自治体規模で消えた村(2) その3

自治体規模で消えた村(2) その3 福井県和泉村影路,箱ヶ瀬,
_______________________________________________________中伊勢,上伊勢

〜旧西谷村の東隣,和泉村の集落跡〜

九頭竜湖にかかる箱ヶ瀬橋です。この湖の底には十を越える集落が沈んでいます。



2000/5/4 和泉村影路,箱ヶ瀬,中伊勢,上伊勢

# 7-23
岐阜・福井ツーリングも5日目(福井2日目)ということで,この日を千秋楽として,大阪は堺の実家に向かわなければ行けません。
朝起きてTVを見たら,「バスジャック」は午前5時頃逮捕されたそうで,まずは一息。朝食をいただいた後,吉田さんのお店を朝の7時に出て,R.158を走って和泉村に向かいました。和泉村は面積332kuに対して人口は824人(1995年国調),1956年(昭和31年)に下穴馬(Shimo-anama)村,上穴馬村の合併により成立した村で,1958年に石徹白(Itoshiro)村の一部を編入しています。
「和泉」の地名は,九頭竜川の最上流で水の湧き出るところの「泉」に,合併後の「和」を望み,これを合成したとのこと。

# 7-24
村の中心集落の朝日には,JR越美北線の終点の九頭竜湖駅があり,R.158が岐阜県と福井県を結ぶメインルートとなっていることから,根尾村や藤橋村に比べて人の出入りは多く,九頭竜湖駅の横の道の駅「和泉村ふれあい会館」はとても賑わっていました。
しかし,和泉村は1964年の九頭竜ダム建設などにより,鷲,長野,伊月(以上旧下穴馬村),影路,野尻,大谷,持穴,箱ヶ瀬,下半原,上半原,東市布,池ヶ島,荷暮,面谷,米俵(Tomedoro),久沢(Kuzawa),下伊勢,中伊勢,上伊勢(以上旧上穴馬村),三面(Satsura),小谷堂(Kotandou)(以上旧石徹白村)と,実に二十一もの集落跡を擁するという一面も持っています。




# 7-25
朝日を出てから2kmほどで鷲ダムという小さなダムあり,さらに4kmほどで九頭竜ダムという堰堤128m,貯水量3.5億トンという大規模なダムがあります。ダム湖(九頭竜湖)には十を越える集落が沈んでいるのですが,旧西谷村よりもどこか明るい雰囲気があります。湖畔に咲いているサクラのせいか,交通量が多いせいか,メインルートで村人も移転しやすかったからか(旧西谷村の村民のほとんどは福井県内に越したのに対し,和泉村の村民の移転先は七割が岐阜県,愛知県とのこと),移転から36年という年月の流れからか・・・
湖沿いのサクラの横に立っていたのは,影路(kagero)という集落跡の離村記念碑「ふるさとの碑」でした。

# 7-26
影路の離村記念碑から少し進んだ野尻地内には,穴馬総社という神社があり,ここには旧上穴馬村,旧下穴馬村の九頭竜ダム建設がきっかけで廃村となった集落の神社の祠がすべてまとめて祭られていて,社には各集落の写真が飾られています。
旧上穴馬村も,全集落が廃村となったという意味では「自治体規模で消えた村」のひとつです。1955年の国調人口は2299人,村役場は大谷にあり,鉱山があった面谷は明治時代に栄えたようです。
1956年の合併で上穴馬村の名前は消えて,1964年の九頭竜ダム建設に伴う移転により,旧上穴馬村の全集落は無人となりました。

# 7-27
箱ヶ瀬(Hakogase)の地内で昼食の用意がないことに気が付き,箱ヶ瀬橋のほとりのドライブインで代用のマンジュウを買って,橋を渡りR.158から県道大谷秋生大野線に入り,再び旧西谷村へと向かいました。この道は,1987年秋に初めてこの地域に足を運ぶことになったきっかけの道で,なつかしいのですが,当時全線ダートだったこの道は13年経って全面舗装となっていました。
鷲−箱ヶ瀬−米俵間の九つの集落跡は,すべて湖に沈んだため記念碑くらいしか残っていなかったのですが,さらに上流に位置する下伊勢,中伊勢,上伊勢の三集落は,水没は免れた,往時の匂いの残る集落跡です。



# 7-28
中伊勢(Naka-Ise)の集落跡には何軒かの作業小屋があり,GW真っ只中ということでクルマが何台か止まっており,ちょっとした賑わいがありました。下調べをしていないことからか,中伊勢では,これまでのように気軽に声を掛けようという気になれませんでした。
県道では中伊勢を過ぎたところで「伊勢−本戸間通行止」の表示があったのですが,これはこけおどしでした。
次の上伊勢(Kami-Ise)で目立ったのは,作業小屋に加えてあった「上伊勢集落跡(十五戸)」という簡素な立札。
和泉村と旧西谷村との境界の伊勢峠は,標高700m超の山奥なのですが,温見峠を越えた翌日のせいか,軽く越えてしまいました。



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