憬文堂
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  廃  園  

仲秋 憬




 すべて母の異なる六人の男兄弟の当主争奪戦を勝ち抜き、若くして宮ノ杜家の当主と

なった六男の雅は、父が一代で築いた宮ノ杜を得て、それまで知らなかった様々なもの

を手に入れることになった。

 それは、経営すべき会社や家の財産といった表面的なものだけではなく、父が引退し

て置いていったあらゆる痕跡である。それをどうとでもしろとばかりに目の前に投げ出

されて尚、雅はそれが宮ノ杜のすべてではないことを知っていた。

 宮ノ杜玄一郎は、それほど甘い男ではない。これはまだ当主争奪戦の続きだとも考え

られる。

「父様は別に宮ノ杜を残したいとか大きくしたいとか思っているわけじゃないんだしね。

実際には自分が退屈したくないだけなんだから」

 でなければ、なんで『決められた一年足らずの間で自分を一番楽しませた息子に、

すべてを継がせる』などという遊戯をするものか。その遊戯のために始めから異なる階

級や立場の女と結婚離婚をくり返し六人もの息子を産ませてきたということが異様で、

ゆがんでいる。

 とは言え、期せずして雅が当主の座を得たからには、これまでの玄一郎ありきの宮ノ

杜をそのままにしておくつもりもなかった。雅は今だ高等学校の六年生であり、宮ノ杜

の当主として、全容もおぼろげな財閥を動かす仕事に専念することの適わない状況だが、

学校に通わぬ間の余暇の当主業が、彼の怜悧な頭脳にずいぶんと刺激的な遊戯であるこ

とも事実なのだった。


 かつては父が使っていた二間続きの当主の部屋で、雅は覚えのない古めかしい鍵を見

つけた。特に装飾性のない、しかし決して小さくはない西洋風の鍵だ。あたかもしまい

忘れられたように机の引き出しの隅にあった鍵は屋敷のどの部屋にも、倉や別邸の鍵穴

にも合わず、しかけられた謎かけのようだった。

 雅はなんとなく、その鍵を放置できずにひっそりと自分の服のポケットにすべりこま

せた。

「意味があるのかないのか知らないけど、ただ放置するのもどうかと思うんだよね」

 彼は毎日がとても多忙であったから、その鍵のことはしばらくそれきりになった。



 帝都の中心地にほど近い恵まれた場所に屋敷を構える宮ノ杜。

 極めて美しく整えられた庭や、茶室、高い塀に囲まれた公園と間違えかねない広大な

敷地の中で、木々に埋もれるように、その温室はあった。

 正確にはうち捨てられた温室の名残とでもいうようなものだ。

 当主となったからにはこの家のすべてを正確に把握しようとした雅が、これまで見向

きもしなかった裏庭にまで一人足を運んで見つけた。

 雅はすぐに、これは極めて巧妙に隠された砦であることに気がついた。

 そもそも、硝子張りの温室が日をさえぎるように木々と茂みに埋もれ蔦や葛にまとわ

りつかれて放置されることが尋常ではない。人の目を避けるように作り込む意図なくし

て、このように温室を設置するはずがないと雅にはわかる。庭をやんちゃにかけまわる

時代を屋敷で過ごしてきた兄たちも知らないとすれば、これは宮ノ杜を作った当主の砦

ということになる。

「ああ、そういうことか」

 雅は納得がいったとばかりにうなずいて、身につけていた鍵を取りだし、埋もれてい

た扉の鍵穴に差し込んだ。閉ざされていた扉はずっと持主が来るのを待っていたように、

あっさりと開いた。



 緑に隠された木漏れ日しか刺さない温室の中には、何もなかった。

 明らかに手入れのされていない場所は四畳半の茶室ほどの広さで、当たり前に温室か

ら連想されるもの、例えば蘭や薔薇といった花はもちろん、南の観葉植物の枯れ果てた

残骸もない。まともな水が出るのかもわからない蛇口のついた水場と、骨董店でもそう

そうお目にかかれないような西洋の木製の長椅子があるきりだった。

「なんだって、こんなものを放っておいたんだろ」

 茶室や別棟のアトリエなどとは明らかに違う。必要の無いものなら壊してしまえばい

いのに、人の手を入れず隠された廃園。

 雅は首を傾げ、おもむろに緑の壁が途切れて、日の差す天井の硝子を見上げた。鉄材

の梁を渡して埋められた厚い硝子の天井板。すでに曇り硝子のようになってしまってい

る天井はぼんやりと青い空を映している。

 雅はしばらくその限られた霞がかってキネマに映し出されたような空をながめてから、

ふたたび鍵をかけて、温室を出た。

 うち捨てられていた温室を完全に取り壊すという選択肢は、浮かばなかった。





「雅様、お帰りなさいませ!」

 宮ノ杜の当主として学校の冬期休暇の間、社交シーズンの欧州に出かけていた雅が帝

都に帰宅すると、彼の思い人が屋敷にいた。

 かつて宮ノ杜家の使用人だった彼女は、雅の実の母に雇われ、帝都の小さな呉服店で

働いている。

 普段雅が屋敷に来るように誘っても、なかなか色よい返事をしない彼女が、笑顔で彼

を迎える。その周囲には彼と当主の座を競い、結果的に敗れた兄たちがいた。

「雅、ようやく帰ったか」

「当主くん、遅かったね〜」

「エゲレスで博に会ったかい?」

「よもや宮ノ杜の名を汚すようなことはなかったであろうな」

 口々に勝手を言う兄たちの前には、おのおの好みの飲み物があり、それまで口にして

いたらしい茶菓子の皿もあった。

「雅様、シュウクリイム召し上がりますか? ……あっ、欧州帰りなら羊羹とかの方が

よかったでしょうか。私ったら気が利かなくて」

「……なんでいるのさ」

「え?」

「なんでお前がここにいるの?」

「それはもちろん雅様をお迎えしたくて」

 だったら港に来ればいいものを、年かさの兄たちの間で久しぶりに見る笑顔をふりま

く娘は、嬉しいはずの再会に影を落とす。

「やーだねえ、雅ってば。せっかくおはるちゃんが来てくれたのに。船が着くのが遅れ

たから、ここ何日も通ってくれてたんだよ」

「何日もだって?」

「ああ、三日ほどですか」

「そうだな」

「あ、でも店がひけてからですから……」

 傾げた首にゆれるお下げも昔のままにおずおずと口を開くはるの態度が、また彼を煽る。

 つかつかとはるの前に来ると、雅は彼女の腕をつかんで、皆が集まっていた屋敷の

食堂を出た。

「きゃっ! ま、雅さま……?」

「ちょっと、雅! どこ行くのさ」

 雅は黙ったまま、ほとんど力任せに彼女を引いて、外へ出た。

 向かった先は、あの埋もれた温室だった。

「雅様、怒ってしまわれたんですか? 気に障ったのなら、ごめんなさい。あの……」

 見つけた時から鎖紐を通して身につけていた鍵は、いつも雅の側にある。それは欧州

行きでも帰りでも変わらない。特に役立つものではない鍵は、雅にとって当主のお守り

とでも言うようなものだった。

 日が暮れる間際、薄暗くなった黄昏の庭の木々の間に隠された扉を開けて、娘を突き

入れ自分も中に入った。どうしてそんなことをしたのか自分でもわからない。

 雅は驚いて目を丸くしているはるを、長椅子に腰かけさせた。

 明かりのない温室は、かすかな夕暮れの残照で視界を曖昧にしている。

「ま、雅さ……ま……ここは……」

 雅はおもむろに堅い椅子に彼女を押し倒し唇をふさいだ。

 彼女は最初、わずかに身を固くしたが、雅の勢いに飲まれてか、すぐに大人しくなり

彼の背に控えめに腕をまわしてきた。

 疲れていた上に、とげとげしくいらだっていたしこりが、彼女のぬくもりで、少しず

つ溶けていく。

 それでいて合わせた唇の間を行き交う熱は、雅を次第に昂揚させた。

「僕がいない間に来るなんて許さない」

「雅様を待っていたんです」

「そんなの関係ないね」

「ごめんなさい」

「悪いと思ってるなら態度で表したら?」

「態度……って、どうしたら」

「自分で考えなよ。それとも僕の好きにしていいってこと?」

「……それがお望みなんですか」

 そもそも雅に強い望みなど、なかったはずなのだ。

 それが、この取るに足りない使用人に翻弄され、気がつけば彼女が自分が欲しい唯一

のものになっていた。雅が本気で当主の座を手に入れたのは、はるを玄一郎の専属使用

人から自分のものにしたかったからだ。

「一生ここに閉じ込めてやってもいいんだけど」

「……ここって……隠れ家……ですか?」

「さあね。邪魔が入らないなら、どこでもいいんだよ」

 雅は躊躇せず、はるの首元のリボンを解いて、留められたボタンを外していく。

「雅様っ」

「僕だけのものだって教えてやる。お前はそれを知る必要があるんだから」


 白い首筋に歯を立てると、ふわりと甘い匂いがする。

 昼の間木漏れ日でも温められていたのであろう冬の温室は、かろうじて肌を露わにし

ても凍えずにはすみそうだ。それに少しくらい寒い方が互いの肌を合わせる甲斐もある

だろう。


 決して居心地がいいとは言えない、その廃園は、若き宮ノ杜家当主の秘められた花を

咲かせる褥になるのだ。





  ヲハリ  





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