大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2008年10月)

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□2008年10月31日(金)  北京日記 その6



清華大学日本研究中心にて

 午前中は档案館へ。とりあえず重要な档案の筆写を終える。金曜日は午前中のみ開館である。

 その後、タクシーで海淀橋そばにある中共党史研究雑誌社へ向かう。どうも郵便事故があったらしく、いまだ拙稿が掲載された『中共党史研究』を見ていないため、とにかく現物を貰いに行く。党史研究の総本山(?)ということもあり、入口に巨大な「実事求是」の金文字看板。厳重な身分確認を終え、建物のなかに案内される。詳細は省略するが、何とか雑誌を入手することができた。

 せっかく海淀まで来たので、清華大学の王宗瑜さんに連絡する。飛行機の時間が迫っているが、やはり仕事の結果は見ておきたい。清華大学日本研究中心を訪問する。オフィスが入っている「明斎」の外観はいかにも「歴史的建造物」だが、内部は現代的にリフォームされており快適そうである。まだ業務を始めたばかりだが、立派な研究室と事務室があり、器は整ったといえよう。後はいかに料理をして盛りつけるかである。

 清華大学の学食で昼食をごちそうになり、そのまま機上の人となる。明日も朝からスケジュールがびっちりである。

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□2008年10月30日(木)  北京日記 その5

 終日档案館。独り寂しく羊肉のシャブシャブを食べる。寂しいが美味しい。たっぷり食べて生ビールを飲んで50元ちょっと。高いのか安いのか感覚がなくなってきている。やはり物価は上がったのだろう。

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□2008年10月29日(水)  北京日記 その4



中国外交部档案館編『周恩来手迹大字典』(人民出版社、1996年)

 午前中は資料調査とする。新たに地下鉄5号線ができたので、崇文門から幹面胡同の世界知識出版社に行くのが楽になった。もっともここでは特に購入するものがなく店を後にする。

 続けて中央文献出版社。個人的にはここが一番好きである。店員さんの愛想が大変よく、自分が研究している対象を伝えると、奥からパリパリになっている絶版本などを出してきてくれた。「こんなのどこにあるの?」と聞くと、「奥の倉庫よ。見たければどうぞ」と連れて行ってくれた。

 別に客が普通に入って構わない倉庫なのだろうが、無造作に積み上げられた中央文献出版社など(他の出版社のものもなぜか豊富にある)の歴代出版物は、まるで宝の山である。周知だと思うが、小さなお店のカウンターの横の扉を一度出て、さらに奥である。ひと言断ってから行ったほうがよいだろう。

 もちろん、後先考えずに「これでもか!」というほど本を購入したが、今回の目玉は3キロはあるだろう周恩来の筆文字大辞典である。勉強不足だが、その存在を知らなかった。周恩来の手稿の文字を「うそ!」というほど並べて比較した「研究者以外絶対に使わない」工具書。30年後に中央档案館が開くかもしれないので迷わず購入。周恩来外交についてもう少し深めていきたいと思う。

 夜、ゼミ仲間の王宗瑜さんと会う。元気そうで何よりである。

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□2008年10月28日(火)  北京日記 その3



崇文門でも「味千」です

 昨日と同じスケジュールで動く。嗚呼档案調査。これが至福の時なのだから、この仕事は天職なのだろう。ホテルの隣りにある「味千らーめん」。我が愛しの熊本は世界にはばたく。

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□2008年10月27日(月)  北京日記 その2

 朝から外交部档案館へ。ほとんど複写ができないため、どの档案を筆写するのかが腕の見せどころ。20代半ばの時と変わらぬ集中力で筆写する。とにかくまだ30代前半。もう少し体力勝負にも挑みたいと思う。

 今回は建国初期中国の政策決定に関する事例研究を行うため、「人道問題」だけでなく、貿易等の問題について若干目を配ることにする。いわゆる「方針和計画」なる文書群である。数はそんなに多くはないのだが、事案ごとに少しずつ「方針和計画」があるため、なかなか軽視できない。じっくり読むと政策立案の機微をうかがうことができると信じて取り組んでいる。

 昼はいつもの華普の地下で食べる。何とランチの定食が11元から14元に値上がりしている。中国人の同学からは「大澤さんがあんなところで食べてはいけません」といわれるのだが、量といい味といい、なかなか捨てたものではない。

 食後は朝陽門の星克巴でメール・チェック。仕事のメール数件に返信する。午後も引き続き筆写。夜は崇文門の「真功夫」で「1号套餐」(24.5元。これも21元から値上がりした)を食べて済ませる。ホテルの部屋で遅くまで原稿を書く。

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□2008年10月26日(日)  北京日記 その1

 今年3回目の中国である。春は天津、夏は長春、そして秋は北京。やはり北京は秋が良い。すっきりと空が高い。勝手知ったる崇文門界隈。閲覧する档案のとりまとめをしながら明日に備える。

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□2008年10月25日(土)  日中関係を振り返る

 資料調査の合間を縫う形で地元・立川で打ち合わせ。グラン・デュオのなかではお気に入りの「菜香」で食事をしながら「戦後日中関係と朝日新聞」についていろいろと話す。お会いした記者の方(大変なベテラン)は昨日の国際政治学会の「引揚」部会にもいらしていたとのこと。

 「引揚」がどのように報じられたのかという問題は、前期と後期に分けて改めて体系的に分析してみる必要があろう。引揚の実際の展開と新聞の報道...。当時の国民の最大の関心事のひとつだっただけに、重要な問題であるといえる。特に後期集団引揚は「新中国と朝日」という問題を考えるうえでも再確認が必要。 刺激的な時間となった。

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□2008年10月24日(金)  国際政治学会

 午前中若干の史料調査。午後は足を伸ばしてつくば国際会議場で行われている日本国際政治学会へ。「移民」と「引揚」に関する部会があるので出ないわけにはいかない。加藤聖文先生のご報告をうかがうに、「帝国の遺民」の多様性を改めて実感する。「引揚」という研究分野において自分ができることは何か自問自答する時間となった。

 休憩時間に「引揚」研究について連携研究のお話を頂く。学会参加の何よりのご褒美である。やはりまず求められているのは後期集団引揚の体系化のようである。単著出版を勧めてくださっている出版社の方ともお会いすることができ、いろいろと良い刺激となる。それにしても福生から筑波は遠い。

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□2008年10月23日(木)  外交史料館

 熊本から東京へ。その足で外交史料館に行き資料調査。もっとも、あまり時間は取れないので、必要なマイクロを確認のうえ、複製申請を出す。典拠確認のため、12本ほど注文する。いずれも修士の頃、日々通って筆写した(今となってはされられた?)マイクロである。今ではその場でプリントアウトはできるし、パソコンの電源はもらえるし、目録もコピー機でコピーできるし、まさに至れり尽くせりである。とはいえ、1日100コマ筆写したあの時の経験が今に活きていると思う。

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□2008年10月20日(月)  査読結果

 寄稿依頼されていた論文。格調高い学術誌であるため、当然査読の手続きがある。先週は「査読する側」だったが、今日は「査読される側」に。アクセプトされたのは嬉しいが、それ以上に極めて丁寧かつ端的な問題提起を数多く頂戴したことに感激する。

 【査読くださった先生へ】
 このような場ではございますが、ご多忙のなか査読くださりましたこと心より御礼申し上げます。

 さて、早速の修正である。表記上の問題はともかく、いくつか重大な問題提起を頂いているため、短い時間ではあるが、できるだけ修正を加えたいと思う。もっとも、若干私自身の言葉が足りなかった部分もあり、言葉を補いながら、最大限論旨に修正を加えずに、表現を変えていくことで落とし所を見つけたい。

 専任になってみて、改めて学会誌の査読の有り難さを感じる。

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□2008年10月19日(日)  たけのこ体操



学園大百景 其の六 敬愛名物「パラ・バルーン」

 晴天に恵まれた付属幼稚園の運動会。講義に出かける途中など、たまに大学のグラウンドで息子が運動会の練習しているのを見かけるのだが、職場で息子が見られるというのは何とも贅沢である。いつもお世話になっていることもあり(もちろん教職員だし!)、終日運動会のお手伝いと相成る。

 恥ずかしながら、長らく屋外での運動をしていなかったので(泳ぎはする)、前日ジャージと運動靴を買いに行く破目になった。運動靴を履くのは十何年振りだろうか。用具の準備や片づけは問題なかったのだが、「大人の綱引き」は身体に響きそうだ。きっと「明後日」筋肉痛が出るのだろう。懇親会でしこたま飲み、徒歩15分の距離をタクシーにて帰宅。まさに「休日のお父さん」といった感じである。

 それにしても30年以上前に私が踊った「たけのこ体操」を21世紀の今日、この遠く離れた熊本で息子が目の前で踊るとは!1970年代恐るべし!

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□2008年10月17日(金)  秋の読書

 新版で出ていた河原宏先生の『日本人の「戦争」――古典と死生の間で』(ユビキタ・スタジオ、2008年)を秋の夜長に読んでいる。

 学内にある丸善は小さいのだが、いろいろな分野の本が一覧できるので「琴線」に触れた題名の本を手に取ることができ重宝している。無論、河原先生の本などは、当然すべて読んでいなければいけないのだが、しばらく「本当の栄養になる」読書を忘れていたような気がする。大いに反省。

 少し時間をかけてじっくり読もうと思う。

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□2008年10月15日(水)  査読×3



随分乗っている愛車

 週末に阿蘇を走ってから愛車の調子が悪い。信号待ちなどでアイドリングしているとエンジンがバタバタして車全体が振動する。きれいに乗っているとはいえ、12年目走行距離8万3000キロの老体である。RB25DEなのでおそらくイグニッションコイルあたりにお決まりの問題が起こったのだろう。全部取り換えるとなると痛い出費である。とはいえ、親父の形見で今は無き日産の直6。落ち着いたデザインも気に入っているので、総取り換えを決断。

 朝イチの東洋史概論でひとしきり「国民革命」を語った後、頼まれている論文の査読にとりかかる。合計3本。守秘義務があるので何も書けないが、それぞれ複数回読み返し、コメントを付けていく。

 途中、東京にて在外研究をされている中国人研究者から電話を頂く。大変流暢な日本語。上海自然科学研究所を研究されているとのこと。周知の通り、上海自然科学研究所は戦前の日本政府の対支文化事業の一貫として設立されたものだが、妻の祖父(物理学者)が所員だったこともあり、大変興味深く話をうかがった。やはり「評価」という問題は避けられまい。

 なんとか査読所見をすべて仕上げる。とりあえず仕事をした気分になる。

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□2008年10月14日(火)  出張手配

 月末の出張を手配。熊本―東京―北京―東京―熊本である。特別研究員の頃に比べて書類もずっと多い。特に「人事関係」というのが何とも微妙。立場が変わったことを痛感させられる。とにかく書類を作り続ける。それにしても燃料チャージが22,000円とは...。立て替えも楽ではない。

 建国初期中国の冷戦外交に関する最近の研究を再検討。博論の序論をまとめ直すための作業だが、どこまですべきか悩む。もとより「モデル」を提出することが目的ではないし、ましてや「概説」を書こうというのでもない。もっとストレートに歴史的事実を日中両国の公文書などに依拠して淡々と綴ればよいのではないか。もちろん「冷戦」という国際情勢を意識せずにはいられないが、意識しすぎてはいないだろうか。

 本を書くということは斯くも難しいものか。まだ始まったばかりだというのに...。

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□2008年10月11日(土)〜12日(日)  秋の熊本

 義弟が福岡出張のついでに熊本まで足を伸ばしてくれた。とにかく熊本を堪能してもらおうと、「馬刺し」「辛子蓮根」「一文字ぐるぐる」「太平燕」を御馳走し、「阿蘇」「水前寺公園」「熊本城」、そして「熊本学園大学」を案内する。晴天に恵まれ、私自身初めての「秋の熊本」を堪能することができた。



阿蘇火口を見上げる



初秋の米塚



秋の熊本城

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□2008年10月6日(月)  大教室講義

 じっくり進めようとすると話がくどくなりすぎる。説明はより簡潔に、導入はもう少し手短に。90分を短く感じるのは良いことではなかろう。

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□2008年10月8日(水)  海外研修報告会

 午前は東洋史概論の講義。昼休みは科研費の学内説明会に出席する。

 午後は夏の中国海外研修の報告会。31名の仲間たちが揃って未知の中国で1ヶ月間過ごすという体験は、やはり大学のカリキュラムでなければ味わえないものだろう。大手英会話教室の経営危機に続き、大手留学斡旋業者の破綻があり、改めて「留学」というものが持つ「不確実性」を見せつけられたような気がする。

 その意味では、外国語学部で学びながら、そのカリキュラムのなかである程度の資金的な支援も受けて留学できる短期や長期の留学制度は意味があるのだろう。何かと不安な留学である。日本側のバックアップ体制ぐらいは確実であってほしい。報告会は中国を堪能した学生さんたちの「驚き」の報告会となった。

 続いて学科会議。来年度の講義担当者の確認。半年がかりで作った新カリキュラムが動き出したことを実感。

 会議後は月末の海外出張準備のため、H.I.S.へ。まったくシーズンでないのだが、成田―北京間の発着便がいずれも「満席」とのこと。いつもガラガラ(失礼!)のCZ(南方航空)なのにどうして?日を空けて再検索したうえで電話をもらうことにした。それにしても燃料チャージが20,000円とは。

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□2008年10月6日(月)  卒業論文

 午前中は講義準備。卒業論文指導関係の情報を整理する。先週のゼミで執筆予定者を「叱咤激励」したこともあり、こちらもそろそろ本腰を入れて「既知の再検討」と「未知の発見」の世界へ彼らを誘わなければなるまい。「叱咤激励」の効果か、いずれもまずまずの報告。これからの作業について全体像を確認。最終的にはそれぞれに頑張って悩んでもらうしかない。

 論文査読の依頼あり。受諾する。

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□2008年10月4日(土)  東京出張

 戦後東アジア国際政治研究会参加のため東大学本郷へ。秋の学会ロード直前ということもあり、参加者は若干少なかったが、報告と質疑応答の質の高さは相変わらず。理論と実証の狭間で我々は何を追求すべきか。自らの研究を見直す良い機会となる。米国公文書調査などについて情報提供を受ける。やはり新大陸は遠く、そして広い。

 研究会後は来年1月末に予定しているシンポジウムの打ち合わせなど。報告者からの快諾も集まりつつある。このシンポジウム計画について「国際社会と日本U」で少し触れたのだが、興味を持ってくれている学生さんもいるようだ。予定しているメンバーが勢揃いすれば、結構画期的なものになるのではなかろうか。徐々に「みんなでやれること」が広がっているのが嬉しい。

 学生の卒論との関係で、小菅信子『戦後和解―日本は<過去>から解き放たれるのか』(中公新書、2005年)を寝しなに読み直す。日中間の和解についてはいずれ取り組もうと思う。そのためには研究室に山積みになっている中国帰還者連絡会の機関紙『前へ前へ』の体系的分析に着手しなければ...。和解の「制度」と「意志」という問題。

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□2008年10月3日(金)  出張手配

 学園祭と秋の連休を利用して海外調査を計画。東京出張も合わせて10日前後。細切れの時間でもとにかく動かないことには研究が前に進まない。集められるものを集めてから考えることにしよう。ついでに急遽週末の東京出張も検討。悩む前にチケットを手配。

 今日は講義がないので妻と新市街に出てランチ。リッチモンドホテル1階の「いねや」さんはリーズナブルながらもしっかりとした料理を出してくれる。落ち着いた店内。揚げたての天ぷらに選べるお洒落な小鉢のお惣菜。いろいろな意味で「食の熊本」を良い形で体現しているようなお店。

 夕食は水前寺にある「Ciao」というお洒落な洋風懐石のお店で同僚の先生方と。プレミアム・モルツの生を堪能しながら、これまた手の込んだ料理に舌鼓を打つ。マッシュルームのペーストが秀逸。学生指導についていろいろとアドバイスを頂戴する。解放感という訳ではないのだが、カリキュラム編成もひと段落して、ちょっと飲み過ぎた。

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□2008年10月1日(水)  秋の気配

 台風も九州南端をかすめる程度で済み、秋晴れの熊本。付属高校の制服が冬服になったようで、キャンパスの雰囲気も随分と変わる。朝晩は肌寒くなり、学生たちも秋の装いである。午前は東洋史概論の講義。午後は教授会と学科会議。とにかく秋学期の講義は「穏歩漸進」を肝に銘じていきたい。

 講義の導入で9月29日付『朝日新聞』に掲載されていた「新中間層」と「中国の民主化」を扱った園田先生の記事を配布。果たして「中」や「中の下」が「あのような状態」にあるなかで、力をつけてきたとはいえ「中間層」による中国共産党支持の拡大が中国政治体制の軟着陸にどこまで有効となるのか。個人的にはあまり楽観的な印象は持っていない。どうも社会学は苦手である。

 病院に行っていた妻よりメール。名前を考える。香菜子にするか、綾香にするか、綾菜にするか。贅沢な悩みである。

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