第11場 4・迷妄の森 - 第12場 5・大切なもののために

それから数日後の午後のことだった。ティアーナは子供の家の庭で、子供たちと追いかけっこをして遊んでいた。

「ほら、捕まえた!」

庭の隅で笑いながら逃げ回る男の子を捕まえた時、木立の陰に立つ灰色の人影を見た。

「ウェルタさん!?」

彼女は思わず叫んだ。その声が届いたのか、届かなかったのか、灰色の人影はすうっと森の中へ消えていった。

(ウェルタさんだわ、きっと!夢のこと、聞かなきゃ)

ティアーナは庭にいた一番年長の女の子に、ちょっと出かけてくると告げて、大急ぎで飛び出していった。彼女はその人物が立っていた場所へ行ったが、もうその周辺にはいなかった。

(あの泉の所へ行ったのかもしれない)

彼女は森の中を走った。何としてでもウェルタに会って、あの不可思議な夢を問いただしたかった。泉のある場所に近づくと、そこがうすぼんやりと光っているのに気づいて、彼女は足を止めた。

(何かしら?)

彼女はそっと近づいていった。そして、そこで信じられないものを見た。

「カール!!」

彼女は物語の主人公の名を呼んだ。薄青い光の中に立っていたのは、紛れもなく彼女が作り出した物語の主人公の王子だった。王子はティアーナを見て、美しい微笑を浮かべた。

「あなたを、お迎えに参りました」不思議な、頭の中に直接響く声だった。

「約束通り、来て下さいますね」

彼の声には、抵抗できない何かがあった。ティアーナは震える声で答えた。

「いいわ、約束ですもの。どうすればいいの?」

「そのクリスタルをはずして下さい」王子は彼女の胸を指差した。

「これはだめ。はずせないの」

慌てて彼女はクリスタルを両手で隠した。王子の顔が曇った。

「それをはずさないと、わたしたちの世界へは行けません」

「でも」

「あなたは来て下さると、約束してくれたではありませんか」

王子は悲しそうに顔を歪めた。ティアーナはたまらなくなって、後ろで束ねている髪を右肩に掛けた。クリスタルをはずしやすいように……。

「はずさなければ、行けないのね?」

「はい」

「わたし、ここに戻って来れるわね?」

「穴がふさがって世界が元に戻れば、必ずお帰しします」

「わかったわ」

彼女は紐に手を掛けた。目を閉じ、ユリウスに思念を送った。

《ごめんなさい、ユーリ。でもわたし、行かなきゃならないの》

それからゆっくりと、クリスタルを首からはずし、長い髪から抜き取った。心のどこかに、いけない、いけないといさめる声があったが、何かに操られているかのように、彼女は手を止めることができなかった。彼女は王子が差し出した手に、クリスタルを置いた。しかし、確かに氷のように冷たい感触があるのに、クリスタルはその手をすり抜けていった。

それと同時に、ティアーナは王子の手から赤黒い蔓のようなものが現われ出て、自分の手に巻きつくのを見た。ぞっとして、叫び声を上げて手を引っ込めようとしたが、彼女は声を上げることも、手を引っ込めることもかなわなかった。気味の悪い赤黒い蔓は、王子の幻影の向こう側、薄青い光の背後にある闇の中から伸びていて、しっかりとティアーナの手を捉え、ものすごい力で彼女をその闇の中へと引っ張ったのだ。あっという間に彼女の体は、木の葉のように宙に舞い上がったかと思うと、王子の幻影ごと闇の中へ、吸い込まれていった。彼女の体が闇に消え去るちょうどその時、地面に落下せず空中にとどまっていたクリスタルが、その闇めがけて飛びかかった。

バシッ!!とものすごい音がして、クリスタルがはじけ飛んだ。回りの木々がザワッと音を立てて震えたが、すぐに静かになった。やがて闇はゆっくりと消え去り、その向こう側にいた水晶玉を捧げ持った魔女――ウェルタの姿があらわになった。

「やれやれ、なんてクリスタルだい。主の手を離れても、まだ影響力を持ってるなんて。危うく失敗するところだったよ」

ウェルタはぶつぶつ言いながら、周囲に張っていた結界を消し、水晶玉をしまった。

「とにかく、首尾は上々、無事、奥方は夢の檻の中。クフフ……、ユリウス、これでおまえはあたしの所へ来ざるを得なくなったよ。フフフフ……」

冷たく笑いながらつぶやくと、ウェルタは闇を開き、その中へ消えていった。


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