憬文堂
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 入籍したい男 

仲秋 憬






 旧財閥系の巨大企業、御堂グループの御曹司で、高校生にしてすでに六つの会社の社長

でもある御堂一哉。

 頭脳明晰、容姿端麗、天から二物も三物も与えられている若きカリスマにも、どんなに

望んでも不可能なことがあった。

 たった十五の鈴原むぎを、昼は名門私立学園の臨時採用美術教師、夜は御堂邸の家政婦

にすることが可能な男でも、さすがに日本国の現行の法律を今すぐ変えることはできない。



「女は十六で可能なのに、なぜ男は十八なんだ。これは男女差別にならないか」

 御堂家のリビングで不機嫌そうにつぶやく一哉に、向かいの椅子に座ってテレビをなが

めていた同居人の松川依織が反応した。

「それだって保護者が許さなければ二十歳までは無理だよ」

 しかし、むぎの血縁は姉一人。その姉も恋人を追って遠いイギリスの空の下だ。

 反対するわけはないし、させないので問題はない。


 七月生まれのむぎは、すでに十六。一哉は、十七。

 認めたくはないが、やはり障害なのは一哉自身の年齢か。

 その事実が、どうにも彼をいらだたせる。


 依織はリモコンでテレビを消すと、一哉に向き直った。

「僕は二十歳だから今すぐできるよ。むぎちゃんが僕を選んでくれていたら、何ものにも

邪魔はさせないのにね」

 柔和に微笑む依織に眉をひそめる一哉。

「松川さんは、年がいくつだろうと、実家が黙っていないのでは?」

 歌舞伎役者としての復帰を決意し修行を再開している依織は年齢よりもまず家庭事情が

特殊過ぎる。

「家を気にするなら一哉のところの方が半端じゃないだろうに。世界の御堂の跡継ぎと、

役者風情じゃ、背負うものが違うよ」

「俺が選んだ相手に、親も祖父母も反対はしないさ」

 今更、政略結婚を必要とする御堂家ではなし、自分たちも恋愛優先の結婚、再婚をして

いるのだから、むしろ同類だ。

 面白がって一人息子、孫の嫁をおもちゃにする危険性はあったが、すでに生活を分けて

いるのだ。いくらでも防ぎようはある。

「そうなのかい? それはそれで、いささか心配だけれど」


 依織の懸念は全くの見当違いでもない。

 御堂一哉の最愛の伴侶となれば、むぎを取り巻く環境が一気に変わってしまう可能性は

大いにある。

 彼女がそれを負担に感じるかもしれない。

 御堂の家がただの金持ちでないことは確かな事実だ。

 でも、すでにむぎと一哉は離れられなくなってしまったのだから、それも仕方のない事

なのだ。

 むぎは、一哉が背負う御堂という巨大な背景をすっぱり切り離して一人の個人としての

彼だけを見つめることができる、この世でただ一人の女だ。


 御堂一哉は本気で鈴原むぎを自分の嫁にするつもりだった。






 とりあえず婚約をしてしまう。

 早すぎるとか準備が足りないなどと、周囲にごねさせるつもりはない。

 他でもない御堂一哉が望んでいるのだ。準備など三日もあれば充分だ。

 できれば結納も全部正式にして、一気に仮祝言まで持って行こうとしたのだが、それを

全力で阻止された。


 あろうことか、婚約者たる、むぎ本人に。


「あたし、まだ学生だよ? 高校一年なんだよ? それに一哉くんだって……何もこんな

早く棺桶に片足つっこむような真似をしなくても」

 人生の墓場? 結構なことだ。どうせ死んでも放すつもりはない。

 早いところ一緒に入る棺桶を確保してふたりっきりで籠もれるなら、むしろ好都合。

 願ったり叶ったりだ。

 そう言ってやったら、むぎは、なんと常識外れな、という顔をして一哉を見た。

 常識外れなのは、むぎの方だろう。

 普通、相思相愛の恋人にプロポーズされた女が『結婚は人生の墓場』とか持ち出すか?

 馬鹿。

「俺はお前と結婚すると決めている。一刻も早く一緒になりたいのに、お前はそうじゃな

いのか」

「そんなわけ……ないけど、でも」

「でもじゃない」

「だって」

「だってもない」

 一哉の有無を言わせない態度にむぎが切れた。

「もぉーっ!! そういうことじゃないでしょ! 常識で考えてよ! そりゃあたしだって

いつかは結婚したいなって想像したりするけどね。あたし達、事件のどさくさでつきあい

始めて、まだデートだってそんなにしてないし、恥ずかしいけど……あたし、こういうの

は一哉くんが初めてで、はっ……は、初恋なんだからねっ! もっと愛を育てるとか、心

の準備とか、そういうのあるでしょ!! 一哉くんのバカっ!」

 沸騰したむぎは言いたいだけ叫ぶと、自分の部屋に駆け込み、鍵をかけて閉じこもって

しまった。


 馬鹿はお互い様だ。

 やってることは変わらなくても、名実共に一緒にいる誓いを立てられるなら早く結婚し

た方がいいじゃないかと一哉は思う。


 しかし、むぎはまだ初心なんだから、仕方ないか。

 これからは一哉が手取り足取り全部教えてやればいい。

 むぎには一哉の本気がどれほどのものか、知る義務があるのだ。

 だいたいこの御堂邸の中で、むぎが家主の一哉から完全に逃れる場所などない。



 廊下に出ると、同居人の一宮瀬伊が立っていて、一哉の顔をにやにやとながめてくる。

「一哉ったら、その顔、すけべったらしいエロ親父みたいだよ。ディアデームも台無し」

 むぎと一哉のやりとりを廊下で立ち聞きしていたらしい瀬伊のからかいなど、恋の勝者

である一哉は気にしない。

「余計なお世話だ。そう言うお前は、ずいぶん物欲しそうだな、一宮。でも、むぎは渡さ

ないから」

「ふーん。ま、せいぜいむぎちゃんに愛想をつかされないようにしなよ。あんまり嫉妬深

い男は嫌われるからね〜」

 負け犬の遠吠えだ。放っておけ、御堂一哉。

 むぎとの結婚が決まったら、まず最初にこの家から一宮を追い出そうと、この時、一哉

は心に誓ったものである。






 一哉の誕生日は二月十八日。

 鬼が笑う来年の話だ。あと三ヶ月半もある。

 誰かにむぎをさらわれやしないかと不安にさいなまれる夜を、まだあと百夜以上も過ご

さねばならないのだ。

 これほど愛しているむぎを、確かに自分の妻にするのに、そんなに待たなくてはいけな

いのか。

 二月だなんて、まるで永遠の時の彼方にあるようだ。

 なぜ自分は早生まれなのかと、両親を恨めしく思う。

 法定年齢さえクリアしていれば、今すぐ役所に駆け込んで、その場で婚姻届を出してや

るのに。



「結婚したから安心ってわけじゃないと思うけれどね。毎日の生活を二人で続ける現実が

大事だろう。恋愛は一時、気持ちが盛り上がるだけでもできるけれど、結婚は生活だよ。

婚姻なんて実際は紙切れ一枚のことだ。人の心は、それだけじゃ縛れない」

 依織の言葉には重みがあったが、一哉は首を横に振る。 

「別にそれがすべてという訳じゃない。そんなのは俺だってわかってるさ。ただ、ずっと

一緒にいることを世間的に認めさせて、誰にも文句を言わせたくないんだ。俺の隣はあい

つしかいないんだってな。それに生活なら、むぎは家政婦で最初から同居してる。その上

で心も体も、あいつ無しじゃ生きられないと思い知ったから求婚してるんだ。日常生活で

の幻滅なんてあり得ないな」

「……一哉は幸せ者だね」

 依織が半ば呆れたようにつぶやく。

「自分でも、そう思うぜ」

 ねたまれたって本当なのだから仕方がない。





 一哉は時々恐ろしくなる。確かに自分は恵まれている。何という僥倖。

 むぎとの出会いは、ほんの偶然だった。

 祥慶学園の前で犬に追いかけられていた、ひどく威勢のいい場違いな子供っぽい少女が

目に付いた。

 手を差しのべたのは、退屈しのぎの気まぐれからだ。


 お金でも、自分の能力でも、何をもってしても動かし難く、一哉を翻弄し、かきたてる。

 一哉の人生において、こんなにもどかしい気持ちを突きつけてきた存在は他にない。

 他人のことで胸がつぶれそうに痛んだり、息もできなくなるほど切なくなったり、ふと

向けられた好意に喜びで気が変になりそうになったり。

 喪失の恐怖に心臓が凍るような思いをしたかと思えば、激しい所有欲で全身の血が沸騰

しそうにもなった。

 これまで常に冷静沈着で感情を揺さぶられた事のなかった一哉は、生まれて初めて自分

が恋に落ちたことを知ったのだ。


 思えば出会った最初から、一哉にとってむぎは特別な存在だった。

 ほんの気まぐれのつもりだったのに、いつの間にかとらわれて。

 たぶん運命だったのだろう。

 しかし、この運命の女神を引き寄せてつかみ取ったのは一哉自身だ。

 だから絶対に放さない。

 むぎは一哉のものなのだ。

 御堂一哉の心を根こそぎ持っていったのだから、相応の覚悟はしてもらう。







「むぎ、いるんだろう? コーヒー。俺の部屋まで十五分以内で」

 自室で仕事に戻った一哉は、自分の机からむぎの携帯に電話で指示をする。

 これは雇い主としての命令だから、家政婦モードのむぎは、すぐさま了解する。


「一哉くん、おまたせ」

 きっかり十五分で、扉はノックされ、むぎが淹れたてのコーヒーを運んできた。

 相も変わらずピンクの割烹着姿で御堂邸をきりもりしている家政婦は、有能さに磨きを

かけている。

 仕事と私生活を切り離して遂行するのが有能な社会人だが、家政婦というのはその日常

生活、私生活を支える仕事だから、よほど気をつけなければ難しい。その困難に、むぎは

よく立ち向かっている。むしろそれを邪魔しているのは、雇い主の方である。

 一哉もそれがわからなくはないのだが、むぎを前にすると理性よりも感情が先に立つ。


「どうしたの? コーヒーさめちゃうよ?」

 出されたコーヒーに口を付けず見つめてくる一哉に不思議そうな顔をするむぎの、その

仕草すべてが愛しい。

「もちろん飲むさ。ご苦労だったな」

 だが、一哉はコーヒーカップではなく、自分の横に立っていたむぎが手にしていた丸盆

を取り上げ脇へ置くと、左手でむぎの右手を取り、自分の頬に押しあてて感触を楽しんだ。

 むぎの手のぬくもりをそっと味わっているだけで、唇を奪うでもなく抱きしめたわけで

もないのに、それはひどく官能的な感じがする。

 突然の一哉の行動に、むぎは物も言えず、みるみる頬を紅潮させていく。

 一哉がそのままむぎの暖かい手を自分の唇の上まですべらせて押さえると、彼女は耳ま

で真っ赤になった。

 取られたその手をもぎ離し何とか距離を取ろうとしても、男の力には逆らえないだろう。

 逃がしはしない。

「か、一哉くんっ、ななななな何を」

「約束違反はしてないぜ」


 頼むから家政婦の仕事中にキスしたり押し倒したりしないでほしいと、泣きそうな顔で

請われたので、これくらいで勘弁してやっているのだ。

 そもそも、むぎの身体で一哉が触れたことのないところなど、すでにありはしないのに、

この程度の接触で無垢な反応を返す彼女がおかしかった。

 そんなところも、たまらなく愛しい。

 あんな口約束、その場で却下してもよかったが、真面目でひたむきなのは、むぎの好ま

しい美徳だし、頼み込んで来た時の表情がすこぶる可愛らしかったので、とりあえず承諾

してやったのだ。

 約束を破らなくても、こうしてむぎを感じる術は色々とある。

 それでも耐えられない時は、共犯者にならざるを得ない状況を作ればいい。

 一哉にとって、別段、難しいことじゃない。


「一哉くん、お願い」

「もっとか?」

「そうじゃないってば! ねぇ、放して。あたしお仕事しなきゃ! 洗濯が途中なの」

 必死の表情は見ていて飽きない。

 しかし、むぎの心意気は尊重しなければいけないだろう。

 一哉はただ一方的にむぎを愛玩したいわけじゃないのだ。


 愛して……愛されたい。そう思える唯一の存在。


 大きく息をはいて、いつもより低い抑揚のない声でつぶやいた。

「いいさ、猶予をやるよ。だが覚えておけ。俺は欲しいものは必ず手に入れる。俺が十八

になる日が来たら……もう待ったなしで容赦しないからな」

 一日千秋。一哉が待ちくたびれて気が狂わないことを祈っておくといい。

 むぎがとまどった顔でおずおずと尋ねてきた。

「あのさ……待ってるのって、一哉くんじゃないの? ほんとは、あたしが待たせてる?」

「バーカ」

 一哉はむぎの手をつかんでいない右手で、彼女の額を軽くこづいた。

「ずっと一緒にいると決めただろう? なら二人で、だ」

 そう告げて瞳をのぞきこんでやると、むぎがふわりと笑顔になった。

「……そっか。そうだね。……よかった」

 可愛い。

 ここで抱き寄せて唇を合わせたら、情欲に歯止めが利かなくなるのがわかっていたので、

なんとかやり過ごす。

「その時が来れば現状と形式を合わせて真実にする。誰にも邪魔はさせないぜ」

「ほんと強引」

「……嫌いになったか?」

「ううん。……好き……だよ…………大好き……」

 不用意にこういう事を言うから、油断がならないのだ。

 それまでの状況判断を見事に吹き飛ばして、なだれこもうとする自分がいる。

 これ以上は、まずい。

 ここでまたむぎを怒らせるのは得策でないと、かきあつめた理性で無理矢理、自分を納得

させる。


 本当に、一哉でなければ、誰が耐えられる? むぎの無意識の誘惑は最強だ。


 一哉はむぎの白い指先を口に含んで軽く甘噛みしてから、ゆっくりと彼女の手を解放した。

「…………仕事が終わったら続きをする。わかってるな?」

 耳元でささやいた途端、むぎは一哉の側から飛び上がって後ずさりし、大声を上げた。

「一哉くんのエッチ! すけべっ! 淫乱魔神!」

「ほーう。ご主人様に言うじゃないか。ま……そうかもしれないな」

「そうかもしれないじゃないよ! 明らかにそうでしょ! えっちでしょ!!」

「じゃあ、それにつきあうお前も同じ気持ちにしてやろう」

 夜が待ちきれないなと一哉が笑ってみせると、むぎは潤んだ瞳に赤い顔のまま「もう知ら

ないっ!」と叫んで一哉の部屋を飛び出して行く。



「バカだな。忘れてやがる」

 一哉は小さく笑って、机の脇に残された丸い盆を、コンとはじいた。

 気が付けば、そのうち取りに戻るだろう。どんな顔をして部屋に入ってくるか見物だ。


 入籍可能になる日を待つ身の三ヶ月半で、現状を理想に近づけてやる。


 一哉は、誰にも邪魔されない恋人との夜を確保するため、コーヒーを飲んで目の前の仕事

に取りかかった。







      


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