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そのとき、ユリウスは大学のザイナス老師の部屋で、彼が作成している書の打ち合わせをしていた。ふと彼の心が何かを感じ、彼は目を上げ東の方を見た。すると《ユーリ!!》と呼ぶ声が聞こえ、かすかな影が目の前に現われた。ティアーナの思念だった。
《ごめんなさい、ユーリ。でもわたし、行かなきゃならないの》
それだけ言うと、影は消えた。
《ティア?》
ユリウスは何度か呼びかけたが、返事はなかった。おかしいと思った瞬間、バシッという衝撃音が彼の耳に届いた。
「なんだ?今の音は」
ザイナス老師にもその音は聞こえた。老師も東の方へ目をやった。
「力と力がぶつかり合った衝撃波か?東の方からだったぞ、ユリウス。ユリウス?」
老師の声をユリウスは聞いていなかった。彼は東を見据えたまま、ティアーナの気配を探すことに集中していた。
「ユリウス!!」老師に肩をつかまれて、彼は我に返った。
「どうしたのだ?」
見開いた目で老師を見つめた彼は、老師の問いには答えず、「すみません、ちょっと失礼します」とうわの空で言うなり、部屋を飛び出していった。
ユリウスは階段を駆け登り、屋上へ出た。屋上は観望台になっていて、夜は天文、昼は大気の観測を行っている。観望台には当番の若いマスターと学生がいて、彼らは血相を変えて登ってきたユリウスを、待っていたかのような口調で呼びかけた。
「ユリウス先生!今、報告しようと思ってたところなんです!」
戸惑いの表情で、観測用の水盤を見つめているマスターに、ユリウスは尋ねた。
「あの音は何だ?」
「わかりません。見えないんです」
「象は?」
「はい、そのとき東の森の方で、わずかに気の流れが乱れたんですが、それもほんの一瞬で、すぐ元に戻りました。あんな音が起こる状況ではなかったのですが」
不思議そうに首をかしげるマスターの報告を聞くと、ユリウスはすぐにテラスの東側へ行き、手すりから身を乗り出すようにして、東の空を凝視した。確かにこんな所にまで、衝撃音が届くほどの力の激突ならば、その痕跡が大気の象に表われてもいいはずなのに、それらしいものは何も見えない。
(結界が張られていたのか……。誰が何のために?)
ユリウスは目を閉じ、もう一度ティアーナを探した。しかし、東の森にも、フリルド村にも、彼女の気配は感じられなかった。
《ティア!ティア、どこにいる?》彼は必死に呼びかけた。
《聞こえたら返事をしてくれ、ティア!!》
いくら耳を澄ましても、ティアーナの声はもはや、どこからも聞こえてこなかった。
(いない……、どこにも……)
ユリウスはあせる気持ちを抑えて、再び目を開けた。
(あれ?おかしいな……)
今まではっきりと見えていた大気の流れが、ぼんやりとしか見えない。彼は何回かまばたきをし、目をすがめてみたが、見えるようになるどころか、ますますその流れの有り様は希薄になっていった。目だけではない。人より多くのものを感じ取ることのできる、彼の感覚の全てが衰えつつあるのを彼は感じた。
(力が弱まってる!?そんなばかな)焦燥感が募り、彼は手すりに顔を伏せた。
(どうしたんだ、いったい……、こんなときに……)
「先生、どうなさったのですか?」
心配して駆け寄るマスターと学生の背後に、ザイナス老師が現われ、声をかけた。
「ユリウス!」
顔を上げ、振り返ったユリウスを見て、老師は厳しい顔で近寄った。
「どうしたのだ、ユリウス、力が弱まっておるぞ!?」
「老師」ユリウスは身震いして、顔を歪めた。
「ユリウス、急いてはならぬ。落ち着くのだ。心の動揺が力を弱めておるのだぞ」
「はい」彼はうつむいて、深い息を吐いた。
「何があったのだ?あの音に何か心当たりでもあるのか?」
老師の問いに、ユリウスは顔を上げずに小さな声で答えた。
「妻が……、いなくなりました」
「ティアーナが?」
「あの音が聞こえる少し前に、彼女の声が聞こえて、それからあの音が……。それ以後、彼女の気配が消えたのです。わたしにはどうしても、あの音と無関係とは思えなくて……」
ユリウスの声が心なしか震えた。老師は励ますように彼の腕をつかんだ。
「ユリウス、しっかりしなさい」
ユリウスは目にあせりの色を浮かべたまま、老師を見た。
「申し訳ありません、老師、今すぐ東の森へ帰ってよろしいでしょうか?」
「ああ、そうするがよい。だが、今のそなたの力では、闇の道は使えまいぞ」
「老師」
「待ちなさい。今、力を」
ザイナス老師はユリウスの腕をつかんでいた手に力を込め、目を閉じた。老師の胸のクリスタルが輝き、気の力がユリウスに流れ込んだ。ユリウスも目を閉じて、それを受け入れた。
「これでしばらくは持つだろう。すぐに行きなさい」
「はい!」
「よいか、くれぐれも軽はずみな行動は慎むように。急いてはならぬぞ」
ユリウスはうなずくと、急いで自室へ戻って行った。
(あんなに動揺しているあの子を見るのは初めてじゃ……)
不安をまとったユリウスの姿を見送るザイナス老師の顔が、孫を気遣う祖父の顔になった。
(いったい、何があったのだ……)
老師はそこにいた観測当番の二人に、監視を怠らぬよう言いつけると、自分も自室へ引き上げた。
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