第8場 6・夢を解く鍵 - 第9場 第10場

ティアーナは西の森の中を、疲れた足を引きずるようにして歩いていた。もう何度、森の中を行き来したことだろう。西の森、東の森、北の森、そしてまた西の森……、目が覚めると、いつも森の中にいた。しかも、白い鳥の姿で。それで彼女はまた、同じ夢の中に戻ってきたことを知るのだった。

初めにこの世界で目覚めたときは、まだ夢ではなく、本当に物語の世界に来たのだと思った。彼女は白い鳥として、物語の中に加わると同時に、王子に頼まれた通り、世界に空いた穴をふさいで回った。不思議なことに、穴の近くに来ると彼女以外の人々の時間が止まる。彼女が一人で穴を探し出し、ふさぎ終わると時間が動き出し、何事もなかったかのように物語は進んだ。彼女を迎えに来たはずの王子も穴のことは何も知らなかった。なぜなのかティアーナは疑問に思ったが、王子たちと冒険を続けるうちに、そんなことはどうでもよくなって、そのうち忘れてしまった。

自分が自分の物語に紛れ込んで、実際に体験するのはとても楽しいことだったが、穴ふさぎの仕事は、彼女にとって辛いものだった。そもそも、その穴のできた理由が自分の物語の誤りにあると知ったときは、彼女はがっくりと気落ちして、しばらく立ち直れなかった。道理で自分にしかふさげないはずだ。誰かを怨もうにも怨めない、責任はすべて自分にあるのだから。もっとよく考えて、書けばよかったわ――ため息と共に、何度この言葉を彼女はつぶやいただろう。

彼女は穴の向こうにいる、一つ目の化け物への恐怖心と闘いながら、一生懸命穴をふさいだ。物語の誤りはすぐに訂正できるものもあれば、よく考えなければ答えられないものもあった。一つ目の化け物は答えられなければ、穴の外に出るぞと脅しながらも、結局、彼女が答えるまでは出てくることはなかった。そう、最後の穴までは。

なぜか、物語がハッピーエンドで終わる前に、彼女の変身は解け、彼女自身の姿でこの世界の人々と別れ、最後の穴を探さなければならなかった。恐ろしい最後の穴――最後の最後で、一つ目の化け物は容赦なくそのおぞましい姿を現わし、最後の問いに答えられない彼女を、暗黒の恐怖へと落とし入れた。

そして再び彼女は森の中で、白い鳥の姿で目を覚ました。今までの恐ろしい出来事が夢だったと知って、彼女はほっとしたが、目覚めてもまだそこは、物語の世界だった。始めからやり直しだ――化け物の言った通り、彼女は同じように物語を辿った。そしてまた、同じ結末を迎え、また目覚め、そうやって何度も何度も、同じ夢を辿った。だが、どうしても最後の問いに答えることができなかった。

もちろん、白い鳥の行く末だけなら、いくらでも考えられた。西の島へ飛んでいったとか、生まれ故郷の山へ帰ったとか、いろいろ考えて彼女は答えてみたのだが、化け物は「それはおまえの結末ではない。それでは答えにならない」と言って、彼女の答えを一蹴した。白い鳥の運命が彼女自身の運命と重なり合い、そのどちらもが納得のいく結末でなければ、化け物は答えと見なさないようだった。そのことは彼女を混乱させ、ますます答えから遠のかせた。

次に彼女は、最後の穴の所へ行かないようにしてみた。しかし、白い鳥の役目を終えてしまった彼女には行く当てもない。当てもなくさまよっては、見覚えのある小高い丘に遭遇することを繰り返す、絶望的な状況に陥っただけだった。

それからは、自分の元いた場所に帰るのだと答えることにしたが、それがどこにあるのか説明することはできなかった。夢の輪に閉じ込められているうちに、夢の世界が現実となり、現実だった世界が幻となって消え失せようとしていた。行き着くことのできない幻の世界をどこと表現するべきなのだろう……。いつの間にかそこがどんな所かも、彼女には思い出せなくなっていた。ただはっきりしているのは、この世界が自分の作った物語の世界であるということ、そして、穴をふさがなければならないということ……。

逃れようとしても、逃れることはできない。なぜなら、すべては自分の身から出た錆なのだから。物語がハッピーエンドで終わらないのは、自分がまだその最後の章を書いてないから。そして、その最後の章で、登場人物の結末が語られることになっているのに、白い鳥の結末だけは、その中に入っていなかったから……。

ティアーナはいつしか、夢を辿ることに疲れ果てていた。夢の輪から逃れられない絶望と、繰り返し訪れる恐怖が、心も体も鉛のように重くさせていた。目覚めるたびに、それは次第に重くなる。鳥でいるときはそれでもまだ動けたが、自分の姿になると、それはどうしようもなく重くのしかかった。

彼女は森の中を行くうちに、今度また目覚めて同じ夢の中にいたら、あの化け物に自分を食べてもらおうと考えた。あの真っ暗闇に落とされて、夢が繰り返されるよりは、その方がましだと思えた。そして、凍りつくような恐怖のときが来て、彼女はまた森の中で目覚めた。白い鳥の姿で。

ティアーナは決心したことを、実行することにした。早く終わりにしたい、そう願うと物語は飛ぶように進んでいった。瞬く間に物語は終わりを迎え、彼女は自分自身の姿に戻って、人々に別れを告げていた。王子の差し出した剣も、もう受け取らなかった。彼女は重い足を引きずって、西の森の入り口に来た。

(そうだわ……、前の夢では、なぜかここに小人の賢者が現われたんだわ。わたしを助けてくれるって……)

しかし、彼女は賢者の申し出を断ったのだった。

(だって、あの人はわたしを助ける人じゃないんだもの。わたしを助ける人は、わたしが助けて欲しい人は……)

彼女はあの暗黒の穴に落とされようとするとき、どうしようもない気持ちで、誰かに助けを求めていた。それは誰なのだろう、誰の名を呼びたかったのだろう――彼女は森の中を歩きながら考えた。

(わからないわ、誰なのか……。でも誰であろうと、わたしを助けられる人なんて、ここにはいないわ)

まるで向こうから近づいてきたかのように、いきなり森の向こうに穴のある丘が見えた。ティアーナはおぼつかない足取りで丘を登り、地の割れ目の縁に立った。そして、決まり文句になってしまった言葉を、穴に投げかけた。

「最後の問いは何?」

「おまえの運命は?おまえの行く末は?」

穴からの声に、ティアーナは黙っていた。いつもと同じ言葉が穴から響き、やがて地鳴りと共に化け物が姿を現わした。彼女はよろよろと後ずさり、へたり込んだ。

「どうした?答えられぬのか?おまえの行く末は?」

化け物の声に、ティアーナは力のない声で答えた。

「あなたに食べられるの」

「ほう?それがおまえの出した答えか」化け物は大きな一つ目をピカリと光らせた。

「食ってやってもいいが、それではゲームが終わってしまう。もうしばらく楽しませてくれ」

ティアーナは泣きそうな顔になって、首を振った。

「もう疲れたの。わたしにはもう続けられない。早く終わりにしたいの。もうあの闇に落とされるのも、果てしない夢を辿るのもいや。あなたがわたしを食べて、終わりにして」

「元の世界とやらはいいのか?おまえを食ったら、すべてが終わってしまうのだぞ」

ティアーナは自分のいた世界のことを思い出そうとした。けれど、それはあまりにも遠く、思い出せるものは何もなかった。

「いいわ、もう。お願い、そうして」

「そんなに言うなら、望み通り食ってやろう」

化け物の声は残酷な響きがした。一つ目がギラギラと光り、側に近寄ってきて、彼女は身を縮めて顔を背けた。6本の触手が伸びてきて、先が丸く平たく広がり、ねっとりとした液体を出しながら、彼女の頭や体に張りついた。こらえきれず悲鳴を上げようとした瞬間、頭の中に声が響いた。

《諦めちゃだめだよ、ティア!》

突然、稲光のような閃光が彼女を包んだ。びっくりして顔を伏せた彼女が顔を上げたとき、彼女に張りついていた触手はなくなっていた。一つ目は退き、先のちぎれた触手をぐにゃぐにゃと動かしながら、空をにらんでいた。乾いた羽の音がして、彼女も見上げた。

(竜……、青い竜だわ)

竜は化け物の上を飛び越して、旋回してまたこちらに向かってきた。竜の上から稲妻が走り、一つ目の頭に突き刺さった。ガアーッと化け物は吠えた。竜が横に回り込むと、竜の背に青いマントをなびかせた騎士が見えた。

(あれは竜の賢者……。どうして?わたし、竜の賢者のことなんか、たった一言しか書いてなかったはずだけど……)

その一言とは、小人の賢者が王子に自分のことを語ったとき、昔竜の賢者に教えを受けたことがあると言ったことだった。竜の賢者自体は物語のどこにも登場しない。それなのにどうして、この世界に存在しているのだろう――頭が混乱して考えられなかった。呆然と見ているうちにも、竜の賢者は魔法の剣を自在に操り、その切っ先からあふれる光は触手を1本ずつ切り落としていった。竜も勇敢に立ち向かい、つかみかかろうとする触手を、逆に鋭い鉤爪でつかみ取り、引きちぎった。ついに、触手をなくした化け物は一つ目を血走らせ、恐ろしい叫び声を上げて、身をくねらせた。そして、地の底から轟くような低い声で叫んだ。

「おまえは何者だ!!なぜ、ここにいるのだ!?」

「わたしは“答え”だ、化け物!」竜の賢者は高らかに叫び返した。

「なに!!」

「おまえが彼女に投げかけた“最後の問い”だよ。わたしがその“答え”だ。彼女はわたしが元の世界に連れ帰る。穴を封じてな!!」

ものすごい雄たけびを上げて、一つ目が竜に襲いかかった。竜は巧みに飛び回って化け物の頭をよけた。

「あの声……、わたし、知ってる……」

ティアーナはつぶやいた。頭の中に響いた声も同じだった。竜の賢者の声だったのだ。そしてそれは、とても懐かしい声だった。どうして竜の賢者の声を聞いたことがあるのだろう、どうしてこんなに懐かしいと思うのだろう――彼女はぼんやりと考えながら、化け物の回りを飛び続ける竜を見守った。

化け物の隙をついて、賢者は魔法の剣を一つ目に投げつけた。剣が目玉の真ん中に突き刺さり、体の色と同じ緑色の血が吹き出した。

「ギャアアアア……」

最期の叫び声を上げながら、化け物は穴の中に沈んでいき、地鳴りと共に割れ目は閉じた。地が静まったのを確認してから、竜はティアーナのすぐ側に舞い下りてきた。着地すると同時に、賢者は竜から飛び降り、青いマントをなびかせて、彼女の元に駆け寄った。彼女はやっと、賢者の顔をはっきりと見ることができた。懐かしい顔、懐かしい姿。遥か遠くにあったものが、一気に押し寄せてきて、彼女の記憶の扉を開いた。彼はとても心配そうな顔をして、ひざまずくと、「大丈夫?」と言って、手を差し出した。

「……リ?」

初めは言葉にならなかった。しかし、彼女はもうはっきりと、その名前を思い出していた。彼女は顔をくしゃくしゃにして、その呼びたかった人の名を思い切り呼んだ。

「ユーリ!!」

突然、ガラスの割れるような音があたりに響き渡り、世界が真っ白になった。彼女はそれでもかまわず、彼の名を呼び続けた。


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