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 Kitchen Princess 
with Prince Iori




夜中にキッチンで僕は君に話しかけたかった



「……むぎちゃん」


「あ……依織くん……どうしたの?」


「それは僕のセリフだよ。こんな真夜中の台所で、寝間着のまま、明かりも

つけないで」


「や、ここの方が落ち着くっていうか、あはは」


「眠れないのかい?」


「依織くんも?」


「のどが乾いてね」


「あたしも。……あ、なにか飲む? 冷蔵庫に麦茶が……」


「ああ、君は動かないで」


 依織はガスコンロのそばにあったやかんに、浄水を入れて火にかけた。


 カーテンのかかっていない磨りガラスの窓から外灯の明かりが入ってくる

だけの台所でガスの青い火がゆらめく。


 ふたりはだまって、やかんの火をながめていた。


 しゅんしゅんとお湯が沸きかける音がし始める前に、依織は食器棚の一番

手前にあったスープカップをひとつ取り出して、やかんの湯をそそぎ、一度

捨ててから、もう一度そそいだ。


「よかったら飲んで」


 むぎは、両手で受け取ったカップに、ふうっと冷ますように息をふきかけ

てから、そろそろと温かい湯を飲んだ。


「ごちそうさま。おいしかった」


「ただの白湯だよ」


 依織は小さく笑って、むぎがから受け取ったカップにもう一度湯を入れて

軽くすすいでから、同じカップで湯を飲んだ。


 むぎはその間、黙ってじっと依織を見ていた。


 湯を飲み干したカップを流しに置いて、依織は小さな脚立に座るむぎに

向き直った。


 暗がりに慣れた目に、むぎの瞳だけが光っていた。


「ここは、あったかいよね」


「そうだね」


「……あのね、これって、ないしょね」


「もちろんだよ。僕たちふたりだけの秘密だ」


「ありがとう」


 安心して微笑み合うと、遠ざかっていた睡魔も、またそろりと訪れて

来てくれそうだった。






● フルキス・ショートショートへ 


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