大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2010年11月)

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□2010年11月30日(火) 毎年のことだが...

 毎年この時期なると同じようなことを書いている気がする。それにしてもやはり性根の腐っている人間は救いようがない。「のれんに腕押し」とはまさにこのことか。ただ、今年は妥協しないことに決めている。

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□2010年11月29日(月) 熊本「食の名人」認定式


蒲島知事と一緒@「食の名人」認定式

 熊本の食材を使った料理をプレゼンする「食の名人」認定式に参加。東アジア学科が熊本県や熊本市と「観光」の分野で少しばかりコラボレーションしていることから、東アジア学科の学生や留学生も参加することに。暇そうな私が引率と取材を仰せつかった。

 熊本では知事をされているが、もとは東京で政治学者をされていた蒲島先生。お世話になっている国分先生や増田先生の話題で盛りあがり、名刺を頂きつつ、学生たちとの記念撮影にも気さくに応じてくださった。学生たちには大変良い経験になったようだ。

 熊本は農業県なのでやはりTPPには断固反対という方々も多いようである。韓国からの留学生たちはそうした「日本」の姿をどのように感じたのだろうか。

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□2010年11月28日(日) 龍馬伝...

 「龍馬伝」最終回。暗殺場面での選挙速報テロップは視聴者が一年間にわたって積み上げてきた「想い」を平然と崩し去るものとなった。所詮「政治」担当で速報をうつプロデューサーなど「相手」のことを考えない無粋な人種なのだろう。

 薩摩方と中岡慎太郎のやりとりを描くことで「大久保」犯人説を匂わせつつも、とりあえず暗殺者が7名ぐらいいたので、京都見廻り組の今井信郎ら下手人説にのっとった感じか。

 お嫁様は「『ほたえな』は言ったけど、『こなくそ』はなかったね」などと感想を言っていたが、もとより「こなくそ」発言が誰のものかも諸説あり、大河ドラマのラストとしてはあんなものだろう。いずれにせよ、去年の「兼続ぽっくり」よりはずっと良かった。さすが「ハゲタカ」組である。

 来年の大河ドラマは見ないかもしれない。「篤姫」も見なかった。

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□2010年11月27日(土) 科研研究会

 「第二次大戦終結に伴う... 」(代表増田弘先生)科研プロジェクトの研究会に参加するため東京に出張。浜井和史先生(外務省外交史料館)による「パプアニューギニア視察調査報告」とユアン・マッカイ氏(東京大学大学院研究生)による「『捕虜身分』の拒否・東南アジアの引揚げ」という二つの報告。

 夏のパプア行は結構な大冒険だったので、改めて行程をたどりつつ、「戦跡」というものは、「記憶」しようとする努力なくしては必然的に風化するのだという現実を改めて実感。今日の歴史学者は「歴史」を描くのみならず、さまざまな形で「歴史」を遺していくよう各方面を啓蒙する責務をも負っている...なんてことも考える機会に。

 マッカイ氏の報告は東南アジア地域(特にイギリス軍管理地域)からの日本軍復員をめぐる国際政治に照準を合わせたもの。中国地域の復員・引揚については私もいくつか雑文を書かせて頂いているが、東南アジア地域からの復員・引揚をきちんと勉強するのは初めて。「帝国の解体過程」を扱う科研チームということもあり、極めて広い視野からのこの時期における「人の移動」を踏まえての質疑応答となった。

 1946年3月の食糧会議における「結論」と東南アジア日本軍復員延期問題の関連に関する指摘はまさに目からうろこ。やはり復員・引揚という問題は「政策」や「戦略」という観点からする分析が不可欠である。もちろん「政治」に振り回された「個々の体験」への配慮は必要だが...。

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□2010年11月26日(金) 官民一体で...

 朝から講義3コマ。合間に労組関係のレジュメをつくったり、石橋湛山関係の中国外交部档案を確認したり。講義終了後は3時間ほど労働組合の役員会議。賞与関連団交の反省と今後の活動に関する議論。

 はたして「労使協調」は我々をハッピーエンドのゴールへと導いてくれるのだろうか...。日本型経営の重要な要素であった「労使協調」が今日の「労使関係」のあり様を招いたというのであれば、やはり毛沢東的思考も必要になってくるのだろう。残りの任期はわずか4か月...。

 「仕事」が終わった後、大学裏の「のぶやす」さんで一杯。官民一体となって「中国」を「理解」(?)する努力は無駄ではないだろう。中国側も「日本が理解できない」と盛んに訴えてきている。楽しいお酒となる。

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□2010年11月23日(祝) 37歳

 残念ながら37歳に。研究者としては相変わらずだが、あちらこちらからバースデー・メールが届く嬉しい一日となった。東京、北京、上海、重慶などなど。添えられた「大活躍」の近況を読むに、改めて「教育」の力を実感。「教育」は自己満足が許されないので、よりエキサイティングである。さて...。

 北朝鮮が派手にやってくれたので、また少し忙しくなりそうだ。次から次へと「2010年の東アジア」は話題に事欠かない。

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□2010年11月22日(月) 大同窓会

 志文会の大同窓会に参加。熊本の経済界の状況などを身近で感じ取ることができる機会なので毎年参加させていただいている。来賓の方々の顔ぶれを見れば、「商科大」の歴史ここにありと言った感じ。

 散会後、いろいろあって流れのままになぜか偉い方とご一緒することに。帰路のことも考え、タクシーで移動しつつ大学裏の「のぶやす」さんへ。大学の今後のことなどいろいろ「語り合い」ながら2時過ぎまで。「救救孩子」といったところか。

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□2010年11月20日(土) 国際シンポジウム


入江昭ハーバード大学名誉教授@中央大学多摩キャンパス

 母校で開催された国際シンポジウムにコメンテイターとして参加。

 ◆国際シンポジウム「日中関係をめぐる国際環境」

  報告:入江昭ハーバード大学名誉教授
  報告:下斗米伸夫法政大学教授
  コメント:孫安石神奈川大学教授
  コメント:大澤武司熊本学園大学准教授

 本来であればこのような役回りは考えられないのだが、先延ばしにしていた母校での研究報告がこういった形になってしまった。入江先生はグローバル化のなかにおける「日中関係」についてグランドデザインを語られ、 下斗米先生は「日」「中」両国に対するロシア外交の歴史的展開をまとめられると同時に、昨今の「中露疑似同盟」の可能性と限界についてついてまとめられた。

 もちろん、超一流の学者であるおふたかたの格調高いご講演に「コメント」などできるわけでもなく、「大変勉強になりました」と恐縮するのみとなった。お二人が描かれたグランドデザインに重ね合わせながら「2010年11月20日時点で日本外交の突き付けられている課題」を披歴しようとした試みは、緊張のあまり、ダッチロールを繰り返しながらのものとなったが、いまの実力ではこんなものであろう。

 嬉しかったのは下斗米先生が熊本に大変ゆかりがおありとのことで、「熊本ネタ」で懇親会が盛り上がったこと。師匠と下斗米先生との間のハーバード時代からの「絆」にも触れ、楽しいお酒となった。情報に対する極めて敏感なアンテナ、そして巧みな話術。まさに理想とする学者とご一緒できた充実の時間であった。

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□2010年11月18日(金) 再び団交

 年末賞与などをめぐる理事会側との団交。今日妥結しないと支給日が延びるとのこと。夏に理事会メンバーが総入れ替えされたこともあり、「しがらみ」や「悪しき慣習」、「ぬるま湯体質」などが議論となる。

 中長期的な視野から見れば、向いている方向は同じだなのだろうが、「失われた世代」である我々からすれば、「やはり始まったか」というあきらめにも似た感覚に包まれないでもない。

 長年に及ぶ厳しい競争を経て専任となった我々若手にとってすれば、「ストックが薄い」のはまさに我々のほうであり、そのツケをいきなり回されるのはたまったものではないというのが率直な思いである。

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□2010年11月17日(水) 取材

 東京からNHKの方々が来熊。来春放映予定の番組制作に関する取材。2006年に放映された「日中は歴史に... 」でご一緒したディレクターの方も見えられ、学位をとったもののまだ ふらふらしていたあの頃の自分を思い出した。

 研究途上の部分を扱うだけに、なかなか議論もまとまらない。できるだけ事前に煮詰めておかなければと焦りつつ準備はしたものの、果たしてお役に立てたかどうか。とにかく「中国外交部档案における高碕達之助像」というメモなどを用意。

 いくつかの宿題をもらう。

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□2010年11月15日(月) 免許更新

 ゴールドカードなので5年ぶりの免許更新。つまり熊本で初めての更新となる。

 30分程度の更新講習だが、いわゆる「教官」がばりばりの熊本弁でまくしたてるため、かなりの部分が聞き取れないまま終わる。熊本に来て2年半がすぎたが、「方言」というものをこれほどまで実感したのは初めてのこと。

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□2010年11月12日(金) 団体交渉

 内容の全く異なる3コマの講義(国際社会と日本U250名、東洋史概説U200名、中国概説80名)を終えた後、テンションの上がりきったまま年末賞与等に関する理事会との団体交渉。労組の役員である以上、言うべきことは言わねばならない。ストレスも多いが、条件が悪化する局面において「和気あいあい」とはいかない。もちろん性格上、私は憎まれる可能性の高い「キレ役」である。

 毛沢東は日中国交正常化交渉を終えた周恩来と田中角栄に「もう喧嘩は終わりましたか。喧嘩をしないと本当に仲良くはなれませんよ」と声をかけた。双方が双方の後ろにあるものの利益を代表して議論する場合、やはり本質的には「近い存在」足り得ないだろう。「全学一家」とはいえ、やはり対立せざるをえない。

 いかなる理屈を並べても、もっとも相手が嫌がることをしているという認識を持ってほしいものだ。

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□2010年11月6日(土) 北京日記 その11

 少し早く目が覚めたので、学会の事務関係メールを処理する。タクシーで空港に向かい、いつものCA953に乗り込む。朝早い便なので明るいうちに帰熊できるのがありがたい。

 飛行機に乗ると実感するのはキャリアー間の競争激化。エコノミークラスの機内食などにもともとなんの期待もないが、北京発大連経由福岡行きのCAだと、機内食がでるフライトは大連‐福岡間の1時間半。熊本‐羽田なみに短い時間なので、コストダウンのため(?)「パン」も「デザート」もカットされたようだ 。

 それにしても「牛肉飯」か「鶏肉麺」のアルミ箱と山菜の漬物だけというのはいただけない。街場で食べたら7元ぐらいか。「パンはどこいった」とのからかいにキャビンアテンダントも苦笑いであった。

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□2010年11月5日(金) 北京日記 その10


愛国主義@天安門のスーパービジョン

 自ら進んで収集しようとしない限り、中国で「確か」な情報を得ることは難しい。短いながらも、国際政治上動きが大きかったこの10日間。この当たり前のことに改めて気づかされた。

 「反日」デモ騒ぎの余韻が残るなかの訪中だったが、その後の日中関係はさらに混迷の度を増した。日中首脳会談のドタキャンは胡錦濤政権による対日政策の柔軟化をめぐる国内諸勢力の「調整」が難航していることを如実に表しているといえよう。

 また、あまり関連づける必要はないが、尖閣事件ビデオの「限定公開」と時を同じくして、メドベージェフ大統領が国後島を訪問した。専門家は「大統領選をにらんで」と解説するが、日本の国内世論は沸騰した。

 他方、警視庁の対テロ対策情報のみならず、尖閣事件ビデオの「ロングバージョン」までネット流出する始末。日本側の専門家は「中国漁船の故意」を映像から分析してみせるが、中国側は「情報漏洩に憂慮」するなど、「本末転倒」の発言をする始末。極端だが、「日本側が作成した偽映像」という言説まで出ている。

 まさに情報戦の様相を呈してきた。再び外交問題が総理辞任にまで発展するのだろうか。

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□2010年11月4日(木) 北京日記 その9


前二者と後二者@新中国外交歴程図片文献展

 終日档案館にて作業。「新」档案館の入っている外交部南楼の4階に中国外交の歩みをまとめた「新中国外交歴程図片文献展」が開設されていた。档案館のふたつ下の階にあるので閲覧の合間にのぞいてみた。もちろん「免費」である。


やはりこちらもしっかりと投資...

 写真からもわかるように、かなりしっかりとした「外交博物館」になっている。ふりかえるにやはり中国外交は「毛沢東」であり、「周恩来」であり、そして「ケ小平」なのだということを改めて思い知らされる展示内容。江沢民さんも胡錦濤さんも頑張ってはいるが、やはり「思想」というと...。いろいろ飛び回っている様子はわかるのだが。

 深読みしすぎかもしれないが、「日中国交正常化」に関する展示がほとんどなく、これに代えて「日中平和友好条約」が大きくクローズアップされているのは、「改革開放」との関連でそうなっているかしら。ポスト小泉時代の「破冰」「融冰」にも大きく展示スペースがさかれており 、中国外交における「日本」の位置づけは決して小さくないようにも思える。


中ソ友好同盟相互援助条約(中文版)の現物...

 中ソ友好同盟相互援助条約の現物やバンドン会議関係の档案が電子画面でいろいろとみられるなど、2階上の档案館との「コラボ」でなかなかマニアックなものとなっていた。駐米中国大使館の模型なども「他の国の大使館よりデカイだろう」といわんばかりで、なかなか楽しめた。

 档案複写はほとんどできず、なかなか精神的にも追い込まれる資料調査だが、ここに展示されている「新中国外交」の膨大な歩みの一部を実証的に分析しようとしているのだと思えば、ちょっとした気分転換にもなる。

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□2010年11月3日(水) 北京日記 その8


羊肉套餐@呷哺呷哺

 引き続き高碕訪中の『外事簡報』の録入を続ける。お昼は神田さんと「呷哺呷哺」で済ます。単純作業の継続で身体のだるさがぬけないので恥ずかしながら昼間から少しだけビールをいただく。

 夕方からは清華大学へ。師匠が来京されているので夕食をお供させていただく。もちろん劉建平先生も「研究仲間」としてご同席くださり、新著についていろいろと意見交換をさせていただく。もちろん師匠には横から「とにかく早く本を出しなさい」と急かされる。ひさしぶりに重慶の王老師の声も聞く。元気そうでなにより。

 清華大学の大学院に送り込んだ(?)学園大のゼミ生も宴会に「乱入」。清華での生活にも慣れたようで、随分と逞しくなっていて今後が楽しみ。それぞれの時間はそれぞれ進んでいるようだ。

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□2010年11月2日(火) 北京日記 その7

 終日档案館にて録入。1962年10月の高碕訪中の『外事簡報』(総数87頁)の完全採録に挑む。日中双方から戦後初期日中関係に関する専門書が出つつあるが、私の考える「実証」とはちょっと違う感じがしており、少しばかり違和感を感じている。私は何を目指したいのだろう。何をしているというわけでもないのに...。

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□2010年11月1日(月) 北京日記 その6


いつもの13元定食@到家賞

 いつもと変わらぬ外交部档案館。と思いきや研究会でご一緒している神田さんが真新しい閲覧室に。お昼ご飯の仲間をみつけて嬉しい限り。終日、高碕関係の档案を録入。

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