第3場 6・夢を解く鍵 - 第4場 第5場

気がつくと、ユリウスは森の中にいた。どこの森だろう。東の森に似ていて、どこか違う奇妙な感じのする森だった。奇妙と言えば、ユリウス自体も奇妙な存在だった。確かに自分はその風景の中にいて、その風景を見ているのに、自分という実体を見ることはできなかった。彼は実体のない存在、空気か風、あるいは霊のような存在として、ティアーナの夢の中に現われたのだった。

とりあえず彼はその辺を歩いてみようとした。だが、体が異常に重い。ぬかるみに足をとられたような、あるいは何かとても重いものを引きずっているような感じで、思うように動けなかった。突然、ティアーナの声が聞こえた。

「大変!早く穴をふさがなくちゃ!!」

その声の方を見ると、大きな白い鳥がバサバサと羽音を立てて飛んできた。鳥はティアーナの声で「早く行かなきゃ!」と叫び、目の前を横切っていった。

「ティア!?」

彼は鳥の後を追おうとしたが、重い体は蟻の歩みほども動かない。途方に暮れていると、いつの間にか風景の方が勝手に動き、地面にできた2メールほどの巨大な割れ目の前にいる白い鳥を見せた。鳥はティアーナの声で割れ目に向かって叫んだ。

「四つ目の問いは!?」

すると割れ目から大きな声が響いた。

「ここは北の森だ。北の森はこんな様子ではないぞ。木が違うではないか」

「あっ、そうか、そうだったわ」鳥はつぶやいて身震いし、首を縮めた。

「答えられぬのなら、この穴から出るぞ」不気味な地鳴りと共にまた声が響いた。

「だめ!出て来ちゃだめ!!北の森は、針葉樹の森よ!松や樅ばかりの森なの。そうでしょう?」

鳥は羽をばたつかせて、必死に叫んだ。割れ目からの返事はなく、代わりに地鳴りと共に割れ目が閉じた。割れ目がなくなると森の様子は一変して、針葉樹に囲まれた暗い北の森の風景になった。

「よかった、間に合ったわ。あと六つね」

鳥はため息をつき、それから大きな羽を広げると飛び去った。ユリウスがあっけにとられて、鳥の去った方を見ていると、また勝手に風景が動き、白い鳥がティアーナの作った物語の主人公たちと旅をしている場面を見せた。

ティアーナの夢は彼女の物語の夢だった。白い鳥も彼女が物語の中の重要な役として、作り出したものだ。それは不思議な力を持つ鳥で、主人公たちを助け導く役を担っているのだと、ユリウスは彼女に聞いたことがあった。夢の中で彼女はその鳥になって、物語の中を巡っているのだとユリウスは理解した。彼は当分の間、鳥になった彼女の旅を、傍観者として見ていることにした。体は重く、思うように動けないし、彼女に呼びかけてみても、まったく聞こえないようで、結局、彼は彼女の夢の中では、見るということしかできないからだった。動けない彼の回りで、次々と風景は変わり、物語は進んでいった。

ユリウスは物語のあらすじを、ティアーナから聞いて知っていた。最近は本自体は見せてくれなくなってしまったが、彼女は主人公の王子が北の海で竜に出会ったり、商人に変装して、弟とライゲンの姫君を助ける話を、目を輝かせて語ってくれたものだった。夢は自在に時間と空間をねじ曲げながら、ユリウスの知っている通りに物語を進めていった。だが、所々でふと時間が止まる。物語の人々が動かなくなる。すると彼女はひとり飛び立ち、最初に見たような地の割れ目、天の裂け目を探し出し、その穴の向こう側にいるものと問答を交わすのだ。問答は彼女の物語の中にある矛盾を突いたものだった。彼女があまりよく考えないで書いてしまったがために、起こってしまった矛盾――先ほどの森の様子が違うとか、その時代にはまだなかったはずの紙やガラス板が存在していたりとか、悪役である王子の叔父の年齢と容貌が合っていないとか――を、穴の主は指摘し、彼女がそれをただすと穴はふさがった。夢の中で、その部分だけは物語にない出来事だった。

(つまりティアは、物語の誤りを物語の中で直しているのか……)

目の前で展開される物語と、白い鳥と穴の主との変な問答を眺めながら、ユリウスは思った。しかもただ誤りを直しているのではない。穴の主は彼女が答えられないと姿を現わそうとする。地の穴のときは見えなかったが、天の穴からはその姿が垣間見えた。巨大な一つ目の化け物だった。それが穴から出て、世界を壊そうとしていると彼女は言っていた。

(物語に穴を空けたのは彼女自身だとしても、その穴から化け物が出てきて、世界を壊すというのは夢食いの木の干渉のせいか……)

夢の世界はつじつまが合っているようで、どこか歪んだおかしな虚構の世界だ。夢食いの木が彼女の夢に取り付いて、さらに歪めていたとしても、彼女はわけもなく受け入れてしまうのだろう。

物語は終わりに近づいた。国を追われた王子が、イゼルローンの王宮に囚われた弟と姫君を救い出し、ライゲン公とアルブレール公、それにデンフォアレガの商人たちの助力で、国を奪った叔父を追い出し、最後はハッピーエンドで終わるはずだった。しかし、なぜか物語は別のあらすじを辿り始めた。戦に勝って喜ぶ王子たちの目の前で、白い鳥は地に落ち、白い煙になってしまった。そして、その煙の中から現われたのは、ティアーナ自身の姿だったのだ。本来の姿を取り戻したティアーナは驚く王子たちに、自分は別の世界から、この世界に空いてしまった穴をふさぐために来たのだと説明した。

「今までわたしは九つの穴をふさぎました。けれどまだ一つ穴が残っています。どうしてすべての穴をふさぐ前に、元の姿に戻ってしまったのかはわかりませんが、残った穴もふさがなければなりません。そうしないと、この世界はやがて恐ろしい化け物に襲われ、破滅してしまうでしょう」

彼女はそう言うと、皆に別れを告げた。王子がこれで身を守って下さいと差し出した宝剣を受け取り、一人で西の森へ向かって旅立った。

こんな話はあっただろうか――ユリウスは去って行くティアーナを見つめながら考えた。

(あるわけがない。彼女自身が彼女の物語に登場するなんて……)

また風景が動いた。彼女は森の中にある、草しか生えてない小高い丘の上にいた。その丘の頂上に、今までで一番大きな地面の割れた穴があった。彼女は割れ目の縁に立ち、暗い中を覗いていた。

「最後の問いは何?」

彼女は震える声で穴に向かって言った。しばらくして、穴から殷々と響く声が聞こえた。

「おまえの運命は?おまえの行く末は?」

ティアーナは穴を見下ろしたまま、答えなかった。穴の声はさらに大きく響いた。

「おまえはあの鳥、あの鳥はおまえだ。他のものには皆結末が用意されているのに、なぜおまえの結末はないのだ?おまえの結末はどうなっている?」

ティアーナは必死に言うことを考えているようだった。だがなかなか言葉は出てこなかった。

「答えられぬのなら、この穴を出るぞ!」

「だめ!出てこないで!!」

ティアーナの叫びも空しく、大きな地鳴りと共に、一つ目の化け物が穴から姿を現わした。ティアーナは悲鳴を上げて後ろに下がった。蛇のような長い緑色の胴体の先に頭が付いているが、頭にあるのは大きな一つの目玉だけ、胴体の真ん中あたりがこぶのように膨らんでいて、そこから6本の長い触手が出ていて、ぐにゃぐにゃと動き回っている。胴体のもう一方の先はまだ穴の中にあって、どうなっているのかわからない。ティアーナは恐怖で震えながら、その化け物を見上げていた。化け物は口がないのに、あたりに響く声で話した。

「どうした?答えられぬのか?おまえの行く末は?」

「……帰るの」小さな震える声で、やっとティアーナは言った。

「どこへ?」

「……元の世界へ」

「元の世界とはどこだ?どこにある?」

「………」ティアーナは両手で顔を覆い、首を振った。

「わからないわ……」

「わからぬのなら、もう一度始めからやり直しだ!!」

化け物の触手が一斉にティアーナに向かって伸びてきた。彼女は王子にもらった剣を抜き、勇敢にもそれを振り回して、襲いかかる触手と闘った。しかし、あっという間に剣は取り上げられ、2本の触手に胴をぐるぐる巻きにされて持ち上げられた。じたばたともがく彼女をつかんだまま、触手は自分の居場所である暗い割れ目の穴の上で動きを止めた。足元に口を開けている暗黒の闇を見て、彼女は恐怖に駆られて叫んだ。

「いや!!それだけはやめて!お願い!!」

総毛立つような彼女の恐怖が、それを見ているユリウスにも伝わってきて、彼も必死に呼びかけた。

「ティア!ティア!!」

叫びながら、重い体を引きずるようにして、彼は少しでも彼女に近づこうとした。けれど彼女も化け物も、彼の存在にまるで気がついていなかった。

「やめて!!お願い、助けて!!助けて……、誰か、助けて!!」

一つ目がニヤリと笑ったような気がした。その途端、彼女に巻きついていた触手がその手をゆるめ、彼女を放した。絶叫と共に彼女は穴の中に落ちていった。


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