であろう」
「まったくでござんす。なんぼ金がありくさっても、年寄り男ではおいらは嫌じゃ」
 と言うのを大豆右衛門は聞き、『さてはいま鼓を聞いていた親仁が、あの美しいお方を我がものにしていた旦那か。あの年だと、四、五度目の女房だろう。哀れ、奥さまはさぞ物足りないに違いない。なんぼ強い親仁でも年が年だけに、あの奥さまを十分に満足させられるわけがなく、空腹に一文餅を三ツ喰ったようで、到底満腹になりはしまい。ここはさっそく親仁に成り代わり、奥さまを堪能させて、我らも思い出づくりをしよう』と、尻をひっからげて鼓の鳴るほうへ駆けていき、すぐさま親仁に飛び移った。親仁の魂が消えて大豆右衛門の魂が取って代わり、からだが意のままに動く。まずこの若衆を追い払うことにした。
「先ほどよりの長ごとで疲れたであろう。休息致されよ」
 若衆が出ていくと、大豆右衛門は急いで奥へ走り込み、納戸のほうから浄瑠璃本を見ていた奥方を呼んだ。
「奥、なぜか背中が痛んで難儀しておる。こちらにきて、さすってくれよ」
「あい」と答えて奥さまが納戸へやってきた。「どうなされました。どこがお痛うござりますか」
 ぴったりと親仁に寄り、その背中へ入れようとした手を大豆右衛門はすかさず取って、何はともあれ口を吸い、そのまま仰向けに転ばして、乗りかかった。
「これはけったいな。昼日中に何でござりますか。誰ぞ参りましょうに」
「先ほどより鼓を聞き、気が滅入ったので気晴らしをする」
 大豆右衛門は奥さまの前をまくるや否や、両股へ割り込み、手を差し伸ばした。どてがむっちりとして高く、すべすべした肌に細く柔らかな毛がむくむく生えている。その心地好さは言葉に述べがたい。
 下になっている奥さまにもその情が移ったようで、潤いが出てぬらつきはじめた。目をふさいでいるのを見て、たまらなくなった大豆右衛門は、おやしすませた一物をぬっと入れた。奥さまが「ああ」と切ない声とともにおいどを上げ、親仁の弱腰に両足を絡みつけてくる。その拍子に根元までぐっと入り、奥さまは眉に皺を寄せ、鼻息を立て、皺だらけの親仁の頬へ食いついてきた。
 有難いとはまさにこのことである。大豆右衛門がここを先途と突き立てると、精水がさらに湧き出し、ずぼずぼと鳴る心地好さ。夕べに死すとも可なりと、続けざま二番取り、さらに一番取りはじめたとき、奥さまが声をかけてきた。
「ちと拭いませんか。あまり鳴りまして、恥ずかしい」
「だめだ。拭う間が惜しい」
 と、大豆右衛門はまた根まで入れて出し入れし、激しく腰を遣った。
「嫁入りして三年このかた、このようなよき目はきょうが初めて。いつも押し付けるだけで、遠慮がちになされるので満たされぬ思いでした。この働きは一生忘れられません」
 と言い、「ああ、ああ」と声を振るわせ、さらにおいどを持ち上げる。
 ようやく取り終わり、臍まで濡れたぬめりを拭った。だが、『これで望みは満たされたが、それはいまだけの望み。あと四、五日、この親仁に成り代わって思い出を遂げよう』と、大豆右衛門は暮れ方にまた取り、夜になれば宵より床を敷かせて明け方まで取り、朝飯が終わればまた取り、間がな隙がな見合わせては取り、以上、五日の間、三十四、五番も取りに取りまくって、やっと気がすんだ。
『もう思い残すことはない。次は気分を変えて楽しもう』
 大豆右衛門が親仁のからだを立ち去り、親仁の魂が戻ってきた。呆然としている。大豆右衛門が乗り替っていた間のことは露ほども知らず、五日前、末の息子に鼓を打たせているのを、まだ聞いているつもりなのだから、無理はなかった。
 だが、急にめまいがして、腰が痛みはじめた。脈もかなり悪そうだ。これはどうしたことか、と思うのも当然である。いくら強い鉄壁親仁でも、五日間で三十番あまりの腎水を遣ったのだ。六十歳過ぎの柳の枯木である、したしたとなびくばかりに立ち居が不自由になり、膝からがっくり落ちた。
 これを見ていた大豆右衛門、『そのはず、そのはず。下地が強ければ、まだめげはしないだろうが、女に腹いっぱい思い出をさせたのだから、めでたき親仁め。もはや名残り惜しくはない』とこの家を出た。

三 強そうに油ぎったる五十嵐の手代

 長橋虹をなすと言われる両国橋は、江戸より本所へ行く人、また本所より江戸へ行く人が幾千万と行き交う賑やかさである。馬上の人があれば、出家者があり、女もいてと、人もさまざま。さらに、夏は大川での納涼、橋の前後の茶屋では、客を引く色めいた声が音楽のように奏でられ、多くの山谷舟が群れた鳥の羽ばたきのように川波を立てて進み、また丸大船ではとっておきの奥さまたちが遊んでいる。川開きの花火があり、美食があり、色があり、景観もよい。遊人にとって両国は歓楽地である。
 そのところで化粧具などを商い、江戸一番と言われる大見世の五十嵐より、大名のお局に仕えているような女が、四十ほどの丈夫そうな手代らしい男と連れ立って出てきた。物陰に寄って、何やらひそひそ話し、また連れ立って両国橋を渡っていく。何やら様子ありげだ。大豆右衛門は確かめようと男の袖に飛び入り、袖口より首を出した。二人は回向院の後ろの小さな茶屋に着いた。
 茶屋の入り口に立派な乗物が置かれている。お大名ぐらいしか使えない、鋲打ちをしたござ包みの乗物だ。近くで煮瓜を食べているのが担ぐ陸尺らしい。この乗物の内(うち)さまが、この手代とお会いになるのだろう。
 袖口に大豆右衛門を乗せた手代と女が二階へ上がっていくと、時知らぬ山(富士山)かと見間違うような白髪の、五十歳ばかりの老女がつくねんと座っていた。大豆右衛門はびっくりした。『大名の奥勤め女中が養生のため、男と密会の出合いをなされるとにらんでいたのに、相手が祖母(ばば)さまとは意外や意外。祖母さまが出合いをなされるのか。祖母とかまきりは我らの禁物。むざむざ男のからだは借りられぬ』と、片脇に座して様子をうかがうことにした。
 お祖母が手代のそばへ寄った。
「ようこそ、きなされた。この女子(おなご)が其元(そこもと)の見世の鬢付け油を毎度買いに参り、そなたの丈夫な人柄を見立てて、我らに知らせたのじゃ。この茶屋まで参らせるよう申しつけたが、得心(とくしん)されたようで、まずまず嬉しいこと。先だってのお話で諸事合点致したようじゃな。奥勤めのことなので、よそに知れたとあっては、お屋敷のお名も出てしまうので、くれぐれも口外致すな。首尾よく勤めおおせたらば、相応の金子を殿さまから拝領して進ぜよう。お若い女中のお気にさえ入れば、ほかに難しい勤めはない」
 手代は手をつき、
「委細、畏まりました。わたくし、精根の続くかぎりお勤め致しましょう。首尾よく勤めましたら、お金のほうはよろしくお願い致します。お陰さまでこれで国元の母を安楽に致させとうござります」
 と首尾よく勤まるか、まだわかっていないのに、先の欲のことを口にする。
「何がさてもその段はお気遣い致すな。お気にさえ入り、お役に立てば、お大名のこと、お金はいかほども下さるはず」
 大豆右衛門はうなずき、『これは大名のご隠居の男が妾をお抱えなさったもの。満足させるために手代を頼んだのだろう。しめしめ。こいつに乗り移り、お妾さまをしてやろう』と口なめずり。
 上機嫌の老女が「さあ、まず飲まれよ」と手代に酒や吸い物を勧めた。そうこうしているうちに日が傾いてきた。
「そろそろ連れ申そう。しかしその格好でご門は通れぬ。これに着替えられよ」
 老女が用意しておいた女衣装を見せる。手代は了解し、すぐに着替えて丸綿をかぶり、乗物に乗る。陸尺が足を速めた。屋敷に着いてから、老女は断りを述べて門をいくつか通り抜け、ようやく乗物がとまった。着いたようだ。
 老女は乗物の戸を開け、「出給え」と手代の手を取って下ろし、屋敷内に招いた。だが、それから座敷をいくつも通り抜けるので、大豆右衛門はここを大事と手代の帯にしがみつく。十ほど座敷を過ぎて、ようやく八、九畳ほどの砂子の総唐紙の座敷へ通された。金屏風が置いてあり、内が囲われている。「この屏風の内へ入られよ」と老女は指示した。
 しかし、このような立派なところを見たことがない悲しさか、手代はわなわなと震え出し、顔色が色青くなってきた。大豆右衛門は歯がみをした。
『さりとは町人の悲しさかな。このような晴れの舞台で、ひときわ華々しい軍(いくさ)をしてこそ高名は立つというもの。化粧軍(けしょういくさ)のやり方を知らないのか。入れ替わって大将の開(へき)を取ってくれよう』
 大豆右衛門は手代の魂と入れ替わり、すぐさま屏風を押し開け入た。だが、その内は緞子繻子の布団の上に、金襴の夜着が置かれているだけで、誰もいなかった。『むむ。我を先へ寝させておき、後より件さまがお入り遊ばされるのだろう』
 大豆右衛門は上帯を解き捨て、ふんどしもかなぐり捨てて、早くもおっ立てた一物をだんびら刀のように斜に構え、眼を配ってお出ではまだかと待った。間もなく古い総鹿子の小袖だけを着た、二十一、二の女が帯を解きながら入ってきた。そして何も言わず大豆右衛門に抱きつき、おっ立てた一物を握り締め、せんずりをかきはじめた。『大名方としては、ちとはしたないやり方では』と思われたが、それなりにされて次第に心地好くなってくる。鼻息が荒くなり、一物がひょこひょこしはじめ、我慢の限界がきた。
 そのとき、この女中が屏風の外へ声をかけた。
「さあ、ようござります」
 その声を合図に、先ほどのお局の老女が蒔絵をほどこした御厠(おかわ=おまる)を持って屏風の内に入り、大豆右衛門の一物の先にあてがう。すぐに気が行き、老女が淫水を御厠に受けた。そして終わると屏風の外へ出ていき、女中も早々に立ち去った。
『ハレ、合点ができぬ』
 と思っているところへ、紅の下着ばかりで上帯も下帯もつけていない三十ばかりの女中が、ゆかしいところをちらちら見せながらずっと入ってきた。大豆右衛門に口を吸わせ、一物を握り締めて、おえ立ったところを両手でまたせんずりをかきはじめた。そして、こらえきれなくなり、気をやろうとしているとき、せき払いをした。すると、これを合図にお局がまた入ってきて、弾き出たものを御厠に受け止め、女中を従えて出ていった。
『これは納得できない事の次第。何のためにせんずりばかりかいてくれられるのか』
 と思案していると、今度は三十四、五の巧者らしい女中が湯具もはずした真っ裸姿で、真っ白く清らかなところを見せながら駆け入ってきて、大豆右衛門に抱きついた。しかし、さすがの大豆右衛門も、続けざまの二本では武者ぶりが悪く、一物も小首を投げ気味である。それを見とった女中は一物を握り、自分の前にあてがった。大豆右衛門は気がせいた。
『先ほどからのなされ方はあまりにむごい。この一軍(ひといくさ)は真っ当にいたそう』
 大豆右衛門は女中を仰向けに押し倒して乗りかかり、ぬっと入れた。だが、女中は尻をよじってすぐに出してしまう。そこでまた押し込むと、よじって出し、入れてはまた出しをしばらく繰り返し、股から手を回して一物を握り、素股ならぬ手股にして腰を遣わせる。つい気が行ってしまった。
 女中が鼻に皺を寄せ、「さあ」と言うと、お局がやってきて、また淫水を御厠に受けた。そして、御厠をかしげて「これでは足りぬ」と、医者が腫気病人の小便を計ってみるようなことをし、立ち去ろうとしたところを大豆右衛門はとらえた。
「段々のなされ方、納得できませぬ。わたくしの気をもませ、腎水をお取りになるのは、どうした訳でございましょう。これがお慰みになりますか。せんずりばかりのご奉公とわかっておれば、参りませんでしたものを」
 お局は話を聞いていた。
「もっとも、もっとも。これには訳がある。聞きなされ。この殿さま、お達者なお生まれで、お丈夫なのを頼みに多くのお手かけに腎水を減らし、ついにお煩い遊ばされてしもうた。日を経てご本復されたが、萎陰とやらにおなりなされ、お企てなされてもお一物の埒が明かぬ。それをお嘆きなされ、いろいろお薬を召し上がりになったが、一向に徴(しるし)がない。ある名医が申し上げられるに、『内薬ばかりでは効果はありますまい。呪(まじな)いをなされるべきです。四十二歳のたいそう丈夫な男の淫水を一升取り、陰干しにして辰砂(しんしゃ)を入れ、衣(きぬ)に包みます。これを酒を混ぜた熱湯に入れ、この湯でお一物を一日に三度ずつお洗いなされたら、三十日ほどでご快気されましょう』とのこと。そこで、あちらこちらと男を尋ねたが、年が合えば弱く、丈夫だと年が合わずで苦慮していたところ、そなたは年も好みのとおり、しかも丈夫なので、きょう、ここへ招き、先ほどのとおり気を動かさせ、水を取ったのじゃ」
 大豆右衛門は肝を潰し、こんな馬鹿なことに骨を折るは一生の損と、早々からだを去った。魂が戻った手代は、これまでのことを一切知らないので、また犯しにきた女中をとらえ、しようとしてはせんずりをかかれ、淫水を絞られ絞られしている。揚げ句に疲れ果ててぐにゃぐにゃになっているところへ、女中が大挙して押しかけ、あれこれと手を尽して無理矢理気を立てさせ、かいては絞り絞られの繰り返し。淫水が血に代わっても女中どもは離さず、手代は次第に弱り果てていった。
 屏風の陰より見ていた大豆右衛門は涙を流した。『不憫や、こいつ。化け物草紙の話にある、神の賽銭を盗み、その金で油を買った咎のため、鬼によって締め木にかけられ、油を搾り取られているようなもの。五日と生きられるまい。ああ、南無阿弥陀仏』
 大豆右衛門は手代に廻向し、その屋敷を出た。


目録 二之巻

第一 深川は水(すい)な遊び所
 悋気で去ってまた呼び戻す旦那の使い、舅の我が儘なる証文は天窓(あたま)をかいた後悔

第二 妾(てかけ)をかねる大黒の小姓
 臨終に廻向する和尚は、仏にさす魔より、らをさす働きのまぎらかしは頓智頓智

第三 女かと思えば男業平の妾
 若衆の色事は、あちらこちらの口説き、口より尻をすぼめる大豆右衛門

一 深川は水(すい)な遊び所

 時鳥(ほととぎす)の一声で明け渡る夏の短い夜、その代わりに昼は長く、朝にしたことを忘れるほどである。
 大豆右衛門は深川の景色を見ようと永代橋を渡り、ほどなく富岡八幡宮にやってきた。ここはあまり賑やかではないが寂しくもない。二軒茶屋は京の祇園を見るようであり、鳥居前の茶屋は奇麗どころが揃っている。遊山するのによい、面白そうな土地である。
 八幡宮を拝しおわり、傍らを見ると、五ツほどの女の子がいた。色白で可愛らしい。小丁稚が日傘をかざし、その下で乳母と遊んでいる。大豆右衛門は女の子をつくづくと見た。『上品そうで美しい顔だちの子どもだ。定めしお袋似なのだろう。目鼻立ちの美しさが想像できる。それならば、この乳母に取り付いて家(うち)へ行き、母親をせしめよう』
 と思っているうちに、女の子が「さあ、乳母。うちへ、うちへ」と言う。
「お腹がすきましたのか。だいぶ経ちましたからね。帰りましょうか」
 乳母が女の子を抱き上げたので、大豆右衛門もすかさず乳母の帯に取り付いた。皆々は鳥居を出て右へ一町ほど行った角の大格子の家に入っていく。大豆右衛門が台所から奥のほうへ行き、お袋を探してさらに奥へ進むと、手紙を書いている亭主がいた。男ぶりがさほどではないので、いよいよあの子は母親似に違いないと確信しながら探してみたが、お袋らしい者がどこにも見当たらない。大豆右衛門は乳母のいるところに戻ってきた。
 乳母は湯漬飯を食べながら、給仕の仲居女と雑談をしていた。
「おいとしいこと。このお子が奥さまをお尋ねなさるのだから、旦那さまも堪忍されてお呼び戻しなさればよいのに」
「あいさ。悋気や嫉妬は女の習い。少しのことに揚げ足を取り、お子がある仲なのに実家にお帰しになる旦那さまがよくない」
 奥さま贔屓の二人は亭主を非難していた。
 聞いていた大豆右衛門は、『さては亭主が性悪のため、何らかの悋気で去らしたのだろう。どうか呼び戻して喰ってやりたい』と、ないもの喰おうで、しきりに奥さまがゆかしくなり、旦那に移り替わってぜひ呼び戻そうと、亭主いた部屋に戻り、すぐその魂と成り代わった。だが、薮から棒に呼び戻せとは言い出しにくく、何かきっかけはないものかと待っていた。
「かかさまは灸を据えて、もうお帰りなされそうなころなのに」
 娘が乳母に話した。大豆右衛門はこれだと思った。
「お糸。かかさまが恋しいか。かかさまが灸を据えに行ったというのは嘘。誠はおれが里へ帰した。寂しいのなら呼びにやらせよう。乳母、手代どもを呼んでこい」
 乳母は喜んだ。
「お子さまのおためです。どうぞお呼び戻しなされ進ぜられませ。手代の太郎兵衛殿を呼んで参りましょう」
 と尻を振って表へ出て、すぐ重手代(おもてだい)の太郎兵衛を連れてきた。
「これ、太郎兵衛。いったん、怒って女どもを里に帰したが、嬢が寂しがるのがどうしても可哀想で呼び戻そうと思う。そのほう、ただいまよりすぐ先方に行き、早く女どもに帰られよと言え」
 と大豆右衛門は言いつけた。太郎兵衛は畏まった。
「なるほど、ごもっともに存じます。私も旦那さまのご機嫌を見合わせ、いずれその段を申し上げましょうと思っておりました。早々に行き、お供して参りましょう」
 太郎兵衛はすぐに仕度をして霊岸島の舅の方へ向かったが、しばらくして一人で帰ってきた。
「お里へ参り、奥さまへ御意のとおり申しましたところ、奥さまはご合点なされましたが、お舅の善左衛門さまがお首を縦に振ってくださりません。『聟殿の仕方はよろしくない。少しばかりの悋気に腹を立て、離別を致したことが解せぬ。いま呼び戻しても、また返すのは知れたこと。いっそこのたびが縁の切れ目と思えば諸事が済む。戻すことはならぬ』と申されます。それゆえ私も気の毒に存じ、先方の番頭の徳兵衛とも内談致し、いろいろ申しましたが、合点をなされませぬ」
 それを聞いて大豆右衛門はますます女房がゆかしくなった。
「そのほう、また行き、舅殿をだましてでも連れてこい」
 太郎兵衛は「畏まりました」と霊岸島へ向かったが、よほど手間取っているとみえて、なかなか戻ってこない。ようやく戻ってきても、また一人であった。頭をかいている。
「先刻も申しましたとおり、なかなか合点なされませぬところをさまざまに申しましたら、『しからばこのほうにも望みがある。このとおりに謝り証文を書いてよこされるならば戻そう』と仰せられます」
 と証文を差し出して見せた。
 証文は一ツ書きで始まり、ほかの女に手をつけないなど、女房の機嫌を取ろうとする舅方に有利な文言ばかりが並んでいる。普通に考えれば死んでも書けない証文だが、女房取りたさに頭がいっぱいの大豆右衛門は、「これは容易い望みごと。戻すことさえできるなら、証文を書き、判も据えてやろう」と証文を認めた。太郎兵衛が眉に皺を寄せている。
「このお証文はどう見ても一方的な舅方の書き様。もう少しお考えになってから」
 と具申したが、大豆右衛門は聞き入れなかった。
「いやさ、娘のためじゃ。ちっとも苦しゅうない」と、千両のことでも通用する大事な判を惜しげもなく押した証文を太郎兵衛に渡し、「これと女どもを引き替えにして参れ」と申しつけた。
 太郎兵衛は主人の言いつけなので仕方なく舅方へ行き、埒(らち)が明いたとみえ、ようやく暮れ前になって内儀を駕籠に乗せて戻ってきた。
 大豆右衛門はたいそう喜び、次の間まで内儀を出迎えた。少し背は低いが、全体的に美しく、あの子にそっくりである。さすがおれの見立てに狂いはないと大豆右衛門は心自慢して内儀を見た。
「久しく里にいて気詰まりであったろう。さあ、こちらへきたまへ」
 とすぐに納戸へともない、長らく待ち侘びた勢いに、内儀を抱き転(こ)かして乗りかかった。内儀が肝を消した。
「これはあんまりなこと。まずは娘に会わせて下さい。気を静めてそれから晩に」
「いや、この間中待ちかねた。出戻りは堪忍ならぬ。娘に会うのは後でよい」
 大豆右衛門が内儀の前を押しまくって割り込んだ。内儀は久しぶりで気が浮かれているのか、すぐに汁をぬらぬらと出し、亭主のものを握って前にあてがう。一物の頭が玉門に臨むや否や、吸い込まれるようにぬらぬらと入り、内儀が足を上げ、ぴったりと抱きついた拍子に、根っこまでぬっと一気に入った。玉中は暖かく、回りから閉め寄せてきて、まるで一物を歯のない口でかむようなもてなしである。これがいわゆる蛸というものなのだろうと、大豆右衛門が無性に腰を遣うたびに、つぼつぼと鳴る心地好さ。思わず二番取ってようやく離れた。
 そうこうしているうちに日が暮れたので、夜食を急いで取り、食事が済むとすぐに床を取らせて内儀を裸にし、また横抱きにして取りかかる。だが、内儀は開(ほと)に手を当てて入させようとしなかった。
「何ごとをしやる」
「わたしにちとお願いがあります。きょう、わたしをお呼び戻しになりましたが、またお前さまの癖が起こりまして、帰れとか戻れとか仰せになるとも限りませんので、心変わりはしないという起請を書いて下さりませ。そうして下さらなければ、入れさせませぬ」
「もうこのように弾み切って折れそうなのだ。これをしないと頓病になる。起請の誓紙はないけれども、何なりと望み次第に何でも書く」
 大豆右衛門はそのまま起きて、紙と筆を取り、女房の望みのままに文と名を書いて判を押し、さらに血判まで押して差し出した。
「これで心が落ち着きました」
 内儀は安心したとみえて、改めて抱きつき、口を吸わせ、根まで入させる。尻をもみながら、忍び声で泣くのが心地好い。大豆右衛門もこのような名開(めいかい)に出会ったのは初めてなので、続けざまにいくつか取り、くたびれてそのまま寝入った。
 翌日、大豆右衛門は目覚めて、その日が精進日だったことを思い出した。『南無三。これはまずい』
 大豆右衛門が亭主のからだからさっと抜け出すと、すぐに亭主が目覚めた。脇に女が寝ているのを見て、『これは不思議。誰が寝ているや。乳母が娘を連れてきて寝たのか』と思い、顔を見ると離縁したはずの女房なので、ますます合点がいかない。『いつの間に女房は戻ったのか。さては戻りたい、戻りたいと思う一念で、生き霊がきたか』と揺り起こした。内儀が目覚めた。
「夕べの疲れでよく寝入りました」
 何のことかわからないので、亭主はますます不審がった。
「そのほうはいつの間に戻ったのだ。離縁された家(うち)へむざむざ戻れるわけがない」
「お前さまは何を仰せられますか。きのう、太郎兵衛を迎えに寄越し、以後、私を帰らせないという謝り証文まで書いて、わたしを戻すよう父にお詫びをしましたので戻りました。夕べ一夜、お前さまはわたしを自由になされたので、もうお飽きになりましたか」
「ハレ。合点がいかぬ」
 亭主は布団から起き出して太郎兵衛を呼びつけた。太郎兵衛が駆けつけてきた。
「いつ女どもを連れ戻したのだ」
「これはしたり。きのう、仰せつけられましたので、お供致して参りました。お舅御が戻すことはならぬとあったのをいろいろ申し、向こう方の意のままの証文を持参し、お目にかけました。一方的な文言なので、『お考えなされませ』と申し上げましたが、『苦しからぬ』と御印形まで押されました。いまになって何ごとを仰せられますか」
「さてはそのほうも舅とぐるになり、無理矢理戻させたな。堪忍ならぬ」
 と手代や内儀にとっては心外な腹立ちを言う。内儀が進み出た。
「このようなこともあろうと思い、夕べ、お前さまに誓紙を書かせました」
 と差し出した。何だと思って見ると、自分の手跡の起請文で、印判に血判まで押してある。
「こりゃ何じゃ。よく考えてみよ。女房を里に帰し、また呼び戻すのに、なぜ謝り証文など書かねばならぬ。女房に起請を書き、詫びる馬鹿もあるまい。これは我らに酒などをしたたかに飲ませて正体を失わせ、里方とぐるになって我に恥をかかせる企みであろう。これはとことん詮議しなければ男が立たぬ。親類衆を呼びにやれ、仲人の方へも人やれ」
 と亭主は真っ黒になって腹を立てはじめた。
 大豆右衛門は亭主の激しい悋気に気味が悪くなり、取るものは取ったし、もうこの家に用はないと門口を出た。

二 妾をかねる大黒の小姓

 大豆右衛門は吉原を見ようと、吉原(さと)通いする人の袖に取り付き、深川から猪牙舟に乗った。南風が強く吹いていたけれども、猪牙舟は早いのですぐに着くだろうと思われたが、浅草川までやってきたとき、波が立っていよいよ危くなり、やむを得ず船頭は浅草御蔵の脇へ舟をつけ、断りを述べて乗り手を降ろした。大豆右衛門を羽織の裾に取り付けた客は舟から上がったが、大豆右衛門はどうしたことか、そのときに取り外し、ころりと小石の上に落ちてしまった。
 腰をしたたかに打ち、顔をしかめ、足を投げ出して、しばらく腰をさすっているうちに、客の姿が見えなくなっていた。大豆右衛門は仕方なく一人で客の向かった方向に歩きはじめた。たぶん吉原はそちらにあるはずだ。しかし、道を知らないために結局迷ってしまい、あそこよここよと歩いているうちに浅草の寺町に出た。
 ここはどこだとしばらく佇んでいると、向こうから紬の単物(ひとえもの)に絹小紋の単羽織を着た肝煎らしい男が、辻駕籠に寄り添うようにしてやってくる。駕籠は大きな寺へ入っていった。これは何か子細がありそうだと大豆右衛門は、吉原は後回しにして肝煎の袂に取り付いて一緒に寺へ入った。駕籠は客殿の脇の居間の路地口で止まり、肝煎が切り戸を開けて入り、しばらくして出てきてから駕籠を庭のほうへ入れさせた。
 駕籠の戸を開けると、なかより無地の黒い単物に茶縮緬の羽織を着た、女のようにも見えるし、若衆にも見える十八、九ほどの者が降りてきた。面体が美しい。居間へ上がると、四十ばかりでふとり肉(じし)の強そうな亭坊が嬉しそうな顔つきで出てきた。
「兵助殿、たいへんお世話になります。お蔭さまで万事首尾よく調い、忝(かたじけの)う存じます」
「はい。わたしも大分(だいぶん)骨を折りましたが、首尾も上出来で嬉しい次第です。諸事この女中に吹き込みましたので、お気遣いなく可愛(かわゆ)がって下さいませ」
 兵助と呼ばれた肝煎が答えた。
「何はともあれ如在のないこと。見まするに誰も疑わない若衆のようで、喜びもひとしおです。では、まずお約束の切り枚百両はここに。それと十両、これは貴殿のお骨折り賃。愚僧が寸志でござります」と渡した。「ご酒(しゅ)も進ぜませんが、きょうは帰って下さりませ。様子を見ながらまた一両日中にゆるゆると進ぜましょう」
 亭坊が待ちかねて早々と帰したがる理由を肝煎は察した。
「ではお暇申しましょう。ご酒はいずれそのうちに。そなたも随分大切にご奉公さっしゃれよ」
 肝煎は奉公人にも挨拶して出た。亭坊は路地口まで見送り、急いで戻ると戸を閉め、すかさず寄ってきてその手を取った。
「苦労なことだが、ここにいる間はいつまでも若衆の体(てい)でいなければならぬ。悟られぬよう、同宿や納所にも手を握らせるでないぞ。誓紙は明日書きましょう。まずこなたへ」
 と次の一間へ連れていく。すでに床が敷かれていて、枕元の火鉢に唐薬缶がかけてある。赤紙に包まれた練薬も置いてあった。若衆と思われたのは女で、亭坊が大黒(囲い者)に招いた者だった。他の者の手前、女と知られてはまずいので、若衆の格好をさせているのである。
 亭坊は女を布団の上へ引き上げ、帯を解かせた。そして自分も帯を解いて乗りかけたとき、大豆右衛門は『大黒の先陣は我なり』と名乗りもあえず、そのまま亭坊の魂と入れ替わった。
 大豆右衛門は少し慰めてから取ろうとまず内股へ割り込み、自分は上体を起こして指先を差し入れ、空割から実(さね)の上までを逆さに撫で上げて撫で下ろす。五、六度繰り返すと潤いが出てきた。そっと中指を入れてびくつかせてみると、早くも堪えかねて女は下から両手を上げて抱きつこうとしてきたが、せかずにさらにくじっていると、次第次第に鼻息が荒くなり、眉に皺が寄り、顔が耳まで赤くなる。目を閉じ、尻をもじらせながら、「さあ、早う、入れて、入れて」と堪え切れずに嘆願してきた。
 白い液が流れ出し、身もだえしている。もう罪づくりなくじりはやめようと大豆右衛門は指を抜き、一物に入れ替えてぬっと根まで惜しげもなく入れた。女が「ああ」と泣いてしがみつく。腰を遣いはじめると「もっと強く底のほうを」とか「右のほうを」と、さまざまな好みをいう。その要求に応えながら大豆右衛門は、大汗を流してようやく一ツ仕舞いおえた。
 十分に拭って、また取りかかろうとした矢先、僧が走ってきて外より声をかけてきた。
「もしもし。和尚さま。ただいま山形屋甚六さまよりお使いが参りまして、かねて療養中の病人のことで、快方に向かっていたのに、急変して命が危ないそうです。お出で下さり、お十念を授けて下さりませ」
 大豆右衛門はいまがちょうどよい真最中なので、そんなことになど構っている場合ではなかった。
「ハテ。そっちが死ねばこちらも死ぬほどによいところだ。捨てて行けるものか。『和尚は頭痛が致す。亡くなられたら、引導のとき、こちらで十念を一緒に致しましょう』と言へ」
 と、大豆右衛門は腹の上からの挨拶。小僧は立ち去ったが、しばらくして納所坊が小僧を連れてやってきた。
「和尚さま。今度は手代衆が参られまして、『お頭痛が致さばご難儀ではございましょうが、こちらもいまが今生の別れ際でございます。何卒ご苦労さまながらお出で下さりませ』と申されます。山形屋はほかの檀那と違い、この寺にとっては大切な檀那。首尾が悪いと寺のためになりませぬ」
 と言うや、がばっと入ってきて、乗っている和尚を引き離した。そして濡れまらをろくに拭きもせず、ふんどしもさせぬまま、小僧がただちに白無垢を着せる。続いて納所が衣を着せ、行水もしてない身にもったいない五条の袈裟をかけ、手を引いて無理矢理に乗物へ押し込んだ。
 陸尺が足を速めて病家に着いてみると、すでに病人は事切れたらしく、女の泣き声が聞こえ、買い物使いの男がしらごし早布を持っている。亭主が涙ながらに和尚を出迎えた。
「ようこそお出でなされました。産後ゆえ大事とは存じましたが、はたして変状しまして事切れましてござる」
 大豆右衛門はあまり急だったためにうろたえて、からだから出ることを忘れてしまい、そのまま和尚に成り代わることにして、もっともらしい顔をした。
「さては残念千万。お年も若く、よもやかようのことはあるまいと存じていましたのに、是非ない浮世、愚僧もきょうの南の風にあたり、頭痛が致しましたゆえ遅くなり、臨終にも間に合いませんで、わけて気の毒にござる」
 お袋が目を泣き腫らして寄ってきて、
「せめて仏にご廻向をなされて下さりませ」
 と、大豆右衛門を連れて屏風を立て回した内へ入れた。仏が仰向けに寝かされていて、上に夜着がかけられ、枕飯(まくらめし)などが供えてあった。
「これでとくとご廻向なされて下さりませ」
 お袋は勝手へと去っていった。こうなっては死人と二人だけの差し向かいである。大豆右衛門はにわかに怖じ気づき、もはや和尚のからだにいることはできないと飛び出し、屏風のすき間より逃げ出した。
 自分の魂が立ち戻った和尚は、ここへ連れてこられたことは知らず、まだ寺にいて大黒を取りかかろうとしている気でいる。床は取ってあり、女も寝ている、しかも薄暗い。寺にいるのは間違いないが、しかし、なんでおれは衣を着ているのだと衣を脱ぎ捨て、死人の夜着を引きまくって、その腹の上に乗り、股を割り込んで、おやした一物をぬっと入れた。
 しばらくして思う存分腰を遣っているところに、香炉と樒(しきみ)の花を持ったお袋が、涙をこぼしながらやってきた。
「ご廻向をなされて下さりましたか」
 と屏風を開けると、死人の上に乗って腰を遣い、鼻息も荒く目を見張っている和尚の姿が飛び込んできた。お袋は仏に魔が入ったため、和尚が取り鎮めて下さっているのだと勘違いし、大声を立てた。
「やれ、皆出てこい。仏に魔がさして、和尚さまがとらえていらっしゃる」
 その叫び声にすわ何ごとかと、亭主をはじめ家内一同が大きく騒ぎはじめた。女どもはすっかり脅え切っている。
「三毛猫をつないでおけと言ったのに、放しておいたから魔になったのじゃ。ほうきを持ってこい、水を飲ませるな」
 皆々が呪(まじな)いを言い合いながら仏の近くへ寄ってきた。
 そのうち和尚はがたがたと気がいき、正気に戻った。そして周囲を見回し、ようやく自分が寺ではなく檀家にいることに気づいた。『南無三宝。これまでか』と思われたが、そこはさすが色事に博学の和尚である。少しも騒がず、『魔がさした』の言葉を取り、
「いずれも騒ぎなさるな。この仏に魔がさし、我らに飛びついたので取り押さえ、愚僧の羅経をさして鎮めました」
 と、そ知らぬ顔で言い抜けた。
 一部始終を知っている大豆右衛門は、『死人の開(ぼぼ)をしたる和尚さま。これで死人も成仏は疑いない』と手を合わせ、笑いながら拝んだ。

三 女かと思えば男業平の妾

 大豆右衛門は吉原へ行こうとしていたが、道を知らないのでどうしたものかと思案しているところに、死人を出したその家より金杉まで使いが行くというのを聞いた。吉原の近くなのでこれ幸いとその使いの肩へ飛び乗り、ほどなく金杉へとやってきた。使いと一緒に家に入ってみると、ここも裕福な家のようだが、勝手から奥のほうへ行っても、竃の前にお多福が二、三人いるほか、女の姿が一人も見えない。
 亭主は茶を好むらしく茶室がある。そちらへ行ってみると、茶室からひそひそと話し声が聞こえてくる。そっと覗いてみると、十八、九の女が、十六、七のまだ前髪のある若衆を口説いていた。女は絹布(けんぷ)を着ている。さてはこの娘が内儀なのだろう。若衆は口説かれて、恥ずかしそうにうつ向いていた。
 堪えかねた大豆右衛門は、若衆のからだへ飛び移り、そのまま女に抱きついた。
「わたしも以前から気は動いておりましたが、恥ずかしゅうござりますゆえ、控えておりました。もうこうなるからにはお心にお任せます」
 と女の上に乗ってその前をまくり、自分も前をまくって、若衆の持ち物としては少し不相応な一物をおやし立て、ぬっと女に入れようしたが、不思議なことに、女の前にも一握りに余りある、五、六寸ばかりの物が、つっと反り返っている。
 大豆右衛門はびっくりし、『これはなんだ』と思っているところを、女中は下より若衆のからだを取って逆に押し伏せ、若衆のおいどをまくり上げて、床に押し付けた。大豆右衛門は肝が潰れ、若衆のからだから抜け出せずに、そのままになっていた。
 女中が自分の一物に唾をとろりと付け、いたわるようにそろそろと若衆のおいどへ入ってきた。かりぎわまで押し込まれただけでも痛く、一生若衆になどなるものかと、大豆右衛門は尻をすぼめ、足をよじらせた。女中は随分と静かに押し入ってきたが、痛みが強く、根まで入れられると堪えるのも限界になった。大豆右衛門は起き上がろうとした。だが、両手で肩を押さえられ、動かすことができない。仕方なく両手を額(ひたい)に当て、据えた灸を我慢するように涙を流しながら耐えていると、上方は鼻息が荒くなり、しがみついてやっと気をやってくれた。
『これで離れるに違いない。ああ、嬉しい』
 だが、女中は離れないばかりか、そのまま押し込んで二番目を取り始めた。若衆を続けて取るとは何とも強い奴。顔を見ようと横を向いたとき、女中が若衆の耳元へ口を寄せた。
「源之助殿。この始末、さぞ不審でしょう。訳を話します。この主(ぬし)さまは生まれついての女嫌いで、小袖ですら女が作ったものは汚らわしいと、仕立屋にやり直しを命じるほど。親御たちは『あんな女嫌いでは子孫ができない』と嘆き、『女房を迎えろ』とあれこれ意見して勧めましたが、聞き入れないので、ついには旦那寺からも意見され、困り果てて『しからば女房を持ちましょう』と答えて一計を案じました。
 わしは女形の舞台子でしたが、勤めに出る前より主と親しみ、誠の兄弟のように言い交わしていたのをこれ幸い、私に勤めをやめさせ、『親たちが亡くなられるまで女の姿でいなさい』と、親御たちの手前、わしはさる浪人衆の娘ということにして、去々年嫁入りしてきました。
 わしも成長するにしたがって物心がつき、このようなことをしたくなることもあります。しかし、女の体(てい)でいるので、本当の女に言い寄られることもなく、やむを得ずきざす時々は、手遊びで済ませていました。
 源之助殿は主さまとはおいとこ同志ということで、ここへいらっしゃっては半月ほどずつご逗留されています。そのうち主がお前を取りなさるようになって、近くで聞いているわしは、いよいよ気が悪くなり、いずれはお前を取りたいと思っていました。きょうは主が留守なので、これまでの思いを晴らしました。これからも主が留守のときは、わしに会って下され」
 大豆右衛門はこれを聞いて読みが解けた。これなら女中にへのこがあるは道理、だが長居をして痛い目をするのも大損だと若衆のからだを抜け出した。
『これは我が一生の見立て違い。若衆のからだに入って不覚を取った。こちらを取る、あちらを取ると楽しんでいたのに、逆に大きく取り返されてしまった。しかし、思い起こせば我が大先生も了簡違いで陰間のからだへ入り、思いの外、むさ苦しい男に取られ給うたこともある。月も満ちれば欠けるのが道理、毎日よい気味ばかりしている戒めだ』
 大豆右衛門はまだしびれ、治まらない痛みに顔をしかめて、尻を抱えながらそこを立ち去った。


目録 三之巻

第一 女房の風(ふう)も器量も吉原の全盛
 欲の皮の厚い太鼓持ちは、たたきつけられる厄介者、受け取りの証文は一代の仕損じ

第二 娘と後家に恍惚(ほれ)らるる年は若女形
 忍ばんという文に、思いをかき立てられぬ行燈の光、うそ暗い情けの間違い

第三 恋には胸が踊り子の色文
 人と互いの言い訳言いかねる床髪結の商売娘を取りしは返り討ちの親の敵(かたき)


一 女房の風(ふう)も器量も吉原の全盛

 大豆右衛門は豆休先生も出合ったことのない目にあい、いまだ尻がひりついて心持ちが悪いので、吉原(ちょう)でげん直しをしようと、金杉近くの火除地で文を持っていた人に取り付いて大門までやってきた。
 吉原は誠に御免の遊里、繁昌全盛日本第一の場所であった。『ここへやってきてたった一人の女郎に会うだけでは嬉しくもない。吉原中の女郎の開(へき)狩りだ。相撲も下手より取り上げていき、だんだん上手になる。それに習って河岸より狩りはじめてやる』
 大豆右衛門は江戸町河岸の入り口にたたずみ、河岸女郎のところへ戯れにきた客どもに、ばったのように飛びつき飛びつき、まず安女郎の肌を見、それから局、一分女郎、昼夜三、格子、太夫と格を上げていき、人の金と腎水で二十日ほどの間、楽しみをしつくした。
 もはや名残りはない。さあ、江戸へ帰ろうというとき、きのうまで遊んでいた太夫・花紫の客で、八丁堀の四ノ二という大尽の取り巻きだった、雉鳩(きじばと)の権助という幇間(たいこ)が揚屋から出てくるのが見えた。大豆を見ると間がな隙がな拾いたがり、折節は突拍子もない嘘をつくので、旦那から雉鳩のあだ名を貰ったという、欲と色とだけに日々暮らしている男である。
 大豆右衛門はこの男が江戸へ行くというので取り付いて、羽織の下から顔を出していると、男は仲之町の茶屋へ上がり、べんべんと酒を呑んでは長話をして、一向に茶屋を出ようとしない。大豆右衛門はすっかり退屈した。『こいつだと埒が明かない。ほかの人に取り付いて江戸へ帰ろう』と待つうちに、雨がしょぼしょぼと降り出し、日も暮れかかってきた。『いっそ今宵はここへきた客に取り付き、どこかの見世で遊ぼう』と思い直して客を待つことにしたが、それから茶屋へくる客は一人もいなかった。
 権助は酒に酔っ払い、片脇へころりと寝るそばから、高いびきをかきはじめた。大豆右衛門は仕方なく死人の番をするように、傍らでつくねんとしていた。ほどなく夜が更け、見世が引ける時分になってようやく権助は目覚めた。
「南無三、忘れた。俵屋へ届け物があった」
 権助はにわかに起き上がり、合羽を着て、傘(からかさ)を手に茶屋を飛び出した。大豆右衛門も茶屋にいてはしょうがないので、その俵屋に行って泊まっている客に飛び込んで今夜は遊び、明日帰ろうと権助の帯の結び目にしがみついた。
 伏見町の見世は引け、すっかり寂しくなっていた。角町の河岸へ出る門も閉まっている。源助は門番に断りを言って門を通り抜け、河岸へ回る角までやってきたとき、雪隠の陰から小声で「権助さま、権助さま」と呼ぶ声が聞こえてくる。誰だと思って近寄ってみると、頬かぶりをした十六、七の新造だった。
「何用があって呼びなさるのか」
 権助は尋ねた。
「わたしは伏見町の玉屋の抱え、通路(かよいじ)と申す者でござります。お前さまはわたしをお見知りなされますまいが、わたしはよく存じています。お前さまは日ごろ頼もしいお方とお聞きましたので、ちとお頼み申したいことがござります」
「シテ、何ごとを頼まれるか。訳の次第では聞いてやらぬこともない」
 新造は少し安堵したようだった。
「ほかでもござりませぬ。わたしを今宵連れて逃げて下され」
 と聞いて権助は驚いた。
「これは薮から棒の無心。逃げたいといっても、口にするほど容易くできるものではない。よんどころない事情でもあるのか」
「わたしには身に大事の親の敵(かたき)がござります。女だてらに敵を討とうと探しておりましたとき、人買いにだまされてしまい、つい三月ほど前に売られてきました。この勤めでは敵のありかが知れましても、討つことがなりませぬ。どうぞこの廓より逃げとうござります」
 しおしおとしている新造の言葉は嘘と思えないが、少し合点のいかないところもあった。
「そんな理由ならば、工夫して連れて逃げないこともないが、逃げたら関所破りと同然。見つかったら即座に引っ捕まり、敵を探していても引き戻され、また勤めをしなければならないばかりか、鞍替えをさせられて、さらに長く勤めを続けなければならぬ。敵を討つことはやめておけ。逃げたら身の仕舞いがつかない。逃げずとも何かやりようがあろう」
「いや。わたしも逃げたいあまり、親しい朋輩衆に相談いたしましたら、『そなたは逃げたとて少しも苦しゅうはない。ここの旦那殿は欲目にくらんで人買いからそなたを買い上げたが、必要な人主も請人も口入れもいないであろう。それは御法度じゃ。見つかってもそなたに何ら責めはない』と申されます」
 権助はこの話を聞いて例の欲心がきざした。人主も請人も証文もない女郎ならば、見つけられても恐いことはない。それならば、ここを連れ出して四、五日ほど隠し置き、その見返りにしたたかこの女を楽しみ、その上で親元へ送れば、さらに礼金もあろうと、知恵袋の底をたたき、自分の着てきた合羽を女郎に着せ、手拭いで髪が見えないように頬かむりをさせた。
「後をついてきなさい」
 権助はすぐ茶屋に戻り、戸を閉めて寝静まっている家人を起こした。
「急用あって江戸へ帰ります。提灯を貸して下され」
 内より男の声がした。
「すでに夜更け。雨も降っている。明日にしなされ」
 権助はここが大事と引き下がらなかった。
「いやいや。帰らねばならぬ」
 男はよほど眠かったようで、すぐに引き下がった。
「そんなりゃ見世の棚に提灯がある。ろうそくは提灯に立ってござる」
 権助は「心得た」と見世へ上がって提灯を下ろし、そばにあった菅笠(すげがさ)を持って外へ出ると、女郎に菅笠をかぶせ、その足に泥を塗って白みを隠し、わざと提灯を持たせて前を歩かせ大門に向かう。会所の番人は気がつかないようで、咎めもせずに二人を通した。鰐の口を逃れた心地で大門を出て、権助はほっと息をついだ。
 男に取り付いて事の次第をすべて聞いていた大豆右衛門は、この仕舞いはどうつけるのか気になり、離されまいと懸命にしがみついていた。権助は日本堤から浅草聖天宮辺へ続く砂利場に、兄弟同然に懇意にしている道心者がいたので、ひとまずそこへ新造を連れていった。
 うまい夢でも見ていたらしい亭坊をたたき起こして、しかじかのことを語ると、庵主も呑み込んでなかへ通す。茶を沸かして一服つけている間に、夜がほのぼのと明けてきた。そこへ、夜明けの烏の声ととともに玉屋の旦那が男を二、三人引き連れ、この庵へどやどやとやってきた。
「権助見つけた。我はよくも町の法度を破り、女郎を盗み出したな。覚悟せよ」
 とわめいた。権助も弱みは見せなかった。
「法度破りというのなら、こちらからそのほうを詮議する。なぜ請人と人主のいない女を買い取ったのか」
 痛いところを突かれたと見えて、亭主はにわかにぐにゃぐにゃになった。
「なるほど。それは我らの誤り。その始終を知られたからは、こちらに言い分はない。互いにこのことは内緒にして、女郎は貴様へくれてやろう」
 思惑通りになったので、権助は内心喜んだ。
「この女郎を我らにくれるのか。それならば後日のため、一札を書き添えてくれられよ」
「なるほどもっとも。一札を書いて遣わそう。そのほうも『女郎を貰い請けて忝く、一生見捨てません』という一札を寄越されよ」
 権助が合点し、互いの望みどおりに一札を書いて取り交わすと、亭主は下男を連れて帰っていった。権助はまず安堵したと碇(いかり)を下ろし、新造を見た。
「近日中に親元へ送り届けよう。それまでの四、五日、ここで気を休められよ」
 昼になり、庵主が非時(食事)に出かけたのを見はからって、権助は女郎を納戸へ伴った。
「夕べからの我らが恩をあだとは思うまい。その礼をしてもらおう」
 権助がそう言って新造を押し伏せ、帯を解いて乗りかかったとき、大豆右衛門が権助のからだに乗り移った。そして、恩返しの床入りも面白かろうと、おやしすました一物をただ一息にぬっと入れようとし、新造に押し当てたはいいが、かのところは真塗りの盆を突いたように堅くて入らない。不思議なことがあるものだと、起き上がって見てみると、開(ぼぼ)の形はなく、小用の通る穴だけがちょっぽりとある。
「これはどうしたことだ」
 大豆右衛門は大きく肝を消した。女郎が涙を流していた。
「さぞ肝が潰れたことでしょう。わたくしはどうした因果か、生まれつき女のものがなく、売られてきても勤めができないので、親方がいろいろを療治を致され、裁(た)ち割ればよいだろうと、外科衆に頼んで剃刀で裁ち割ったこともあります。しかし、四、五日は形があるようでしたが、また元のように癒えてしまいました。これではわたしも生きている意味がなく、覚悟を決めて自害しようとしていたとき、旦那さまに見つかり、『なるほど。死のうと思うのはもっともだが、死ぬことはない。尼になって後世を願ったほうがましではないか。だが、この家から尼を出しては人々が不審がり、浮き名も立つ。そのほうの汚名も長く残るだろう。それも気の毒なので、誰かそのほうを一生世話してくれる人を頼み、尼になるのがよかろう』と諭されました。
 夕べからあられもない嘘をつきまして、お前さまをだましたのもそのため。こうなったのもご縁です。お世話ながら、わたしを尼になされて下さりませ」
 大豆右衛門は新造を不憫に思い、からだから抜け出した。
 理由を知らない権助の魂が戻り、まだ取りかかる気で、そのままおやして抱きつき、入れようとした。女郎が置き上がった。
「いくら試みてもどうにもなりませぬ。なるくらいならば親方が油断しませぬ」
 新造の大きな声に権助は我に返り、開がないことにまた驚いた。
「まず親元へ届けよう。その上で尼になられよ」
 と親元を聞くと、幼少のときに売られてきたので親兄弟は知らないという。
 大豆右衛門は手を打った。さても珍しい吉原の美人局(つつもたせ)、この男め、欲から思わぬ大厄介を背負ったと、笑いながら立ち去った。

二 娘と後家に恍惚(ほれ)らるる年は若女形

 大豆右衛門は芝居見物をしようと、人の袖に取り付いて日本橋の堺町までやってきて、芝居小屋の桟敷(さんじき)へ上がった。歌舞伎狂言をやっていて、嵐峯之丞という若女形が出ている。瀬川流の衣装の早着替えで、いま大当たりを取っている役者だ。一日見物しおわり、役者の帰りとはどんなものかと楽屋へ回ってみると、峯之丞が帰り仕度をしている。大豆右衛門はその顔をつくづくと見た。『この若衆、年はある程度いっているが、まだまだ美しい。これに取り付いて、様子を見てやろう』と羽織の下へ飛びついた。
 峯之丞はまっすぐ宿に戻った。灯籠に火を灯し、普段着に着替えて庭に水を打ち、居間で寝転ぶ。しばらして、金剛(草履取り)の伝兵衛という男が文を持ってきて差し出した。『峯さままいる 巴より』とある。
「ああ、嫌だ。また巴屋の後家からの手紙だ。この後家は我らに深く執心して、以前から何度も手紙を寄越しては口説こうとするが、まったく縁がないのだから、嫌で嫌で仕方がない。返事はしないよ」
 峯之丞は文を開こうともせずにうっちゃった。伝兵衛は勝手へと下がり、しばらくしてまたやってきた。
「松坂屋のご用が『この文をそっと開けてくれろ』と申します」
 と差し出した。宛て名はわかっているらしく、開いてみると、『今宵は乳母のところへ参って泊まります。工面しますので忍んでお会いしましょう」とある。松坂屋の娘おりつからの文だった。この娘も峯之丞の取巻きで、たびたび手紙を寄越していた一人である。
『この娘には会いたい。今宵は客もないので、忍んで参るよう返事をしよう』
 峯之丞はこまごまと書いて、「届けておくれ」と伝兵衛に手渡した。
 大豆右衛門は察し、『さても芸とは有難いもの。この程度の器量の若衆ならいくらでもいるが、これほど女に惚れられるのは、どんな商売であれ、そんなにはあるまい。すべては舞台のお蔭。あやかり者め。今宵、その娘がやってきたら、思い出をしてやろう』と、おりつがくるのを待つことにした。
 おりつが峯之丞と密会するのは初めてだったから、忍んでくるのはさぞや恥ずかしいに違いない。峯之丞は伝兵衛に命じて二階に床をとらせ、行燈は薄暗くして屏風の外へ出しておき、自分は床入りのときに用いるふのり紙などを用意した。
「娘が忍んできたら、秘かに二階へ伴ってこい。二階下も薄暗くしておけよ」
 夜が更けて人静かになったころ、合羽を着て頬かぶりをした女が一人でやってきた。そっと叩く戸の音に伝兵衛は心得て戸を開けた。
「思わくさまもお待ちでごります。さあお入り」
 伝兵衛は娘を伴って二階へ上がり、おりつがきた旨を伝えた。峯之丞が屏風の内へ招き入れると、おりつは合羽を脱ぎ捨て、夜着にもたれている峯之丞の近くへ添うように寄る。若衆は心が浮かれ、一物は早くもきざしていた。
 待ち構えていた大豆右衛門は、すぐさま峯之丞の魂と入れ替わり、おりつを抱き寄せて、股へ割り込んだ。若衆の一物を見ると、芸が優れているのと同様に、こちらも優れて見事。『これで新(あら)を取るのはちと無理。どうりで宵のうちに、ふのり紙を用意していたはず』と枕元のふのり紙とねり木を取り、にちゃにちゃと噛んだ。
 随分とろりとなったところで一物にたっぷり塗りつけ、静かに入れようと門口に臨んで差し込むと、ぬかるみの穴に足を取られたように、ぐわっぐわっと入っていく。さてはこのような目に何度もあっているのだろうと、ためらうことなく根まで押し入れた。おりつは両足を峯之丞の腰まで上げて絡みつけ、左右の手で首筋を抱き締め、うつつになりながら下より腰を遣っては、しきりに尻をもみ立て、もみ立てしている。この巧者ぶりは生娘の芸当ではないと思いながら、大豆右衛門はひたすら腰を遣った。とろろのような潤いが出て、びしゃびしゃ、ずぼずぼと鳴り渡っている。
 もはや堪えがたく、つい気をやり、入れたこのままで若衆にも本意を遂げさせてやろうと、大豆右衛門はからだを飛び出した。峯之丞はいま取りかかったばかりと思い、ぬっと入れて腰を遣いはじめた。その最中に伝兵衛がやってきて、遠慮しがちに声をかけた。
「もしもし。また松坂屋のお娘子がござりまして、お前さまに会いたいと言われます」
 峯之丞は合点がいかなかったが、取っているよい最中なので「ちと待たせておけ」と静かに気をやってから、帯を締めて屏風の外へ出た。おりつが息急き切って二階へ上がってきて、「いまようやく着きました」と峯之丞に抱きついた。
「これは不思議。たったいま、こなたをしたところ。床にいるのは誰や」
 そのとき屏風を押し開けて巴屋の後家が出てきたので、大豆右衛門も峯之丞も肝を潰した。後家は峯之丞に向かった。
「ご不審はごもっとも。お前さまに随分と惚れまして、いろいろ口説きましたが、なびきませぬので、とやかく心を痛めていましたところ、今宵は松坂屋のおりつさまへ忍べとの返事の文。それをご用めが取り違えて、わたしのところに持って参りました。なかを見て、これ幸いと思い、娘御の真似をして忍び込み、募る思いを晴らしました」
 おりつが無念そうな顔をして聞いている。そして、
「ご用めがお前に間違えて渡した文をようやく取り返し、わたしへ寄越したので、それだけ遅くなってしまい、お前に先を越されてしまいました」
 と涙ぐんだ。大豆右衛門はうなずき、『なるほど、どうりで床巧者のはず。古後家じゃもの』と思っていると、委細を聞いた伝兵衛が間に入ってきた。
「どの道、恋のことですから、騙(かた)っても騙られても、憎いことはござりませぬ。おりつさまをまた改めて取って差し上げられませ」と峯之丞と娘を屏風へ入れ、「後家御は下へござりませ」と連れて降り、夜着を着せて寝かしつける。
 二階では早くも取りはじめた。大豆右衛門はこの娘を今度こそはと、また峯之丞に成り代わり、一物をおやしながら、後家とは違うのだからとふのり紙を噛み、それをたっぷりと塗って臨んだ。ぎしぎしとしてなかなか入らない。今度は間違いなく生娘なのだから、それもそのはず。大豆右衛門はそろそろとあしらいながら何度も突き立て、頃合いを見はからってぬっと入れ、逃れようとずり上がるのを抱き締めながら腰を遣った。おりつも少しずつよくなってきたとみえて、次第に鼻息を荒くし、尻をよじらせはじめた。
 大豆右衛門は気をやり、峯之丞にも取らせてやろうと、そのままからだを出た。魂が戻った峯之丞は、『しかし、今宵は不思議だ。取りかかるとうっかりとなり、うつつのようになって覚えがなくなる』と、不思議がりながらも一物をまた入れ、思いのとおりに腰を遣いはじめた。
 伝兵衛は後家を下へ連れていき、寝かしつけたが、二階のことがとても羨ましく無性におえ立ち、後家を仕掛けてみようと、そっと布団をまくってみた。元々好き者の後家御は、一度取られてからたいぶ時間も経っていて、しかも二階の鼻息に心が乱れているところへ、伝兵衛がお見舞にきてくれたので嬉しくなり、寝返りを打つふりをしながら仰向けになって股を広げた。伝兵衛がこれは忝いと乗りかかり、一物を遠慮なく押し込んだ。先ほどのぬらつきがまだ残っていて、ぬっと入る拍子に金玉も一緒に入るかと思われ、双方抱きつき、ここを先途と闘いはじめた。
 一方、二階では峯之丞と娘がまだ合戦の最中。家来は主の討たれたのを知らず、主は家来の死んだことも知らずに、突き立て突き立てする華々しい働き。君臣ともに何度か愛らしい鳥のような声を聞いているとき、大豆右衛門は一番槍は取ったし、思い残すことはないとその家を出て、横山町辺へと向かった。

三 恋には胸が踊り子の色文

 横山町や橘町辺には、京都の舞子と同じように、時間を定めて情を売る踊り子の娘(女芸者)がいる。それには二品ある。親元が貧しいために踊りを身につけるまでに至らず、三味線の芸だけで身を立てる者、そして情は二の次にして踊り、人の気をいさめつつも、色仕掛けで親の知らない情を売る者である。
 呼ぶと二人一組でやってくる。一人客にとっては浪費であり、時間を定めても追加することがあるので、高くついてしまうと思われがちだが、そうでもないこともある。女郎と比べてみると、芸子は馴染みが重なっても紋日を頼むことはなく、新造が女郎になる袖留の費用を負担してほしいとお願いされることもないし、禿を新造にする新造出しというややこしいこともない。約束していても都合が悪くなれば、断りの文をひとつ送るだけでよい。ただし、折節は小袖の無心とか芝居のねだりがある。しかし、それだけのことだ。
 手管にたけた女郎と違い、たかが人なれした町娘である。諸事騙(だま)しやすく、こちらが騙されることはないので、気兼ねもいらない。人気になるのも当然だと大豆右衛門は、今度は踊り子に狙いを定め、あれこれと気にかけて、橘町の踊り子で松世(まつよ)という器量のよい娘を見立てた。三味線に踊りもこなすが、踊りを見せることを売り物にして、客の相手は二の次にするため、はかばかしい客がつかない。ほかの踊り子をも見比べているうちに、大豆右衛門は気づいたことがあった。踊り子どもは総じて秘かに相応の色をこしらえ、茶屋へ行ったときや芸稽古の先などで、ちょこちょことそれなりに楽しんでいるのである。
 松世が住む長屋のまた隣に、髪結の源助という年盛りの男がいた。源助は松世にべた惚れで、松世の兄・平兵衛のところへ髪結に行っては、近くにいる松世に目くばせで思いのたけを知らせたり、そっと文を送ってみたり、またあるときは富突きで当たった金を煙草入れに入れ、『恋の歌尽し』に載っている随分と露骨な歌を紙に書き写し、一緒に忍ばせて贈るなど、いろいろと心を尽していた。
 松世は好いていなかったので、はじめのうちは文の返事もしなかったが、朋輩の娘どもから秘かな色話を聞かされているうちに心が動き、青柳の枝が風になびくように、兄平兵衛やお袋の目を忍んで、文を取り交わすまでにはなった。だが、いまだ密会するには至ってなく、源助は心を痛めてどうしたものかと思い悩んでいた。
 ある日、松世から『今宵は首尾がよいので、屋根づたいに物干しをつたって家(うち)の二階へこい』と文があった。これを見た源助はとても嬉しく思い、自分の宗旨のお開山さまより頂いたお文より尊い文と押し戴いた。
 源助は、今宵こそ積年の本意を遂げるときと、にわかに髪を結い、銭湯へ行くなどして男をつくり、いそいそして夕暮れまでの間、この文を何度か出して見ていたとき、髪結わせに取り付いていた大豆右衛門がふとやってきた。富突きの一の富を当てたように、源助が一人で嬉しがっている様子に、何をそれほど嬉しがっているのだろうかと気になり、髪結わせ帰った後も居続けて様子を窺った。
 源助がまた押し戴いて文を読みはじめた。それを見て大豆右衛門は納得した。『こいつが喜ぶのも道理。しかし、相手が松世とあればおれも望み。晩になったらこいつのからだを拝借してくれよう』と夕暮れを待った。日が暮れると源助はいっそうそわそわしはじめた。大豆右衛門はさっさと源助のからだに入って魂を取り替え、手ぐすねを引いて文に書かれている九ツの鐘の合図を待った。
 九ツの鐘が聞こえてきた。世間はすでに寝静まっている。もうよい時分だろう。大豆右衛門は屋根より屋根へと伝わり、松世の住まいの物干しにきて、二階の窓をそっと叩いた。松世は寝ずに待っていたらしく、さっそく窓元へやってきた。
「天井が低いから頭(つむり)を打つな」と松世は手を取って招き入れ、なかに入るとさらに小声になった。「わたしのそばには母(かか)さまが寝てらっしゃる。宵に寝酒を多く過ごされましたから、よく寝入っていて何をしようとよいけれど、母さまのそばでは気おくれがして悪い。こちらにしましょ」
 松世が片脇へ招いた。木枕がふたつ置いてあり、松世がころりと横になった。大豆右衛門は物数言わずに手早く帯を解き、松世にも解かせ、肌と肌とを合わせてじっと抱き締めた。手を差し伸ばして探ると、柔らかく薄々とした毛がむらむらと生え、潤いも出ている。指を入れていじくり回すと、潤いがますます出てきて、自分の前を大豆右衛門の股(もも)に押し付けてきた。そっと一物を臨ませると、ぬらつきに伴われてぬるぬると入った。
 松世がしがみついて腰を何度も突き上げてくる。だが、母が寝ている手前、大豆右衛門が上から静かに腰を遣っていると、「もっと強く、もっと強く」とねだりごとを言う。心得たと今度は激しく突き立てると、松世は気も魂も消え果てて、うつつになっているようで、息を何度となく飲み込んで抱きついてきた。下からびしゃびしゃと音が聞こえてくる。大豆右衛門はこのもてなしについ気が行きつづけ、ふたつめの長馬場に入った。玉中も白泡(しらあわ)を吹き出し、しきりにずぼずぼと鳴り出したので松世は恥ずかしがり、「ちと拭いませんか」と紙を取って、前より臍の上までのぬめりを拭った。大豆右衛門も内股より金玉まで、夕立にあたったように濡れているのをとっくと拭き、また押し入れて互いに心行くまで気をやった。
 起き上がると、松世が「もう早う行きな。母さまが目覚めると悪い」と言う。大豆右衛門は「心得た」と答えて、入ってきた窓から源助の家へ戻り、魂を抜け出した。
 源助が目覚めてあたりを見回した。『これはだいぶ夜が更けてしまったようだ。どうして大事な夜なのに寝入ってしまったのか』と焦っている耳元に、時を知らせる石町の鐘が聞こえてきた。数えみれば七ツの鐘だった。
『南無三、大失態。松世は待っていように、眠りこけていたと言っては、不心中者と恨まれよう。初めてのときに不義理と思われては、日ごろ心を尽してきたのが水の泡、もってのほかだ』
 源助は慌てふためいて、取るものも取りあえず屋根づたいに物干しへやってきて、窓の戸を蹴破るばかりに強く押し開け、家のなかに飛び込んだ。松世はことが済んで用足しに行っていた。だが、そうと知らない源助は心の急くまま、そこに寝ていたお袋を松世と思い、脇目も振らず真一文字によく寝入っているお婆々(ばば)の上にむっと乗り、前押しまくり、おえきったしたたか者を遠慮なくぬっと突き立てた。
 しかし、汁気があったのは二十年も前の、いまは干からび切った皺開(しわぼぼ)である。きしんで入らないところを源助は焦っているため、一物が怪我をするのも顧みず、無理無体に根までぐっと押し込んだ。お婆々が「ウン」と一声上げ、そのまま息絶えてしまった。
 この声に兄の平兵衛が驚き、何ごとかと行燈を下げて二階へ駆け上がってきた。松世も後架で聞きつけ、紙燭をさして上がってくる。源助が耳も遠い七十有余のお袋を取っておっ伏せ、中腰になっていた。
 皆は驚いて、「これはどうしたことか」と大声を上げて源助が我に返った。見ると取っていたのは松世ではなくそのお袋、しかもすでに息絶えて仏になっているではないか。驚いて飛びのくと、兄と妹がお婆々に取り付いた。呼べど揺すれどしても応えはなく、身はすでに冷たくなりはじめていた。
 平兵衛が源助の胸ぐらをつかんだ。
「この大悪党。どこに七十二になるお袋と色をして、し殺すというむごいことがあるものか。親の敵(かたき)取らずにはおかぬ。覚悟しろ、御番所へ行く」
 源助は面目なくしょげ返りながら、
「お腹立ちはごもっとも千万。お袋さまを突き殺しましたのは私なれど、刃物で殺したのではござらぬから、お前さまも私の尻で敵討ちをなされ、破穴(はけつ)させて殺して下され」
 とうろたえて、わけのわからない詫び言を述べた。
 この騒ぎに大家や五人組も駆けつけ、委細を聞いて一様に驚き、「敵討ちの願いはもっともだけれど、この願い書きはどう書いたらよかろう。七十二になります私が母と色を致し、殺しましたとは書かれまい」などと、あれこれ相談をしている。
 源助の家を出て前を通りかかった大豆右衛門は事の次第を知り、『お婆々の不慮の横死、南無妙法蓮華経』と廻向して去っていった。その後、敵討ちがどうなったか、大豆右衛門に知る由はなかった。


目録 四之巻

第一 筆のさまさえ弱々(よわよわ)と女師匠
 病人の働きは読めかねる手本、書き破りな押し付けわざ、女房が振る舞いに夫は切れる命毛(いのちげ)

第二 恋には尾を出さぬ尻声のない女
 鼻の下も長く下がりしふんどし、大ぼやの迷い子は卵塔場(墓場)の出合い

第三 師匠の罰当たり眼(まなこ)の開中
 入り身に骨を折節の経水流れ出ずる女房の床入りは示しの方便


一 筆のさまさえ弱々と女師匠

 少し山の手辺を見てみようかと、大豆右衛門は下谷で人の肩に取り付き、麹町へとやってきた。一丁目の通りのなかほどに『女筆(にょひつ)指南千代』と宿札のある竹格子構えの家があった。大勢の女の子がいるので、この家へ入ってみた。
 師匠殿は三十四、五と見えて、色は浅黒いが、目鼻立ちがとおり、肌もきめ細かで、人に好かれそうな風体。まず嫌う者はあるまい。上の間にいるのが亭主らしく、顔色が悪く、月代(さかやき)を伸ばしっぱなしにしている。布団の上で夜着にもたれるようにしているので、患いついて久しいようだ。大豆右衛門は様子を探ってみることにした。
 この亭主は林五郎兵衛という名で、乱舞の師匠として渡世をしてきたが、内儀が病気になってしまい、昼は商売の太鼓を打ち、夜は内儀をまめまめしく看病し、内儀は治ったが逆に自分が衰弱しきり、三年ほど前、物もよく話せないほどに患いついてしまったらしい。ようやく最近になって治りはじめ、半身はまだ自由が利かないが、言葉をわずかずつ話すようになり、用足しも杖を突いて一人で行けるまでに回復していた。
 大病だったので喰いつづかなくなるのは目に見えていた。そこで利発な内儀は、筆跡(しゅせき)のよさを元手に、近所の女の子どもに手習いを教えはじめたという。師匠殿が女だったので、親たちは成人した娘を習わせても心配する気遣いないと、色盛りの娘も学ぶようになり、次第に弟子が増え、ゆとりも出てきた。いまでは下女を使うまでになり、御亭殿とゆるゆると暮らしている。
 手習い子のなかにお品という仕立屋の娘がいた。年は十五、六ほどで、名前のとおり器量のよい品物。しかも器用で筆跡もよいため、師匠の内儀はこの娘を番頭にして、未熟の子どもの指南役に据えた。また内儀が外出するときは留守番を頼むなど、自分の娘同然に信頼している。夜は寄り道せずに家へ帰り、朝は早くからやってきて働く娘だった。
 大豆右衛門はこの内儀を御(ぎょ)しめたいと思ってはみたが、亭主が病人なのでからだを借りることができないし、他人のからだを借りると間男になって先生の戒めに背くことになるため、内儀は諦めてその利口娘の鉢を割ることにした。
 そうこうするうちに明日は二十五日という日になった。手習いの休み日である。内儀はかねてより下町の叔母御と約束し、連れ立って芝居見物に行くことにしていた。
「お品。明日は早くきて、留守して下され」
 翌日、お品は言われたとおり、朝早くにやってきて内儀の仕度を手伝い、下女を伴った内儀を機嫌よく送り出した後、後片付けを済ませ、次の間で自分の手習いを始めた。
 大豆右衛門にとってこれほど上首尾の日はなかった。いつも内儀が留守だと下女がいて邪魔だったが、きょうは両人とも留守、しかも芝居見物とくれば、暮れ過ぎにならないと帰ってこない。お品を取るのはいましかなかった。だが、からだを借りる人もいない。大豆右衛門はいろいろに思案し、そういえばと思い出した。
『豆休先生もあるとき中風病みのからだへお入りになり、色どもをお取りになったことがある。その例もあるではないか』
 さっそく亭主のからだへ入って、まず肝心な一物がおえるかどうか試してみた。手を触れて撫でてみると、ちゃんとおえてくれる。さあ、これできょう一日の楽しみができた。大豆右衛門は次の間を覗いた。
「お品どの、お品どの」
 呼ぶと「あい」と答えてお品が入ってきた。
「きょう、わしは調子が悪く腹が筋張ります。ちっとさすって下され」
「心得ました」
 とお品が寄ってきた。
 しかし、これからのことを考えると、かなり手間取るに違いない。まずは戸締まりだと、「路地の口を閉めてござれ」と頼むと、まったく企みに気がつかないお品は路地口を閉めてから近寄ってきて、柔らかな手で仰向けになっている大豆右衛門の腹を撫でた。一物がいよいよ見事になる。
「もちっと臍の下のほうを撫でて下され」
 疑うこともなく臍のさらに下を撫でると、おえ立ったる一物に触れたのでお品はびっくりし、手を引っ込めようとしたところを左手ですかさずとらえた。
「これを握ってみたまえ」
 大豆右衛門は無理矢理一物を触らせようとしたが、お品は恥ずかしがり、手を握り締めて指を開こうとしなかった。亭主は半身が動かない病人だが、魂は大豆右衛門に替わっているので右手の自由が効く。大豆右衛門はその手でお品の指をほどき、一物を握らせると、嫌ではないとみえてぐっと握り締めてきた。
 こうなれば、してやったりである。大豆右衛門は左手でお品の帯をとらえて前へ引き寄せ、股の間へ右手を差し入れる。娘が少し股を広げたので、さらに押し込んだ。まだ毛は生えていなかった。中指をそっと件(くだん)へ押し込んでびくつかせてみると、わずかだが潤いが出てきた。お品が顔を赤らめてうつ向いている。
 大豆右衛門はお品を引き寄せて仰向けにし、股へ割り込んで一物をあてがった。そこはまだ蓋のままだったので、唾をとろりと塗りつけ、静かに雁ぎわまで入れてみると難なく入った。お品が振袖を顔に当てて覆い、股(もも)をすぼめようとする。大豆右衛門は自分の両足でお品の股を押し開き、腰を押し出して思い切り根元まで入れた。
「ああ、痛(いた)」
 お品が逃れようとするので、大豆右衛門はお品の脇の下から両手を回し、肩をしっかりと押さえて逃れられなくして、さらに突きかけた。しばらく突いていると、お品は少しよくなってきたらしく、おいどをびくつかせはじめる。汁もいっそう出てきた。
 大豆右衛門がつい気をやり、そっと抜いて拭いていると、お品も起き上がろうとしたので、そこを押さえてまた入れる。今度はぬるぬると入った。さらに突き立てると、今度は先ほどと異なって鼻息は荒く、両手で大豆右衛門の首筋を締めつけ、股をいっそう広げる。びしゃびしゃと鳴り渡り、しばらく戦って互いに気をやった。
 離れてからお品が立ち去ろうとしたところを引き留めた。
「早くから心をかけていたが、きょう、ようやく志を遂げることができた。忝い。女どもが帰らぬうちに、また後で。よいな」
 お品はこくりとうなずいて、飯ごしらえをはじめた。
 夕飯が済み、大豆右衛門はお品を呼んで、今度は押し入れへ連れていき、押し伏せて尻から取りかけた。もう味を喰いしめたお品は、尻を大豆右衛門の股へ押し付けるようにして気をやる。
 そのとき突然、路地の戸が開く音が聞こえてきた。
「きょうは珍しく芝居見物に行きましたのに、喧嘩があって、早く幕が下りてしまったので帰ってきました。お品どの。さぞ寂しかったであろう」
 内儀が帰ってきたのだ。内儀は茶の間へ行くと、お品の姿が見えないので、用足しにでも行ったのであろうと思い、自分は居間へ入って着替え、細帯になった。だが、ふだんはそこにいるはずの亭主も見えない。これは不思議と何気なく納戸の唐紙を開けてみると、大病人の亭主がお品を押し伏せ、腰を遣っている真最中。内儀が肝を消したのも無理はなかった。
「これはいったい」
 はっとしてお品はそのまま起き上がり、勝手へ逃げ込んだ。大豆右衛門はどうしようもなくなり、ここは謝るのが肝心と、犬つくばいにひれ伏した。内儀が近づいてきた。
「これはまあ、どうしたこと。いつ、お前さまはそれほど気色がよくなりましたのか。今朝まで半身が動かなかったのに、いまはとても達者な身振り。さてはこれまでの患いは嘘じゃの。お品に心があるため、わたしに油断させ、こうしたことをするための仮病か。わたしは患いを本当(ほん)のことと思いつづけ、三年このかた後家同然の寂しい一人寝。手のかかる子どもを育むように、お世話して尽してきましたのに、お前さまからお礼が一言もないのは仕方ないにせよ、心のうちで嬉しいと思うて下されるのが咎にはなりますまい。それなのに、これまでわたしに寂しい目をさせ、お品と懇ろになさるのは見捨てておけませぬ」
 内儀の恨みつらみの段々はもっとも至極である。
 この場はひたすら謝らなければ収まりがつくまい。大豆右衛門はしおしおとなって、床に手をつき、頭を深くたれたが、一物は気をやる前に引き抜かれたため、ひょこひょことして腹にべったりとくっついたり離れたり。この小気味良さに雁ぎわはさらに膨れ、筋張り苛立ってきた。これには困りはてた。親の心子知らずとはこのことで、どうか萎えてほしいと願えば願うほど、意地悪くおえ立ってくる。内儀が気づかぬはずはなかった。
「仮病をつかっていたのですから、半身が動くどころか、そちらもごたいそうなこと。お品になされたことをわたしに致さぬとは聞こえませぬ。これまでの寂しい思い、看病への報いと思い、いまこれから晴らして下さいませ」
 大豆右衛門はひれ伏して謝りつづけたとて、一物が収まらなければと困っていたところへその言葉。内儀をも取りたいと思っていたので、これは渡りに船と乗りかかった。激しく腰を遣って一番、そして三年間の報いに応えようと、そのまま二番に入り、また腰を遣う。内儀の声がいっそう大きくなり、あれをこれをと求めてくる。
「また行きます。底のほうを強く突いて。ああ、気が遠うなる」
 内儀は尻をもみ、肩ぎわへ食いついて、さらに正体がなくなっている。
 三年ぶりなのだから、それだけの因業はあろう。大豆右衛門が右三左三上六下六(うさんささんじょうろくげろく)の秘術を尽すと、潤いはさらに溢れ出し、蟻の門渡りからおいどの脇目をつたって下着の裏へたまる。ずぼずぼ、ぐしゃぐしゃと鳴り響き、内儀は四ツ五ツはやったのであろう。大豆右衛門も二番槍を突きはたした。
 もうこれっ切りだと大豆右衛門が魂を去ると、可哀想なことに亭主は、三年この方の大病で腎水が少ないのに、一度に使われてしまい、内儀の腹の上で動かなくなってしまった。ぽかんと開けた口が右下へぐっと垂れ下がり、目も垂れ下がって、がたがたと全身が震えはじめた。唇は変色し、何やら話したそうだが、ろれつが回らず、舌が犬のように垂れている。どうにか動かせる左手だけを上げ、拝むようにした。息が絶えつつあるのは明らかだった。
 内儀が驚いてそのまま亭主を横に寝かした。亭主は痰がからんだように咽喉が鳴りはじめ、もはや目の焦点はあっていなかった。内儀が泣き叫んだ。
「お品どの。早く、早く。親仁(おやじ)どのが臨終じゃ」
 お品が勝手から湯を持って駆けてくるのと入れ替わりに、内儀は振りちんならぬ振りふり開(つび)のまま医者を呼びに出ていった。お品が湯を亭主の口へ入れようとしたが、咽喉を通ろうとしない。「五郎兵衛さま、五郎兵衛さま。お気をたしかに」と呼びつづけた。
 内儀が医者を連れて戻ってきた。医者は脈をみたが、首を横に振るだけで、「もう埒が明かぬ。この上の療治は灸よりほかない」と言い捨てて帰ってしまった。内儀はそれまでのよがり声と引き替えにわっと泣きはじめた。
 これほどもろく死ぬとは思っていなかったので、大豆右衛門も残念に思った。しかし、どうせ役に立たぬ病人なのだから、死んだほうがましとも言える。後家になっていたずらをしたほうが内儀にとっては仕合せのはず。いずれまた訪れて後家どのを取ってやろうと大豆右衛門は出ていった。

二 恋には尾を出さぬ尻声のない女

 氷川大明神は武蔵国第一の宮である。大豆右衛門は三河台の氷川大明神を参詣に訪れ、夕暮れごろ帰ろうとしていたとき、向こうから二十四、五ばかりの馬鹿面のぬけぬけした男と、いかにも好き者そうな二十一ばかりの女が連れ立ってやってきた。夕暮れ時に手を引き合い、話している様子は密会のようだ。
 あの女は馬鹿っぽい顔の男の何を見込んで惚れたのか。定めて一物が見事なので見込んだのだろう。あの男めに乗り移り、女をせしめてやろうと大豆右衛門は男の帯に取り付いた。落ち着くところまでついていくつもりである。二人は溜池を右手に見て、紀伊国坂(きのくにざか)へと至り、その口元にある町の裏屋へ入っていった。
「お内儀(かみ)さま。また世話になりに参りました」
 九尺店(だな)の戸口より男が声をかけると女房が出てきた。
「お出でなされましたか。さあ、お上がりなされませ」
 男と女が上がる。女房は茶を沸かしはじめた。
「御亭主さまはお留守か」
「いましがた念仏講に行きました。帰りまでによほど間がござりましょう。それまでゆるりとお遊びなされませ」
 女房が伸び上がって棚の石皿を下ろした。菜の浸し物が入っている。
「おやじの寝酒に買っておきました。これから買いに行きますが、その前にこれを」
 女房は亭主が呑むはずだった酒をちろりにあけ、燗をしはじめた。
「お内儀さま、かまわさんすな」
「いや。話の相手だけとは参りませぬ。どうせ有りもの」
 煤けた角行燈の暗がりのなか、自分たちも使っているような盃(さかずき)を差出し、酒を客に振る舞い、自分も飲む。頃合いを見て女房が口を開いた。
「わたしはちょっと隣へ参ります。後を留守して下されませ」
 女房が戸を閉めて出ていったので、さあ、ここだと、大豆右衛門は男のからだに飛び入んで女の手を取った。
「ちと寝ましょう」
 横になろうとするのを女は制した。
「まあ待たんせ」
 何をするのかと見ていると、女は反古紙を貼った竹骨の屏風を枕元に立て、鼻紙を出して枕に敷き、仰向けになる。大豆右衛門はそのまま割り込んで、女の内陣の前に腰を下ろし、一物の頭で玉門をくじった。女がこらえ切れず、ぬるぬると出しはじめる。茶を一服呑んでさらにくじっていると、女は入させたがって尻をよじり、足の指をつま立たせるが、わざと入れないでじらしつづけた。淫水を出しながら、丸やのの字を書くように尻を振り、鼻息を荒くしてもがいている。
「ああ。これ、いたずらせずと、早く入れてくれな」
 大豆右衛門は乗りかかったが、入れる振りをしては下へ外し、入れる振りをしてはまたぬるりと外すので、女はなお気をもみ、一物を握ってその口元へ引き寄せた。うつつもない体に頃合いよしと、惜しげもなく一気にぬっと突っ込むと、女は「はあ、はあ。あっ」としがみつき、足を高く突き上げた。大明神で見かけた祈願のくくり猿のような格好でよがっている。
 大豆右衛門はここを大事と突き立て、突き立て、二番目の腰を遣いはじめたとき、あまりに強く行なったためか、がったりと床が抜け落ちてしまったので肝を消した。これはどうしたことかと起き上がりかけたとき、今度は四方の柱がばたばたと自分の上に倒れてきて、声も出せないでいると、ついに屋根まで抜けてしまった。星空が見える。はてさて不思議なことがあるものだと思っていると、鉦(かね)や太鼓の音が耳元に響き、それと同時に家や柱が消えはじめた。後に残ったのは大豆右衛門ただ一人。卵塔場(らんとうば)にいて、四、五本の卒塔婆がからだを押さえつけていた。
 尋ねてきた者どもが大豆右衛門を見つけ出した。
「やれ、甚六がここにいるわ」と皆々が寄ってきた。「我はきのう家(うち)を出たきり、いまだ帰らないので、夕べも今宵もこうやって鉦や太鼓を叩いて探した。我(わり)ゃ狐に化かされたな」
 男たちが甚六と呼んだ男を引き立てて、連れていこうとしたので、大豆右衛門はそのからだから飛び出した。
『読めた、読めた。狐でもなければあの馬鹿面に惚れる者はあるまい。我もよく狐の開(ぼぼ)をせしめたものよ。豆休先生もいろいろなことを致されたが、狐の開を致されたことはない。我は今宵狐とした。好色は我のほうが勝った』
 大豆右衛門に少し自慢心が沸いた。

三 師匠の罰当たり眼(まなこ)の開中

 小知をもって高ぶり、元を忘れて奢る。大豆右衛門は前生の悲しさを忘れ、いま色事が思い通りになることを自分の大知と勘違いし、豆休先生を軽んじ気味にして、狐まで取ったのは自分ばかりと自慢している。
 これは大豆右衛門に限ったことではなく、皆誰でも似たことがある。師匠について芸を習い、筋道もつき、芸が身につくと、自分の小知を加えて、『師匠はああ言うが、おれはこうするのがよい』と利口ばる。これがよいと気づくのは誰のお蔭であろうか。師匠が教えてくれたからであろう。だから師匠の大恩をおろそかにすべきではない。ややもして師匠を非難するのは、元を忘れた高慢である。大豆右衛門はすっかり好色に奢り、たいていの女は目にかけなくなっていた。
 時は宝暦二壬申年。この年、深川三十三間堂の造営が完了し、入仏供養も済んだと聞いたので、大豆右衛門は見物してみようと、薪を積み下ろした舟の帰りに乗り、洲崎方面から三十三間堂へと行ってみた。堂前の茶屋では呼び子の娘が愛敬を振りまいている。だが、麁女は論ずるに足りないと茶屋の前を通り過ぎたが、腹が減ってきたので戻って奇麗な茶屋へ上がった。食い物がないかと探していると、差し向かいでしっぽりと話し込んでいる、馴染みの客らしい男と女郎がいた。
 大豆右衛門は女郎の顔を見てはたと思った。『この辺にもこれほど器量のよい女がいたとは。酒の呑みっぷりも大したもの。これならおれの慰みになる』と。人の慰みものを自分のものにできるのが大豆右衛門の徳である。
 大豆右衛門が客の羽織の下で大あぐらかき、硯蓋を引き寄せて食悦していると、若い者がやってきて「ちとお休みなされませい」と床をつくり、屏風を立て渡した。客が先に床に入り、間もなく女郎も入ってきた。いつもならここで男と入れ替わって取るところだが、奢りが出はじめていた大豆右衛門は、『安女郎に骨を折るのは無益。まず客めが取るを見よう』と、その枕元へ腹這いになり、煙管をくわえて見物をきめこんだ。
 客が帯を解き、取りかかろうとしたとき、女郎が制した。
「待ちな。わたしは昼より手まえ(生理)になりました。いま呪(まじな)をしましたが、どうやらすぐにも出そうで気味が悪い。まず待たんせ」
 これを聞いて大豆右衛門は思った。
『いやはや。何と開(ぼぼ)もったいをつける奴だ。自分があか抜けていると思って、なってもいないのに、差し合い(生理)になったとぬかすとは、客をじらす手管か。詮議してやろう』
 大豆右衛門は女郎の裾をくぐってずっと入り、色の変わった紅の下帯を暖簾を越すようにまくり、実(さね)のあたりから下を見ようとしたが、膨れが大きくよく見えない。そこで腹這いになって、岩の上から谷底を見るように覗き込むと、女郎は臍の下に蚤でもいるのかと思い、足を広げ、懐から手を入れてきた。生けどりにされてはたまらないので、大豆右衛門は起き上がって逃げようとしたが、その拍子に足を滑らせ、玉中へまっ逆さまに転げ落ちてしまった。
 大豆右衛門は魂を消し、すぐさま出ようとしたが、穴底が深く思うように出られないので、仕方なく方々を見回した。玉中は広々と突き広がっている。万客を相手にする女の内陣なのだから、それもそのはずであろうなどとうなずき、つま先立って穴口に手をかけ、抜け出そうとした。
 女郎が手前になると概して素人女と同じようにはせず、経水が出そうになると、もんで丸めた紙を詰め込むことがよくある。大豆右衛門は玉中へ転げ落ちたとき、子壺の穴ぎわへ尻餅をついた。これで子壺が温かになり、女郎は経水が出るきざしと思って、紙を穴へ差し込んでいた。
 出ようとしたら玉口をふさがれていたので、大豆右衛門はまた肝をつぶした。『何者が門を閉ざしたのか。我をここへ押し込んで殺そうとする企みか。大げさな。この開門(へきもん)を押し破るのは容易なこと』と、大肌を脱いで金剛力を出し、何度も押してみたが、いくら押しても動こうとすらしない。とうとう力尽きて、どっかりと腰を下ろした。
『ああ無念。数千丈とも思える広さの玉中なのだ。口があっても出るのは難しいというのに、まして口をふさがれてしまった。もはや我が天命はこれまで。甲賀の三郎が岩窟へ落ちたときも、こんな気持ちだったに違いない。開中の骸骨になって果てるのが口惜しい』と涙を流した。『きょう、この最期を知っていれば、今朝にも国元へ遺言状でも送ったものを。神ならぬ身で命が落ちるを知らぬ浅ましさや』
 大豆右衛門は嘆いたが、いくら嘆いても変えられない運命である。いまや神々、豆休先生へお暇を申すときと、二位の尼が安徳帝を抱いて四方へお暇乞いを申したように、大豆右衛門も小さい手を合わせ、東の方を拝して国元の産神(うぶすな)へお暇を申し、北の方は豆休先生、『我、図らずも穴に落ちて一命を没す。これまでの大師の恩、今月今日謝し奉る』と涙とともに拝し、西の方の阿弥陀如来へは、『本願あやまり給わずば、我をさねがしらの台(うてな)へ救いとらせ給え』と、高らかに念仏を唱えた。
 そのとき、不思議なことに、差し込んであった紙が突然抜けた。『嬉しいかな。我が命、助かった』と出ようとしたその鼻先へ、穴の口いっぱいの一物の頭がぬっと入ってきたので、大豆右衛門はびっくりした。
『さてはこの客、差し合いだからと断っているのに聞かず、取るために開所(へきしょ)の紙を抜いたのだな。この一物に突き立てられては命が危ない。とにかく我が命はこの動き次第』
 一物の頭が大豆右衛門のどてっ腹を突こうとしたので、思わずたじろいで後ろに引き下がった。子壺の門ぎわへと押しやられる。すると一物は後ろへ退いたが、ほっと息をする間もなく、また進んできたので、うつ伏せになって手をつくと、一物は襟をかすりって背中をこすりながら通り、退いてはまた進んでくる。次第次第に出入りする間隔が激しくなってきた。大豆右衛門はここが肝心と眼(まなこ)を配り、上に進んできたのは身を沈めて通し、下へきたら飛び上がり、右へきたら身を平たくしてかわし、左へきたら右へ逃げるなどと、機に応じ変にしたがって動いたが、ついには息が切れ、ひいひい言いながらかろうじて防いでいた。
 女郎は開中の騒がしさにうつつとなり、客に抱きついた。
「お前はりんの玉か何かを入れさんしたか。なかが大分よくってたまりませぬ。勤めを始めてこれほど気味のよいことは初めて」
 と声を震わして言う。客も大豆右衛門が一物の攻撃を防いでいるとは知らず、頭やかりのところに、大豆右衛門の手や着物がちょろちょろ触れて小気味がよい。
「おれもそなたに会いそめてから、これほど一物をもてなされたことはない。いつもこうだったらよいのに、もう堪えられぬ」
 客と女郎が一緒にどくどくと気をやった。
 大豆右衛門はここを最後と防いでいたが、もはや疲れ果てて討ち死やむなしかと思っていた矢先に、一物の先から淫水がはじき出てきたので、逃げ場を探して後ろを向くと、壺の奥からも血混じりの淫水がみなぎり出て押し寄せてくる。疲れているところに、前後から水責めにあい、溺れ死んでしまうのか。しかし、むざむざ死ぬのは口惜しい。せめていくばくかの敵(かたき)を取らなければと、大豆右衛門は一物の頭に飛びつき、一口、がぶりと噛みついた。客が「あいたた、あいたた」と叫んで一物を引き抜くと、穴口が開いた。大豆右衛門は転がるようにやっと開門の外へ出た。
 客が一物の頭を撫でている。
「何やらがおれのものに食いついたみたいで痛い。そなたのものに蛇はおらぬか」
「蛇がいて勤めがなるものか。冗談言わんすな」
 女郎が腹を立てた。
 大豆右衛門は川にはまった酔っ払いのように、頭から血混じりの淫水をかぶり、気も動転していたので、しばらく休んで落ち着かせた。そして着物を脱いで絞り、ようやく布団の外へ這い出したが、疲れたあまり思わず眠り込んでしまった。夢に豆休先生が現れた。
「大豆右衛門、懲りたるか。汝、この間自慢に誇り、我を見下す段、不届き。汝、ここをよく合点すべし。たとえ我、汝めが趣向に負けるとも、汝のその趣向は誰より受けしぞ。我という趣向があればこそ、汝が小知も役に立つ。しからば我はその祖なり。それを忘れ、先生は狐を犯さず、汝は狐にも会うたからは、先生よりましと思う慢心。元を忘れ、人をあなどる罪は逃れがたし。きょう、落とし穴に入り、無上の責めを受けしも、懲らしめる我が方便なり。この後、きっと慎み申せ」
 夢が覚めた大豆右衛門は先生の御跡を拝し、『我が凡心の何と浅ましかったことか。小知をもって大先生を見下した罪は逃れがたく、命を取られてもやむを得ぬところなのに、一通りの苦しみを与えるだけで、お救い下さるとは有難や、有難や。今後、その戒めは堅く守ります』と恐れ入ってその場を去った。


目録 五之巻

第一 六十の老僧に請ける五十相伝
 美人局のねだりはからだをゆすりの巧み、本人を見定めぬ不念(ぶねん)は十念の舞い納め、尻からの成仏

第二 山伏は女を寄りに立て見せる一物
 霊(りょう)より先に死にます、死にますの声を振る錫杖(しゃくじょう)は、なまくさんだばけた姿(なり)は物の毛の間違い

第三 初旅に辰の日門出吉(かどでよし)の品川
 女房の貞心、女郎の操(みさお)、差したり引いたりの酒盛り足の裏に踏み出す大豆右衛門は、しばらくの西国大名


一 六十の老僧に請ける五十相伝

 大豆右衛門は先生の叱りが心胆に徹し、当分の間、遠慮して謹慎しようと思ってはみたものの、家がないので蟄居はできず、かといって在家は色に溢れていて謹慎する場にふさわしくない。そこで寺に行って一月ほど反省しようと、大黒(囲い者)がいそうにない随分と堅い住寺の老僧を探し出し、自分の宗旨の浄土宗であることを幸いに、この寺に駆け込んでしばらく謹慎していた。
 この寺の和尚は老僧のうえ身持ちが堅く、弟子どもさえ浮気者を置かず、人や金集めの談義も説かない代わりに、外出することもせず朝夕の勤行に励んでいる、この殊勝さはほかにあるまいと思われる立派な和尚であった。大豆右衛門の喜びもひとしおで、色気を離れ、精進物を食べて念仏だけを唱えていた。
 頃は落ち葉時分。墓参りの檀那が出て行くのと入れ代わりに、二十三、四の色白な女が小女らを連れてやってきた。随分と目立たない衣装を着ている。
「わたくしは浅草並木町におります。最近、夫に離縁いたされ、宿におりますが、ここの和尚さまは五重相伝をなされると承りました。何卒ご相伝を願います」
 と銀包みを差し出すので、納所坊(なっしょぼん)は請け取って、和尚にその段を話した。和尚は、「それは殊勝なこと。お会いしましょう。お連れしなさい」と言う。
 納所坊が女たちを案内して居間へ通した。老僧が奥から出てきた。
「さてさてご殊勝なこと。生死のことは老若に限りませぬ。電光石火、朝(あした)の露、夕べの霜でござります。なるほど五重相伝を致しましょう。日を定めてござりませ」
 女は涙を流した。
「有り難うござります。わたくしは些細なことで離縁いたされ、子どもがありませぬので、末を頼みとする者もござりませぬ。これより奉公に出て、年の四十にもなりましたら、いずれかの尼寺へ参り、後世を願おうと存じます」
 としおしおとして話す。
「なるほど、もっともなことでござる」
 和尚が相づちを打って聞いているところに、納所坊が銀包みを持ってきて、和尚に見せた。それを見た和尚は女をすぐさま帰すわけにいかなくなり、納所坊に吸い物と酒を用意させた。小僧が銚子を持って女に差し出した。
「これはお世話さまのことでござります」
 女が盃を取り上げて飲んだ。
「和尚もいただくので、遠慮なくお上がりなされよ」
「有り難うござります」
 女はまた請けて呑んだ。和尚が酌に立っている小僧を見た。
「銚子はここに置いて、お前はお勝手へお立ちなされませ。ご大儀でござります」
 和尚は小僧を勝手に追いやり、女と差し向かいに何度も呑み交した。
「おお。すっかり酔ってしまいました」
 女が格好を崩して白い股を見せかけ、けらけら笑いながら上目づかいに和尚を見る。和尚の脇にいた大豆右衛門は、この様子に早くも合点した。
『この女めは寺強請(ゆす)りの美人局。方々の寺々に色仕掛けをしては、金をせしめ取っている奴と見える。憎さも憎し。こいつを逆にはめ返してやる』
 大豆右衛門は和尚のからだに飛び込んだ。
「そなたはご酒がお好きでよいことでござる。わしも仏の戒めにより、堅く飲みはいたしませぬが、そなたのような美しい人の盃とあらば、菩薩と酒盛りをすると思っていただきます」
 和尚に成り代わった大豆右衛門はひとつ請けて呑み、「差し上げましょう」「いただきます」と、さしつさされつし、酒盛りになった。女はしてやったりという顔色を浮かべ、和尚の肩へしなだれかかるように、でれでれしてくる。大豆右衛門は浮かれた顔をして女の手を取った。
「五重相伝がお好みならば、この坊主が相伝の一物を受開させましょう。年はとってもふだん水を使わないので、そちらは達者でござる」
 女が悶えてみせる。
「わたしはご酒に酔いました。ここでちと寝ましょう」
 大豆右衛門が女の耳に口を寄せた。
「愚僧もともに寝たけれども、弟子どもの手前もあり、遠慮せねばなりませぬ。明晩、秘かにお出でなさらぬか。裏門を開けておくので、それから入ってこの居間へこられよ。路地の戸を訪れたら、迎いに出ましょう」
 と約束し、その場は女も帰っていった。
 翌晩六ツ過ぎになり、女は小難しくつくった男を一人連れて裏門から入ってきた。路地の切り戸を叩くと、くくり頭巾に一重帯をした和尚が出迎えた。
「さあ、こなたへ」
 女の手を取って部屋へ通した。男もそっと後からついてきて、縁側に上がって部屋の様子を窺う。
 和尚は屏風の立て渡した薄暗い内へ女を入れ、布団の上に転(こ)かし、ものも言わずに取りかかった。女も心得て帯を解き捨て、下帯をまで手早に解いて和尚を股の間へ掻き入れる。一物を握って玉門へ押し当てると、和尚は惜しげなく根まで入れ、しきりに腰を遣った。女も下から腰を何度も持ち上げ、口を吸わせ、鼻息を荒立てた。
「ああ、もう」
 とお互いに汗をかいて働いている。
 びしゃびしゃ、ぐしゃぐしゃと鳴りはじめて、心地好くなったとき、件の男がその音を聞きつけ、もうよい時分だと屏風の内へ飛び込んきた。二人が重なっている上へ馬乗りになって押え込む。
「皆ござれ、不義者をとらえたり」
 大声で呼ぶ男の声を聞いて、納所坊や弟子、それに同宿小僧まで駆けつけてきた。「何ごとか」と手燭をかざしてみると、女を腰帯で縛り、和尚をとらえている男がいた。金平の姉聟ともいうべき顔色をしている。
「この女は我が妹。五重相伝を授かろうと和尚を訪れたのに、相伝をする代わりに、ろくでもないものを授けるとは奇っ怪千万。このままお奉行へ引っ立てる」
 納所をはじめ一同は困り果て、「お腹立ちはごもっとも千万。ここはとにかく内証で」と機嫌を取ろうとしたが、それをすればするほど男は付け上がり、「ぜひご公儀へ」とわめきちらした。
 そのとき、居間のほうより和尚が神妙な体でやってきた。和尚を見て皆々は一様に安堵し、しょげていた納所は急にいきり出した。
「この強請(ゆす)りめ。どこを見て和尚というか。この寺に和尚は二人といない。大騙(かた)りめ、こちらこそ公儀へ出て、うぬらにお仕置をしてくれよう」
 男は一瞬ひるんだが、すぐに切り返してきた。
「へへ。偽和尚をこしらえ、強請り返そうとするか。その手はくわぬわ。出てきた和尚に用はない。つかまえた和尚を公儀へ出す」
 そのとき捕まっていた和尚の男が声をかけた。
「こんなことがあろうかと思い、和尚さまの身代わりになり申した。誠の正体見なされ」
 男が頭巾を取ると、和尚と思っていた男は、この寺に代々働いている飯炊き、白髪頭のばち鬢親仁(おやじ)だった。
「これ、もがり殿。きのうよりのやり方、強請りと思われたので、我は和尚と偽り、このような狂言を打ったのでござる。まずは大当たりで大慶、大慶。この部屋は順達という者の学寮、和尚の居間ではござらぬ。我は俗体の身、人の女房でさえなければ、妹でも娘でも据えられた膳を喰わずにおこうか。公儀へなりと、どこへなりとも行き申そう。さあ、この親仁を連れていかれよ」
 女も男もはめ返されたと知って、ぐうの音も出ず、ただ謝りいるばかり。納所が腕まくりをした。
「大騙りの盗人め。後日のためにうぬらを奉行所へ連れていく」
 和尚が納所を制した。
「ああ、浅ましや。この娑婆の世は短いのに、誰もかれもが情欲に惑わされ、出家の金銀を盗み取ろうと悪事をたくらむ。命没するとき、その金銀は剣となってその身を裂く。不憫やな、愚人ども」
 和尚の教化に二人は収まりがつかず、「和尚さまの有難い御示し、この後、決してこのような悪事はいたしませぬ。その証拠にお十念を授けて下されませ」とその場を取り繕おうとした。『さてよい気味。我らの計略にまんまとはまったわ』と大豆右衛門は親仁のからだを抜け出した。
 和尚は十念を受けたいという二人を殊勝に思い、「『極重悪人無他方便』ともいう。十念よく得道されよ」と両手を合わせ、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念じると、男もともに手を合わせた。女は親仁の一物を握り、自分のぼぼをもいじった手を洗いもせずにお十念を受けている。これはすなわち開(ぼぼ)もともに十念を受ける道理。尻から成仏するであろうことは疑いを得なかった。

二 山伏は女を寄りに立て見せる一物

 和尚の難儀を救った大豆右衛門は、大きな功徳をしたとその寺を出て、並木町のほうへ行くと、町並から少し引っ込んで玄関を構え、梵天を多く立てた家があった。『喜妙院』と札が出ている。祈祷師の家だ。大豆右衛門がその前を通りかかったとき、駕籠がかき込んできた。三十ほどの美しい女が乗っていて、後より六十ばかりの親仁とおばば、四十ばかりの男がついて入っていく。何か子細がありそうなので、大豆右衛門が親仁の羽織の下に取り付くと、一同は座敷へ通された。
 しばらくして身の丈六尺あまりの山伏が出てきた。眼にすさまじい光があり、正僧坊ともいうべき姿の大男である。親仁とおばばに対面した。
「どう考えても娘子のご病気は、霊気(りょうけ)がござる。とにかくこれを払い除けませねば、病気は元のごとくよくなりませぬ。それゆえ口寄せする身内を連れてござれと申しました」
 二人はともに手をついた。
「この間もわたくしども方へいらっしゃり、護符を下さったときも、ここにいる平兵衛に詳しく仰せ下さりまして、有り難うござります。そのときのご指示のとおり、口寄せする者を連れて参りました。この者はおばばの姪でござります。口寄せをされて、治して下されませ」
「なるほど、心得ました。しからば祈りおる間、時間もかかろうから、退屈でもござりましょう。勝手へ行き、茶でもまいりませ。霊が降りましたら案内申そう」
 皆々が勝手へ行くのを見て、山伏は姪と紹介された女を見た。
「さあ、女中。神前へ参られよ」
 通された神前は、ものすさまじく飾り立ててあった。
「しばらくここにいたまえ」
 山伏は女を神前の脇で待っているように告げて、自分は勝手へと入っていった。
 女の袂に取りついていた大豆右衛門は、その顔をつくづくと見た。目縁(まぶち)は二重で口が小さく唇も薄い。背は中高(なかだか)の中肉(ちゅうじし)で、よき食いごろの女である。大豆右衛門はしきりに取りたくなり、山伏に入れ替わって取ろうかと考えた。しかし、神前ではあまりにもったいない。どうしようかと思って見回していたが、居丈高の山伏といい、大げさに飾りたてた神前といい、どうもいかがわしい。山伏が山者なら神前も山神であろう。さして汚しても罰はあたるまいと大豆右衛門は了簡した。
 装束に着替えた山伏が入ってきた。頭巾(ときん)をかぶり、緋の衣に篠懸(すずかけ)と玉襷(たまだすき)をかけ、手に刺高数珠(いらたかじゅず)を持っている。その仰々しい出で立ちで神前に向かい、何やら唱え、印を結んだところへ大豆右衛門が飛び移った。山伏の魂が去り、大豆右衛門の魂に取って代わるや、すぐさま女のそばへ寄った。
「これ、女中。そなたへいよいよ霊が降りてくる。ご苦労。いつ降りてもさして恐いことはござらぬが、とかくおれ次第でござる」
 女はこれからどうなるかわからず、「あい、あい」と神妙に返事をする。山伏が近くへずっとねじり寄った。
「霊を降ろすには法がござる。まず脈をみねばならぬ。そなたの肌が荒れていては、霊が降りかねるので脈をみます」
 大豆右衛門は女の懐に手を入れ、乳をひねってから、段々と撫で下ろしていった。女は不審に思いながらも、霊を降ろすとはこうしたことかと、されるがままにしている。撫で下ろす手が帯につかえ、件のところへ届かなくなった。
「この帯を少し緩めます」
 大豆右衛門がもう一方の手で帯を緩めて、内側の手をさらに撫で進め、有難いところの毛の生え際に達したとき、女がその手を着物越しに押さえて身をひねった。
「これこれ。そうしては肌が見られぬ。降ろすというのは病人に恨みのある人の霊をこなたの身へ降ろすのでござる。霊はそなたの前の穴より入る。そこは人間が初めて出たところであるから、魂もそこから入らなければ、入るところがござらぬ。しからば霊が入りやすいか入りにくいか、その広狭(ひろせま)をみねばならぬ」
 大豆右衛門は手をやり、割れはじめのところから実(さね)の上を撫で、玉中へと指を向けた。早くも潤いが出ている。中指を差し込んでびくつかせてみた。女が身を揺るがす。
「もう知れましたから、やめになされて下されませ」
「いやいや。とくと見ねばなりませぬ。かりそめながら大事のことでござる」
 大豆右衛門は玉中の奥、子壺近くの臍のようなぐりぐりするところを弄び、頭を振った。
「これだと入れようか。いや入れそうじゃが、どうであろう」
 などと独り言をつぶやきながら、さらにくじりくじりする。女はもはや耐えられなくなったようで、眉に皺を寄せ、上気しておいどをぐるぐる回す。神妙だった初めの行儀とすっかり違ってきたので、大豆右衛門がさらに深く指を入れて手妻(てづま)を使うと、淫水が手にたまるほどたっぷり溢れ出てきた。
 大豆右衛門は小袖の褄(つま)をまくり、おえきった一物をぬっと出した。そのすさまじさといったら、頭は腰高饅頭のように大きく、かりぎわに刺高数珠のいぼいぼがあり、腹は青光に光って紫筋立っているたくましさ。ただ見るだけでもうっとりとするのに、先ほどよりしきりにくじられて、堪え切れなくなっているところへ見せられたものだから、女はすっかり入れたくなってしまった。もうご挨拶もへちまもなくなり、霊が降りるより先にうつつとなり、山伏の肩へ手をかけて一物を握ったとき、鼻息を荒くして早くも半分気をやった。大豆右衛門も堪えかねて、女を仰向けにして抱き伏せながらぬっと入れた。
「ええ、ああ、あっ」
 女が息をはずませて抱きつく拍子に、一物は残りなく毛元まで入った。いぼいぼつきの太棹ほどの大物を根元まで入れられ、突き立てられてはたまらない。女は恥ずかさも恐さもすべて打ち忘れ、男にしがみつき、しがみつきして気をやるところへ、山伏は篠懸の上に玉襷かけながら、思い入れに腰を遣う。
「もう死にます、死にます。ああ、もう、またいきます。そこを、そこを」
 と、女はうつつになって意味のわからない言葉を発しながら、いくつも気をやる。大豆右衛門も続けて二番やり、ようやく引き抜くと、女は強く気をやりすぎたために疲れ果て、呆然として起きることもできず、自分の股の上に褄をひっかけ寝入ってしまった。
 大豆右衛門は一物を拭うのも面倒くさいとそのままからだを飛び出した。たちまち元の山伏の魂が戻り、見回してみると、霊を降ろすはずの女は寝ているし、自分は全身に汗をかいている。『はて、合点がゆかぬ。おれはまだ祈りはじめてなかったはずだが、この汗といい、寝ている女といい、さては我が行の神通力が強くなったため、祈る前から死霊が降りたのじゃな』と山伏は早合点し、女を見下ろした。
「まだ正気に戻らぬか。霊は行ったか、去らぬか」
 女はまだ伏せっていた。
「ああ。もう、いった段ではない。あんまりやり過ぎて、目まいがするようで頭痛が致します。もう入れて下さんすな」
「いや、あま茶な。たとえいかなる物の怪であろうと降ろさずにおこうや。行者の法力つくべきか」と山伏は重ねて珠数を押し揉み、祈りはじめた。「東方に降三世(ごうざんぜ)、南方に軍荼利夜叉(ぐんだりやしゃ)、西方北方中央大乗不動明王」
 総じて女は取られると男に甘えが出るものである。この女もそうだった。
「ああ。これ、なんぼ誓文を立てて拝まれても、もう、いや。まったく、いや。このうえ、いまのようにされると本当(ほん)に命がない」
「いましたことはかつてなかったこと。霊が寄ってきたのであるから、無駄事を言わずに気を取り直せよ。霊が寄ってきて命がないとても、そのままにしておかれようか。なまくさんだばさらだ、せんだりまるそわかや、うんたらたかんまん」
 山伏は秘文(ひもん)を繰り返し、繰り返してはまた唱え、珠数や錫杖(しゃくじょう)でそこらを叩き回し、汁だらけの開に向かって祈った。
 勝手で待っていた施主どもは、霊が降りたら案内すると聞いていたのに、連絡があまりに遅いので待ちかね、「久しいことじゃ。もう霊が降りたであろう」と連れ立って神前にやってきて肝を消した。山伏が、頭巾、篠懸、緋の衣に玉襷をかけながら、帯より下は開けっぴろげで、ふんどしもはずれ、投げ首している一物をぶらつかせながら、大汗をかいて祈っているのだから、驚くのも無理はない。帯より上は立派だが、帯より下の無礼さはどうしたことかと囁き合うていると、おばばが涙を流していた。
「何とご殊勝なこと。前尻にもかまわずお祈りとはご精が出る。あのようでなければ怨霊は除(の)くまい」
 この言葉に山伏ははっとした。うつ向いて前を見ると、大豆右衛門が後始末もせずに取り逃げしたまらが出ていて、祈りのたびに自分の頭と一緒にぶらついている。こんなことになっていようとは露知らず、いま初めて気がついて肝を消し、着物を引っかけて内心はうろたえながらも、それと見せないところが修験者である。
「これほど祈っても降りないので物の怪はござらぬ」
 これを聞いた女がからだを起こし、「悪口をおっしゃられるな。つい先ほどまでよく見ておいて、毛がないとは。嘘をつかんすな」と、真顔になって腹を立てはじめた。
 大豆右衛門は耐えかねて吹き出し、聞こえてはまずいと口に手をあてながら、表の方へ駆け出した。

三 初旅に辰の日門出吉(かどでよし)の品川

 山伏の家を出てから大豆右衛門はつくづく思った。『もはや江戸中の女は大方片づけた。これより京都に上り、上方の女どもに泡を吹かせ、大坂、伏見、堺、南都、宇治の辺まで狩り尽す色修行と出よう』と大望を起こし、小さな股引と煙管のほか、たばこ入れの根つけにする火ばたきを三度笠に見立て、木綿のぶっさき羽織などまで用意して思い直した。股引に三度笠姿で旅をするは下卑ている。我はくたびれると人の肩に乗り、人の乗った駕籠や馬にも乗ればよいのだから、匹夫のような旅立ちの用意は必要ないとの考えに至り、調えた道具をすべて捨て、黒縮緬の羽織や黒紬の小袖、三尺手拭いさえ持たず、豪商の椀久が旅をするように、紫竹の杖にわら草履という姿で出発した。
 通町より日本橋、芝、金杉と段々に通り過ぎ、品川の近くの札の辻にやってきた。彼方まで広がる海にしばし見蕩れてたたずみ、『海表(うみおもて)見晴らしまた類いなき景色』と小さな発句をする。そのとき宿駕籠が通りかかったので、『まず旅立つ前に宿へ行き、道中女の口明けをしてやろう』と、その駕籠に飛び乗った。
 ほどなく大きな館の宿に着き、客とともに上がった。大勢の女郎がいて、通された二階の座敷は立派なうえに見晴らしがよく、阿波や上総を一望できる。多くの船がはるか沖合いにまで出ていた。
 また女郎は女郎で見苦しくなく、「おたな」や「おつに」という名も珍しい。そのなかには吉原風(ちょうふう)の名の女郎もいた。また、禿や遣り手、若い者もいて、それぞれの女郎は綺羅を磨いている。誠に宿女でも上品(じょうぼん)揃いであり、ここにはここの楽しみがあることをつくづく思い知らされた。
 客の相方もやはり美しかった。髪結ぶりや小袖の模様はもちろん、身のこなしに至るまで申し分なく、北国の中座なら番頭女房あたりといったところか。どうりで品川へくる客が多いはずだ。この美麗で値段は遥かに吉原より得なのだから。
 客の膳と酒が済み、若い者がきて床をつくった。そこへ客が入るので大豆右衛門も続いて入った。はち切れるほど綿を詰めた三つ布団に、飛び金入りの大夜着と緞子の小夜着。これほどの調度品は、吉原でも日の出の勢いの座敷持ちでなければ持てない。大豆右衛門はいよいよ心がとろけ、これなら女郎の風味もさぞかしと待ち侘びていると、馴染女郎だけに手間取ることもなく、やってきてとそのまま布団に上がった。小女郎が近づいてきて紙を置き、たばこ盆も寄せて、「お休みなされませ」と声をかけて出ていった。
 女郎がたばこを吸いつけて客に差し出し、横になった。大豆右衛門はすぐさま客に乗り移り、随分と落ち着いた顔色でたばこを呑み、話を交して取りかかった。女郎が帯を解いて股を広げたのを見て、大豆右衛門も帯を解き捨てて上に乗る。女郎が手を伸ばして一物をつかみ、押し当てるのでぬっと入れ、ひとつ、ふたつ腰を遣ったときだった。何やらが奥のほうでがっきりと一物の頭に当たったかと思うと、一物がぐにゃぐにゃになって外に出てしまった。これはしたりと再び入れたが、すぐにまたぐにゃぐにゃ。秋の彼岸過ぎの塀のように、気を持ち直して煽ってみても埒が明かず、さても無念なことだと気をもみ、隠者の心境になって縮み込んだ。大豆右衛門は眉に皺を寄せた。
「合点ができぬ。そなたの開口(へきぐち)にあやかしがついてなさる。ただいま奥で一物の頭に、鉄砲玉のようなものが当たったかと思うと、ぐにゃぐにゃになってしまった。これはいわば先陣に遅れをとり、一陣が破れるようなもの。何か深い謀(はかりごと)でもあるのか」
 女郎は上体を起こした。
「なるほど。わたしが呪(まじな)いを致したので、そのようになられたのでしょう」
「シテ、我らにどんな遺恨があって、敗軍をさせるのか」
 大豆右衛門が少し腹立ち気味に尋ねると、女郎は涙を流した。
「よく聞いて下さんせ。きのうの夕方、わたしに会いたいとお若い内儀(かみ)さまが参られました。会ってみますと、そのお方が言わんす。
『お前が深くお馴染みの平(ひら)さまは、わたしの夫でございます。主がわたしの家の入り聟になり、添いはじめて、はや八、九年になりますが、去々年、ふとこちらへ通うようになり、そもじさまにお会いになりました。それからというもの、夫は一日たりと家(うち)にいられず、たまたま家にござっても商売に身が入らず、手代任せにしておけば家が締まらず、身代は段々と悪うなります。
 ですから折にふれて意見を言うと、おれを入り聟だと思って、そんなことを言うのだろう、男に生まれて、ひとりの女だけを一生守りとおす戯(たわ)けがあるものか、悋気もいい加減にせいと、かえって言い争いになってしまいます。もっとも男の身ゆえ、わたしばかりを見ていられるわけがなく、お前にお会いなさるを無理に引き留めは致しませぬが、あまり繁々(しげしげ)になれば身代が悪うなります。このままではいずれ夫婦二人だけになってしまうかと思うと、それが悲しゅうござります。
 最近、このことが隠居の耳に入りまして、その身持ちでは身代を持ち崩し、おっつけ乞食になるのは目に見えている、入り聟であれば、おれのことは聞かねばならぬ、あれを追い出して実体(じってい)な聟を迎え入れ、身代を持ち固めさせようと、親類衆と相談致し、大方、その意見でまとまって参りました。
 しかし、縁があればこそ夫婦になり、八、九年も添い、ことにお腹(なか)も大きくなってきては、わたしが身の悲しさ、主を追い出し、ほかの男と肌を合わすのは女の道に背きます。このことを主に言いたいけれど、悋気と見なされては、言い出しても聞き入れなさるまいと思い、とにかくお前さまさえ会うて下さらなければ、主も通いをやめるはずと存じ、きょう、こうして参りました。このことをどうぞお頼み申します。それほど長い間ではござりませぬ。家のなかが鳴り静まるまで、しばらくの間、主がこちらへ参られぬよう、口舌とやらをして下さい』
 と涙を浮かべて頼まれました。わたしは請け合いました。
『心得ました。すべて主のためならば、もはやここへいらっしゃられないようにしましょう。安心しておくんなんせ』
 と申しますと、お内儀さまはよほど嬉しかったのか、わたしに手を合わせて拝んで帰られました。お内儀さまのおっしゃることはすべて道理。お前さまも身代が悪くなっては、わたしに会いたくても会うことならず。しかし、お前さまに意見をしても、及ばぬ女の口で言いましては、お聞き入れなさるまい。そこで、ほかに色のあるように見せ、愛想(あいそ)をつかせて縁を切っていただこうかとも思いましたが、それではわたしへの当てつけに、ほかの女郎衆と会い、結局、いまより費用がかさんでお前さまのおためになりませぬ。どうしようかと思案しましたが、畢竟、わたしにお会いなさるのも、こんなことをしたいがため。どうにかしてお前さまの一物がならぬようにしようと思い、この手管をしました」
 大豆右衛門は感心した。
「さても女同士の直談判、あっぱれ、あっぱれ。悋気を滅して頼む貞女、頼まれたのは女郎の操。我らの負けじゃ。話の段々、委細は心得た。だが、どんな手管を尽してできぬようにしたのだ」
「わたしもほかの呪いは知りませぬ。客衆の話で慈姑(くわい)が腎の毒と聞き、その慈姑を内へ入れて呪いをしました」
 大豆右衛門は横手を打ち、『奇妙、奇妙。女郎の謀(はかりごと)にしてはよい思い付き。この志を無駄にするわけにいかぬ』と客の魂を戻し、からだを出ると、客は夢から覚めたような心持ちでいる。
「酒が過ぎたのか、夢も見ずに一寝入りしてしまった。さあ始めよう」
 と、それまでのことを知らずに客が取りかけてきたので、女郎は肝を消し、腹を立てた。
「さても聞き分けのない。お前さまは粋に似合わぬ」
「こりゃ何のことじゃ。粋だろうが、何をせずにいられるものか」
 客が女郎に取り付いて突き倒す。
「聞き入れのない。水臭い」
 今度は女郎が客を突き倒した。客も腹を立て、「こりゃ、なぜ突き倒した。女郎に投げられる男じゃない」と応戦する。
 このままだと大口舌になるのが目に見えていた。大豆右衛門は、『道を立てる内儀のことを聞いたなら、この男も納得するだろうに、自分の魂だけが聞いたのだから、腹を立てるのはもっとも。だが、口舌になってしまっては女郎の実(まこと)も無になってしまう。ここは我らが姿を現し、男に合点させ、女房と女郎の貞女が立つようにするのが自分の役目』と、提(さ)げたばこ盆の取っ手に飛び上がり、「しばらく、しばらく」と声を張り上げた。
 どこかでかすかに声がするのを二人は聞いた。「しばらく、しばらく」と聞こえたが、どこだと方々を見回し、たばこ盆の上にいる印籠人形を見つけた。これかと思っていると、大豆右衛門が声を荒げた。
「我は業平の末社の神なり。この女郎の志と汝が女房の貞心に感じ入り、汝に示す」と、女郎から聞いた話を細々(こまごま)と男に聞かせた。「この後、しばらく通いをやめ、女房に心を休めさせ、女郎にも実相(みさお)を立てさせるべし。しからば、この末、女郎も汝もともに延命長久に守りてやらん。まめまめしい経緯により、大豆(まめ)ほどの姿になって神(かん)使いをまめやかに示す。疑うことなかれ」
 男は一物とともに頭(こうべ)をうなだれ、大豆右衛門を三拝し、女郎とともに有難さを肝に銘じた。
 そのとき、宿の表から西国お大名のお国入りする行列の音が聞こえてきた。大豆右衛門は身を翻してたばこ盆から飛び下り、店先に走り出てお大名のお替え乗物に飛び乗った。こうして大名になった心地で、お供を大勢引き連れた花の都への鹿島立ち、誠に栄花の二代男と囃されるように、自分の国元へ帰る道中についた。


宝暦五乙亥のとし
正月吉日

二代男後編
栄花遊吾妻男 全部五冊
右之本追而出シ申候、御求御覧可被下候

(※ この続編は出版されなかったらしい)


艶本集の扉に 戻る

裏長屋に 戻る