憬文堂
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◆  あかねが、まだ自覚していない時、夢の中で、
 本当に物忌で籠もっていなければならないはずの少将に乱れまくったようだね……
 ◆

移 り 香
仲秋 憬 




 高校に進学したばかりの春の放課後に、現代から京の都へ召還された元宮

あかねが、龍神の神子としての日々の務めにようやく慣れてきた頃。

 それまで毎朝、必ずと言っていいほど土御門殿の神子の住まう対に顔を出

していた、神子を守る八葉の内の地の白虎、橘友雅が、ふっつりと姿を見せ

なくなった。

 京のあちこちへ出かけるのに、神子が同行してもらう八葉は、大抵ひとり

かふたりで、一度に八人の八葉全員と行動することはなかったので、最初は

気に止めず、他の八葉と出かけていたあかねだったが、この最年長の華やか

な大人の男である地の白虎が現れなくなってから五日目の朝、さすがに心配

になって、彼のことを藤姫に尋ねた。

 神子に仕える星の一族である藤姫は、途端に顔を曇らせる。

「友雅殿は、気まぐれな方なのです。本当にもう少し真面目になさったらい

いのに……申し訳ございません」

「どうして藤姫があやまるの?」

「え……、神子様に失礼があっては、と……お気に触りましたか?」

「まさか!」

 あかねは、ぶんぶんと首を横に振った。



 その日、なぜか朝からひどく疲れてしまっていて、最初は出かけようとし

ていたあかねは、藤姫の薦めもあって、一日休むことにした。

 部屋でのんびりと藤姫と差し向かいで、あれこれとおしゃべりをし、気が

つくとあっと言う間に日が暮れていた。 


「そう言えば、明日は神子様の物忌みですわ。どなたに、お文をお届けいた

しましようか?」

 神子の物忌みには、八葉ひとりについていてもらわねばならず、いつも物

忌み前夜に依頼の文を出していた。

「うーん……じゃあ、友雅さんにお願いしようかな……」

「友雅殿で、よろしいのですね」

「あ、でも、忙しかったりしたら、迷惑かけちゃうね」

「そんなはずありませんわ。友雅殿も八葉なのですから神子様がお気になさ

る必要はございません!」

 藤姫はそう断言すると、文の用意をするためにあかねの前を辞していった。



 燈台に明かりが灯された部屋に、ひとりぽつんと残されたあかねは、何を

するでもなく畳の上に足を投げ出した。

「もう寝ちゃおうかな……」

「おや、夜はこれからだというのに、こちらの姫君は、もう夢路をたどろう

と言うのかい? では、その道が安らかであるように、ぜひこの私がお供つ

かまつりたいものだね」

「友雅さん!!」

 友雅のたきしめる侍従の香が風に乗り、なめらかなその声と共に届けば、

闇にまぎれていても、すぐわかる。

「しーっ。静かに。せっかく夜に忍んできたのだから、今ここで追い出した

りはしないでくれるね?」

 几帳の影からふいに現れて、極上の笑顔でそう言われると、つい言われる

ままにうなずきそうになるが、しかしこの状況は、それを許している場合だ

ろうか。

 もし藤姫がこの場にいたら、友雅に対して目をむいて怒るに違いない。

「こんな遅くに、どうしたんですか? 何かあったんですか?」

 足をそろえて座り直し、声をひそめて、あかねが尋ねると、友雅はふわり

とあかねの前に腰をかがめて、おもむろに少女の頬に手をさしのべた。

「何かないと姫君に会いに来てはいけないのかな。つれない人だね」

「もう、いつもそんなことばっかり言って……。だから藤姫が怒るんですよ」

 赤面しつつ、あかねがつぶやく。

「神子殿も、こんな私を不愉快に思われる?」

「そ、そういうわけじゃ……ないですけど」

「なら、いいのだよ。君さえ、私を厭わなければ」

 友雅の顔が必要以上に近付き過ぎている気がして、あかねは座ったまま後

ずさりしようとしたが、彼が頬にあてた手の指先で、あかねのさらさらした

髪と耳元をなでるようにすると、見えない何かにからめとられたように動け

なくなってしまった。

 触れられていると意識する間もなく、いつの間にか始められた仕草に、あ

かねはぞくりとして思わず声をあげてしまった。

「あ……っ」

「会いたかったよ」

 ゆっくりと噛みしめるように友雅は告げた。

「会えない間も気が急いて……本当は、ずっと身を慎んで大人しくしていな

ければならないのにね。せめて気配なりとも感じたくて、やって来てしまっ

たことを、どうか責めないでくれまいか」

「そんな責めるなんて……」

「ああ、君は優しい姫だから、我慢できずに、こうして参上した哀れな男に

情け容赦ない仕打ちはなさらないと信じていたよ。そうしたら、尚、一目な

りともお目にかからずに帰るなどできはしない」

 友雅はそう言うと、頬に触れている手はそのままに、もう一方の腕をあか

ねの方にまわして引き寄せた。

 かすかに感じていた薫りが、今度ははっきりと香り立った。

「遠く離れていると少しでも近くにと思う。御簾越しに気配を感じるだけで

もとね。けれど、それが叶うと今度はどうしても姿が見たくなる」

「え……」

「ならば、かいま見だけと肝に命じていたはずが、次はくるくると変わる愛

らしい顔をずっと眺めていたくなり、できることなら鈴を鳴らすような澄ん

だ声も聞きたくなる」

「……あの……あのね…………あ……」

 二人の距離が、どんどん親密になっていき、あかねの身が自然とおののき

出すのを、なだめるように友雅が背をなでた。

「……声を聞くとね、今度は名を呼んで欲しくなる」

 ふうっと耳元で息を吐きながらささやかれて、あかねは気が遠くなる。

「友雅……さ……ん……」

「君の声は、なんて耳に心地よく響くのだろうね。それを知ってしまうと、

その次はね……」

「あっ」

「もっと別の……私だけが知る君が欲しくなる」

 いつの間にか、しっかりと隙間無く抱きしめられていることに、あかねは

驚く暇もなかった。

 友雅の唇が耳元から頬をかすめるようにあかねの唇の前で動いている。

 しかし、それを目で見て確かめられる位置ではない。

 友雅の瞳の輝きに魅入られて、胸がいっぱいになってしまい、あかねは本

能的に眼を閉じてしまった。

 途端に唇をふさがれて、何が何だかわからなくなる。息が出来ずに口を開

こうとすると、そこに熱くやわらかいものが入り込んできて、あかねをます

ます混乱させた。

「んっ……んんっ……」

 すっかり唇に気を取られているあかねには、自分の他の部分に気を配る余

裕は全くなかった。

 背中をさすっていた大きな手が、肩や腰はおろか、脚のあたりまでさまよ

いはじめていることや、頬にふれていた手が、首をつたい、あかねの肩先か

ら胸元へまわり、上着代わりの水干の止め紐を難なくほどいてしまっている

ことにも気づけない。

 ようやくふさがれていた唇が名残惜しげに離されて、大きく息をつくこと

ができた時には、白い首筋をあらわにして、衿もとは大きくはだけられ、む

きだしの肌に、男が容赦なく舌をはわせているところだった。

「だめっ……あ……だめって……そんな……あ……あぁっ」

「かわいいよ。本当に……ね……私のものになっておしまい」

「そんな……だって……だめなの……」

「どうして? ああ……泣かないで。ほら、こうすると……」

「や……んっ!」

「いやじゃない……ね? ……こんなに感じやすい躯なのだね。いいことだ

よ。怖がらなくていい」

「あ……あ、も……もう、そんな……の……あ……」

 まともな言葉がつむげずに涙にうるむ目で友雅を見ると、彼はこれまで見

たことのない表情であかねを見下ろしていた。

 どこか苦しげで、なのに微笑んでいる。こわいくらい真剣な男の目によぎ

る光が何を意味するのか、あかねにはわからない。

 ふと気がつけば座っていたはずの身体が横になっており、自分の上に友雅

が覆いかぶさっていて、衣服はあちこちゆるめられ脱げかけた有様なのを恥

じらう間もなく、みっしりとした男の重みが、か細い身体にかけられた。

「知らなかったよ。私にも、こんな……が、あったとはね」

 初めて聞く男の甘くかすれた声。

 きっともう逃げられない。

 悟ったあかねは、自分の判断をすぐさま否定した。

 そうではない。あかねに、最初から逃げる気はなかったのだ。

 惹かれていることを認めれば、ずっと楽になる。

 自分は確かに友雅に会えなくて寂しかったし、こんな風に求められてみた

かった。

 だから、望んで受け入れても、かまわないのだ。

 うねりこぼれかかる長い髪の一筋にも薫る友雅の侍従。

 あかねは大きく息を吸うと、両腕を伸ばして、友雅の頭をかかえこむよう

に引き寄せ、あえぎ混じりの声で名を呼んだ。

「……友雅……さん……」

 返事はむさぼるような激しい口づけと抱擁で、そのあとに、すべてを乱す

嵐のような愛撫がやってきた。




「神子様、おはようございます。お目覚めですか? 神子様!」

 毎朝聞いているかわいらしい童女の声が聞こえて、あかねは、はっと身を

起こした。

「本日は神子様は物忌みであられます。昨夜、お文でお呼びしておいた友雅

殿が、もういらしておりますわ。お通ししてもよろしいですか?」

「え? あ……夢……ゆめ……か。……な、なんだ……そうか……そうだよ

ね。あんなこと、あるわけない……もん。……やだーっ。私ったら、もう!」

「神子様?」

 几帳の向こう側から、藤姫の不思議そうな声がする。

 あかねは真っ赤になって、すぐそばにあった上衣に顔をうずめた。



 あわてて身支度をして友雅を迎え入れると、咲き誇る牡丹の花のごとくあ

でやかな男は、いつもに増してにこやかな様子であかねの前に腰を下ろした。

「友雅さん、何だか、お久しぶりです。無理なお願いじゃなかったですか?」

「とんでもない。姫君に必要としていただけて嬉しかったよ」

 それが友雅の本心であろうがなかろうが、優しげな笑顔でそう言われて嬉

しくないはずがない。ほうっと肩から力が抜けると、自然に笑みがもれた。

「……よかった。えーと、最近、どうしてたのか聞いてもいいですか?」

「実は、ここのところ物忌みが続いていてね……。外出もままならなかった

のだよ」

「そうだったんですか」

「おかげで暇で暇でしょうがなかったよ」

「大変だったんですね」

「本当に……この身を魂が抜けだして、神子殿のもとに、はせ参じてしまっ

ていたかもしれないな」

「……え?」

「神子殿はどう? 何も感じたりはしなかった?」

「それ……って……どういう……」

 ふわりとくゆる、薫りは侍従だ。あかねが手にしていた衣にも。友雅の袍

からも。互いの袖の、移り香にも似た、その薫りは──。


「会いたかったよ」

 友雅の声が、あかねの耳元で響いた。




                【 終 】






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