憬文堂
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  約  束  

仲秋 憬





 鈴原むぎは、その日、朝から一人暮らしの家にいた。

 今年も取り残される夏になると思っていなかったので、少しばかりゆううつな気分だ。

 友人知人はみなバカンスや所用で日本に残っている人はほとんどいない。会いたい人は

ずっと遠く離れていて、いつ会えるとも知れない。

「お盆の準備、始めちゃおうかなー」

 わざと声に出して言うひとりごとのくせが、すっかり身に付いてしまった。

 去年の夏は行方不明の姉を探すために偽教師と家政婦なんぞをしていたおかげで、それ

どころではなかったが、今年は季節行事を気にする余裕もある。

「それとも課題……やっといた方がいいかな」

 本来の年齢にふさわしい学生でいることが、ほとんどできなかった一年を乗り越えて、

今年の春からはきちんと祥慶学園のjunior(高等部二学年)として学園生活を送っている。

夏期補講の予習もした方がいい。好きな人との倍の年の差を埋めるためにも勉強は必要だ。

 見せかけだけでなく、早く本当の大人になりたかった。

「今日くらいはお休みにしたって、いいと思うんだけどね」

 ようやく梅雨が明け、久しぶりのとてもいい天気だ。

 しなければならない家事を済ませたら、午後からは出かけよう。

「年に一度は自分にごほうびも悪くないよね、うん」


 そうむぎが決めた時、側に置いていた携帯電話からメロディーが鳴り響いた。

 最近ずっと聞いてなかったその着信音に、むぎは飛び上がる。

「一哉くん?! まさかアメリカから?」

 元雇い主からの突然の電話は、むぎを驚かせるのに十分だった。

『日本だ、馬鹿』

 電話越しの声は確かに御堂一哉だった。

『ちょうど予定が空いた。時間があるなら出てこいよ』

「……いきなり何なの?」

『帰国した時、都合があえばメシくらいおごってやるって言ったろ。それよりお前、前期

の成績表、あれはなんだ。留年する気か』

「しっ……仕方ないじゃん! 偽教師だったり秘書だったりしたせいで1年の授業なんか

全然受けてないのに!」

『言い訳は直接聞いてやる。1時間後に銀座の御堂ホテルのロビーだ。俺がお前の後見人

なのを忘れるな』

「……わかってるよ。忙しいのに、わざわざありがとね」

『遅れるなよ』

 一哉は最後に一声念押しして、むぎが反応する前に電話を切ってしまった。

「もう……強引なんだから」

 銀座なんて、めったに行かないところへ出かけるのは少々気後れするが、思えば一哉と

知り合って入れてもらった祥慶学園の方がよほどむぎの知る日常とは別世界の空間だった。

その学園で生徒として過ごすのにも、ようやく慣れた。

 むぎは、どこへ行っても、むぎだ。

 ホテルで待ち合わせというのも慣れないが、御堂グループ次期総帥でもある元雇い主の

後見人の指定なら仕方がない。むぎは少し背伸びした夏のワンピースを着て、それなりに

おめかしをすると、急いで一哉との待ち合わせ先に向かった。





 吹き抜けの高い天井と明るいテラスが自慢のホテルのロビーへ到着すると、そう人の多

くない真昼のロビーで、一哉はすでにむぎを待っていた。むぎが急ぎ足で彼の座っている

椅子の前まで来ると、彼は微動だにせず口を開いた。

「遅い」

「……久しぶりに会って開口一番が、それ? あのねぇ、あたしにだって色々予定はある

んだよ。いきなり呼び出されたって、支度してここまで出てくるの、大変なんだからね」

「元気そうじゃないか」

「まあね。一哉くんも変わらないね」

 クールビズのご時世でも、一分の隙もなくきっちりネクタイをしめた涼しげな風合いの

サマースーツ姿の一哉をながめて、むぎは思わず笑ってしまった。

「卒業して半年も経ってないのに、そうそう変わるわけもないだろ」

「そっか……」

 しかし去年の今頃は、その半年足らずで、むぎの環境はめまぐるしく変わったものなの

だが。

「アメリカでも忙しい?」

「やり甲斐はあるぜ」

「ふーん。日本には、どれくらいいるの?」

「一週間だ。それより出るぞ」

「ああ、食事おごってくれるんだよね。どこ行くの? ちょっと半端な時間だけど……」

「その前に寄るところがある」

「へっ?」

 一哉はおもむろに立ち上がると、有無を言わせず、むぎをホテルから連れ出した。




 車に乗ることもなく5分ほど歩いて一哉が入ったのは、むぎがそれまで一度も足を踏み

入れたことのないところだった。

 店で何かを選ぶのに靴を脱いで座敷に上がり、お茶と冷たい和菓子まで出されて、自分

は一歩も動くことなく、目の前に次から次へと見切れないほどのものが運び込まれてくる

なんて生まれて初めての経験だ。

「ちょっと一哉くん……」

「今年の正月に初詣に行った時、振袖買ってやるって言っただろう。来年着るなら、今、

仕立てを頼んでおいた方が安心だ。俺もまたいつ日本に来られるかわからないし」

「え……いやその、だって、こんな……さ」

 もし本当に着物を買うにしても、御堂系列のデパートか何かで、簡単に選ぶと思ってい

たのだ。都会の一等地にある老舗の呉服屋なんて、むぎの想像できる場所ではなかった。

「お前の振袖の見立てをしたがってた松川さんには悪いが、金を出すのは俺だしな」

「いや、そうじゃなくて」

「お嬢様は色白でいらっしゃいますから、はっきりした赤いお着物も、柔らかいお色も、

どちらもよくお似合いでございますね。こちらの京友禅は襟まわりの薄紅からすその深紅

までぼかした地色の染めがよく出たものですが、いかがでしょう。染め疋田や金箔で場を

取って、丸文や草花をたくさん散らしておりますが、決して派手すぎず不思議と清楚でご

ざいましょう? 桃山調とでもいいましょうか。お袖に出る模様も見事なものでね。ここ

までの出来映えのものは、なかなかあるものじゃございませんよ」

 粋な渋い絽の着物に羽織姿のまるで時代劇に出てきそうな初老の店主らしき人が、反物

をひろげて、座敷に立たせたむぎの肩から着物の襟をあわせるようにしてかけてみせる。

一哉はあちこち仮止めした布を身にまとうむぎを前にして、仕立て上がった振袖姿を想像

するように目を細めた。

「やはり最近のモダンなものより古典柄がいいな」

「二枚目三枚目なら遊び心のある現代風もよろしいですが、初めてのお振袖なら、品と格

のあるこれくらいのものをお奨めいたしますよ。よくお似合いです。……もちろんお好み

もございますから、お気に入られたものが何よりですけれどね」

「お前はどれがいい? 黙ってないで意見を言えよ。着るのはお前なんだから好きなのを

選んでいいんだぜ」

「えぇ? えっと……黒とか緑とか、あんまり濃いきつい色じゃなくて……、あと車とか

扇みたいな道具の模様より、花や草の自然な植物模様の方が……いい……かな…………」

 ごまかしを許さない一哉の態度に圧倒されて、引きつった笑顔のまま、おずおずとむぎ

が好みを言うと、一哉は満足そうにうなずいた。

「なるほどな。じゃあやはり、このあたりか。さっきの萌葱に手鞠模様や、白地に雪輪の

花模様も捨てがたいが、振袖なんだから華やかさは欲しい」

「帯次第で、ぐっと雰囲気は変わりますよ。着物が柔らかい色なら帯は濃い色を使ったも

ので……ああ、こちらの緞子は先週仕入れたばかりの、京の職人が三年かけたものでござ

いますよ。もうすっかり数を作らなくなってしまったので、なかなか店へ出せずに私ども

も難儀しているんですよ。文様は名物写しで、ほんの少し地に入った黒が効いております

でしょう? 袋帯にお仕立てしますよ」

「ふん……悪くないな」

「この帯ですと帯揚げは絞りの赤か若竹で、帯締めは若竹に金銀を組んだこちらなど合わ

せますと……重ね襟は蘇芳がよろしゅうございますね。半襟に刺繍襟を合わせてもお可愛

らしいですよ。あまりごてごてしていない、小菊か桜模様などはいかがです?」

 取っ替え引っ替え合わせられる豪奢な品々に、むぎはもうパニック状態だ。

「このお振袖なら、合わせてお仕立てする長襦袢はぼかしの入ったこちらか、絞りでも」

「ああ、絞りの方がいいな。その鹿の子の総絞りでいいだろう」

「ありがとうございます。では、こちらをご用意いたしましょう」

「お前、どうせ何も持ってないんだろ? とにかくすぐ着られるように足袋も肌着も、一

通り全部そろえてくれればいい」

「かしこまりました。お草履とバッグも共布でお作りできますが……」

「そうしてくれ」

「一哉くんてば!」

 ぼんやりとされるままでいる間に次々と事が決まっていく。側に控えていた女性の店員

に裄丈や足のサイズを採寸されながら、むぎは、ようやく声を張り上げた。

 恐ろしいことに、さっきから広げられている反物や帯布には値札が一切ついていないの

だ。店員も一哉も、金額のことは端から気にする様子がない。

 あまり考えたくはないが、むぎが着物の値段として許容できる価格を大幅に上回ってい

ることは間違いないだろう。

「なんだよ、騒ぐと寸法が測りにくいんじゃないのか」

「こんなすごい振袖、ただで買ってもらっても困るよ。あたし……」

「お前が気にするほどのものじゃない。恩に着せたりしないから、よけいな心配するな」

「……すごく嘘っぽいんだけど」

「俺と松川さんの卒業式のプロムの時だってドレス買ってやったろ。あれと同じだ。お前

には、こっちも世話になってたんだから堂々と受け取ればいい。お前はある意味、御堂の

恩人だから正統な報酬だ」

「あたし、役に立ってた?」

「二人といない使い勝手のいい家政婦だったぜ。おかげで最近は不自由してる」

「……そっか……」

 採寸を終わらせ、むぎがほっと息をついたところで、初老の店員が一哉に声をかけた。

「お届けは、いかがいたしましょう。今からですと、ひと月半ほどちょうだいすれば仕上

がるかと」

「ああ、着るのは袷の季節になってからだから急がなくて構わない。十月くらいまでに…

…おい、届けるのはお前の自宅でいいな?」

「えっ? あ……うん……大丈夫……」

「じゃあ自分で書いた方がいいだろ」

「お願いいたします」

 むぎは差し出された用紙に、うながされるまま、名前や住所などの連絡先を書き込んだ。

 普通、こういったものには購入した品と価格が書き込まれそうなものなのに、むぎに差

し出された紙には購入明細などはついていなかった。

「ありがとうございました。お直しやお手入れも承りますので、ぜひ末長くごひいきに」

 深々と頭を下げる男に、むぎは面食らう。


「ああ、それとは別に仕立て上がりの浴衣はあるか?」

「季節物ですから、もちろんいくらかは。浴衣ならお仕立ても早いですよ」

「いや今着るものだから反物は、いい。それほど規格はずれの体型じゃないから有り物で

なんとかなるだろう」

「一哉くん?」

 むぎの困惑が、一哉を面白がらせているらしく、彼は人の悪さを隠さない笑顔を見せた。 

「せっかく買い物に来たのに手ぶらで帰るんじゃつまらないだろ」

「何考えてんのよ! そんなの……」

 うろたえるむぎをよそに、一哉の言葉で呉服屋の男が合図すると、さっきまで見ていた

振袖やら小物やらを片づけていた女性店員が、ようやく片づいた座敷に今度は次々と浴衣

を出してくる。

「どのような柄がよろしゅうございますか? 近頃は白地でも多色使いのものが人気がご

ざいますよ」

 朝顔や紫陽花、とんぼ、ほおずき、金魚、秋草、観世水に大きな格子模様、さっきまで

の色鮮やかで豪奢な振袖と違って、軽く涼やかな白地や藍の夏浴衣を目移りするほど並べ

られる。

「……きれいな青……」

 むぎが思わず手に取った浴衣を見て、店の男がすかさず手を叩く。

「おや、お目が高い。この正藍は今年の新柄ですよ。普通、浴衣は表裏同柄なんですがね、

これは、ほら、表はかわいらしい千鳥で、裏は……」

「わぁ波模様!」

「そうなんです。めずらしいでしょう? 反物から仕立てをお受けする時は、どちらでも

お好きな方を表地にできるんですよ。これは男女どちらでもお召しいただける品ですね」

「へえ……面白いな」

 一哉も思わず乗り出し、むぎと一緒に手にとってその浴衣を見た。

「これは女性向けで千鳥を表にしておりますが、お召しになって歩かれるとお袖や裾の裏

地の波がちらちら見えて、そりゃあ粋なもんです。濃い藍地に白で細かく総模様の波です

からね」

「お前には、ちょっと地味か? 白地に朝顔とか、とんぼの方が……」

「帯に赤いのを合わせれば、タヅナに千鳥もかわいらしいですよ。どうです?」

 横から、さっと赤い半幅帯をつけてみると、確かに地味な印象はない。

「気に入ったなら着てみろよ」

「え? だって」

「……着せてもらえるか? 帯は今のそれでいい」

「ちょうど寸法もよさそうですね。では、あちらで」

「えーっ! 待って、ねえ、ちょっと!」

 女性店員に軽く背を押されて、むぎはあたふたと一哉を振り返る。

「俺が見たいんだよ。いいから着てこい」

 この場の主人は紛れもなく一哉で、むぎは抵抗できずに、隣の小間で店の女性に浴衣を

手早く着せつけられた。



「ああ、似合うじゃないか」

 真新しい糊のきいた千鳥の浴衣姿になったむぎが広い座敷に戻ってくると、思いがけな

い一哉の姿があった。

「一哉くん……そのカッコ……!」

「浴衣のお前を連れて行くのに、俺がスーツじゃ決まらないだろ」

 なんと一哉は、むぎが着たゆかたと同じ生地で波模様を表にした男物の浴衣を着ていた

のだ。

「連れてくって……、それじゃここから浴衣で行くの?」

「文句あるのか?」

「……文句……は……ないけど……」

 濃い藍に白い波のうねる浴衣は、確かに一哉に素晴らしく似合っている。似合っている

のだが、一見そうは見えなくても、実はこれは隠れたおそろいの浴衣になるわけで、しか

も、ここで着替えて一緒に歩くというのは──。

「お若い美男美女にお召しいただけると、はりがありますねぇ。ありがとうございました」

「世話になった。また祖母が面倒をかけるかもしれないが」

「いえ、御堂百貨店創業からのごひいきに、こちらこそなかなか行き届きませんで失礼を」

「デパートの店舗も繁盛しているようで何よりだ。支店を増やさないのは惜しいが、伝統

を守るには、それもいいんだろうな」

「おかげさまでつつがなく商いさせていただいております。御堂の大旦那様にも、どうぞ

よしなにお伝え下さいまし」

 一哉と店主の大人の挨拶に、むぎが口を挟む間もなく、着てきたワンピースやスーツは、

ひとまとめの持ち帰りの荷物として持たされて、浴衣に下駄の姿で店の前で待っていた車

に押し込まれ、店員総出で見送られた。




 一哉の社用車らしい運転手付きの車の後部座席に並んで座り、どこへ向かっているのか

もわからないまま、むぎは途方に暮れる。

「なんで、こんなコトに……」

「たまになんだから、大人しくつきあえよ」

「あんなすごいところで死ぬほど高い振袖や浴衣を買ってもらうなんて知ってたら、こん

な風に会いに来なかったよ!」

「大げさな奴だな。別に大したことじゃない」

「一哉くんには大したことじゃないかもしれないけどね。あたしには違うの! 意味なく

何でもありがたがってほいほい物をもらうわけにはいかないでしょ!」

「意味はあるぜ。でなきゃお前が喜んで受け取らないのはわかってたさ。……俺の自己満

足だと言うなら、それも仕方がないけどな」

「こんなに素敵なの嬉しくないわけじゃないよ。でも……ありがとうって、ただでもらう

のには限度ってものがさ……」

「……物で釣れるなんて思ってねぇよ」

「え? 今なんて言った?」

「いや……ああ、着いたな。この先はもう交通規制か。降りるぞ」

「……? ……うん……?」



 着替えた荷物は車に置いたまま、一哉にうながされ、浴衣姿で車から道に降りてみると、

周囲には、同じように浴衣姿の人がちらほらと目立っていた。

「あれ……ここ……」

「花火大会。一緒に見に行ってやるって去年の夏、約束したろ?」

「……一哉くん…………」

 むぎは驚いて立ち止まり、呆然と横に並び立つ一哉の顔を見上げる。

 先を急ぐ子供が、小走りで追い抜く拍子にむぎにぶつかって、慣れない下駄でよろける

むぎに、一哉は、笑って手を差し出した。

「……ほら、手貸せよ」



 去年も似たようなことがあった。

 同居人も親友も、夏休みはみんな海外に出かけてしまい、むぎはひとりで留守番だった。

 自分へのプレゼントを買うために町へ出た時、急な仕事のトラブルで一時的に帰国して

いた一哉と偶然会ったのだ。

 その時も、食事をおごってくれると言って、手をつないで街を歩いた。

 来年の夏休みは日本にいてやる、一緒に花火を見に行こうと言ってくれたのだ。


「お前が望むなら、いるよ。約束する」


 あれから、色んなことがあった。

 一哉たちの手助けで行方不明の姉と再会し、祥慶学園を巻き込む陰謀を解決した。

 祥慶学園に編入もできて、ようやく落ち着いたと思ったら、一哉が命を狙われて。

 今度は自分が力になりたくて、また御堂家の家政婦となり、新しい理事長の秘書になり。

 大怪我をした一哉は、それでも敵の思惑に屈することなく、とうとう相手を追い詰め、

勝利したのだ。

 思えば、最後に敵側の重要人物でもあった東條理事長の心の動きを読み取り、罪をあが

なえるようにしたのも一哉だった。

 むぎが理事長を好きになったと告げた時も驚きながらもできるだけのことをしてくれた。

 祥慶学園を卒業してすぐに、御堂を継ぐ者として実績作りも兼ねてアメリカに旅立った

一哉。

 その彼が去年と変わらず、今、こうしている事が、とても不思議だ。



「誕生日おめでとう」

「おぼえて……たんだ」

「俺の記憶力をなめるなよ」

「……でも一哉くん事故の後、忘れちゃってるコトも多かったじゃん! 自分で言ってた

でしょ? あたしが色々聞いたときだって……」

「俺にとって、どうでもいいことは意図的に記憶から排除するようにしてるだけだ。三歩

歩いたら何でも忘れる鳥頭のお前と一緒にするな」

「なんですってぇ!」

「そう怒るなよ。せっかくかわいい格好してるのに」

「!!!」

 突然の甘ったるい言葉に、むぎは絶句する。

「いろいろ買ってやったのは誕生日プレゼントだ。それなら、いいだろ? ……俺は約束

は守る」

 そう言った一哉の笑顔が、あんまり優しそうだったので、むぎはそれ以上、抵抗できな

かった。

「花火を見てからメシを食おうぜ。この格好だから和食だが、誕生日ケーキくらいは用意

してると思うぞ」

「ホント?」

「ああ、たぶんな」

「ありがとう!」

「どういたしまして。その調子で今後は何事も注意深く考える癖をつけて、短慮で忘れっ

ぽくて突っ走る性格を直してほしいものだな」

「……どういう意味よ」

「後見人としてのアドバイスだ」

「大きなお世話ですー。あたしだって、ちゃんと真面目に一人暮らしで頑張ってるもん。

自分の身の回りもろくに片づけられない一哉くんとは違うんですからね」

「俺はいいんだ。片づけるのが仕事じゃないんだから」

「へーえ、あたしが家政婦になる前は、どうでしたっけね」

「だから雇ってやったんだろ。忘れてるのは、お前だ」

「そんなコトないもん!」

「そんなことあるだろ!」



 手をつないで歩き、道すがら交わす他愛ないおしゃべりがくれる幸福感を、むぎは思い

出した。

 カランカランと下駄が鳴るたびに、二人の間で新しい浴衣の袖の波が揺れる。

 未来の約束は怖いものじゃない。一哉がそれを証明してみせてくれたから。


 まだ会えない人とも、いつか、きっと。



 夜空に上がる大輪の花火も、十七になるむぎを祝ってくれたようだった。





       


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