「バレンタインは僕以外にチョコあげたら絶交だからね!
義理だって絶対ダメだよ」
しかし今年は、そう言っていた瀬伊本人が演奏旅行中なんてあんまりだ。
仕方ないとわかっていても、少しさびしいむぎだったが、瀬伊には平気な顔をした。
もしむぎが渋ると、せっかく引き受けた仕事も断りかねない。
どんなに優秀な音楽家でも、クラシック界は、そんなにもうかる世界じゃないのだ。
不本意な仕事を受ける必要はないが、やり甲斐のあるいい仕事をキャンセルさせる
わけにはいかない。
今頃、雪の北海道で、瀬伊はピアノを弾いているはず。
むぎはぼんやりと瀬伊のドレスシャツにアイロンをかける。
『大好きな彼女に、この曲を捧げます』
エアチェックを頼まれていたラジオの放送で、突然流れ出したのは、彼のピアノだった。
『恋に落ちると音が変わるって本当ですよ。僕も最近、初めて経験しました』
──ここのフレーズは、君にキスしてる気分で弾くよ──
ふいに蘇る彼の口癖。
「瀬伊くんったら『愛の喜び』なんて、できすぎだよ!」
何度も聞いて覚えた曲名に照れながら、むぎは彼の好物を作って帰りを待つ。
むぎの好物のチョコレートは、きっと瀬伊がおみやげにたくさん買って来るから。
|