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 Complex 

仲秋 憬





「葉月! あんた葉月珪だろ? なんで、こんなとこで寝てんの? ま、いいけどさ。

ふーん、やっぱイイ男だなー。うん、あんたに決めた!」


 どんなに考えても、あの時、どうして、見知らぬ小学生の差し出したちっぽけな紙切

れを受け取る気になったのか定かでない。たぶん拒否する方が面倒だったから、渡され

るままに受け取った。公園のベンチで寝ていたところを起こされたので、半分寝ぼけて

いたようにも思う。

 しかし、それならそれで、帰り道のどこかで捨ててしまえばいい。いつもの葉月珪な

ら、きっとそうしている。そんな他人のメモなどポケットに突っ込んで、そのまま永久

に忘れ去ってしまう類のものだ。

 なのに、珪はそのあずかり知らぬメモにかかれた電話番号に電話をかけたのだ。

 電話に出たのは、つい数日前、高等部の入学式の日に学園の教会で見つけた、あの少

女だった。

 偶然なのか運命なのか、珪は知らない。それはどちらでもいいことだ。最後に、それ

が必然だったことにすればいい。そう決めていた。


 休みの日にふたりきりで出かけて、帰りは彼女の家の前まで送る。いわゆるデートだ。

でも、彼女が珪をどう思っているかは、わからない。時々わかるような気もするが、お

互いにはっきりと言葉にしたことはなかった。

 好意を口にし、つきあおうと告げて始めた交際ではなく、偶然の電話をきっかけに始

まった不確かなつきあいだ。

 明日からぱったりと誘いの電話がかかってこなくなったら、そのまま疎遠になってし

まうかもしれない、そんな程度の。

 なのに彼女の方から無邪気に「どんなタイプが好き?」とか「恋愛について考えたこ

とある?」とか訊ねてくるのには、まいった。

「そんなことを訊くってことは、おまえは俺が好きなのか?」と言ったら、どんな顔を

するだろう。いっそ「俺は、おまえが好きなんだ」と告げてしまえば簡単なのだろうが、

それも何となくしゃくだ。

 そもそも彼女は珪に気付いていない。幼い頃ちょっと遊んだことのある男の子のこと

なんか、とっくに忘れてる。自分だけが過去にとらわれているのが、珪は怖かった。

 だから、事あるごとに間接的ではあっても、できる限り今の自分の気持ちを伝えてい

るつもりなのに、純粋で赤ん坊みたいなところのある少女は、今の珪の気持ちにも、昔

の珪にも、一向に気がつかないのだ。


 彼女の家の前に着き、じゃあ、また、と別れようとしたところで、彼女の携帯電話が

鳴った。誰からの電話かは、わからない。男かも知れない。

 珪と違って、友人の多い彼女は、つきあいも広い。自分もそんな多くの友人の一人に

しか過ぎないのだと思いたくはなかった。

 それでもなるべく平静に、気にしていないふりをして、彼女を気遣う言葉までかけて

家に入るように促した。物わかりのいい男のふりをしてみせる。心の内とは大違いなの

に。すまなそうな顔をして彼女が玄関の奥に消えるのを見送って、ひとつため息をつい

てきびすを返そうとした時、玄関先の植え込みの影から威勢のいいボーイソプラノに声

をかけられた。 



「よお、葉月! この間、雨に濡れて帰って風邪ひかなかったか……って、今日デート

してきたなら平気ってことか」

 珪にきっかけの電話番号を与えた本人がそこにいた。彼女の弟だと知ったのは、ずい

ぶん後になってからだった。

「……小学生は家にいる時間」

「ここ家だよ。おい、ねえちゃんに手ぇ出してないだろうな」

「関係ないだろ」

「あ! そういうこと言う? ふーん。この間の夕立の時さ、オレ、わざと声かけたん

だぜ。だってあのままふたりっきりで雨宿りさせといたら葉月、ねえちゃんに何したか

わかんないだろ。あぶなかったよな。オレが傘、持っていって正解。オレが本気で邪魔

する気になったら、ねえちゃんに電話だってさせないし」

 珪は思わず自分の胸までくらいしかない背丈の相手に剣呑な目を向けてしまう。

「こうやってデートのたびに送られてくるようになったんだから、進歩だよな〜。帰り

も遅くなったしさ。でもダメだよ。ねえちゃんは」

「どうして」

「どうしても」

 笑顔は年相応の無邪気さなのに、少年はまったく似つかわしくない受け答えをする。

「このまま無事に高校卒業させろよな。葉月がねえちゃんに、ここまで興味持つって、

オレちょっと思ってなかったけど、それは結果オーライだしさ!」

「……余計な世話だ」

「あのさぁ、ねえちゃんの携帯、オレがどうして葉月に無理に教えたか、わかる?」

「さあな」

「葉月が、はばたき学園で一番の虫よけになると思ったからに決まってるじゃん。ね

えちゃんが、誰ともまともにつきあわないようなアイドルに夢中になってる間は、他

の男の心配しないで済むしさ。ねえちゃんはオレが守ってやるけど、別々の学校行っ

てる間はオレだって、どうしようもねーもん。くやしいけど、年だけは追いつけない

からな。日本もアメリカみたいに、とび級できたらいいのになぁ」

 罪のない顔で、とんでもないことを言う小学生に、葉月は半ば呆然としていた。

「ねえちゃんは、ぽやーっとしててニブイとこあるから、大抵はモーションかけられ

ても気付かないからいいんだけど、やっぱ番犬いた方が安心だし、葉月ならちょうど

いいだろ? みんな遠巻きに遠慮するし、誤解されたって、レベルの高いあんた相手

なら、ねえちゃんの恥にならないし」

「あいつの携帯ナンバー教えてくれたことは、礼を言ってもいいけど、おまえに教わ

らなくても、いずれ俺は何とかした」

 言わせっぱなしにしておくつもりはない。たとえ弟でも、邪魔はさせない。

「へぇ、ホント? ……どっちでもいいや。とにかくオレが急いで大きくなるまでな

んだから。聞いて驚け、ねえちゃんとオレは本当の姉弟じゃないんだからな! 大人

になったらケッコンするんだ!!」

 会話のあまりの飛躍と爆弾宣言に、珪の思考回路もショートする。

 小さな少年は興奮のあまりか、肩をいからせながら、戦意充分な目をして珪を見上

げていた。その挑発的な表情を見て、珪は逆に冷静になった。

「………………ウソつくなら、もっとましなウソつけ」

「なんでウソなんだよっ!!」

「おまえら、そっくり。血がつながってないわけないだろ」


 そうだった。どこかで見た顔だと思ったのだ。後に彼女の弟だと知ることになった、

たまたま街で会ってまとわりつかれた時にも、そう思った。

 見知らぬ小学生は彼女に似ていた。遠いあの日から、ずっと待っていた少女に。

 それは再会の予感だ。

 すべてがふたりを結び合わせるかのように、予感は確信になり、偶然は必然に。そ

んな月日を永遠に重ねてみせる。

 すでに思い出の教会でめぐりあっていた自分たちには、電話番号なんて、ささいな

ことだ。


「……ガキは飯食って早く寝ろ」

「なんだとぉ〜」

「大きくなるんだろ? 牛乳飲んで寝るんだな」

「うっ」

 くやしそうな顔。くるくる変わる表情は、やっぱり少女に似ている。だけど容赦は

しない。

「でも、おまえが大人になる前に、あいつは俺がもらうけど」

「信じないんだな?! あとで後悔するなよっ!!」

「…………好きにすれば」


 もうこれ以上の会話は意味なしと判断した珪は、ふわりと挨拶代わりに片手をあげ

てから、玄関先でいきりたっている少年に背を向けると、すっかり暗くなった帰り道

をたどっていった。

 たとえ、彼が本当に結婚できる家族であったとしても、珪の気持ちは変わらない。

だから、本当の姉弟かどうかは、もう、どうでもいいのだ。

 それにライバルは彼だけじゃない。

 自分に必要なのは、真実を告げる勇気。

 明日、学校で、また彼女を誘おう。そうして今度の週末にはプラネタリウムの星に

願いをかけておくのもいい。


 私の心はあなたのもの。


 交差点の信号が青になると、珪は顔を上げ、夜の街を駆けていった。





      


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