タイトル はじめに 序・東の森の賢者

はじめに

かつて、レソン大陸には、精霊と呼ばれる種族が人々と共に暮らしていた。 精霊は人と同じ姿をしていたが、その本質は大自然の精であり、 人智を超えた存在であった。 身は鳥のように軽く、変幻自在、不思議な力を持ち、大気を操り、事物を動かし、 幻を見せたと云われる。 人々は精霊を神々の化身、あるいは御使いとして崇拝していた。

レソン大陸の西方、その西の端に位置するユーレシアは、その頃一つの大きな国であった。 王は祭司の長でもあり、神々を祭ることと人々を治めることは分かち難い王の仕事であった。 王の下には神々を祭るための知恵と、人々を治めるための知恵が集められ、 それらを司る暦師、薬師、法官、史官などがいた。 一方、神々の化身であり御使いである精霊を拝するために、 巫女と呼ばれる特別な女たちがいた。 巫女は精霊の感化を受け、わずかながらも彼らと同じ力を発揮し、彼らと語らい、 彼らと人々の仲立ちをしたのである。

ある時、ユーレシアとその周辺の地域に異変が起こった。 天変地異が各所に起こり、それと同時に精霊たちが一斉に西へと移動を始め、 大陸を去り、西の海の彼方にあるという西の島へと旅立ってしまったのだ。 天変地異が起こったから精霊が去ったのか、精霊が去ったから天変地異が起こったのか、 人々には知る由もなかった。 ただ人々は飢饉による飢えと、政治の混乱を黙って受け入れるしかなかった。 内乱と国外からの侵略に、ユーレシアの国土は荒れ果てた。 侵略者は北からも南からも来た。当時最も強大であった南方のセム大陸のザウハル大王国から、 はるばるベオアルデス山脈を越えてやってきた侵略軍は、 降伏した人々には寛大であったが、神殿はことごとく破壊した。 祭司たちは難を逃れた者もいれば、殺された者もいた。 巫女たちは精霊が去ると同時に、ベオアルデス山脈のガイル山に集まり、 下界の混乱とは無縁に隠遁の生活を送っていた。

混乱の時期は200年近くに及んだ。 ザウハル大王国が衰退し、遠隔地を支配する力がなくなってくると、 ようやくユーレシアの人々は侵略者たちを追い出し、自分たちの国を作ることができた。 しかし、もはや一つの大国としてまとまることはできず、 西と東に分かれ、それぞれ王を戴くこととなった。

王は神殿を再興したが、自らが祭司の長となることはなく、 神々を祭ることは祭司の仕事、人々を治めることは王の仕事となった。 王はかつて王の下にあった知恵を再び集め、それを伝えるものを賢者と呼び、 厚く遇した。

東西のユーレシアは国として成立したものの、互いの利権を争い、 それにその頃興った南のルム・デイリア王国も加わって、三つ巴の戦乱が絶えなかった。 戦に傷つき、荒れ野に倒れる人々を救ったのは王宮の賢者、それに混乱期に神殿を逃れ、 方々に散った薬師たちの術を受け継ぐマスターと呼ばれる術師、 そしてガイル山の巫女の弟子すなわちガイルの魔女たちであった。 やがて、彼らの知恵と術は人々のためにより良く利用できるよう、 何人かの偉大な賢者によって、集積が試みられた。 ところが、その試みは東ユーレシアのガルヴァナスという王によって阻害されたのである。

東西ユーレシアの国が興っておよそ120年後のことであった。 ガルヴァナスの飽くなき野望はユーレシア統一と、ルム・デイリアの征服にとどまらず、 この世の全ての知恵と術を手に入れることにまで及んでいた。 彼の持つ人を圧する精神の力はその野望を狂気に変え、人々を苦しめた。 人々に救いの手を差し伸べようとする賢者やマスターは王宮に監禁され、 魔女は山へ追い払われた。 圧政と戦による混乱が再びユーレシアの地を覆った時、 狂気の王に敢然と立ち向かったのは、王の臣下であった8人の騎士と1人の賢者であった。

その頃、ユーレシアの東、ヴァールス山地の東側に広がるタムダル大森林に、 クルトと呼ばれる民族が住んでいた。 クルト族は遥か大陸の東方から流れてきた民人で、森を住処とするも、 一つ所に定住せず、氏族ごとに流浪を続ける謎の民族であった。 彼らは“東方の仙人”とか“東方の精霊の子孫”などと云われていた。 それは人でありながら、精霊と同じような力を持っていたからである。 混乱期、東西ユーレシア期を通じて、時折彼らはユーレシアの地に現われ、 人々の前で奇跡を行なったと伝えられていた。 彼らの力、そして彼らの持つ優れた東方の技術は、 人々にとって奇跡としか言いようがなかったのである。

賢者ファラールは過去の偉大な賢者の意志を継ぎ、ユーレシアに伝わる知恵と術を集め、 さらに魔女の知と術にも通じる優れた賢者であった。 彼はそれだけに飽き足らず、タムダルの森にクルト族を訪ね、 教えを受けることを請い願った。クルト族は通常、他の民族との交流は一切持たない。 ユーレシアの地に現われた時も、人々と交わることは決してなかった。 本来なら、ファラールの願いも聞きいれられないはずであったが、 賢者ファラールはなぜか、クルト族に友として受け入れられ、その知と術を授けられた。 おりしも狂王ガルヴァナスの禍がユーレシアを席巻している頃であった。

タムダルの森より帰還した賢者ファラールは、 君主に対し決起せんとする8人の憂国の騎士たちと手を携え、行動を共にした。 戦いは苦しいものであったが、騎士たちの勇気と賢者の心が民衆に力を与え、 人々は一丸となってガルヴァナスに反旗を翻し、その禍を払いのけ、 狂気の王を滅ぼすことに成功したのである。 8人の騎士たちは永遠の平和を誓い、王を立てることをやめ、 人々に託された東ユーレシアの地を八つに分けて、共同統治することとした。 以来、東ユーレシアは王を持たぬ連合公国となった。

賢者ファラールは王宮に囚われていた賢者やマスターを解放し、 自らと志を同じくする者に自らの修めた知と術を教えようと、大学を設立することにした。 その場所は8騎士の1人でファラールと特に親しかったバイオン公ミカエルの招きで、 エルツ河のほとりにあるバイオンの町が選ばれた。 バイオン大学創立時、ファラールは二度と戦事には関わらないと誓い、 大学は人々の平和のためだけに活動すると厳しく定めた。

東ユーレシア8公国はようやく得た平和と、大学の供与する技術を元に復興し、 発展を遂げた。 大学は8公国によって厚く保護され、バイオンの町は大学の門前町として栄えた。 そしてユーレシアの地より戦乱が去って、約200年が過ぎた。


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