日替わりげしょ定食

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2000/11/9 251 とりあえず無題

とりあえず唐突に再開してみた。こういうものは予告もせずにいきなりやるのがよい。はっきりいって下の2つの文章はかなり恥ずかしくて、これもエッセイ再開をためらう理由の一つになっていた。が、一度書いた文章を取り下げるのはもっと恥ずかしい。プロではなくてもプライドというやつは持っている。

エッセイを休んでいる期間中に、2通という膨大な数のテーマ提案を頂いた。ありがたいことである。他にもチャットでいくつか頂いたような気がするが、メモが行方不明になってしまった。その代わり、昔ページ作成に使っていたフロッピーを発見し、テーマ案のメモを書いたファイルも無事回収できた。まあこの先もなんとかなるだろう。

しかしページの更新というのは恐ろしいもので、いったん更新を止めるとずるずるそのままになってしまう。この状況を打開するには、更新するしかない。しかし、いったん止めたものを再開するのは、かなりのエネルギーが必要である。たとえ時間があっても、面倒くさいと思ってしまったらおしまいである。今回はそれがわかっただけでも収穫だ。

3回も連続してしっかりしたテーマのない文章になってしまった。ほとんど近況報告と化している、という説もある。異例のことだが、このページのコンセプトからすると、日替わっていないだけで十分異例である。異例の状態が1年以上続いたら、もう恒例なのだろうか。

こんどこそ明日も書くぞ。



2000/11/10 252 とかいいつつエッセイを書く (テーマ:横文字)

外国語はかっこいい。同じ単語でも英語に置き換えると、なんか迫力が違うように感じる。「電子計算機」より「コンピュータ」のほうが使えそうだし、「野球」より「ベースボール」のほうがすごそうだ。人をくびにするのも、「リストラ」というとなんか許されそうである。

生き物というのは、自分を良く見せるためにさまざまな手段を使う。カエルが空気袋をふくらませてみたり、熱帯のどっかの鳥が体の色を変えてみたり、なんかのダンスを踊ってみたりなど、さまざまだ。で、人間の場合であるが、人間の特徴と言えば脳のでかさである。つまり、頭が良ければ良いほど良い、ということになる。

その頭の良さをアピールするのに、役に立つのが外国語だ。人間というのは不思議なもので、よくわからないものに出会うと、反応は2つに分かれる。すなわち、「よくわからないけどすごそう」「よくわからないのでダメだ」の2通りだ。「よくわからないけどすごそう」な外国語の単語を駆使する人は、どうやらすごそうな人だ、と認識されるわけだ。

そこで、自分でもよくわからないけどよくわからない単語を使ってみよう、という人が出てくる。よくわからない人が使うと単に意味不明になるので、結果的にその人は「よくわからない人」と認識されてしまうのだった。どっかの総理などがいい例だ。

個人的には、人の上に立ったり、人になにか説明するような立場にある人は、わけのわからない横文字は使うべきではないと思う。こういう人たちは、別に自分がすごそうな人であることを誇示する必要はないではないか。むしろ、話を聞く人にもわかりやすく説明できないといけない。

まあ、どんなに批判してみたところで、横文字を使いたがる人は減らないだろう。最初に説明したとおり、これは本能から来る欲求なのだ。上司に生活費のことをランニングコストと言われようが、解雇ならなんでもリストラという人がいようが、がまんするしかない。とりあえず反面教師くらいにはしておこう。



2000/11/12 253 関係者のみなさまごめんなさい (テーマ:メモ)

甘いもの、、球技、手紙、電話、無敵コマンドなど、今まで自分の苦手なものをいろいろ書いてきた。ところが、自分が苦手と意識していなくても苦手なもの、というのも結構あるようで、このメモというものもその1つである。

自分の手帳を開いてみると、カレンダーのところには何も書いていないくせに、白紙のフリースペースの所に他人には解読不可能なものがたくさん書いてある。たぶんメモだ。いや、間違いなくメモなのだが、書いた本人であるはずのわたしにも解読できないものが時々混じっている。文字は読めるが、意味が分からないものも多い。何年も前のを入れっぱなしなのでしょうがない。

というわけで、メモの仕方がまず下手である。整理もできていない。書きながら手帳のいらないページを処分していて、予定をメモするためのカレンダーがまだ去年の物だったことにやっと気づいた。これは笑えない。来年のカレンダーを買うべきかどうか本気で迷ってしまう。

そういえば、わたしの携帯電話のメモリもすごい。買ってすぐの頃は誰でも彼でも登録していたが、今では番号を登録するためにかけてもらったのに、登録するのを忘れたりしてしまっている。なので、自分でも誰だかわからないような名前の人が登録されてたり、もう大学を卒業したはずの人の寮時代の番号が残ってたり、その一方で最近仲良くなった人の番号はあまり登録されていなかったりしている。

で、メモが下手だと何が困るかというと、エッセイが書けない。実はエッセイのネタとか構想とか文章とかは、一日中いろんな場所で思い浮かんでいるのだが、その場でメモをしないので忘れてしまう。このテーマを決めるまでは、そういうメモを取るという発想すらなかった。こんな人間が文章で食っていきたいとか言っているのだから片腹痛い。そもそも、今まで仕事が出来たのが不思議なくらいだ。

そんなわけで、この文章を書いているうちに、メモの重要性はとてもよく認識できた。メモ上手になりたいものだが、なれるだろうか。なれたらいいな。ならないとまずい。



2000/11/14 254 どこから涌いて出るのか (テーマ:渋滞)

教習所で受けた適性テストで、「渋滞に巻き込まれるとイライラするか」という質問事項があった。まったくイライラしない、と答えると、それはそれで適性がないことになるらしい。世の中は理不尽だ。テストを出す方が、イライラして当たり前だと決め込んでいるのだろう。

わたしの場合、渋滞に巻き込まれてもイライラする時としない時がある。急いでいる時の方が、かえってイライラしなかったりする。おそらく、渋滞に巻き込まれたらどうしよう、という心の準備がある意味できているからだろう。予想外の渋滞ほどイライラするものはない。

大学に行っていた頃は、授業に間に合うためには渋滞のひどい時間に車を出さなければいけなかった。週に1度だったから我慢できたのだが、毎日の人は大変そうだ。しかもエネルギーの無駄であるのだが、車でしか行けないところも多いのだから、しょうがない。全部を東京都の論理で考えるとめちゃくちゃなことになる。

といっても首都圏の道路は毎朝毎夕渋滞しているのだから、都内に車で毎日行っている人も少なくないはずである。なんで電車で行かないのだろう、と思うが、電車の中もめちゃくちゃ混んでいるのだから、渋滞でも車でゆったり行った方がいい、という考えなのだろう。まあ、首都圏の交通事情を語りだしたらきりがない。

そういえば、いままで行った外国はどこもすごい渋滞だった。特にエジプトの渋滞はすごかった。整備不良で坂道を上れない車が渋滞の先頭になっていたり、信号が全く機能していなかったり。渋滞の極限を見ているからこそ、日本の渋滞はあまり気にならないのかもしれない。



2000/11/21 255 ギャンブル嫌いのジレンマ (テーマ:麻雀)

ずっと前にも書いたが、わたしはギャンブルがあまり好きではない。かなり昔に書いたことだが、これはその頃から変わっていない。消費行為と割り切ればいいのかもしれないが、金を賭けて稼ぐという行為がどうも自分に合っていないらしい。ドラクエのカジノとかも、すぐに飽きてしまう方であった。まだドラクエ7はやっていないが、カジノがいくらパワーアップしていても、はまることはないだろう。

で、今日のテーマはドラクエではなくて麻雀である。わたしは麻雀は嫌いではない。むしろ、好きな方である。こう書いておくとよく麻雀に誘われることになるのだが、そこで行われるのは、99%賭け麻雀である。他の3人は賭けるつもりで来ているので、賭けは嫌いというわたしの意見は通らない。そればかりか、負けて損するのをいやがる卑怯な奴だ、と考えが勝手に変換されてしまう。賭け麻雀の違法性は棚の最上段だ。

愚痴はほどほどにしておこう。そんなわけで麻雀は好きな方なのだが、理由はよくわからない。最初のきっかけは、やはり麻雀牌に字が書かれていたことだろう。小さいとき、それで麻雀牌に興味を覚え、幼稚園のときに簡単なルールを覚えて今に至っている。小学校の時、ファミコンを買ったら即父親が麻雀ゲームを買ったのだが、わたしもそれでずいぶん遊んだものだった。役を覚えられたのも、ファミコンのおかげである。

だが、高校、大学と徐々に実際に雀卓を囲むようになってから、麻雀ゲームはあまりしなくなった。やはり麻雀は、実際に人と向かい合ってやる方がおもしろい。ネット麻雀も一時期やってみたことがあったが、やはりゲーム気分は抜けきれなかった。そういうわけで雀卓も囲みたいのだが、賭け麻雀はやりたくない。わたしはどうすればいいのだろうか。



2000/11/27 256 エッセイです (テーマ:書き方)

今日のエッセイを書こうとしたら、エッセイはどうやって書いてるのか、と質問された。というわけで、急遽テーマを変更して書いている。元はどういうテーマにしようと思っていたかは秘密である。秘密にしたところで、次のエッセイのテーマになっていることだろう。ちなみにテーマは常時募集中である。

エッセイを書くプロセスで一番重要なのが、テーマの決定である。テーマを決めて、それについていろいろ考えてみる。考えがいろいろ浮かぶようであれば、そのテーマに決定である。いくら考えても書けない場合はボツになる。もっとも、日によって調子の善し悪しが違うので、ボツになったテーマでも後日考えてみたら書けた、ということも少なくない。

で、テーマが決まったらブレインストーミングというやつをするのが普通らしいが、テーマ決定の時点である程度出来ているので、やらない。テーマについていろいろ考えた時点で、文章の流れもだいたい出来上がっているのである。むかし予備校で小論文を書いてた頃は、起承転結の流れをまず考えてから文章のディテールを考えていたが、今はそんな面倒くさいことはしていない。

ここまでやったところで、ついに本文を書くという作業がやってくる。と書くと、書くまでにいろいろやっているようだが、していない、要するにテーマを決めたらさっさと書き始める、ということである。先ほど思い描いた流れに従って書き進めていくのだが、書いているうちになぜか最初の考えからずれていくことが多い。

書き終わったら文章を最初から読み直す。音読がベストだが、恥ずかしいのでやらない。で、おかしいところがあったら書き直す。段落をそっくり移動させることもある。誤字脱字は90%の確率で見のがしてしまう。誰かいい誤字脱字の見つけ方を知っていたら、教えて欲しい。

書き上がったら、ページの必要な部分を修正して、webにアップする。同時に携帯用ページも作成するのだが、前回はうっかり忘れてしまったようだ。申し訳ない。

こうしてこのエッセイは、皆さんのパソコンとか携帯とかに届けられるのであった。インターネットなのでこれだけの作業ですむ。便利なことだ。



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