憬文堂
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◆   月のきれいな夜、紅葉の山で、左近衛府少将がなでなでされたようだね……  ◆

月前の落葉
仲秋 憬 




  本当に久しぶりの外出のお供だった。

  京で迎える初めての秋に、すっかり美しい彩りとなった山道を照葉をながめ

 つつ歩く。

  そうして彼女が口にしたのは、あの男のことだった。

 「友雅がおかしい?」

  イノリが問い返すと、あかねはごく真面目に大きくうなずいた。

  ずいぶんと心配そうな様子に、イノリは何やら釈然としないものを感じる。


  異世界から召還された龍神の神子と、その神子を守る八葉として、共に力を

 合わせて京を鬼の脅威から救った後、あかねが育った世界に帰らずに京に残っ

 たことをイノリは嬉しく思っていたが、その残った理由は、いささかいただけ

 ない。

  あかねを引き止めた、その相手が問題だ。

  ……本当は自分以外の誰が理由だって面白いわけじゃないけれども。


 「あいつは、いつもおかしいぜ」

 「そんなこと……ないよ」

 「おかしいって。貴族は、ああいうのが当たり前なのかとも思ったけど。その

 割にゃ出世には興味なくて、ひらひらしてるだろ。左近衛府少将が武官だって

 の信じられねぇくらいじゃん。やたら人のこと子供扱いしてくれるしよ」
 
 「……そりゃ三十過ぎてる友雅さんから見れば、十五、六の私達が子供っぽい

 のは間違いないんだし」


  ──子供だと思っているなら手を出すなと言うのだ。

  八葉が揃う前では、ずっと本気にならないというふりをしておいて、最後に

 まんまと最愛の少女をさらっていった恨みは大きい。


 「じゃあ、何だよ。どこがおかしいんだ?」

  あかねに罪は無いので、とりあえず言いやすいように尋ねてみる。

  心配なのは友雅ではなく、あかねだ。

 「え……ぇっと……あのね……あんまり一緒にいられなくなったの」

 「はぁ?」

  イノリは慣れた山道だというのに思わず足を滑らせそうになった。

  一体あかねは何を言おうとしているのか。もしかして、からかわれるところ

 なのか? イノリが、あかねに?

  しかし、あかねは真剣そのものだ。

 「涼しくなった頃から……かな。それまでは日が落ちるとすぐに来て……朝は

 夜明け過ぎのギリギリまでいたし……そのまま内裏に出仕しないで……お休み

 にしちゃったりとか、しょっちゅうだったの。ずっとお仕事なんて、ほとんど

 なかったのに……」

 「ふぅ……ん。それで?」

  そりゃ、あかねの側にいられるなら、オレだってそうしたいとイノリは言い

 たかったが、余計なことは伝えずに相づちだけを打った。

  実際、鍛冶師見習いで毎日が修行中の身だから、もし、あかねとそんな風に

 なれたとしても、イノリは友雅のようにはしないだろう。

 「私のせいでお仕事がおろそかになって迷惑かけたくないから、友雅さんが出

 仕してお仕事熱心なのが嫌なわけじゃないの……でも急に、あんまりらしくな

 いって言うか……」

 「仕事熱心な友雅か。そりゃ確かにらしくないな……ちょっと想像できねぇよ。

 八葉のつとめだって、いざって時以外は、余裕かましてたもんな」

 「うん……これが同じ八葉で白虎の対の鷹通さんみたいに前から自分に厳しく

 て真面目な人なら、私も心配しないんだけど、友雅さんだから……。何だか、

 いつものゆとりがないみたいで」

  あかねの憂い顔が、ひどく大人びて見えて、イノリは胸が騒いだ。

  こういう顔をさせる相手をねたんでしまいそうだ。

 「お前が悩むことねぇよ!」

 「イノリくん……」

 「あいつは……あいつはな、そりゃ顔はいいし、力も身分もある大人かもしれ

 ないけど、女ったらしで実は無いし、内裏でだってお前が知らないのをいいこ

 とに、何やってるかなんてわかんねぇぞ。口だけはやたら上手いからな。お前、

 丸め込まれてるんだ」

 「え……でも」

 「そうなんだってば!」

  イノリは足下の落ち葉を蹴り飛ばしながら叫ぶと、がさっと大きな音を立て

 て色付いた枯れ葉が舞い上がった。

 「……そうだとしても……好きになっちゃったのは私だもの」

  あかねは、はっきりと言った。

 「例えば……浮気を許すな……って、みんなに言われたよね? だけど、心が

 動くことを許すも許さないもないでしょ? 心が動いてしまうのは止められな

 いって、私、いやってほど感じたから……ずっとダメだ、ダメだって思ってた

 んだよ」

 「ダメって何が?」

 「……友雅さんを本気で好きになったらダメだって」

  とんでもないことを平然と、あかねは言う。

 「家に帰って……京で龍神の神子をやったことは、夢の中のいい思い出にして

 ……それで済まそうと思ったんだけど、どんどん気持ちが傾いていって、もう

 止まらなかったの……」


  あかねは、早くも思い出になっているひとつ前の季節を思い出しているよう

 だった。

  気持ちが止められないのは、イノリも知っている。

  憎まなければならないはずの鬼に恋をしてしまった姉や、龍神の神子を想う

 自分。

  イノリは何も言えなくなる。


 「ありがとう、イノリくん。ごめんね」

  あかねが笑う。

  やはり友雅には、もったいないと、イノリは内心舌打ちした。

  わかっているのだ。本当は──。




  美しい紅葉の山。錦散り敷く道を歩いて、ふたりは目的の場所へついた。

  人も少ない山里の奥。燃えるような紅に染まる木々に囲まれた小さな庵を前

 にしてイノリは息を吐いた。

  秋の山を見てみたいと何気なく口にしたあかねを、ご機嫌伺いに出向いたイ

 ノリが、ここへ案内して来た。

  日はそろそろ西へ傾いて、空も茜色に染まり、木々の紅は夕陽を浴びてます

 ます美しく照り輝く。

  ざあっと木枯らしが吹き、はらはらと紅葉が散りかかってきた。

  イノリの頭にいくつかの照り葉が残る。

  紅葉の下で、あかねが軽くそれをはらい、最後にイノリの額をそっとかすめ

 るようになでた。

 「イノリくんの額にある龍の宝玉は……紅葉の色と同じくらい綺麗ね」

 「そ、そうか? 自分じゃ見えないからな」

 「綺麗な紅だよ」

  あかねに言われて、イノリは頬が熱くなるのを感じた。

 「風も出てきたから、ほら、中に入れよ」

  イノリはあかねの背を目の前の庵の方へ押した。

 「このお家に?」

 「案内して勝手に入って休んでろって言われてんだよ」

 「ええっ? 誰に……?」

  それを素直に言いたくないイノリだった。



  庵の軒先にも山に連なる紅葉がある。

  高欄のない庭の前の簀子に腰掛けた。

  目の前で夕陽がかげると今度は月が出て、月光に映える照り葉を、ぼんやり

 とながめていた。

 「こんなに木や空や水や……月も星もね、綺麗だなって思って、ゆっくり見た

 ことなかったなあ。私の育ったところでは」

  あかねがしみじみとした調子でつぶやいた。

 「葉が風に舞って落ちる音なんて聞いたことなかったもの」

  あかねがそう言って、目を閉じた時、庭先の紅葉の影から声がした。


 「──紅葉ばの雨と降るなる木の間よりあやなく月の影ぞもりくる──」

 
 「友雅さんっ?!」

  驚いたあかねが立ち上がる。

 「やぁ、案内ご苦労だったね、イノリ」

 「遅せぇよ」

  ふてくされた声でイノリが返事をすると友雅は悪びれずに笑った。

 「すまない……これでも勤勉にしていないと神子殿に嫌われてしまうのだよ」

 「と……友雅さん……?」

  あかねは面食らったままだ。土御門に帰らないとと言うあかねを、イノリ

 がかまわずに押しとどめていた理由はこれだったのか。

 「ここで休暇を過ごしたくて、そりゃあ身を粉にして働いてきたのだよ。

 ねえ、姫君。ごほうびを下さらないかな?」

 「友雅さん……じゃあイノリ君は……友雅さんが……」

 「そいつがオレに、今日、月が出る前までに、お前をここへ連れてきとけっ

 て言ったんだよ。土御門にいる他の八葉じゃあ内緒にできないから、まずい

 んだとさ」

 「どうして……」

 「真面目な働き者が君の好みだろう?」

 「そういうわけじゃないですよ」

 「おや。そうだったかい? ではイノリに聞いてみようか」

  友雅はざくざくと落ち葉を鳴らしてやって来ると、あかねの座る隣に並ん

 で腰をかけた。

 「私らしくもなくほんの少し無理をしたよ。……でも君の気を引くためなら

 何でもしたくなってしまうのだから、我ながら、どうしようもないと思うよ」

  友雅はあかねのすぐ耳元に口を寄せて話をする。

  そうするとあかねの頬が月明かりに紅葉に負けず赤くなるのが見える。

 「友雅さん……疲れてますか? だったら……」

 「少しばかりね。休ませてくれるかい?」

 「えっと……ええ……あ!」

  止める間もなく、友雅はふっと頭をあかねの膝に乗せてしまった。

 「友雅さん……」

 「暖かいね……眠ってしまいそうだ」

 「ありがとう、友雅さん」

  嬉しそうな笑顔と心からの感謝。

  それを得るためには、どんなことでもできるのだろう。

  互いが互いを想っている。

  ──わかっているのだ。幸せなら、それでいい。

  今は、それだけが願いだ。

  びっくりするくらい自分が優しい気持ちになっていることに、イノリは驚
 いていた。

  これもあかねに会ってからのことだった。


  膝の上で目を閉じた友雅の額のあたりを、あかねがゆっくりと撫でる。

  さらに散りかかる紅の葉。

  イノリの額の宝玉がじわりと熱くなる。

  絵のような秋の夕べを、自分が介入することで邪魔したくなくて、イノリ

 は、そのまま黙ってあかねに笑いかけてから、ゆっくりと庵を離れた。




  紅葉の降る音は雨のようでも、木々の間から漏れ出るのは輝く月明り。

  まるで幻のような、そんな晩のことだった。




                 【 終 】





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