まだ学生のむぎと歌舞伎の修行を再開した依織が会えるのは、夜が多い。
明日は学校があるという日は遅くなり過ぎない時間に依織はむぎを家まで送る。
家の前まで来ると、必ずむぎは名残惜しげに空を見上げた。
「かさかぶってるみたいなお月さま。明日は雨かな……」
春の夜空にかすむ月明かりのはかなさは、二人を別れがたくする。
「ああ……まだ夜は肌寒いこともあるから、気をつけて……ね」
「大丈夫だよ。依織くん。心配してくれてありがとう」
「そんなにきっぱりされると、それはそれで気が揉めるのだけれど」
「えー? じゃあ、なんて言えばいいの?」
くすくすと楽しそうに笑うむぎといる時間を少しでも引き延ばしたい。
「はっきり輝く秋の月もいいけれど、ぼんやりしたやわらかい月光の方が
好ましいこともあるよ。特に僕のようなあやふやな男にはね」
「依織くんは、あやふやなんかじゃないよ」
「君がそう感じるならいいんだ。僕のよこしまな心が君を汚してはいけないから」
「依織くん! そういうコト言ってるとねえ」
「朧月夜にしくものぞなき──」
「それ古典でならったっけ?」
小首を傾げるむぎの頬を両手ではさんで間近に瞳をのぞきこむ。
月明かりにたたずむ少女は、いつものまぶしい幼さもかすんで見えた。
「本当はね、どんな時でも君といたいだけなんだ」
「あたしだって」
すべてがおぼろな世の中で、確かなぬくもりをくれる恋人を抱きしめる。
朧月の照らす夜も。そうでない夜も。
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