馬の耳に真珠

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その拾参

追悼・・・天国で笑顔を

こういうことになって、これほど哀切に感じる名前は他にはないだろう。

エガオヲミセテ

ごめんね。
今はあなたがどんなに励ましてくれても皆、笑顔を見せるのは無理だよ。
しばらくの間は泣き顔でも許して。

連休初日の昼下がり、見るともなしに見ていたテレビがそのニュースを告げた時、
口をぽかんと開けたまま、本当に石のように固まってしまった。
事の次第も飲み込めないまま見開いた目からは塩水の固まりがこぼれ続け、
やがてあなたの名が耳に入ってきた。
なんで?どうして? なぜこんな事が起きなければいけないの?

あなたのような有名馬も、これからデビューを迎える無名の馬達も関係なく、ただ
あまりの出来事に一人身悶えして泣いていた。

競走馬は経済動物。走らなければ明日はない。そしてガラスの脚。目をそむけ続けて
いる事だけれど、心のどこかで厳然とした事実だと認めている。
だからこそ、どの馬も少しでも幸あれとありったけの声援を送るのだ。
レースや調教、病気で命を落とすのも、死ぬことにはかわりはない。ただ、火事は
何の必然性もない。馬が走らなかったからでも、血統が悪いからでも何でもない。
人間だって、炎に包まれたらどんなに恐怖を感じることだろう。ましてや動物が、
どんなにおびえ苦しみながら死んでいったか。
苦しい日々の調教に耐え、人間を信じてきた仕打ちがこんなことだなんて。
考えたくもない。

そして、死んでいった馬達の世話をしていたトレセンで働く人々の思い。

私の家には猫が4匹いる。いずれも生後まもなくから今に至るまで表に一切出て
いないマンション猫だ。火災、洪水、そして大地震、そういう報に触れる度、夜も
眠れなくなることがある。「どうやってこの子達を連れて逃げようか。」 あれこれ
思い巡らすものの上手い手などありはしない。成猫4匹である。スーツケースにだって
せいぜい2匹がいいところだろう。よしんばうまく連れ出せたとして。その後の避難所
生活はどうするのか。人間だけでも大変なのに猫を養うなど、と周囲が許してくれよう
はずがない。そしていつも、それならいっそこの子達と一緒に・・・そう思ってしまう。
この子達を見捨てて生き延びることなど決してできない。私にとって猫達は子供と同じ
存在なのだ。

きっと毎日寝ワラの上げ下げ、カイバやり、体の手入れ、運動、調教、と密着して接して
いる人々にとって管理馬達は、子供のような存在に違いないのだ。その我が子が、気づいた
時には劫火に包まれていたとしたら・・・・燃えさかる火の前で立ち尽くしたその人達の心を
思うと、胸に楔を打ち込まれるように激しく痛む。
ニュースで職員の一人、若い人がインタビューを受けていた。その唇の端は笑みのような
形になっていたけれど、目は少し虚ろで真っ赤だった。普通に受け答えしているけれど
魂がそこにないように見えた。泣いてはいなかったかもしれない。泣けないのだ。人は
強いショックや悲しみに襲われた瞬間には涙すら落とせないことが多いのだ。

憶測でものをいうのはいけないことだが、タバコや暖房の火の不始末ならば、こんな
ことはもっとしばしば起きるのではないか。午前1時50分。不始末で火の手が上がるには
遅すぎる時間ではないのか。
確かに、馬産、育成に携わる人に喫煙者は多い。表でしょっちゅうタバコを吸い、ポイっと
投げ捨て足下でもみ消しているところを何度も見た。
けれど、馬房の中で吸っているのは一度も見たことがない。みな、馬房から出てくる時
にポケットからタバコを取り出しうまそうにふかし始めるのだ。それは鉄則というか
燃えやすい藁や木造の建築物でいっぱいの場所での不文律のようだった。

だからこそ、不審火と思えるのだ。日高大洋牧場の時にも馬産地では不審火の噂が
あった。何が原因かは知らないが、人為的な発火だとしたら、絶対に許せない。
社台に恨みや妬みがあろうがなかろうが、馬達にはなんの責任もないことだ。
火をつけた人間がいるのなら、馬達の恐怖に満ちたいななきを、馬房の中で逃げ惑い
ながら火に呑まれていく様を、一生、夜毎その夢に見るがいい。その者を誰も許しは
しないだろう。
犯人を呪ってみたところで、22頭の馬達はもう帰らないのはわかっているのだけれど。

長年飼っていた犬猫などのペットを寿命でなくした時さえも、「ペットロス症候群」と
いって、その心の穴を埋めることができず精神的にひどくダメージを受けることがある
という。どうか、馬達の世話をしていた人達があまり苦しみませんように。

そして、馬主であり名付け親である小田切氏にも心からお悔やみを申し上げます。
「ヲ」という珍しい字をはじめて使った名として話題になったけれど、心のこもった
この名前は愛情の現われだったと思うから。
どうかお力落としのないよう。縁もゆかりもないタダのファンだけれど祈らずには
いられないのです。


いつか、またあなたが天国からみんなを励まし、慰めてくれる事を信じてる。
その時には、また涙も出てしまうかもしれないけれど、きっと笑顔も見せてあげら
れると思う。みんなも、私も。
忘れないよ。



----笑顔を見せて



その拾参おわり

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