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広間にはたくさんの人が通路の両脇に控えていた。皆、バイオンの国の中枢を担う人々で、公爵家の親族や家臣、役人や商工の各ギルドの長、各国の大使等であったが、ティアーナには知る由もなく、その華やかな人々を前に、彼女はすくみ上がる心を必死になだめていた。
(これは夢、夢なのよ、ティアーナ。このドレスもキャベツ頭の人たちも、目が覚めれば消えてしまうんだから)
広間の奥にバイオン公と夫人、公子、それに公の母で前公の未亡人であるイザベラ夫人が座っていた。二人が彼らの前に進み出ると、彼らは立って二人を迎えた。
「賢者どの、ティアーナどの、ようこそいらっしゃいました。お待ちしておりましたよ」
パウルが大きな声で二人を歓迎した。
「お招きに預かりまして、痛み入ります」
二人は立ったまま挨拶をした。賢者は政治的地位や身分には一切関係しない者なので、権力者に(たとえそれが王であっても)平伏はしないのだった。
「お二人とも、このたびはご結婚おめでとうございます。式はいかがでしたかな?」
「ありがとうございます、公。式は全て昨日、滞りなく済みました」
「そうですか。老師どのもさぞ、お喜びのことでしょう。わたしも嬉しいことこの上ない。ようやくわたしの忠告を聞き入れてもらえたのですからな」
ユリウスはそれには答えなかった。そしてさりげなく話題を変えた。
「イザベラどの、エリーザどの、お変わりありませんか?ミカエルどのはまた少し背が伸びましたね」
美しい金髪をゆったりと結っている頭を少し傾けて、イザベラが答えた。
「わたくしたちは変わりありませんわ、賢者どの。わたくしたちもこうしてあなたがたのご結婚をお祝いして差し上げることができて、うれしゅうございます」
「ありがとうございます」
イザベラに会釈をし、ユリウスは再びパウルに、今度は皮肉を込めて言った。
「ときに公、今日は私的な会見とうかがって来たのですが、私的にしては列席の方々が少々多くはありませんか?」
「これはこれは、申し上げにくかったので、つい黙ったままで今日まで過ごしてしまいました。実はわたし同様、ここにお集まりの方々も、バイオンの誉れ高き賢者ユリウス・アルクルトどののご結婚に、祝意を示したいと希望されてましてな。どこで漏れ伝わったのか、皆がこの会見のことを聞き及び、ぜひ列席させてくれと請うものですから、わたしも皆の気持ちを無にするわけにもいかず、こうなった次第です。あなたがたの了解も取らず、勝手なことをいたしました。平にご容赦を」
パウルは大袈裟な口調でよどみなく答え、いんぎんに非礼を詫びた。パウルのわざとらしい態度に、ユリウスは薄笑いを浮かべた。
「漏れ伝わったですか。おおかた、あなたが吹聴して回ったのでしょう?」
「吹聴とは聞き捨てなりませんな。吹聴などしておりませんよ。自慢ならしましたが」
澄まし顔で言うパウルに、ユリウスは面白そうに黒い目を光らせた。
「ほう、自慢ですか。一体何が自慢なのです?わたしの結婚があなたの自慢になるとは思えませんが。それとも、わたしたちをこのような場に引きずり出せたことを自慢なさったのか?それならわかります。あなたのやりそうなことだ」
「何をおっしゃる。あなたはわたしの自慢の種なのですよ、アルクルトどの。あなたの妖魔退治の伝説もさることながら、あなたが気象の司になられてから、作物の収穫量が確実に上がってきている。あなたの正確な予測のおかげです。この比類なき賢者どのを友と呼べる、わたしにとってこれ以上の自慢はありませんよ。そのあなたのご結婚なのですから、なおさらです」
「あなたがそうやって口幅ったいことをおっしゃる時は、たいてい裏がありますね。今度はどのような無理難題を押し付けるつもりですか?」
ユリウスがあきれた表情で聞くと、パウルはからかうように眉を上げ、それから明るく笑った。
「よくわかっていらっしゃるな、さすがは賢者どの。まあ、お互い持ちつ持たれつでしょう?ハッハッハッ……」
ティアーナはうつむいたまま、ハラハラして二人の会話を聞いていた。嫌みな言い草をふてぶてしい態度で言うユリウスもユリウスだが、平然と白々しい答えを返してくるパウルもパウルだ。それにしてもこんなに失礼なことを言っていても、本当に誰も何も言わないのね――ティアーナは感心して、静かにたたずんでいる人々を密かに見回した。
「ティアーナどの」
「は、はい」
急に矛先を向けられて、ティアーナは慌てて返事をして顔を上げた。パウルが顔をこちらに向けていた。ティアーナは真っ赤になって彼に見とれた。パウルは背がすらりと高く、整った顔立ちに水色の瞳、日の光に透けるような美しい金髪の持ち主で、まだ少年の時分から、バイオン中の女たちの人気を一身に集めていた。彼が結婚する時、どれだけの若い娘が涙を流しただろう。ティアーナは町に住んでいた頃、2,3度祭りの式典で、バルコニーに立つ彼の姿を遠くから見ていた。その時は顔などよく見えなかったのだが、今こうして間近にパウルを見て、その容貌がうわさに違わぬのを知ると、世間の女たちと同様ボーッとなってしまったのだった。
「いかがなされた?」
「あっ、いえ……」ティアーナはまたうつむいた。
「お支度中にエリーザがお邪魔したそうで、かえって気を遣われたのではないかと心配しました」
パウルはユリウスに話していた時とは全く違うやさしい口調で、ティアーナに話しかけた。
「いいえ、エリーザさまのお心遣い、感謝しております」
ティアーナはエリーザを見た。エリーザはティアーナと目を合わせると、先ほどと同じような誇らしげな顔でパウルを見やり、それからおかしそうにクスッと首をすくめて小さく笑った。エリーザの笑顔を見て、ティアーナは少し気が楽になった。
「いかがです、ティアーナどの、賢者の奥方となられた気分は?」
「緊張しております。わたしのような者に勤まるかどうか……」
ティアーナは視線を落としたまま言った。
「大丈夫ですよ。賢者は誰よりも人を見る目を持つ者、その賢者どのがあなたを選ばれたのですから。もし何かありましたら、わたしに相談なさい。お力になりますよ」
パウルはちらっとユリウスに視線を移し、それからティアーナに自分に任せておけとでも言うように、自信たっぷりの笑顔を向けた。
「はい、ありがとうございます」ティアーナははにかみながら答えた。
「ティアーナどの、わたしはあなたにぜひお会いしたかった。この堅物のハートを射止めたあなたに」
「そんな……」
パウルはユリウスとティアーナが愛し合って結ばれたと思っているようだった。
(ユーリは本当のこと、公爵さまに話してないのね……)
ティアーナはパウルの勘違いを訂正したかったが、この場では言えなかった。
「感謝しているのです、あなたに。あなたはユリウスどのの気持ちを変えてくれた。ユリウスどのの友として、わたしはあなたに礼を述べたいのです」
パウルの口調から軽さが消えていた。心のこもった言葉だった。ティアーナは思わず顔を上げ、パウルを見た。外見ではなく表情を見つめた。
(公爵さま、なんて嬉しそうなお顔。喜んでらっしゃる、ユーリが結婚したこと、ほんとに心から……)
ようやくまともにパウルを見たティアーナに、彼は美しい微笑を見せた。
「ありがとう、ティアーナどの」
「公爵さま……」
パウルはユリウスの方を向くと、また軽い調子に戻って言った。
「このような堅苦しい会見の場にお呼び立てして、申し訳ありませんでした。それでお詫びの印に、この後ご一緒にお食事でもと思ったのですが、いかがでしょう?」
「せっかくですが、またの機会に……」
断ろうとするユリウスを、ティアーナが慌てて袖を引っ張って止めた。
「断らないで、ユーリ」ティアーナは小声でささやいた。
「ティア、いいの?」ユリウスがささやき返した。
「いいの。わたしなら平気よ」
ユリウスに素早く言って、ティアーナはパウルの方へ向き直った。
「公爵さま、喜んでご一緒させていただきますわ」
ニッコリと微笑むティアーナに、パウルは感心して目を細めた。そして嬉しそうに言った。
「今度こそ同席するのはわたしと妻だけですから、気楽になさって下さい。やあ、楽しみだなあ。お二人の話、もっと詳しく聞かせていただきますよ。ではさっそく用意させましょう」
会見は終わり、二人は控え室に戻った。戻るなりユリウスは心配そうな顔でティアーナに言った。
「断った方がよかったんじゃないの?疲れてるんだろう?もうこれ以上、あいつに付き合う必要はないんだよ」
「そんなこと言っちゃいけないわ、ユーリ」ティアーナはユリウスをまっすぐに見つめた。
「わたし、大切なこと忘れてたわ。公爵さまのお気持ちよ。公爵さま、本当にあなたの結婚を喜んでいらっしゃった。当たり前よね、お友達なんですもの。公爵さまだって、お友達の結婚を心から祝福したいに決まってるはずよ。それなのにわたし、嫌がったりして、申し訳なかったわ」
「ティア……」
「公爵さまのお気持ち、無駄にしたくないの。だからご一緒してあげましょうよ」
ユリウスはティアーナのまっすぐな目を見つめ、穏やかに微笑むと彼女の肩をポンと一つたたいた。
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