大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2009年2月)

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□2009年2月28日(土)  東アジア社会文化研究会


ぱっちりおめめの絵理香ちゃん

 午後は大学で東アジア社会文化研究会。舛井雅子先生による「日本語教育現場からの報告」。新年度より外国語学部では「日本語教員養成課程」をスタートさせることもあり、大変興味深くご報告をうかがった。

 私自身、幼い頃に海外に住んでいたこともあり、いわゆる「日本語教師」という仕事の難しさを間近に見てきたが、将来の可能性を広げるという意味でも、ぜひともできるだけ多くの学生にいろいろな意味で「チャレンジ」してもらいたいと思う。

 宣伝するわけではないが、熊本学園大学の極めて質の高い先生方から外国語を習得するのと同時に、日本語の難しさや面白さを再発見することは、きっと日本を客観的に見るひとつの手がかりになるだろう。自然、質疑応答もも盛り上がり、充実した研究会となった。

 育児手伝いのため来熊してくれていた母が本日帰京。通常同様に仕事ができただけでなく、息子がたっぷり甘えさせてもらえて本当に有難かった。

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□2009年2月27日(金)  熊本における外国人研修生問題

 夜は「くまもと県民交流館パレア」で開催された出版記念講演会に参加。書名は『<研修生>という名の奴隷労働―外国人労働者問題とこれからの日本』(花伝社、2009年2月)。

 いわゆる「研修生」制度の下、多くの外国人が過酷な労働環境に置かれながらも日本で働いているが、本書は熊本の天草や阿蘇における中国人技能実習生の労働実態を伝えるとともに、訴訟を通じて「奴隷労働」ともいえる労働環境を改善し、あるいは損害賠償を勝ち取ろうとする彼女たちの闘いを描くものである。

 ちょうど本日、原告の本人尋問が終わったところであり、係争中ということからもここで意見を述べることは差し控えるが、本書を紹介することで言わんとしているところを汲んでいいただきたいと思う。

 今年の正月、ブログでも紹介したように、家族で天草をドライブしたのだが、その道すがら、ひと目で中国人とわかる若い女性が4人ほどで天草街道をとぼとぼと歩いているのを見かけた。いわゆる中国東北の農村にいるような感じの女性がそのまま歩いていたので、我が目を疑ったのだが、その背景には本書が紹介しているような事情があったことを改めて知った。

 本問題に関する訴訟は熊本が最先端にあるとのことである。熊本という豊かな地ではあるが、「地域研究」という観点から考える場合、単に美しい風景や美味にのみ溺れているだけでは研究者として鈍感すぎよう。ましてや東アジアとのつながりを基本とする学科で教鞭をとっている以上、「熊本とアジア」を考える一つのテーマとして取り上げていく必要があろう。

 熊本に来て丸1年。ようやくフィールドに出られる気持ちの余裕が出てきた。

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□2009年2月26日(木)  南阿蘇にて一泊して候

 夕刻より南阿蘇の「竹の倉山荘」へ。息子も勝手知ったる我が家といった感じ。やはり各個室に露天風呂がついているのは嬉しい。ゆっくりと温泉につかり、息子ともども英気を養う。二人ともこれ以上元気になってどうするつもりか。阿蘇の自然の恵みに舌鼓を打ちつつ、飲み過ぎる。

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□2009年2月24日(火)  確定申告

 午前中臨時教授会。卒業判定など。新年度に向けていろいろと慌ただしくなってくる。春の日差しが差し込む図書館の窓際でシベリア抑留関係の書籍をノートをとりながら読み込む。

 就職1年目。先だって年末調整があったが、色々な所から諸々があったため、確定申告の書類を作る。これまでは「還付」され続けてきたが、今年は小遣い1か月分ぐらいの追納となる。喜ぶべきか悲しむべきか...。

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□2009年2月19日(木)  入学と卒業

 午前中は臨時教授会。入試の合格判定が主な議題。合格ラインの設定など、「こちら側」に来て初めて触れることばかり。分析によれば、東アジア学科で学びたいという生徒さんが多くいるとのこと。自然、来年度の講義準備にも力が入る。

 午後はゼミ論文集を編集。卒論組3名、課題図書レポート組5名の計8名。卒論は力作が揃い、総ページ数は160を越えることとなった。自分のゼミの論文集なので、つれづれなるままに「巻頭辞」を書かせてもらった。教員になったことを実感する一瞬である。

 卒業希望者のため、東洋史概論のT・U、そして国際社会と日本Uの再試験問題を作る。学生時代に単位を落としたことがないので、ちょっとだけ不思議な気持ちになる。

 9月末締め切りの仕事が入る。今回は自分だけが書けばよいのではなく、特集としての企画も考えなければならない。このようなチャンスを与えていただけることに感謝。

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□2009年2月18日(水)  この街で...

 終日研究。

 付属中学校設立決定の由。付属高校が高い評価を頂いていることもあり、中高一貫の実現は学園をさらに活性化させてくれるにちがいない。某デパートのCMソングではないが、「この街で生まれ〜。この街で学び〜」というコンセプトを実現していくことが、やはり何より大切だろう。

 夕方は労働組合室にて開票作業。現在、執行委員選挙管理委員である。「誰もが通る道」との事。案の定、立候補者は出ず、互選実施となる。

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□2009年2月17日(火)  最後のひとり

 終日研究。ソ連領およびソ連軍管理地域からの日本人引揚の政治過程について再検討。いわゆるシベリア抑留問題と絡めて、ソ連から新中国への日本人戦犯の移管過程をまとめる部分。

 先行研究は多いが、やはりソ連(ロシア)側の一次史料の利用にいろいろと制約があるためが、いずれもキレがいまいちである。もちろん、単著の原稿としてまとめ直しているのだが、「予備的考察」として紀要に出しておくのも良いかも知れない。

 ようやく最後のひとりが卒業論文を無事に提出。正直、見捨てることも考えたが、そこまで鬼になれず。優しすぎるのか。

 

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□2009年2月11日(祝)  娘誕生


大澤娘。

スペシャル・バージョンはこちら



 朝方お嫁様に「病院に行く」と起こされ、暗いなか病院へ。シャワーを浴びに自宅へ戻り、再び病院に行くとすでにお嫁様は分娩室。息子の時と全く同じパターン。9時40分過ぎ大きな産声が廊下まで聞こえる。息子とほぼ同じ時刻に誕生。前回同様、3時間ほどのあっという間の出来事。

 母子ともに健康でひと安心。命名は「絵理香」。

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□2009年2月10日(火)  卒業論文

 提出された卒業論文と課題レポートを全て確認し終える。特に卒業論文はA4で50枚近い大作が2本もあったため、最終確認作業はかなりへヴィーであった。これでしばらくは研究に専念できるか...。

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□2009年2月7日(土)  入試監督

 東アジア学科の入試監督のため朝から大学へ。試験監督主任とのこと。何ということはない、真ん中で注意事項を読み上げる人である。今年は学科の志願者が大幅に増加している。ありがたいことである。ともあれ、いろいろ考えさせられる時間であった。

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□2009年2月6日(金)  成績

 秋学期の成績をつけ終える。自分のなかで基準が明確になってきたこともあり、ほとんど迷いもなかった。持ち込み可による論述でも、きちんと理解できていない学生の答案は一発でわかるものだ。

 某学会誌より査読の依頼あり。

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□2009年2月1日(日)  「戦後東アジア国際政治史の研究展望」2日目


公開シンポ「台頭する中国の源流を求めて― ケ小平の決断」

 朝からワークショップ「戦後日中関係史の再検討(1945年〜1972年)― 一次史料の活用による通史へのチャレンジ」。司会兼討論者に横山宏章先生(北九州市立大学)をお迎えしてのセッション。報告者は私のほかに、杉浦康之氏(慶應義塾大学大学院)、井上正也氏(神戸大学大学院)、神田豊隆氏(東京大学大学院)の計4名。杉浦氏は中国外交史から、井上、神田両氏は日本外交史からの挑戦となる。

 他方、二国間関係である「日中関係」から「通史」に挑戦しようとした私は、諸々の「迷い」が露呈した形の報告になった。もとより挑戦すべき対象である「通史」とは何かという点に十分な認識が至っていなかった。いわゆる従来からある「史観」への挑戦か、あるいは日中関係のみならず、もっと大きな国際関係の枠組みに対する挑戦か。

 結局のところ常に日米関係や米中関係、あるいは中ソ関係の従属変数的に扱われる「日中関係」を専門とすることの限界か。これまで取り組んできた研究対象の特殊性によることもあるのだろうが、「日中関係」という小さな土俵のみを視野に入れた挑戦では、あまりにもつまらないだろう。どうせぶっ壊すのであればもっと大きなものを目指すべきということか。

 私の心のどこかにあるのかもしれない「守りに入ろう」というような甘い気持ちを見透かされたのだろう。さすがにこれは応えた。来熊から1年。「腰を落ち着けて研究する」ということの意味を履き違えていたような気がする。ぶつかり稽古がまだまだ足りないのだろう。気合いを入れ直さねば。

 午後は公開シンポジウム「台頭する中国の源流を求めて― ケ小平の決断」。司会は私。報告者として九州地区の新進気鋭の中国研究者である下野寿子先生(北九州市立大学准教授)、磯部靖先生(長崎外国語大学准教授)、益尾知佐子先生(九州大学大学院准教授)をお迎えすることができた。討論者は東大の川島真先生、慶応の加茂具樹先生、学園大の横澤泰夫先生がご快諾くださった。

 ご報告のテーマはそれぞれ「ケ小平の対外開放―経済発展と国際化への歩み」、「改革・開放政策の展開とケ小平のリーダーシップ」、「ケ小平にとっての『日本』―反覇権闘争、現代化、愛国主義」。経済、政治、そして外交という三つの領域を想定して企画させていただいた。

 報告者の先生方はいずれもケ小平のリーダーシップに対する諸々の「神話」を見事に突き崩してくださった。その意味で「決断」したのは、やはり集団指導体制を取り戻した中共そのものだったといえるのかもしれない。公開のシンポジウムだっただけに、このような話の流れのほうがきっと一般の聴衆の方々も楽しんでいただけたにちがいない。

 嬉しかったのは、思いのほか学生諸君の参加があったこと。最高レベルの日本人研究者が目の前で討論を繰り広げる迫力を感じてくれただろうか。

 <御来熊くださった皆様へ>
遠方よりお越しくださり本当に有難うございました。いろいろな意味で本当に勉強させて頂きました。  

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