廃村を結ぶハイキングコース

廃村を結ぶハイキングコース 埼玉県名栗村白岩,秩父市冠岩

白岩のしっかりしたつくりの廃屋に向かう石段には,スイセンが咲いていました。



2000/4/22 名栗村白岩,秩父市冠岩

# 5-1
白岩(Shiraiwa)と冠岩(Kanmuriiwa)は,ともに埼玉県という,過疎のイメージからは遠い県の廃村です。
ここに廃村があるというのは,「残骸趣味」というホームページ(管理者 廃屋の猫さん)で知りました。
浦和在住の私としては,いちばん近くにある廃村は白岩かもしれません。知ってからなかなか行くきっかけをつかめなかったのですが, 春で暖かくなってきたということと,廃屋の猫さんとのオフミートで勢いづいたということで,翌日のお昼からバイクを走らせて行ってきました(朝は二日酔で動けなかったのね・・・)。

# 5-2
さきたま出版会「峠 秩父への道」(大久根 茂さん著)によると,白岩と冠岩は,鳥首峠という900m級の峠道(ハイキングコース)で結ばれていて,ともに1986年(昭和61年)には定住している方がおられたそうなのですが,1994年(平成6年)には無人になってしまったとのこと。
地形図を見るとともに標高600mほどのところに位置し,白岩が峠の東側,冠岩が西側ということで,まるで双子のようです。
この山は関東平野と秩父盆地の境界となる外秩父山地で,天気のよい日は東京や浦和からもよく見える山です。
しかし,灯台もと暗しというか,アウトドアの趣味がある方以外は,めったに足を運ばなそうな山でもあります。私も今回が初めてです。


# 5-3
浦和から飯能まで一部高速を使っておよそ1時間。飯能から入間川沿いを登って白岩までさらに1時間ということで,山が深いことがよくわかります。麓の名郷から大規模なキャンプ場を抜け,車道のどんづまりには,山に食いついたような鉱山が構えていました。
この鉱山は,鋼管鉱業 武蔵野鉱業所という立派な現役で,石灰石を採掘しているとのこと。思えば白岩という名称はそのまま石灰石です。
ここでバイクを置いて,白岩−鳥首峠−冠岩までのにわかハイキングとなります。ハイキングコースの入口は鉱業所のトイレの脇にあり,山歩き好き以外の人とは無縁なことが伺えます。

# 5-4
入口からは階段もある急な登りで,トロッコが走っているのが見えたりで,いきなりの風景の変化に遠くに来た気分になります。
白岩廃村は,歩き出して15分ほどの山中,ほんの少しだけある平地に忽然と姿を現しました。
残っている廃屋は,謎の休憩所「しらとり」を入れて5軒。大きな作りの家もあり,昭和30年代の炭焼きが盛んな頃の様子が想像されます。「峠 秩父への道」によると,往時は21軒の家があったとのこと。
しっかりした作りの廃屋に入ってみると,ペナントが残っていて,「根性」という書の飾りが目を引きました。


# 5-5
白岩はまだ無人になって10年ぐらいということもあってか,奥多摩の峰のようにかつての耕地にスギが植林されているようなことはなく,山の中としては広い空間にスイセンなどの春の花が咲いていました。
すぐ上の山には鉱山の施設があり,時折機械の音が聞こえて来ます。山奥にしてそれ相応の静けさがないというのは,住民としては辛いものだったのではないかと思えます。ただ,身近な職場ということか,「残骸趣味」の白岩のページによると鉱業所職員用の出勤予定表が残っている廃屋もあるということで,集落の方が鉱山に勤められることもあったようです。

# 5-6
白岩を後にして峠道を進むと,昼も暗いスギ林(針葉樹林)となりました。昔はナラなどの落葉樹林が中心で,これを焼いてマキにしていたということで,山の様子もずいぶん変わってしまったのでしょう。
這い上がるような急傾斜があったのですが,白岩から50分ほどで鳥首峠に着きました。途中出会ったハイカーさんは4組ほどでした。
尾根道との交差点でもあるこの峠には,「峠 秩父への道」に載っている鳥居は見当たらなかったのですが,小さな祠はそのまま飾られていて,誰しも休憩を取るのではないかという空気が流れています。私もおにぎりなど食べて一服です。


# 5-7
峠から冠岩寄りは,白岩寄りよりもやや傾斜が緩いせいか,広葉樹が混ざっているせいかやや明るい雰囲気です。
下りということもあって気も緩めて進んでいると,途中渓流に近づいた箇所で道が流れに沿って続いているものと勘違いをして,20分くらいロスをしてしまいました。
すでに夕方という雰囲気の中,「戻ろうかな」とも思ったのですが,コースをちょっとだけ進むと赤い小さなお堂が目に入ってきて,その後ろに廃屋が控えていました。峠から1時間10分にして,冠岩到着です。

# 5-8
冠岩には3軒の廃屋があり,うち1軒は作業用などに使われているようでした。地元の学校(影森中学校)のホームページによると,先の小さなお堂は青石塔婆といって,この家のご主人が管理されているようです。
庭先には沢の水を使った蛇口のない水道があり,水の流れる音に誰か居るのではないかと錯覚しそうです。
「峠 秩父への道」によると,往時は6戸の家があったとのこと。川にはわりあい近く,畑のあとのような広がりが少しあり,その広さは白岩より狭く・・・という感じです。なぜか花は見当たりませんでした。


# 5-9
冠岩を過ぎてからも,道はハイキングコース規格のままで,クルマが折り返せる場所までは10分近くかかりました。
峰,白岩,冠岩と共通していたのは,集落まで通じる車道がなかったことです。裏を返せば炭焼きの時代(昭和30年代)には,山奥でもクルマなしで不自由しない生活ができたということでしょう。
ほんの少し下流の川俣には,浦山大日堂というお寺があり,往時には10月の獅子舞には,名郷・名栗からは大勢の人が鳥首峠を越えて通ったとのこと。生活道路がハイキングコースになった今は,距離は遠くても秩父市経由でクルマに乗って出かけることでしょう。

# 5-10
さて,バイクを白岩に置いてきているので,暗くなる前に峠道を戻らなければなりません。時間は午後5時です。
「人家あり発砲注意」という猟友会の古びた看板を横目に,寄り道,迷い道はなしで頑張って歩くと,折返しから冠岩まで10分,峠まで50分,白岩まで1時間15分,鉱業所まで1時間30分と,トントン拍子で戻ることができました。時間柄,帰りは誰にも会わずでした。
人間その気になれば,結構な力が湧くものですね。山歩きの間は,4月にしてずっと汗ばんでいました。
帰り道では,薄暗くなった白岩廃村の上の山に灯っていた,採石場の施設の白い明かりが印象的でした。



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