憬文堂
遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記ブログ web拍手 メールフォーム


 真夏の水槽 

仲秋 憬






 浴衣姿を金魚みたいだと言ったら、彼女は、とまどった顔をした。

 褒め言葉に聞こえないのは百も承知。でもその後、珪は意志表示をしたつもりだ。

「俺、好きだよ。……金魚」


 去年と同じように花火大会に誘われたのが嬉しくて、珪も、どこか浮き足立って

いる。並んで歩く少女の様子を意識しながら、会場への道を急いだ。

 歩くとふわりとひるがえる袂(たもと)が触れたり、足下の下駄の赤い鼻緒が前

へ出るたび、裾のあたりで白いくるぶしがチラチラしたりして。

「浴衣って……結構アブナイな……」

「……え? 珪くん、何か言った?」

「いや、……何でもない」

「あやしいなぁ」

 いったい、少女に自覚があるのか、ないのか。

 本当は珪もわかっている。彼女は、ただ、その場で思ったことを素直に言ってい

るだけだ。だから珪は先走ってはいけないと何度も自分に言い聞かせる。あまり効

果はないのだけれど、自制心を総動員して、どうにか乗り切っているところだ。

 人混みの流れをすいすいと泳いでいく金魚を守るつもりで。



 夜空を次々と彩る一瞬の花々を堪能し終わると、帰り道に夜店の並ぶ通りを歩く。

 祭りの雰囲気は心弾むものなのに、終わってしまった花火の余韻が、はかなさの

影を落としていた。

 そんな中で、珪の隣を歩く少女だけが、くっきりと明るく浮かび上がっているよ

うに感じる。彼女の楽しげなおしゃべりは、不思議とうるさく感じられず、いつで

も珪をなごませた。

「珪くんは夜店のナンバー1って何だと思う?」

「……さぁな。考えたこと……なかった」

「わたしはね、夜店でなきゃお目にかかれないのが、いいと思うんだ。かき氷や、

たこ焼きは、人気あるし好きだけど、でも夜店じゃなくても、わりとあるでしょ?」

「ああ」

「そうなるとね、わたあめとか、あんずあめとか、はっかパイプとか……。最近は、

かるめ焼きなんてなくなっちゃったわねって、うちのお母さん言うの。そういえば、

めったに見ないよね。……あれ、作りたて食べるとおいしいんだよ! 知ってる?」

「食い物ばっかだな」

「あ! そんなことないよ。えーと、金魚すくい! これは外せないよね?」

「……だな」

「ヨーヨーつりも、射的もあるけど、やっぱり金魚すくいって、定番中の定番だも

んね。珪くん、得意?」

「…………どうだろうな」

「あーっ、あそこにある! ねえ、じゃあ挑戦する?」

「おまえ……したいのか?」

「へへー、やっぱり夜店クイーンとしてはね」

「……そうなのか?」

「ウソウソ、ほんとはヘタなんだ。いつも、まともにすくえたことないの。参加賞

の一匹だけでね……」

 マイペースでトロいところのある彼女だ。反射神経と要領のよさが必要とされる

金魚すくいのようなものが得意であるとは思えなかった。100メートルのタイム

が速くても、こういうのはちょっと別だ。

 かと言って、これまで夜店歩きのような経験を、ほとんどしたことがなかった珪

も、彼女の期待に応えられるかは未知数だったが。

「……取ってやる」

「え! ほんと?」

「ああ」

「わぁ、うれしい。やろうやろう!」

 はしゃぐ彼女を見れば、是が非でも、という気になるものだ。


 子供や家族連れ数人が囲んでいる金魚すくいの背の低い大きな水槽の前に並んで

しゃがみこむ。

「お! お二人さん、やるかい?」

 タオルのはちまきをしたいかにもなテキ屋の親父が声をかけてきた。

「いや……俺だけ」

「ははぁーん、じゃあ、兄ちゃん、彼女にいいとこ見せてやんな!」

 金魚一匹の値段としたら、あまり安いとは言えない金額を支払って、金魚をすく

う網のポイと水のはいった小さなボウルをもらう。

「あー、紙のポイだ! うまくやるとモナカのより長持ちして、たくさんすくえる

んだよ」

「おう! お嬢さん、通だねぇ」

 親父が機嫌よく笑う。

「…………おまえ、妙なこと詳しいな……」

「珪くん、がんばって!!」

 これで張り切らない男がいるだろうか。


 珪は最初に、隣で子供と一緒に失敗している父親の奮戦ぶりをじっと見ていたか

と思うと、おもむろにポイを手にする右手を手首まで水につけ、手が濡れるのも構

わずに、小振りで尾がひらひらしている赤い金魚をねらって、ひょいっと何気なく

すくい上げた。

「さすが珪くん! すごいすごーいっ!!」

 彼女の歓声と拍手が大きく響いた。


 その一回でコツをつかんだ珪は、結局、初めてまともに挑戦した金魚すくいで、

ボウルにすくいきれないほど、金魚をすくいまくった。

 しまいには二人の周りにどんどんギャラリーが集まって、ちょっとした見せ物状

態にまでなり、最後に黒い出目金をすくって、珪のポイの紙がとうとう破れた時に

は、周囲から一斉にふぁーっというため息がもれた。

「やっと打ち止めかい? まいったなぁ、兄ちゃん、えらく張り切りやがったな。

これじゃあ商売上がったりだ。プロになれるよ、ええ?」

 口ではそんなことを言いながら親父も楽しそうだ。

「さぁーて、どうする? ふたりで山分けかい?」

「俺はいらない。おまえに取ったんだし……」

「え? だって珪くんのすくった金魚なのに……好きなんでしょ?」

「………………飼えるなら……連れて帰りたいのいるけど…………一匹」

「だったら!」

 瞳をきらきらさせて珪に金魚のボウルを差し出す少女を見れば、彼の言うことを

言葉通りに受け取っていることは、すぐわかる。こんな言い方で通じないのは、わ

かっていた。

 珪の妄想は、彼女が想像もしないような、とんでもないもので、仮にそれを知ら

れたなら、恐れをなして逃げ出されてしまうだろう。

 それでもあふれ出すような欲は押さえきれず、珪は自分の体の熱をその場でやり

過ごすのに、わずかに時間を費やした。

「……珪くん?」

 黙ってしまった珪に彼女が声をかける。 

「…………俺のとこ、今、ネコいるから……食われるかも…………マズイだろ」

 その金魚を食べたいと思っている大ネコが。

「あ、そっかあ。……うーん、わたしもこんなには飼えないかな。そんなに大きい

水槽ないし。二、三匹くらいかなぁ……。なら、珪くんが気に入ってるのを選んで

連れて行きたいけど、いいかな?」

「ああ。……かまわない」

「じゃあ、どれがいい?」

 珪はしばらくボウルをながめてから、最初にすくった小振りな赤い金魚と最後に

すくった黒の出目金を選んだ。

 テキ屋の親父は「本当にそれっぱかりでいいのか?」と何度も聞いたが、これで

充分だからと、選んだ赤と黒の金魚を水の入ったビニールのきんちゃくに移しても

らい、二人は夜店の通りを後にした。



「ねえ、珪くんが連れて帰りたかった一匹って、どっちの金魚?」

 家まで送る道すがら、目の前に金魚のきんちゃくを掲げて、彼女が尋ねる。

「どっちでもない」

「えーっ!! どうして、選ばなかったの? わたしが飼うんじゃダメだった?」

「いや……。そういうわけじゃないけど」

「じゃ、なぜ?」

「……わからないか?」

「うん。教えてくれる?」

「…………そのうち必ず連れて帰るって決めたから。……俺が自分で」

「でも、その金魚とは、もう会えないかもしれないのに」

「平気だ……近くにいるのわかってるし」

「え? だって、この二匹じゃないんでしょ?」

 ぱたっと立ち止まり、珪は彼女を見つめた。 

「いつか……教えてやる。俺の金魚」

 伝えてないことは、いくつもあった。それも、いつかは──。


 今夜は二匹の金魚が泳ぐ夢を見るかもしれない。花火の見える広い真夏の水槽

で、ゆれる浴衣の尾ひれを交わしてたわむれるのだ。

 珪は自分の想像に満足して微笑むと、彼女の手を取り、帰りの夜道をゆっくり

と歩き出した。






      


遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記掲示板 web拍手 メールフォーム
憬文堂