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大澤 武司
(Dr. OSAWA Takeshi)



 


研 究 日 記
(2003年12月)



□2003年12月下旬

 論文執筆中です。良い材料が揃っていると思うのですが、まだまだ料理が下手なので苦戦中。端的に、短く、格好よく文章を運びたいのですが(加藤陽子先生などのように)、どうも説明的になりすぎて、まどろっこしくなってしまう。短くしたほうが文章のリズムも作りやすいのだと思いますが、まだまだ。ばっさり切っては、やっぱり補足したりしてみたり...でも、楽しい。

 大晦日直前に学振の採用手続書類が大量に到着。4月までに作成する書類がたくさんありそう。それにしても12月上旬に史料館に頼んでおいた資料がまだ届かないなぁ...


□2003年12月中旬

 「研究会参加報告」のページを試みで作ってみようと思う。この冬は連日のように研究会があった。良い研究会も多かった。しかし、せっかくその場で感じた大切なことも、時間的な余裕がなくてなかなか整理できず、気がつくと忘れてしまっているということも多い。まぁ、本来であれば、自分のノートに「そっ」と書き留めておけばよいのだろうが、このページはゼミのみんなも読んでくれているようなので、「研究会に参加しよう!」という広報も兼ねて、出来る限り「参考になった」「良い部分」を書き留めておこうと思っている。もちろん、つまらない批判などはいっさい書かないつもりである。私自身、まだまだ「勉強」の段階にあるのに、批判・批評なんてもってのほかだと思っている。

 王宗瑜君、修士論文完成おめでとう!


□2003年12月上旬

 師走。正月明けに論文の締め切りがあるため、年内にできることはやっておきたい。いわゆる、戦後日中「民間」において展開された中国人殉難者遺骨送還運動に関する再検討を行なう予定の論稿である。半世紀以上経過した現在でも、このような問題に取り組むために数多くの一次史料を読み込むと、日本人として強く胸が痛む。先行研究のように「友好運動史」の一場面として評価することも可能だろう。しかし、当時の日中関係の「特殊性」を国際関係論的視点から考察するならば、そのような評価に終始することもまた許されないだろう。日中関係の質的変化の過渡期とも言える現在、我々のような研究者志望の日本人院生がこのような問題に如何に取り組んでゆくのかは今後の日中関係に大きな影響を与えることになるだろう。

 久しぶりに埼玉大学へ。ゼミにおける論文指導について、恩師からいくつかのアドバイスをいただいた。恩師の言葉は厳しいものだった。「書ける学生は書ける。書けない学生は書けない。背中を見せて追いかけて来ないようであれば、後ろを振り返るべきではないし、君自身、今はまだそのようなことを心配する時期ではない」と。結局は本人の意志次第ということか。

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