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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2006年1月)


□2006年1月30日(月)

 『季刊中帰連』第35号が自宅に届いた。「『政熱経熱』を夢見た男からの警鐘――巴商事・櫻井英雄の歴史的意義」が無事に掲載され、昨年秋以来桜井氏のご家族より託されていた原稿を公にすることができた。熊さんをはじめ、編集委員の皆さんに心から感謝。

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□2006年1月28日(土)


 研究会にて報告。昨日届いた『書窓』に中国紅十字会総会編『中国紅十字会歴史資料選編(1950-2004)』(民族出版社、2005年)なる史料集が掲載されていたため、本郷への道すがら神保町へ。掲載史料自体はそれほど新味のあるものではないが、少なくとも編纂可能な一群の歴史史料が中国紅十字会に存在していることは確かなようだ。史料について「必要充分」の基準をどこに置くべきか?中国研究の難しさである。

 報告は40分前後を予定していたが、やはり時間は大幅に超過。もとより省略して全体像を紹介できるはずもないのだが、今後は「全体像を紹介する」という方法から、「面白く紹介する」という方法へシフトすべきだと痛切に感じている。そのためには最初に感覚的にも「ぐっ」と惹きつける問題提起、切り口の提起が必要だろう。「狙い」のさらなる明確化。その意味で、質疑応答を含め3時間近くに及んだ院生のみで行なう研究会は、方の力を抜いてストレートな意見交換ができたため、本当に貴重な機会となった。

 新聞を止めた。いくらなんでも夜9時過ぎに集金に来るのは非常識だろう。

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□2006年1月26日(木)

 日中関係発展研究センターの研究会に出席。長野大学の塚瀬先生の報告テーマは「日露戦争後の満洲をめぐって」。清朝の崩壊過程をいかなる視点から捉えるべきか、という問題に関する導入とも言える内容。最新の研究までカバーされたご報告に近時における東洋史学研究の急速な進展のダイナミズムを実感。

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□2006年1月20日(金)



ある日の息子のランチ

 インフルエンザで保育室をお休みしているのに、朝から家の中で遊びまわっているので、おなかもすいているみたい。今日のお昼はオムライスとお好み焼き。

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□2006年1月18日(水)

 台湾から戻ると息子がインフルエンザになっていた。発症当日に投薬したこともあり、月曜には熱が下がっていたが、今週は看病の日々となっていっている。多少、動き鈍し。

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□2006年1月15日(日)

 台北で行なわれた石田先生のご葬儀に参加。

 「ぉお〜ぅ、大澤君も来とったんか〜」というあの大きな声が聞こえたような気がしました。

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□2006年1月12日(木)

 博士学位申請論文に関する口頭試問が無事(?)終了。約1時間40分にわたって指導教官である李教授と副査をお願いしたT田先生、H田先生に囲まれ、学位論文に関する総論的な評価と細部にわたる指摘と質問をいただく。あっという間の口頭試問であった。歴史学と国際関係論という二つのディシプリンを基礎に据えた論文ということもあり、歴史学と国際政治学の分野で著名な先生に論文審査をお願いでき、史料操作の巧拙についてのみならず、最新の国際関係論(国際政治理論)という点からの極めて具体的な助言をいただくことができた。今後は「人権」や「市民社会論」的な視点をもう少し掘り下げてみようと思う。

 口頭試問の準備を進めながらも、お正月には小さな原稿を執筆した。昨年10月、1950年代の日中民間貿易創成期に活躍した歴史的な人物から口述原稿を託されたことはすでに書いた通りだが、これを『季刊中帰連』に掲載してもらうべく、簡単な解説文をつけて投稿したのである。題名は「『政熱経熱』を夢見た男からの警鐘――巴商事・櫻井英雄の歴史的意義」。順調に進めば近々刊行されるとのこと。櫻井氏の口述原稿は、中国で経済活動を展開する日本企業の方々にこそ読んで頂きたいと思う。そして、彼らもまた「歴史的存在」であることを自覚していただきたいと思う。

 昨年11月に論文を寄稿した日中関係論文集も編集作業が進んでいるようである。そうそうたる「中国通」が並ぶ執筆陣のなかにポツリと私のような学生が寄稿しているのは場違いな感じもするが、「枯れ木も山の賑わい」ということで、良しとしよう。今月下旬には校正用の原稿が届くとのこと。3月には刊行予定らしい。

 口頭試問を終えてほっとしたのも束の間、急な訃報に接した。一昨年、日台青年交流事業の訪台団に参加した際に団長を務められた石田教授が在外研究で滞在されていた台北で急逝なされたとの知らせ。訪台団解散後も学会で先生が東京にいらっしゃる時などには本郷や三田で同窓会を開いたり、またこの訪台団で知り合った院生たちと研究会を立ち上げたりしていることもあり、俄かに信じられなかった。書斎にはつい昨年9月末に先生から頂いた葉書が置かれたままである。私も学位取得後には本格的な台湾研究、それも戦後初期台湾研究にとりかかろう、その際には石田先生にご指導、ご協力を頂こうと考えていた。訪台中に先生と二人で「歴史学における実証」という問題を議論した際に、文献史料の重要性に固執する私に対して、「直接自分で確かめ、経験すること」の重要性を人一倍大きな声で強調しておられた先生の暖かい眼差しが今も忘れられない。ご冥福をお祈りいたします。

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