大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


熊 本 日 記
(2008年8月)

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□2008年8月30日(土)  夏休みの宿題

 中国出張中に溜まった事務作業を処理する。まずは科研費の交付申請書。「若手☆すた」の初年度は半年しか期間がないのだが、予算は1年分つくため、これを活かしてどのように研究活動を進めるかが思案のしどころ。これまでのように長期間大学を空けることができないため、海外調査も回数をこなすことでこれまで以上の成果をあげるしかない。高度研究支援センターに確認用下書きを提出。

 パソコンのリカバリと再インストール、設定作業。中国出発前、備品として買ってもらった3代目LOOX君のOfficeが崩壊。急遽、2代目LOOX君を呼び戻して急場はしのいだが、結局完全リカバリする羽目に。どうも8月15日夜の自動アップ・デートに原因があるようなのだが...。とはいえ、伊達に四重にバックアップしていない。すぐに元通り。

 健康保険・扶養関係の事務処理、来月の出張内申書の作成と提出、受付や図書館に届いている大量の研究書の処理、そして史料の返却。あっという間に午前中が終わる。疲れを溜めないために帰宅。そのまま自宅書斎にて論文の校正作業。なんとか終える。

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□2008年8月29日(金)  長春日記 その13



帰国の途

 あっという間の2週間。学生は1か月間。事故もなく無事終了。かなりみんな逞しくなったと思う。さすがに大連の朝霧はすごかったが、飛行機も定刻通り飛び、ひと安心。学園大にも予定通り到着。たくさんの先生方が出迎えてくださり、みんな感激。

 今回は安心して出張できた。感謝。

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□2008年8月28日(木)  長春日記 その12



雲の上

 福岡行き乗り換えのため、大連で一泊する必要があり、国内線にて移動。朝8時発という早い便に乗るため、5時半にロビー集合。外は雷を伴う暴風雨。どうなることかと思ったが、案の定、機体整備と天候悪が重なり、1時間待ちとなる(地方空港だから遅れは最小限だった。北京だったら6時間待ち?)。



大連 2008年夏

 大連到着。ひどく空気が悪い。ちょっと外を散歩しただけで喉が痛くなる。加えて、手配されていたホテルは問題外。星3つと謳ってはいるが、部屋がひどく古く、服務員の態度も悪い。同僚の老師が完全にキレる。激しく同意。最後の締めくくりだけに残念である。



東北料理―酸菜白肉血胆

 夕食は畢老師と李老師の三人で東北料理専門店に行く。酸菜を食べたいという李老師の強い希望による。長春で「春餅」を食べたときに少し出てきたが、白菜の酢漬け(発酵した感じ)といったところか。今回は酸菜、ゆで豚の削ぎ切り、豆腐、さらに「血胆」などがたっぷり入った「酸菜白肉血胆」という鍋がメイン。

 普通の日本人にはきついか。でも、だんだん酸味に慣れてくると癖になってくる。香菜と醤油ニンニクを足すとさらにインパクトが強くなって美味。瓜と卵の餃子や大きなエンドウ豆の炒め物、作りたて蒸し豆腐、コーリャン粥など、なかなか日本では食べられない珍しい料理を堪能する。ビールも「黒獅新動」や「黒獅金冠」など、大連の地ビール(?)を楽しむ。わずかながらナッツのような香りのするのが特徴。

 明日は朝8時45分大連発の飛行機。霧は大丈夫だろうか。

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□2008年8月27日(水)  長春日記 その11



旧「満州国」国務院

 研修最終日。学生たちは午前中に修了試験を終わらせ、午後は自由時間。私もせっかく長春を訪れたので旧「満州国」時代の建築物が並ぶ「新民大街」を散歩する。最大の目当ては旧満州国国務院。昔のガイドブックによるとどうやら展示室があるらしい。

 いわゆる偽満戦犯に関する展示を期待していたのだが、実際に行ってみると1階に土産屋があるのみ。とりあえず参観希望を伝えると土産屋のおばちゃんがいろいろと説明してくれる(一応、参観料20元は払う)。旧満州国の官僚についてもさらに詳しく説明してくれようとしたのだが(ヒマらしい)、こちらもとりあえず専門家なので遠慮する。



土産屋の休憩室に並ぶ歴史文物―張景恵の冷蔵庫や電気オーブン

  「4階に展示室があるようだが」と聞くと、「3年前に閉鎖した」との返答。「見たきゃふらふらしてきてもいいよ」との言葉。早速重厚な階段を登って4階に行くが、かつて展示してあったであろう模型が誇りをかぶり、あたりは至極真っ暗。

 いまも建物の大部分は吉林大学の医学部研究棟として利用されている。東大の本郷のような感じ。おばちゃんが一所懸命に名物のオーティス製エレベーターなどいろいろと紹介してくれるが、もう観光地としては機能していないようだ。

 極めつけはかつて展示室にあった歴史文物たち。土産屋の休憩室のテレビと並んで「張景恵秘書用過的打字機」や「日本人送張景恵的氷箱」、「張景恵家中用過的電【火+考】炉」などが置かれていた。雑巾で拭くぐらいの管理しかしていないようで、おそらくそのうちどっかにいってしまうのだろう。すぐ近くの吉林省図書館ものぞく。

 帰りがけに見かけた本屋に寄る。結構良書がある。結局30冊ほど持ち帰るはめに。いつものことだが、本は重い...。



修了式

 夜は修了式と送別宴会。1か月間に及ぶ海外研修も終わり、明日は大連に向かう。後半は大きく体調を崩す学生さんもおらず、私も引率を楽しむことができた。朝食はともかく、食堂の料理は美味しく、加えて昼食と夕食は自ら円卓料理を点菜できたこともあり、好きなものが食べられて大満足であった。

 やはり1か月もいると「習慣了」になるらしく、「あっという間だった。帰りたくない」や「来年も来たい」、あるいは「長期留学を考えたい」という声もちらほら聞かれた。真夏でもクーラーなしで涼しく過ごせる長春は、火の国・熊本からこそ夏に研修に出かける価値があると思う。

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□2008年8月26日(火)  長春日記 その10



みんな少林寺

 午前は部屋にて事務書類づくり。帰国後の仕事の順位を考えながら、こちらで片づけられるものをやっつける。それにしても無制限でネット接続できるのはありがたい。史料がないので「構想(妄想?)を練る」を煉るだけだが、それでも浮かびゆく「ことば」の情報検索がかけられるのは良い。友人から嬉しい途中経過のメール。是非決めて欲しい。心から祈る。

 午後は文化活動の一環で「武術講座」に参加。もちろんカンフー大好きの私も参加。武術家がパワーポイントと動画を駆使して1時間近くプレゼンしてくれたのには驚いた。ブルース・リーの「燃えよドラゴン」や昔懐かしのジャッキー・チェーンのデビュー作「酔拳」の動画を見せ、「彼らは中国武術の商業化に大変貢献しました」と力強く語る「師父」の横顔はとてつもなくかっこ良かった(どうも7段のツワモノとのこと)。無論、私も実技指導に参加。少林寺拳法の型を教わり大満足のひと時となった。息子に伝授しよう。



最高の贈り物

 今日はある女子学生さんの誕生日。学生さんのひとりが今回の海外研修参加者のメッセージを動画で撮り貯めて、徹夜でMacで加工して、素晴らしいメッセージ・ファイルを作ってくれた。もちろん前日に私のところにも取材に来てくれた。

 今日の夕食は31名全員そろって焼肉を食べに行ったのだが、そこでDVDに焼いた動画を全編公開。吉林大学の受け入れの先生も大きなケーキを用意してくださり、中国で二十歳を迎えた女子学生さんは大感激とあいなった(きっと最高の思い出になるでしょう)。

 東アジア学科の学生さんたちは本当に素敵だと思う。こういう場面に立ち会えるのは教員冥利に尽きるといっても良いだろう。私にとっても本当に素敵な思い出となった。自分に何ができるのかさらに考える力を与えてもらった。

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□2008年8月25日(月)  長春日記 その9

 終日宿舎にて研究。着任直後ばたばたと申請した科研費「わかて☆すた」があたる。学振の辞退分が2年間あったとはいえ、独り立ちしての初めての科研費。途切れず頂けたことに本当に感謝。

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□2008年8月24日(日)  長春日記 その8 長白山の巻 後編



麓の町の可愛らしい電柱看板

 今回のメインイベント長白山登山に臨む。宿舎からバスで30分。山門から専用バスに乗ってさらに40分。ちょうど長白山の3分の2ぐらいのところで降ろされて、そこから900メートルほど階段をのぼる。1236段。通常、30分ぐらいでみなのぼるというが、私は19分34秒で到着。まだまだ若い。



長白山・天池

 長白山の全体像は阿蘇によく似ているが、阿蘇に比べると少し荒々しい感じがする。阿蘇のような「包まれ感」はない。いろいろな意味で大陸的。日頃の行いが良いせいか、天地も綺麗に見えた。急な階段をのぼった末に見るからこそありがたみもひとしおなのだろう。

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□2008年8月23日(土)  長春日記 その7 長白山の巻 前編



川下りに挑む男たち

 早朝7時出発。目指すは長白山(白頭山)。かの○○○将軍生誕の地とされる「聖地」だが、実際は...説明の必要はないだろう。長春からバスで5時間。海外研修の一環としての観光である。

 もとは内蒙古草原で2泊3日という計画だったのだが、学生さんも来華してすでに3週間。疲れもピークに達しており、風呂なし・トイレなし・ゲル(パオ)で雑魚寝、と昭和40年代の東京のアパートのような条件に年頃の乙女20名を連れていくわけにもいかないので、急遽目的地を変更することとした。

 道すがら、休憩で立ち寄ったトイレにほぼ学生全員がノック・ダウン。個人的には、「まだましなほう」という印象だが、それでもショックが大きすぎたようだ。改めて内蒙古行きを変更して良かったと実感。結局、ほとんどの学生が最後までトイレを我慢したようだ。



船出...

 昼食。やはりトイレでノック・ダウン。個人的には腰までの高さのタイルの壁に、腰までの高さのドアがつくという「120点満点」のシロモノだが、やはりみな閉口。トイレのウワサを聞いてか、みな昼食も控え目。最大の関心事は夜の宿のトイレのみという状況。

 しかし宿はおあずけで、まずは「松花江漂流」という名の川下りにトライ。約2時間近くゴムボートで川を下るという。昼食後、吉林大学の担当者が「川下りでずぶぬれになりますから、気を付けてください」とひと言。流れはゆるやかなので危険性はないのだが、いきなりの水遊びに学生の顔も複雑。

 もっともそこは若人。始まるとテンション全開。見ての通り、私も久しぶりに童心に帰って川下りを楽しんだ。こんなに楽しいものだとは思わなかった。きっと息子も喜ぶだろう。熊本にもあるようなので、連れて行きたいと思った。

 みな全身ずぶ濡れになって宿舎へ。宿舎の外見は「どピンク」だが、とりあえずトイレは各部屋にあり、学生たちのテンションも一気に上がる。川下りで体を動かしたせいか、夕食もがっついている。さて、明日は登山である。

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□2008年8月22日(金)  長春日記 その6



仮設デスク@吉林大学

 終日宿舎の部屋にて仕事。吉林大学の学内にある「学人書店」にて購入した鄭原編『外交紀実』(世界知識出版、2007年12月)を第1巻から第4巻まで読む。いわゆる中国外交官の「回憶」集だが、今後の研究の射程を考えるに、こういうものもコツコツ読んでおくことが必要だろう。

 明日から長白山旅行なので早めに就寝する。

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□2008年8月21日(木)  長春日記 その5

 終日宿舎の部屋にて仕事。川島先生、服部先生編著の『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、2007年)を改めて通読する。前回は一介のポスドクとして読んだのだが、今回は教員として読んだため、やはり読み方が大きく変わった。現在担当している「国際社会と日本」という科目を「東アジア国際関係論」か「現代国際政治論」に変更して、外交史的な講義をしようかと考えているが、そのためのテキスト選定の一貫である。

 率直な感想としてはやはり「難しすぎるか」というところ。私の講義力や講義時間(通年)を勘案しても、渾身の力作であるせっかくのテキストをハンドルするのはかなり難しそうだし、学生さんも消化不良になってしまいそう。研究者志望の学部生が3年か4年の段階でしっかり本書を精読することは、極めて有効だと思う。ただ、教養科目あるいは発展科目段階で本書を導入するのはかなりの冒険か。



「老昌春餅」の春餅

 夜は全員で「春餅」を食べに行く。小麦粉で作った皮でさまざまな具を巻いて食べる中国風手巻き春巻きといったところか。甜面醤で味付けをし、もちろんたっぷり香菜を入れて食べる。もっとも、学生さんたちは香菜は入れず、さっぱりとした具や炒め物を中心に巻き巻きしていたようだ。

 明日は終日休みとしたことから、心理的なゆとりも手伝ってか、随分と盛り上がった夕食となった。長春の白酒「Tao2南香」はいくつかランクがあるようだが、香りもよく、スッスッと入ってしまうから危険。案の定「撃沈」する学生も出たが、きっと楽しい思い出になるだろう。

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□2008年8月20日(水)  長春日記 その4



3歳の溥儀

 今日は病院に行く学生もなく、ゆったりとした一日となった。昼食時には吉林大学の国際交流処の方々と会食。師匠に数多く中国人だけの宴会に連れて行ってもらってきたこともあり、卓に日本人一人でも動じなくなった。ひとつひとつが経験になっているようだ。当然、礼として昼間から××で乾杯となる。東北地方では「整一個」との掛け声でやっつけるそうだ。楽しい時間となった。



戦犯か漢奸か

 午後は教員が二人いることもあり、偽皇宮に「実地調査」に行かせていただく。今後、国民党戦犯や偽「満州国」戦犯に関する研究をもう少し本格化させようと考えているだけに、長春まで来て行かないわけにはいかない。全部きっちりまわると3時間強かかるが、それにしてもあまりにも質素な「皇宮」に驚く。それにしても溥儀の描かれ方がなぁ...。「苦悩」ばかりが強調されすぎているような気がする。

 ところで併設の展示館にあった顔の彫塑。東条英機やヒットラー、ムッソリーニ、徳王、汪兆銘などの有名人が並んでいるのだが 、なぜかど真ん中だけ「かつてあったもの」が外されたような状態になっていた。ここにいたのは溥儀か、あるいは蒋介石か、それとも...。想像は膨らむ。ご存知の方がいたら教えてほしい。

 それにしても長春の人はお喋り好きである。行きと帰りのタクシー、いずれも30分間、中国語での雑談に付き合わされた。

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□2008年8月19日(火)  長春日記 その3



水墨画の師匠とその弟子達

 真夏だというのに肌寒い長春。水が合わないせいか、体調を崩す学生さんたちもちらほら。でも、吉林大学の担当老師の献身的な「安排」で、病院に行くにも、何をするにも安心して動ける。やはり我ら学園大の肥後っ子たちは、日本で一番といってよいほど綺麗な水で育ってきただけに、人一倍敏感なのかもしれない。でも阿蘇の「水源」を見れば、それも当然のことだと思う。きっと熊本の素晴らしさを再認識する旅にもなるだろう。

 午後は文化課程で、水墨画の授業。最初から最後まで様子を見ていたのだが、思いのほか真剣な学生さんが多かった。絵心のある学生さん、達筆な学生さんなど、普段見られない一面もちらほら。真剣に師匠の筆さばきを観察しているまなざしは、なかなかのもの。ちょっと感心。



北京ダック

 夜は担当老師の「安排」で、北京ダックを食べにでかける。「水煎包」というお店。中国旅行経験者以外はほとんどが初めて食べる北京ダック。1卓に2羽ずつ手配するも、簡単にさばけてしまった。ダックの食べすぎは、後で胃に来ると思うが、それも経験。逆に胃に来るぐらい食べてみるのもよいだろう。「バリうまい」などの言葉が飛び交った。予想していたよりもずっと食欲旺盛である。改めて安心。

 さて、明日はできれば少しは長春市内を見たいのだが...。

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□2008年8月18日(月)  長春日記 その2



吉林大学・友誼会館

 「食事が...」という話だったのだが、中国の大学の留学生楼のバイキングなんてこんなもんである。万頭と花巻とチャーハンと温かい豆漿があれば、個人的には何も言うことはない。もっとも、やはり日本人の学生さんにはきついようである。目に見えて食堂に来る学生が少ない。これも中国なのだが。

 語学の授業担当の先生方と挨拶をし、教室をひと通りまわると後は宿舎の部屋で待機。いつ何時呼び出しがあるかわからないので、おちおち部屋も離れられない。秋学期の講義レジュメなどを作る。昼食が待ち遠しい。

 途中、当初計画していた内蒙古草原観光について吉林大学側担当者と協議。トイレなし(草原でする)、シャワーなし、ゲル(パオ)での雑魚寝、羊肉とチーズとバター茶で2泊3日。女性が3分の2を占める31人の日本人の学生さん。中国滞在も3週目に入り疲れも溜まってきている状況で、バスで往復15時間の旅に耐えられるか。旅行社からも情報をもらう。真剣に悩むが、結局長白山観光への変更を決断。東アジア学科だし、中国と朝鮮の「境界」を体感するのもよいだろう。

 午後は近くの新華書店などをまわる。もっとも、自分の専門に関する本はほとんど売っていないため、帰路は荷物が軽くて済みそうだ。夕食は紅焼肉をはじめ、自分の好きな料理を卓に並べてもらう。昼と夜の卓は食べ物好きの教員2名が「点菜」するのだが、追加注文するほど食べてくれたので少し安心する。

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□2008年8月17日(日)  長春日記 その1

 学園大に着任して早4ヶ月余り。東アジア学科恒例の海外短期留学の引率で長春に2週間ばかり行くことに。例年は北京なのだが、今年は奥運会のため、中国最大とも言われる長春の吉林大学となった。

 今回の日程で最も気になっていたのが、大連空港で乗り継ぎ待ち時間。やはり7時間はきつかった。とにかく論文の確認や後期授業のレジュメやらを作ったりして若さゆえの気合で時間を潰す。



夜の長春空港

 午後8時大連発の国内線に乗る。無事9時過ぎに長春に到着。オリンピック効果で少しは機内が文明的になったかと思ったが、やはり淡い期待だった。この間の「和諧号」の車内と同じ、田舎の乗り合いバス状態である。

 空港まで岩佐先生が吉林大学のスタッフ達と一緒に迎えに来てくださった。遅い時間だっただけに、タクシーは避けたかったので安心する。道の途中、交通事故を3件目撃。そのうちひとつはドライバーが車外放出されていた。道が広いうえに暗く、制限速度が「70」だけあって、事故もダイナミックである。

 友誼会館到着後、1時間ほど引き継ぎの打ち合わせ。いろいろあるようだが、とにかく明日の朝食を見てから考えよう。

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□2008年8月15日(金)  なぜ葫蘆島か

 今秋放送予定の番組制作に協力しているのだが、制作者の方から質問が来た。「なぜ葫蘆島だったのか?」。すこぶるシンプルな質問なのだが、史料で裏づけて確定しようとするとなかなか難題である。

 先送りすると気になるので、エアコンが完全に停止した「火の国」研究室で史料を読み直す。格闘すること3時間、何とか結論に到達する。詳細は番組で紹介されると思うので、乞うご期待。論文を書くのも良いが、こういう形で研究の成果を利用してもらえるものまた嬉しい。

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□2008年8月13日(水)  夏休みだし



南阿蘇・潮井水源

 今日から大学が完全休業に入り、空調も電気もエレベーターも微動だにしなくなるということで、自宅で論文執筆を続ける。論文の締切は9月末だが、これから中国出張や東京・新潟(越後湯沢)出張、後期の授業準備(あと、本の原稿執筆も...)などが怒涛のように押し寄せてくるので、ひとつでも仕事は終わらせておきたい。結論を残して何とか執筆を終える。



虫取り名人

 午後は気分転換で南阿蘇を家族でドライブ。わずか30分足らずで南阿蘇の大自然に触れることができる熊本は、資料とのにらめっこで疲れた頭を休めるには最高の環境を提供してくれる。緑の波のなかを颯爽と駆け抜ければ、疲れがすべてが吹っ飛ぶ。

 我が家の虫取り名人も巨大なショウリョウバッタを両手に大満足。白川水源も良かったが、水遊びができるという意味では潮井水源は良い。緑の木陰にマイナスイオンがあふれる空間は、もちろん無料である。

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□2008年8月12日(火)  引き続き研究

 引き続き行ったり来たりする。どうも明日から大学が完全休業に入るらしい。電気もつかなくなるとか...。

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□2008年8月11日(月)  研究

 ようやくまとまった時間がとれる。朝から研究室で資料と格闘する。何とか中国出張前に原稿を完成させておきたい。基本的なところだが、『中国共産党史資料集』や『新中国資料集成』、『中共中央文件選編』、『毛沢東選集』、『毛沢東文集』、『建国以来重要文献選編』、『建国以来毛沢東文稿』あたりを行ったり来たりする。久し振りの時間である。

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□2008年8月9日(土)  事前検討会

 事前検討会参加のため慶応の日吉へ。3時間半ほど質問事項などを検討して懇親会へ。参加者のほとんどが我らが戦後東アジア国際政治研究会のメンバー。いずれみんなで科研費を獲得して研究プロジェクトをやっていくんだろうなぁ...などと感慨にふける。きっと専任もどんどん増えていくことだろう。宿は後楽賓館。素泊まりだが、慣れたところが一番。

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□2008年8月8日(金)  東京出張

 科研費プロジェクトでオーラルヒストリー聞き取りの事前検討会参加のため東京へ。飛行機は1時間40分遅れ。せっかく朝一番の便にしたのに予定が狂う。羽田に着けば、モノレールは地震で途中停止、JRもダイア混乱。さらに東京は今年一番の暑さ。せっかく「火の国」を脱出したのに。途中立ち寄った神保町で出張途中の東アジア学科の某先生に偶然遭遇。日本は狭い。

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□2008年8月4日(月)  しかたなく...

 メールで意思を伝えるにはやはり限界があるようだ。結局音沙汰なし。しかたなく朝イチでクレーム。強引ではあったが、私も後がない。対応を迫る。何とかなるか。後は学科長の承認待ち。

 午後はD先生とカリキュラム改編について研究室で討議。さらに良い東アジア学科にすべく知恵を絞る。ご存じの通り、私は「A型でしょ」と必ず言われるぐらい細かい「O型」である。自分の能力で管理できる範囲であれば「キチン」としておきたい(最近はだんだん難しくなってきた)。そのため、ちょっとした仕事のことでも週末ずっとヤキモキしてしまう。

 本当に嬉しかったのは、今年一緒に着任したD先生。ちょっとタイプが似ているようだ。先生もヤキモキしていたようだ。お互いの腹案を練り合わせて会議準備。独り相撲でないというのは本当に心強い。

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□2008年8月3日(日)  気晴らしに



釣りバカ日誌――熊本編

 待てど暮らせど来ない業者からの返信。苛立ちも最高潮に達したので気分転換を兼ねてドライブへ(この程度のことでヤキモキしていたら長生きできないか。でもせっかちさんのほうが長生きするという研究も最近発表されたようだ)。出がけにガソリンを入れる。満タンにして10,410円。とうとう大台を突破した。しかし今日は走りたい気分。

 特にアテはなかったのだが、先日学園大に来てくれた宇城市の中学生さんたちのことを思い出し、とりあえず3号線を南へ。建設中の新幹線の高架を見ながら天草街道に入る。熊本市の西南、宇土市や宇城市があり、その先には天草がある。結構遠い。無計画なドライブなのでとりあえず三角半島を一周。4時間程度の行程である。道の駅「宇土マリーナ」や「不知火」はどれも楽しい。三角ってあの「三角みかん」の三角だったのか。ようやく気づく。



巨大デコポン――不知火にて

 それにしても素晴らしい風景である。阿蘇もたまらないが、海岸線でもまた向かいに島原の普賢岳が見えたり、干潟や海苔の養殖が見られたりと飽きない。それになんともまるで「釣りバカ日誌」のような風景。今度は海水浴の用意をして来ようと思う。

 本当に良い気分転換になった。

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