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 マスカット 





「ぶどうって面倒だよね……」


 二人きりだった食事の後、デザートに出したマスカットを見つめて瀬伊がつぶやく。

 あんまりな物言いにむぎは呆れる。


「面倒? なんで?」


「自分で房から取って皮を取って食べなきゃならないじゃない。種もあるし。みかん

とかも、そう。りんごやメロンなんかは大抵むいて切って出してもらえるからいいん

だけど」


「瀬伊くん、それはものぐさ過ぎるよ。味が嫌いなわけじゃないんでしょ?」


「味はね。果物は何でもわりと好きな方かなー」


「よくないなぁ。食べることみたいな生物として一番本能の行動が面倒なら、もう他

の何だって、やる気ない人になっちゃうんだから」


「おいしいものは好きだよ。メニューのリクエストだってしてるじゃない。めんどく

さいのが嫌いなだけ」


「そりゃピアニストの瀬伊くんが指を怪我でもしたら大変だし、りんごの皮むきなんて

させないけど……マスカット嫌いなの? こんなに、おいしいのに」


 むぎが目の前で、一粒食べてみせる。


「マスカットって瀬伊くんぽい感じだけどな」


「どこが?」


「うーん。何となく。色とか形とか妖精ぽくない?」


「君は僕のことを妖精だなんて思っちゃいないくせに。僕に言わせれば、マスカットは、

むしろ君みたいだよ」


「えぇーっ? どうして?」


「んー、ナ・イ・ショ」


 瀬伊は何かいたずらを思いついたように目を輝かせたが、むぎは気付かない。


「でもまぁ、君が食べてると、美味しそうに見えるね」


「ホントに、おいしいよ?」


「ふーん」


 急に身を乗り出してきた瀬伊に、今まさに二粒目を口に入れようとしていた、むぎは

たじろぐ。


「なっ何! 瀬伊くん、食べるなら、そっちに自分の分が……っ」


 あっというまにむぎから口移しに近い形で奪ったエメラルド色のマスカットを、瀬伊

は、いたくお気に召したらしい。






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