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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2006年4月)


□2006年4月26日(水)

 研究会に参加。テーマは政文研のプロジェクトでお世話になっている齋藤先生による「『赤い高粱』と中国の社会慣行――日本軍は中国人の生皮を剥いだのか」。

 いわゆる『赤い高粱』は、大学の第二外国語で中国語を選択するとほとんどの場合、最初に見せられる有名な中国映画である。この映画(あるいは原著)には、抗日戦争中の日本軍による中国人に対する残虐行為――いわゆる「皮剥ぎ」――に関するナレーション(あるいは記述)が登場するが、齋藤先生はその真偽、つまり史実としての有無について検討を加えられた。

 もちろん、ここでは詳細を紹介できないので、いずれ公表される論稿をお読みいただきたいが、極めて刺激的な問題提起となっており、「文学」や「小説」、あるいは「映画」という「娯楽」が日中関係に与える影響という問題について考えさせられる報告であった。

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□2006年4月25日(火)

 第2回院ゼミ。ゼミ生の修論・博論執筆をサポートするため簡単なレジュメを作成。最初から細かいことを説明しても意味が無いので、とにかくスケジュール管理と問題意識を明確にすることの大切さを強調。おおよそ締め切り間近になって苦労する人は、最初に問題意識や検討すべき命題が(仮説)が明確になっておらず、その後の段階であるデータの収集・分析作業が進んでいないことが多い。結果、締め切り直前に数日徹夜して強引にまとめた論文は「何が言いたいのかわからない」と厳しく詰問されることになる。

 それぞれ事情はあるだろうが、本年度修了を目指すのであれば、少なくとも連休明けには「○○という問題について、△△というデータ(史料)を利用して、××という視点から考察を行ないます」と明確に構想発表できるように準備を進めてもらいたい。まず最初の踏ん張りどころである。

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□2006年4月22日(土)



初めてのゾウさん(多摩動物公園)

 妻が出勤日だったので、息子と一緒に多摩動物園へ。1歳4ヶ月。初めての動物園である。身近な動物については、カラスは「カー」、犬は「ワンワン」、猫は「ニャンニャン」などと随分と言葉が出るようになってきたが、絵本のゾウさんやキリンさんについては、あまり興味を持っていないようだった。実物を見たらどんな反応を示すか気になっていた。

 やはり実物はすごい。目をまん丸にする息子。立ち上がって「ゾー!ゾー!」と興奮する息子。鎖でぶら下げられた太い丸太をゾウが長い鼻で持ち上げると、「うぉっ!うぉ〜っ!ゾー!」と感動のご様子。近くにやって来たキリンにも、「キリン!キリン!カリン!カリン!キリン!」と絶叫。お土産には青いゾウさんのパペットをチョイス。

 とはいえ、息子を乳母車に座らせて移動し、動物の檻の前に来るたびに抱っこして動物を見せるのは大変。12キロ超の息子をリフトアップする両腕はひどい筋肉痛。やっぱり夫婦二人で連れて行くのが本来の姿か。

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□2006年4月18日(火)

 院ゼミ初日。本年度は院生の論文執筆をサポートするオブザーバとして参加することになった。博士課程院生4名、修士課程院生3名。「『自己責任』を合言葉に、最低限のスケジュール管理でゴールに辿り着ければ」と考えているが、まずは連休明けの構想発表を聞かないことには何とも言えない。個人の予定や事情はあるだろうが、修了するためにはとにかく「学術論文」を完成させなければならないことを認識して貰わなければ...。

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□2006年4月15日(土)

 本郷での研究会に参加。筑波大学院生の楊さんが「渋谷事件」について報告。恥ずかしながらコメンテイターを務めさせていただいた。

 1946年7月に発生した「渋谷事件」は、事件の真相自体不明な点が多く、事件をめぐるGHQや日本政府、さらには国民政府の対応を受けて発生した台湾におけるデモや反対集会についても、その後の二二八事件後の白色テロによって当事者の多くが記録を残さないままに世を去ったため、この事件とその後の経過が台湾社会、あるいは当時の台湾人エリート層に与えた影響を考察するのは極めて難しいという印象がある。

 研究最中の課題なので詳述は避けるが、料理の仕方によっては様々な展開を見せる 素材であることは間違いないようである。今後に期待したい。

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□2006年4月13日(木)

 「戦後日中民間人道外交」では日本赤十字社、日中友好協会、日本平和連絡委員会という三団体が日本側の交渉団体となって「人道問題」解決交渉に臨んだ。また、これらの「三団体」を中心として数多くの民間団体がこれに関与し、日中国交正常化を目指して「積み上げ」方式の「民間外交」を展開していた。

 この「三団体方式」について新しく発表された論文を入手することができた。いわゆる遺骨送還・華僑送還問題を軸に「三団体方式」を考察した論稿であるが、多くの脚注で拙稿を挙げていただいており、大変光栄である。

 読後感としては、できれば拙稿「日中民間人道外交における中国人遺骨送還問題」(『中央大学社会科学研究所年報』第8号、2004年6月)も参照していただきたかったなぁ...。

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□2006年4月10日(月)

 昨週来、かつて読んだ本の読み直しをしている。まず読んだのは、波多野善大先生の『近代中国の人物群像――パーソナリティー研究』(汲古書院、1999年)。これは私の恩師が編集に携わった研究書で、恩師の恩師にあたる波多野先生が1960年代末から1980年代前半に発表された論稿をまとめたものである。ちょうど学部時代に本書の校正をお手伝いしたこともあり、出版後に頂き、1度読んだままになっていた。

 歴史学において時に軽視されがちな個人的要因、特に歴史上の人物の「パーソナリティ」に照準を合わせ、その人物の行動の源泉として「パーソナリティ」を捉える一連の論稿は、政策決定過程における個人的要因を考えるうえでも重要な示唆を数多く与えてくれた。そして、何よりかかる手法を以って歴史的事件を考察する一連の論稿は、そこに「人間」を感じさせ、読む者を惹きつける力がある。林則徐、曾国藩、李鴻章、左宗棠、汪兆銘、蒋介石、孫文、西安事件における蒋介石や宋美齢、そして毛沢東。それぞれ30頁前後の論文で、合わせて500頁近くに及ぶ本書ではあるが、一気に読ませる力がある。

 歴史的事件をすべて歴史のダイナミズムのみによって説明することは難しい。無論、歴史上の人物の主体性にすべてを期待するのは、理想主義的すぎる嫌いがある。だが、そこに「人間」がいたこともまた事実であり、そのことを改めて考えさせてくれる本書は、近現代中国研究を志す者の必読書といえよう。

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□2006年4月7日(金)

 確か年末に中国を訪問した時だったと思うが、「真功夫」で排骨飯を食べていて硬い骨を「ガリッ」とやってしまい、左下の奥歯を少し欠いてしまった。だが、特段痛みもなく、また、大学院修了に向けた一連のイベントなどで忙しかったため、歯医者に行くのを先送りにしていた。だが、案の定、あごに違和感を覚え始めたので、早速歯医者へ行った。

 最後に歯医者にかかったのが14歳の時。つまり、18年ぶりの受診である。とはいえ、歯磨きも基本的に1日最低3回欠かさないので、特段、必要性も感じていなかった。嬉しいことに、歯医者さんから「ほとんど虫歯も無く、歯石の付着や色素の沈着もほとんど無いですね。18年間も歯医者にかかっていないというのが信じられない」と言われ、「よほどブラッシングがきちんとできているんですね」とお褒めの言葉を頂いた。まぁ、初診でお客さんの心を「ガシッ」と掴むための営業トークかもしれないが、最近あまり褒めてもらえないので、ちょっと嬉しかった。

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□2006年4月6日(木)

 言葉の学習過程について。

 ようやく1歳3ヶ月を過ぎた息子だが、「パパ」、「ママ」、「ジィジ」、「バァバ」は当然のことながら、牛乳は「グッ」、犬は「ワンワン」、カラスは「カーカ」、ビールは「ビッ」、踏み切りは「カンカン」、にわとりは「コッ」と元気良く発音し、眠たくなったら「ねんね」と言って布団に入っていく。私が晩酌をしていると、空のビール缶を傾け、「ちゃー」と言いながらお酌の真似をしてくれる。糸巻き巻きも「トントントン」。リビングの書棚の『吉田茂とその時代』が大好きで、暇さえあればページを繰っている。

 子育てと言えば「本のある環境」という話題がつきものだが、絵本のみならず、日本語や中国語の研究書の雪崩に日々埋まっている息子は、果たして本好きになるのだろうか。るってめら〜、るってめら〜。

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□2006年4月4日(火)

 じっとしているのが苦手なため、断片的に浮かんでは消えていく発想を形にすべく、研究助成の申請書作りなどを始める。無論、新進気鋭の若手研究者には列せられていないので採択など望むべくもないが、文章を書く練習にはなる。

 やりたい研究課題はたくさんあるのだが、何となく気持ちが落ち着かず、書斎に腰を落ち着けていられない日々が続いている。「学位を取ったばかりなんだから全身の力を一度抜いて、しばらく点検整備のつもりでゆっくりしなさい」とも言われるのだが、性格がそれを許さない。仙人のように自宅の書斎で史料の海にしばし溺れてみるのも一興か...。

 「神話」の形成過程を解明すべく、先行研究の整理を始めた。

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□2006年4月1日(土)



世田谷・仙川の桜 〜2006年4月1日〜

 第1回戦後「満洲」史研究会に参加。この研究会は「満洲国」崩壊後に生じた権力空白状態下における、さらにはその秩序再編過程における旧「満州国」地域をめぐる諸問題を扱おうとするものである。日本敗戦後、米国・ソ連・国民政府・中国共産党などの諸主体の政治的思惑が交錯した旧「満洲」地域は、いわゆる米国が実現を目指した戦後東アジア国際秩序が挫折していくうえでも決定的な意味を持った。研究史上、まだ「暗箱」とされる部分も多い。

 初回ということもあり、書評を中心とする顔合わせ的なものとなったが、私の研究にも関連する在「満」日本人社会に関する議論も行なわれていくとのこと。まずは博士課程の院生や博士号を取得したばかりの若手研究者を中心とした研究会として発足するということで、面白い研究会になりそうだ。

 個人的には、博論で旧「満洲国」地域における残留日本人の発生過程について国際政治的な視角から検討したこともあり、中国共産党が同地域において決定的な勝利をおさめるうえで「ヒト」の承継が果たした役割、つまり、国共内戦期の旧「満洲国」地域における日本人技術者の留用問題などについて本格的に取り組みたいと考えている。

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