大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2008年12月)

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□2008年12月31日(水)  大晦日

 終日研究室にて...と書きたいところだが、あまりの寒さに午後2時半過ぎに退散。26日の一斉休業以降、全館空調停止という過酷な環境のなかで仕事を続けてきたが、今日の冷え込みは尋常でなく、つま先の感覚がなくなった。とりあえず本年の仕事納めとする。何とか書き終えた原稿の脚注をすべて確認し終えた。

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□2008年12月30日(火)  年の瀬

 終日研究室にて論文の脚注確認作業。細心の注意を払って行っているが、ちょこちょこと間違いがある。人間に「絶対」ということはないが、せっかく振るのだから、ひとつひとつ愛情を込めて確認してあげたい。

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□2008年12月29日(月)  いきなり補助なしか



自転車に興じる息子

 年の瀬も迫ってきたので、とりあえず正月準備のため今日は休みとする。

 息子が「自転車に乗りたい」と誘うので朝から二人で公園にでかける。先日息子が「小さい横のタイヤはいらない」と言ったので、妻が補助輪を外したそうである。話は聞いていたのだが、その直後から補助輪なしでスイスイと自転車を乗り回しているとのこと。つい2週間前に4歳になったばかりのはずだが...。

 実際一緒に公園に行ってみると、何とも器用に乗り回している。道ですれ違う小学生も「あんな小さいのに補助なし乗ってる」と驚いて振り返る。何とも不思議な光景である。もとより「補助なし自転車は乗れない」という固定観念自そのものが彼にはないのだろう。驚くべきバランス感覚(ちょっと親バカ)。幼児恐るべし。

 正月飾り、鏡餅、おせちの材料をしこたま買い込み、正月準備を終える。もちろん、南阿蘇での湧水汲みも完了。

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□2008年12月28日(日)  にらめっこ

 日曜なるも終日研究室にてマイクロリーダーとにらめっこ。投資した分、元を取らねば。脚注をふり直すのもひと苦労だが、効率は良い。

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□2008年12月27日(土)  「人民の義憤」を超えて

 拙稿「『人民の義憤』を超えて―中華人民共和国の対日戦犯政策」が掲載された『軍事史学』第44巻第3号が自宅に届く。中華人民共和国による日本人戦犯の起訴過程を中国外交档案に依拠して跡づけたもの。

 周知のように、新中国の戦犯裁判はジャーナリスティックに取り上げられることは多いのだが(つい先日もNHKで110分という長尺の特集番組が放映されたばかり)、相対的に学術論文が少ないので、それなりの意味はあるだろう。現在公開されている中国外交部档案で描けるギリギリのところといったところか。

 終日研究室にて研究。原稿をとりまとめる必要から、再び戦後中国における日本人技術者留用問題に挑んでいる。だが、中国国内の先行研究を精査しても、『東北日報』の精読、あるいは東北三省の档案館調査まで。その档案も外交部档案館に所蔵されているものとほぼ同内容。やはり研究者である以上、単なる知識の羅列ではなく、自分なりの「仮説」を提示したいのだが...。

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□2008年12月26日(金)  一斉休業

 終日研究室にて研究。出勤して気づいたのだが、今日から大学は一斉休業とのこと。学食はもちろん、学内のローソンから図書館まですべて休み。今年はカレンダーの「並び」が特別なのだろうが、それにしても早い仕事納め。東京もこんな感じなのかしら。

 年末は晦日か大晦日まで北京で档案調査をするのが近年の恒例となっていたため、個人的には「まだまだ平日」という感じ。空調のきかない研究室で粛々と原稿を書き進める。勢いあまって年明けのシンポジウムの報告構想も練る。学内が静かだと仕事がはかどる。

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□2008年12月25日(木)  朱筆 その2

 再び朝から研究室で提出された課題に朱筆を入れる。酷なようだが、卒論組には年末年始少し踏ん張ってもらうしかなさそうだ。いずれの学生も筋は良いのだが、いかんせんエンジンのかかるのが遅すぎた。

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□2008年12月24日(水)  朱筆 その1

 朝から研究室で提出された課題に朱筆を入れる。課題図書レポート5部、卒業論文3部。ゼミ文集を編みたいのだが、どこまで完成度を高められるか。半日使って課題図書レポート組はなんとか添削を終えて発出する。

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□2008年12月22日(月)  今年最後の講義

 今年の講義も今日で終了。専門演習U(4年生対象)の卒業論文と課題図書レポートを提出してもらう。今日が初稿の締切である旨は9月から周知徹底してきたつもりだが、この日にどのような状態の「結果」を提出するかで、その学生のおおよその本性がわかる。

 きちんと仕上げて来る者、そうでない者...。だが、敢えて厳しいことを書くならば、就活の「結果」と今日という締め切りに提出された「結果」になんらかの因果関係が存在するように感じるのはあながち考えすぎとはいえまい。要は「着地のさせ方」に対する認識の問題である。物事の「着地のさせ方」に対する認識の甘さが、人生を左右すると私は考えている。

 演習終了後、ゼミ忘年会までの時間を利用して、27日放映予定のNHKスペシャル「引き揚げはこうして実現した―旧満州・葫蘆島への道」のハイビジョン版台本の確認作業をする。110分の長尺だけあって、留用技術者などにも目を配った構成になっているようだ。

 先日放送されたNHKスペシャルに対するコメントを拝読。事象の多様性と事象の複雑性を混同しているようなコメントに「越えることのできないディシプリンの壁」を強く実感する。 

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□2008年12月21日(日)  神戸日記 その2



神戸・旧中国領事館

 朝ホテルをチェックアウトし、新神戸駅へ徒歩で向かう。元町・大丸前のホテルに宿を取ったため、すぐ隣りに中華街、道すがらに異人館通りがあり、短い時間ながらも神戸をぶらつくことができた。

 急な坂道が続くので全部をまわることはできなかったが、専門柄、「旧中国領事館」だけは寄ってみることにした。汪兆銘政権時代の領事が駐在していた館とのことだが、シックな感じの中華風(?)でまとめられており、「うちもこんな風にできればなぁ」と思う。写真は領事の執務机のようだが、窓から神戸の港が見下ろせる素敵な部屋であった(もちろん、当時このように家具が配置されていたかはさだかでないが)。領事は何を思いながらこの海を眺めたのだろう。



明石駅弁・海峡弁当

 新神戸駅にて「明石駅弁・海峡弁当」を買い込み新幹線に飛び乗る。昔だったら迷わず神戸牛ステーキ弁当など買っていたのだろうが、本当に食の嗜好とは変わるものである。まさに蛸尽くしの弁当であったが、さっぱりと美味しく頂いた。

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□2008年12月20日(土)  神戸日記 その1



神戸・中華街の長安門

 ワークショップ「戦後日中『民間外交』と日中関係」のコメンテイターを仰せつかり神戸に出張。到着後、神戸中華街で昼食を済ませ、会場となる神戸華僑会館に向かう。

 オーラルヒストリー研究の文脈で、国交正常化以前の「民間外交」に携わった方々にお話をうかがうというもの。吉澤宏始氏(日中経済貿易センター元理事長)、土井英二氏(兵庫県貿易元社長、現監査役)、金■(羽+軍)氏(大阪華僑総会名誉会長)がそれぞれ45分ずつご自身の体験をお話くださった。

 吉澤氏は日中貿易促進運動全般の総括、金氏は在日華僑の統一戦線運動、そして土井氏は国交回復以前の北京でのビジネス裏話など、いずれも公文書からはうかがい知ることのできない、躍動感ある「中国」を力強く語ってくださった。

 関西地区の日中貿易促進運動については若干の先行研究があるが、特定の人物に照準を合わせるものが多いような印象がある。神戸の国貿促は今年3月にその歴史的使命を終えられ、発展的解消となった由だが、その関係史料なども研究者の手に保管されているようなので、いずれ体系的な研究が出るだろう。

 コメンテイターは安井三吉先生(孫文記念館館長)、森武麿先生(一橋大学教授)、そして私。重鎮の先生方を前に私ごときがコメンテイターとして並んでいるのは恥ずかしい限りなのだが、国交正常化以降に生まれて戦後初期日中関係を研究している私が前座を務めるのもまた一興ということであろうか。

 コメントとしては、最近の研究状況を間単にご紹介させていただくこととした。国家間外交と民間外交、さらには「戦略手段」としての政経分離の民間経済外交と 「日本中立化」実現のための「戦略手段」としての民間経済外交と民間人道外交。そして、ナショナルヒストリーとオーラルヒストリー(民間領域における口述歴史)の対話など。

 ワークショップ終了後、中国料理「国宝楼」にて懇親会。45分では語り足りなかったようで、パネラー三氏は円卓を前にして延長戦を始めてくださった。関西の中国現代史研究会の皆さんとも交流することができ、刺激的な一日であった。楽しい雰囲気につられて随分と飲んでしまったが、安井先生の紹興酒を召し上がるペースの早さには心より脱帽。

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□2008年12月17日(水)  湧水を汲む生活



南阿蘇・潮井水源にて

 最近、料理や晩酌に使う水を週に1度ぐらいの割合で南阿蘇の水源に汲みに行っている。炊いたご飯の味が格別なのはもちろんだが、とにかく焼酎の水割りが美味しい。ずっと「浴びるほど」のビール党であったが、最近はもっぱら米焼酎「待宵」の南阿蘇湧水割りが晩酌のお供となっている。日に0.2合ぐらいをちびちび飲んでいるので、身体にはずっと良いだろう。

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□2008年12月16日(火)  『特攻とはなにか』

 来年度の専門演習Tで読んでいく課題図書を選ぶため、手頃な新書を日に2冊ずつぐらい読んでいる。「日本側の視点も...」と探していて手にしたのが、森史朗『特攻とはなにか』(文藝春秋、2006年)。いわゆる「特攻」に至る道を丹念に描いた秀作である。

 この問題を議論する場合、どうしても「犬死」かどうかという点ばかりがクローズ・アップされがちだが、本書はより数多くの論点を提起してくれているため、学生たちが読むのにも良いのではないかと思う。もっとも、分量の多さと密度の濃さが若干高いハードルとなりそうだが...。

 熊本からは知覧も近い。民族と歴史認識という問題を考えるにあたっては、日中のどちらか一方だけを強調するだけでは不十分である。それぞれに論理があり、それぞれの論理に限界や課題がある。それを理解できるような演習にしていきたいのだが。春学期「特攻」、秋学期「戦犯」となるとちょっと重たいか...。あるいは熊本という土地柄を考え、本格的に中国残留日本人問題をやるか...。

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□2008年12月15日(月)   もうすぐ締め切り

 秋学期の専門演習Tの総仕上げとして「“認罪”―中国 撫順戦犯管理所の6年」の前半を学生たちと見る。大学で中国を学ぶ場合、やはり歴史認識問題は避けて通れないと思う。いきなり中国に留学して現地で洗礼を受けるのも良いが、個人的には「衝撃」を受ける前に「知識」として多方面からこの問題を議論、検討しておくべきだと思う。

 人数が少ないこともあり、あまり分量的な負荷はかけられなかったが、新井利男さんの「裁くとはなにか」から拙稿「『人民の義憤』を超えて」まで、映像資料も含めて、少しは体系的に見てきたつもりである。ある問題を考える場合に、いろいろな本や論文、さらには資料を使って多角的に見ていくプロセスを疑似体験させる。卒論を書かせる場合には、絶対に必要なプロセスである。

 専門演習Uは卒論報告。ようやく目鼻がついてきた。後は締め切り直前の踏ん張りを期待するのみである。

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□2008年12月14日(日)  誕生日



息子4歳の誕生日

 息子4歳の誕生日。両家の実家から誕生日プレゼントが次々と届く。ずっと欲しかったレゴの飛行機も買ってもらい本人は大満足のようだ。「みんな甘やかしすぎだよう」と本人が言うようではおしまいだろう。

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□2008年12月10日(火)   教員忘年会

 とりあえず新入りなので教員忘年会の幹事を仰せつかる。いずれも「東アジア」を専門とする先生方だけあって、飲み会の盛りあがり方も良い意味で「東アジア」的である。楽しい時間を過ごす。

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□2008年12月8日(月)   NHKスペシャル「旧満州・葫蘆島への道」

 午後は演習が2コマ。その後、尚絅大学の学生さんたちとゼミ生との合同忘年会に参加。就活を終えた4年生と学生生活を楽しみ始めた2年生のコントラストがなんとも面白い。

 今日は考証のお手伝いをしてきたNHKスペシャル「引き揚げはこうして実現した―旧満州・葫蘆島への道」の放映日。終戦直後の引揚については、数多くのエキスパートがいるが、問題に対するアプローチの違いから、これまでなかなか直接的に議論させていただく機会がなかった。

 個人的には「歴史学」と「国際政治学」との対話というような方向性を強く感じていたのだが、奇しくも番組製作を通じて、その「融合」がはかられたような感じがしている。「国家」の視点と「個人」の視点。「引揚」研究においては、これがまさに大きな課題となってきたと思う。

 専門柄、「個人」を語るためにはまず「国家」や「社会」を語らなければ、どうしても物足りなさが残る。だが、強烈な「個人」の記憶は我々の心を捉えて離さない。研究者である前に「人」としてこの問題にどう向き合うのか。近く刊行する論文の論題がその対象を「ヒト」と表記している以上、私はまだその領域には到達できていないのだろう。

 番組を見た中国人の同僚は「あの葫蘆島の石碑にある『僑俘』という言葉に込められた意味、重み、そして中国人の気持ちを感じ取ってほしい」という感想を聞かせてくれた。ここで「以徳報怨」の政治的内実などについて論ずる必要はないと思うが、歴史をいかように評価し、言葉として遺すのかという問題も含め、我々日本人が学ぶべき点は多いと思う。

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□2008年12月4日(木)  史料読み込み その3

 研究室にて史料の読み込み。途中、図書館を何度か往復。昼休みに学科会議。午後イチで友人より最大級の吉報が届く。私自身もそうであったが、大きな悲しみは大きな喜びが癒してくれるだろう。

 3日目にしてようやく関係する記述を発見。国共内戦期の中国東北局に関するものだが、ある政治局員の追悼録のなかに重要な記述があった。詳細な日付まできちんと記述されているので、ある程度は信用できよう。これで論述の足場がなんとか固まった。

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□2008年12月3日(水)  史料読み込み その2

 朝イチで中国現代史の講義。引き続き刊行史料を中心に読み込む。該当する記述は見当たらず。午後は教授会と学科会議。いずれもスムーズに進行。快哉。引き続き就寝まで史料とにらめっこするも報われず。

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□2008年12月2日(火)  史料読み込み その1

 朝イチで頼まれていたNHKスペシャルの放送台本の確認作業。今日、午前中にナレーション録りとのこと。大きな修正もなく、これにてお手伝いもひと段落。あとは放送を待つのみである。

 終日研究室にて『中共中央文件選集』や『毛沢東軍事文集』、『周恩来軍事文集』などとにらめっこ。あるかも分からない「記述」を探してひたすらページをめくる。これが本業。

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□2008年12月1日(月)  理想論

 午前中は『中共中央文件選集』の確認。昼は学科会議。来年度を見据えた議題が多い。

 午後は演習がふたつ。もとより外国語学部であるため、社会科学や地域研究のトレーニングを十分に受けてきているわけではない。従って卒業論文の執筆開始と同時に基礎からやらなければならないのだが、「就活優先」の雰囲気の中では、ゼミ生にかけられる「負荷」にも限界がある。卒業あっての就職なのだが、いまの日本では理想論にすぎないのだろう。

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