雪の丘に残された開拓集落跡を訪ねて 北海道上富良野町静修開拓



上富良野の丘の外れに残る,静修開拓集落跡の農家の廃屋です。


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1/18/2003 上富良野町静修開拓

# 17-1
平成15年1月の北海道・東北の旅のもう一つの目標,上富良野町の静修開拓は,「北海道 産業遺跡の旅」(堀淳一さん著,北海道新聞社刊)に掲載されている「美しい丘の廃農家」という記事により知りました。
「美しい丘の廃農家」によると,静修開拓は,東京大空襲で焼け出された人々と樺太からの引揚者の14戸が昭和20年に入植した開拓集落で,辛苦の末開拓に成功したものの,昭和40年頃から離脱が相次ぎ,昭和63年に最後の一家も離農したとのこと。
開拓川という川の名称は,この地に開拓集落があったことを知らせ続けています。

# 17-2
主に農業や畜産業を生業とする開拓集落は,戦後,全国各地に作られましたが,へき地に開かれたものの多くは高度成長期の頃までに廃村となっています。その中から静修開拓を選んだ理由は,JR富良野線の美馬牛(Bibaushi)駅から歩ける距離(約5km)にあること,カンジキで歩く距離が片道1km未満であること,深い山ではないこと,そして堀さんの記事で雰囲気をつかむことができたことからです。
堀淳一さんは北大の物理学の教授からエッセイストに転身された方で,地図や廃れゆくものをモチーフとした多くの著書があります。私は10数年前に「地図から旅へ」を読んで以来,堀さんのファンなのですが,堀さんの足跡をたどっての廃村探索は今回が初めてです。

# 17-3
1月18日土曜日(旅2日目)の北海道上川地方の天気予報は曇ときどき晴または雪。民宿「ほおずき」は東京からの母娘連れの方と私の3人。朝の美瑛市街で温度表示を見ると−12℃だったのですが,風がないせいかスキーウェアの身には辛い寒さではありません。
美瑛からひと駅の美馬牛駅到着は午前10時12分。美馬牛の小さな市街には赤レンガの倉庫があり,北海道らしい雰囲気があります。佐藤商店で昼食のパンを買おうとすると,おばさんは「賞味期限は切れているんだけど,当たることはないから持っていきなよ」とのこと。せっかくなので,キャラメルを100円で買ってパンとミルクをいただきました。


# 17-4
美馬牛市街から南西の方向には西十一線という道路が5km以上も一直線に伸びており,まずはこの道を淡々と歩きました。途中国道(R.237)と交わる箇所を除き,西十一線にはほとんどクルマは通らず,見晴らしが良いことから気分は上々です。
駅から3km,小1時間歩いたところで北二十八号との交差点に到着。トラシエホロカンベツ川沿いのこの道は静修地区の中心道路。その先の西十一線は,住宅地図での予想通り除雪されていなかったので,右に曲がって西十二線を目指しました。西十一線北二十八号には上富良野町営バスのバス停があったので,このとき帰りにはこれに乗ることを決めました。



# 17-5
西十二線は益山繁一さん宅までが生活道路。ここまでは片手でケータイメールを打ちながら余裕で歩いていたのですが,道の真ん中に止められたクルマの先の道には1mを越える積雪がありました。予想通りとはいえ,カンジキを用意すると緊張感が走ります。
緩やかな上り坂に積もった雪には足跡ひとつありません。膝あたりまで雪に埋もれながら歩いていると,運動量のためどんどん体が暖まってきます。周囲はどこまでも白一色の丘が続くため,多少歩いてもまったく進んだ感じがしません。ガードレールが雪に埋まっていないので,はっきりと道がわかったのは幸いでした。


# 17-6
カンジキで歩きはじめて約20分で,道を右に曲がり,坂を上りきったところで開拓川沿いの谷を見下ろすと,視界に小さく静修開拓の家屋が見えました。その雄大な風景は私がひとり占め。気分は一気に高揚しました。
開拓川はほとんど雪で埋まり,くぼみのようでしたが,はまると大変なことになるので要注意です。雪に埋もれた橋を注意深く渡って,「美しい丘の廃農家」に掲載されている宮島勇さんの旧宅前に到着したのは午後1時30分頃。前日に訪ねた沼東小学校の円形校舎跡とは好対照に平凡な農家の廃屋ですが,目指した場所へ到着したことの安堵感は同じぐらい強く感じました。


# 17-7
「美しい丘の廃農家」によると,宮島さんは集落ができてしばらくしてから農業指導者として開拓団に加わった方で,集落がなくなってからも他の方の畑を買い取り,通いで農業を続けられたとのこと。集落跡で見つけた母屋は,宮島さん宅と川の手前の金本さん宅の二軒だけでした。
川沿いの堀さんがたどられた道も行きたかったのですが,カンジキ雪中行の基本は足跡を追いかけて戻ることです。往路に比べるとずいぶん気楽に道を戻ると,坂の頂上で丘にポツリと飛び出た石柱を見つけました。石柱には「山神 昭和27年建立」と記されていました。


# 17-8
静修開拓からの帰り道,西十一線バス停近くに勇さんのご子息の宮島久雄さん宅があったので訪ねると,久雄さんの奥さんとお話することができました。勇さんは現在70代で上富良野市街で元気に過ごされているとのことでしたが,農業は数年前に辞められたとのこと。
上富良野駅行きのバスが来るのは午後4時45分頃。余った時間は約1時間。バスがあると思うと美馬牛駅まで歩いて戻る気力は湧きません。しかたがないので北二十八号を1kmほど歩き,江幌小学校を見に行きました。この日小学校はお休み,近くには数戸の住宅があるもかかわらず,人気はまったくありません。あたりは夕闇に包まれはじめ,バスが来るまでの間,この旅いちばんの寒さを経験しました。

# 17-9
町営バスの乗客は私一人。運賃は180円。運転手さんは賑やかな方で,「30℃まで下がったら学校は休校になるんだぞ」など,いろいろな話をしてくれました。何となくですが,北海道に住む方は寒い冬を楽しみにしているのではないかという気がします。
この夜の「ほおずき」の宿泊客は,連泊の母娘連れの方と私に加えて,「気分転換に来た」という富良野のペンションで勤められている東京出身の若い女性の4人。食事をしながらビールで乾杯。
「ほおずき」は平成6年の年末に妻と一緒に泊まった宿でもあったのですが,なつかしく思う気持ちは不思議なくらい湧きませんでした。


# 17-10
旅の3日目は,根室線幾寅駅で映画「鉄道員」のオープンセットを見て,室蘭市街の焼鳥屋「加悦」で飲んで,室蘭−青森間のフェリー泊。4日目は,弘前から五能線に乗って,岩館で日本海の冬景色を味わい,大潟村の佐藤晃之輔さん宅泊。さらに5日目(最終日)は,佐藤さんと一緒に五城目町北ノ又で雪の萱葺き屋根の家々を見て,子供達がいる馬場目小学校の真新しい木造校舎を訪ねました。
北海道のカラッとした雪景色に引き続き見た秋田の雪景色は,昨年よりもしっとりしているように感じられました。どちらの雪景色も雪がほとんど降らない大阪で生まれ育った私にはとても魅力的であり,真冬のカンジキ雪中行は,年中行事としてまだまだ続きそうです。




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