憬文堂
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雪映えの実
仲秋 憬 




「あー、気持ちいーい! やっぱり外は最高!」

 動きやすい短い切り袴に、綿入れの衣や衵(あこめ)を短く幾重にも重ねて着付けた

少女が思わず伸びをするようにして空を仰いだ。

 きんとはりつめた冬の空気は、つきぬけるような空と相まって気持ちが引き締まる。

目の前に広がるのは一面の雪景色だ。昨夜の雪は冬枯れの北山を白く染め変えた。

「寒くはございませんか? 神子殿、足下にお気をつけください」

 後ろから、忠実な武士が声をかけた。

「大丈夫、大丈夫! 頼久さんは心配性だから」

「お前が、いつも懲りずに、くり返すからだ」

 少女の前を行く陰陽師が振り返らずに言った。

「泰明さん……さ、最近は、そんなことないですよ」

 いささか決まり悪そうに返事をするところからして、彼女にも自覚があるらしい。

「土御門の女童と、かくれ鬼をして庭まで出たあげく、前栽に足を取られて転び、怪我

をしたと聞いたのは最近ではなかったか」

「そっ、それは、つい……たまたま……で、不可抗力ですよっ!」

「だから我らを頼れと言っている」

 陰陽師は、にべもない。彼らは龍神の神子を守る八葉。

 力を合わせて京を鬼の脅威から救い、すでに役目を果たしたと言えるのだが、龍神の

神子、元宮あかねが、自分の世界に戻らず京に残ることを選んだ今も、八葉と神子の絆

は消えていなかった。

「ああ、でもやっぱり冬だから、お花はないですね。雪の枝が、そのまま溶けずにいる

なら綺麗なのに」

 少女が周囲を見回しながら言った。

「この先に山椿の古木があったはずだが」

「本当ですか?」

 八葉の内、地の玄武である陰陽師、安倍泰明の言葉に、あかねの表情が喜びにぱっと

華やいだ。雪の山道を駆け出しそうな勢いで、ざくざくと足を速め、泰明を追い抜いて

行こうとする。

「神子殿!! ですから、お急ぎになられては!」

 焦り、手を伸ばして引き止めようとした天の青龍、源頼久を泰明が振り返って止めた。

「放っておけ。問題ない。久方ぶりの外歩きに、はしゃいでいる。止めても無駄だ」

「ですが……」

「本当に神子が危なければ、八葉が二人揃っていて守れぬわけはない。それに──」

 泰明は、色違いの両目を細めて、あかねを見やる。

 白い木々の枝から、陽光に輝く凍った雪粉が、先を行く少女にきらきらと舞いかかり、

青い空と白い雪景色をさらに美しく飾っていた。

「あのような神子を眺めていられるのだからな」

 頼久も眩しさに目を細める。二人の男は、かけがえのない一時を共有していた。



 かつて──と言っても、ほんの半年程前の春から夏にかけての間、八葉である彼らは、

龍神の神子であるあかねと共に京のあちこちをめぐり、穢れを祓い、怨霊を封印して鬼

と戦う日々を送っていた。

 御簾も几帳も隔てずに、少女の姿を、その目で見て、言葉を交わすことができた月日。

 だが、役目も終わり、あかねが左大臣家の姫君として暮らすようになってからは、

なかなかそんな機会は少ない。たとえ、あかね本人が、それを望んだとしてもだ。

 だから、二人が今日、あかねの北山散策の供となれたことは、実に幸運だった。



「わぁ、かわいい。この赤い実は何ですか?」

 あたりを見回しながら先を歩いていたあかねが、ぴたりと足を止め、雪の茂みの中で

朱に輝く宝玉のような実を指さして声を上げた。

「千両や南天とは違うみたい……」

 白く化粧された常緑の葉の下に、釣り下がるようにして実っている、少女の小指の爪

よりも小さな深紅の実は、白雪に鮮やかに映えていた。

 この赤い実の枝が気に入ったと、少女の瞳が訴えている。

「ああ、これは──」

 この実が何と言うか知らなくても、彼女は、それを選ぶのか。



 二人の八葉はどこかあきらめにも似た複雑な笑みを浮かべ、彼女が赤い実の枝を持ち

帰る手助けをした。あかねの感謝は以前と変わらず心地よいものだった。








 とうに日が落ち、雪景色を月光が照らす頃。 

 冬の夜は長い。

 久しぶりに遠出をした疲れもあり、あかねは早めに床に入る用意をした。

 身のまわりの世話をしてくれる女房にも、そう告げて、ひとり寝間へ下がろうとした

時、御簾の向こうで妻戸が開く音がした。

「だあれ? 藤姫のご用事?」

 仲の良い姉妹のように過ごしている藤姫とは、夕餉を共にした後、ひとしきりおしゃ

べりをして「お休みなさい」を言ってから、まだ、それほど経っていない。

 あかねは首を傾げた。

「幼い姫は、すでに夢路に向かわれておいでだろう。夜は恋人のものだよ」

「友雅さん?!」

 姿は見えなくても間違いようのない、なめらかな美声は、八葉の地の白虎にして左近

の少将である橘友雅の声だった。

「──紫の糸をそ我が搓るあしひきの山橘を貫かむと思ひて──」

 歌をつぶやく声の艶に思わず感じ入り、あかねは、一瞬、身動きができなかった。

 それでもなんとか気を取り直して、か細い声で疑問を口にした。

「今夜は宿直じゃなかったですか? どうして……」

「おやおや、雪の消える前に、とお誘いくださったのは、あなただよ。私の月の姫君」

 忍び笑いとともに、男は許しも得ずに御簾をかき上げ、あかねの前に姿を現した。

 側に人がいれば決して許されない行為だが、京の禁忌が身に染みていないあかねは、

驚きはしても、咎めることもせず、几帳の影に隠れることもしなかった。

「外は月も凍てつきそうなほどの寒さだよ。哀れなこの身を暖めていただけないかな」

 友雅はそう言うと、右腕であかねの肩を抱き、左手で少女の手を取って、慣れた仕草

で少女の指に唇を寄せた。

 燈台のはかない明かりでもわかるほど、みるみるあかねの頬が紅に染まる。

「友雅さんお仕事だって……だからお文を出したのに」

「隔てられた長い夜のなぐさめに、姫の文が欲しいとねだったのは確かに私だったね。

ありがとう。約束を守ってくださったのだね」

「紙や花も……決めるのにすごく迷って……だって友雅さん、毎日くれるじゃないです

か! そしたらお返事の文を送るのだって、いつもくりかえし似たような取り合わせに

なっちゃうでしょう? 友雅さんは慣れていて、そういうの用意するのも、きっと簡単

なんでしょうけど、私にとっては難しいんです。歌だってヘタだから、どうしても昔の

お手本にたよっちゃうし……。人のいるところで私の文を受け取って友雅さんが笑われ

ちゃったら大変だから……」

 必死で窮状を訴えるあかねの手を放さずに、友雅は微笑んだ。

「殿上して、夜のつれづれに話でもして退屈を紛らわせようかというところに、君の文

が届いてね。それが可憐な山橘に結ばれて私あてに来たのだもの。なんと粋な便りを

いただく幸せ者かと、それはもう皆に羨まれつつ、抜け出して来たよ」

「……じゃあ、私の文が、友雅さんの恥にはならなかったですか?」

「恥どころか、この身に余る誉れだね」

 恋人の言葉に、ようやくあかねはほっと息を吐いて、緊張を解いた。

 友雅はそんなあかねを、さらにぴったりと抱き寄せると、顔をのぞきこむようにして

尋ねた。

「それはともかく姫君、今日は昼間、いったい誰と、どこへ出かけてきたの?」

「え?」

 あかねが驚いて目を見開いた。

「あの赤い実は、この土御門の庭にはなかったと思ったけれど」

 どうして人の屋敷の庭木まで詳しく知っているのかと聞くより早く、友雅はいつも

あかねを困惑させる笑顔を見せた。表面は笑っていても、返事を聞くまで容赦しないと、

彼の目が告げている。

「それに下さった歌が、これだろう? ──この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の

照るも見む── 君は行って、見たんだね。白雪に照り輝く紅の山橘を……。ひとりで

出かけたはずはない。それは誰?」

「……歌は万葉集の歌ですよ。友雅さん、わかってるんでしょう?」

「古の歌でも、素直な君は、いつだって自分の心を映す歌を選ぶのを、私は知っている

からね。だめだよ。正直に言っておしまい」

「友雅さんが心配するようなことじゃないですよ」

「言わないなら当ててみようか。──君の忠実なるしもべの頼久とか?」

「頼久さんは私のしもべじゃないですよ」

「おや、当たりだね」

「──もう! 友雅さん、お見通しなんでしょ? ずるいです。私の外出について来て

くれるのは八葉の誰かしか、いるわけないじゃないですか!」

「……だから困っているのだよ。どうして、いつまでも八葉と神子の縁が切れないのだ

ろうね。風のようなあなたは、決して私だけの人でいてはくださらない」

 友雅が派手にため息をつく。

「泰明さんが、お師匠様のお使いで左大臣様の所へいらした帰り、私のところにも立ち

寄ってくれたんです。それで……もうお庭には友雅さんに送ったことのない冬の花なん

てなかったから、相談してみたら、北山へ行くか、って……」

「陰陽師殿か。それでは、泰明殿と頼久をお供に北山へ出かけたのだね」

 あかねは黙ってこくりと頷いた。

「私に言えば、いつでもお供すると言っているのに……」

「だって友雅さんに送る文のためだったんですよ」

「それでもね」

 友雅は、はっきりそれとわかる自嘲の笑みを浮かべた。

「私の知らないところで、君のかわいらしい姿や笑顔を愛でる誰かがいると思うと胸が

煮えるようだよ。いっそどこかに閉じこめてしまいたいと思う、こんな浅ましい想いを

私に教えてくださるなんて、いけない人だ」

「じゃあ友雅さん、知らないんですね? 友雅さんが内裏でお仕事したりしている間、

綺麗な本物の姫君や女房さんたちに囲まれて、楽しそうにしているかもしれないのを、

私が何とも感じてないとか思ってるんだ……」

「それは……」

 あかねのまっすぐな視線に、友雅は声を詰まらせた。

「もしかして、おあいこなのかな。……だったら少し安心しました。私、ずっと友雅さ

んにはかなわないんだって思っていたから」

 照れたように、はにかむあかねに、友雅は少しの間、呆然として、それから声を上げ

て笑った。

「まいったね。……降参だよ、姫君」

 耳元で甘くささやかれ、あかねは、くすぐったさに肩をすくめる。

「では──その件は不問にするとして、いただいた文にあることをしようか。嬉しい

お誘いに私はすっかりその気になってしまったから、否やは無しだよ」

「は?」

 突然のあやしい雲行きに、あかねはきょとんとする。

「白雪が消える前に、輝く紅玉を愛でるのだろう? 最初に言ったけれど、今宵、私は

山橘を貫こうと思っているのだから──」

「あ……っ」

「私の白雪……どこにかわいらしい赤い実を隠しているか見せてごらん。私だけが許さ

れる禁足の山を探らなければね」

 あかねが友雅が何を言いだしたのか思い当たる頃には、ふわりと抱き上げられて、

奥の寝間へ連れて行かれる最中だった。

「と、友雅さん……っ! そっちに山橘なんてないですってば」

「見つけてみせるから大丈夫」

「大丈夫じゃありません〜っ」

「うるさい赤い実は食べてしまおう」

「……んっ」

 唇をふさがれて、あかねが小さく喘ぐ。思う様むさぼられるめまいと熱に、体から力

が抜けたところで、几帳に囲まれた褥に降ろされた。

 友雅の手が、あかねの袿のあわせにかかり、ゆっくりと重みをかけてくる。

 衣を肩から落とす手が肌に触れた時、あかねは震えてしまったが友雅は止めなかった。

「このやわらかく暖かい白雪の双つ山の頂きに……雪深い沢の奥に……、希有なる紅い

実があるのを、私は知っているのだよ。必ず見つけてあげるから、一緒に行こう」



 そうして、庭の雪が日に溶けてしまう時分まで、友雅は消えない白雪にある赤い実を

堪能したとか、しないとか。




 翌朝、前日のあかねの疲労を思いやり、機嫌を伺うべく参上した頼久が、苦痛に耐え

るような悩ましい顔で、ずっと主の目覚めを待っていたのは、あかねの知らない後の話

である。



                 【 終 】





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