第6回 出窓は千本格子――根津宮永町の木造3階建て 東大の赤門を見ながら、弥生坂に向かって坂を下った交差点が宮永町。昔はこの辺りで藍染めをしていたという名残で、藍染という町名も残っています。ここにも立派な木造3階建てが建っています。 この辺りは上野公園の下になり、歩いて数分の所に、有名な建物が軒を連ねています。寛永寺をはじめとして、五重の塔、国立博物館、美術館、そして最近移築完成したばかりの奏楽堂、芸術の森と言われる上野には見るものが沢山あり、一日では見ることができません。 この木造3階建ては、明治末期から大正初期に三田さんという方が建てられたそうです。戦災を免れ、今日に至っているこの建物、戦後は中央通運の寮として使われていたそうです。 下見板張りの外部、そして出窓は千本格子、今では防火建築のため、造ることもない手の込み入った仕事。しかし内部は現在風に改装して、串焼屋として使われています。 外部から見たかぎりでは、まだ 20〜30年は現存のままでも大丈夫のようです。戦後建てられた防火建築としてのモルタル造りよりは長持ちするでしょう。( 1992年)
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