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 花あらし 





 むぎは以前、お金持ちなら自由にできることがたくさんあると思っていた。


「でも一哉くんって不自由だよね。いっつも忙しくてさ」


「時期にもよるし考え方にもよる。俺は別に仕事がすべてとは思ってないぜ」


 それはそうだろうが、誕生日やクリスマスのように前もって確実に予定を

組めるイベントはまだしも、花の見頃に合わせて唐突に休む暇はない人種だ。

 わがままを言うつもりはないけれど、昨夜の嵐ですっかり散った公園の桜を

思い、むぎは少しだけうらめしくなる。

 雨の覚悟もしていたけれど、すべて散ってしまってはどうしようもない。


「花見の心配してるなら無用だぞ」


 平然と言う一哉に、むぎは驚いた。


「なんでわかったの?」


「バーカ。お前の考えてることぐらい顔見ればわかるさ。桜といえば公園の

染井吉野しか知らないお前に教えてやるよ」


「ええっ?」


 予定された休日に一哉が連れてきたところは車で二時間ほどの郊外の里山だ。


「ここどこ……?」


「御堂が持ってる実験林。数の少ない貴重な桜の品種の収集もしてる。遅咲き

の桜だって色々あるぜ」


「びっくりした……」


 そこはむぎが初めて見る様々な桜の森だった。

 うす緑がかった桜や、甘く香る匂い桜に、紅のかった可憐な桜、赤い葉を

たずさえた山桜もまた今は盛りと満開だ。

 簡単に作られた舗装されていないうねる山の小道を花づたいに歩いた。


「ここは都心より少し花の季節が遅い。動けない花相手なら、こっちが動くさ。

それを可能にできるのも一種の自由だろ」


 自信のあふれる恋人の顔も、むぎは嫌いじゃない。


「……うん。連れてきてくれて、ありがとう。でも、無理して贅沢な体験が

したいわけじゃないから間違えないでね。一哉くんにも、どうにもならない

ことだってあるでしょ」


 ざあっと風が吹き、満開の花が散る。雪とみまごう薄紅の花吹雪の中で、

立ち止まった一哉はむぎを強く抱きしめた。


「そうだな。俺にとって一番、どうにもならないのは、お前だよ」


「えーっ」


「お前を失うのが怖いんだ。少しは理解してくれ」


「あたしが一哉くんのコト大好きなのもわかってくれなきゃ!」


 抱きしめられたむぎがぎゅっと抱き返して一哉を見上げると彼も微笑む。


「だったらしっかり、わからせろ」


 花吹雪がやんでもキスの嵐は去らなかった。







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