[INDEX] 映画の感想 7・8・9月分  

パール・ハーバー

ウォーターボーイズ

赤影

千と千尋の神隠し


印・・・秀逸

パール・ハーバー 9/20
 いろんな意味で話題作。日本では、この映画が真珠湾攻撃をどうとらえているかが最大の関心事となり、それゆえの話題作といった感が強いが、上映時間が長いし、セットも立派だし、CGにも手間がかかっているし、もともと、いわゆる大作である。それなのに、この映画は興行的に失敗した。なぜか。

 それは、くどいからだ。三角関係のもつれを延々と3時間も描写しつづけるのが、根本的な間違い。飛行機乗りという男の世界、第二次大戦という社会的視点、看護婦とのレンアイと、映画の要素はいっぱいいっぱいなのに、さらに三角関係。もっと要素を絞り込み、どういう観点でこの映画を鑑賞するべきか、観客に有無を言わせる余地を封じなければ、主題が散漫としてしまう。もちろん、映画技術的には、当然すべての要素は作品中に織り込まれている。だが、私たちの鑑賞力はその量に追いついていかない。欲張りすぎて、あれもこれもと売れそうなネタを詰め込んだ結果、無駄に長くてぼんやりとした映画になってしまった。

 観客がこういう映画を観るときは、「これは戦争映画」、「この映画はロマンス」、「ドキュメンタリー」といった具合に、ある程度、主題を絞り込むのも方法だ。その場合には、主な観点以外の要素は、エピソード、エッセンスとして、自分の決めた主題に花を添えるもの、といった具合に流して観ればいい。が、この作品は、それを許さない。すべての要素の吸収を、私たちに要求してくる。そして、根底にあるものは、いらいらする三角関係なのだ。

 逆にいえば、断片的、部分的にはすばらしいということだ。飛行機乗りという男の世界、第二次大戦という社会的視点、看護婦とのレンアイ・・・。すべて、手間ひまかけていると思う。とくに、攻撃シーンや空中戦は迫力がある。しかし、断片を抜粋するばかりでは、『パール・ハーバー』の独創性が感じられないのも事実である。

 さて、問題の日本の描写はどうだったのか。そもそも、日本が悪者だったのは歴史的事実だから甘受した上で、ネタばれを避ける程度に書き出すと、日本軍の会議は、なぜか露天で行われる。極秘会議を開いている横で、子供が凧を揚げて遊んでいる。会議を行っている広場には鳥居があって、その鳥居には瓦が葺いてある。もう、何も言うまい。いや、一言だけ言おう。低空で軍港に攻め入る零戦の窓から、日本兵が子供に「逃げろ」と叫ぶシーン、日本版だけに挿入されたものだそうだ。

 最後に、この映画の要素には、アメリカの国威高揚というテーマも多分に含まれている。もし、この映画がニューヨークで発生したテロ以降の公開であったなら、アメリカ国内での動員は変わっていたと思う。製作者は、不謹慎なほぞを噛んでいるに違いない。

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ウォーターボーイズ 9/20
 冴えない男子高校生たちが、シンクロナイズドスイミングに挑戦する。まぁ、ストーリーは想像できるだろう。自分にも、あんな高校生時代があったのかな、でも、あんな破天荒なことをやってのけるほど、積極的な高校生ではなかったな、などと懐かしくなる。オーバーアクションの竹中直人を容認できれば、爽快で面白い作品だ。シンクロもカッコいい。
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RED SHADOW 赤影 9/-2
 往年のテレビシリーズの映画版なのだが、もちろん、テレビ版は見たことがない。SFチックな忍者アクション番組、という客観的な情報によってのみ知る。テレビの赤影は、颯爽としていてカッコよかったそうだが、映画の赤影は、ナイーブで頼りない。安藤政信はそういうキャラにはぴったりだと思うが、忍者なら忍者らしく、もう少しピリッとしてほしい。「お役目」に疑問をもって右顧左眄する忍者なんて、観ている我々が戸惑ってしまう。「赤影、参上」くらい、滑舌よく発声できなかったものか。滑舌といえば、奥菜恵の話し方は本当にひどかった。舞の海や布袋寅泰など、演劇畑以外のキャストが好演しているだけに、情けない。

 と、不平たらたらなのであるが、話はわりとしっかりしているし、戦闘シーンもなかなか。奇抜な衣装もよくできている。もっとも、そういうエッセンスはテレビ版の受け売りらしいのだが・・・。あと、各所に折り込まれたギャグは何だったのだろう。それ自体悪くはないのだけど、いかにも時代離れしていて、寒い。

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千と千尋の神隠し  7/14 
 一言でいえば、わけのわからない映画だ。トンネルの向こうは、不思議の町でした。その宣伝文句にたがわず、千尋が迷い込んだその先には夢のような世界が広がっていた。だがそれは、神秘的で美しいファンタスティックな世界ではなく、和風建築にあやしい漢字が踊る、猥雑で、生活感のある町だ。夢は夢でも、悪夢というほうが適切なのである。

 ストーリーは、あってないようなものだ。映画はただひたすら、観客を異次元の世界にいざなう。しかもその世界は、極端に日本的な世界だ。千尋の生き様も、ありきたりに思える。もののけ姫やラピュタ、ナウシカなどに比べて、主人公に英雄的なところがまるでない。この作品の主役は、あくまで舞台なのだ。われわれが熱を出したときに見るような夢の世界が、こうして映像として具現し、その有様に、僕たちはふらふらと陶酔するだけでよい。そういう、水が低いところへ流れるような感覚は、映画というある種のメディア感を忘れさせる魔力を持っている。この設定であるからこそ、千尋が「神隠し」を経験するプロセスで、ちょっぴり成長する等身大かつ当たり前の姿が、案外、鮮やかに思えたりもする。作品としての妙味であろう。千尋の成長は、本当にちょっぴりだ。彼女が現実世界に帰るとき、母親の腕にしがみついてトンネルを通ってゆく姿は、どこか頼りない。しかし、振り返りもせずクールに物事を運んでゆく娘になったことは確か。打たれ強くなった。

 感動したり、驚いたりする場面は、これまでの宮崎駿作品に比すれば、非常に少ない。しかし、僕たちはその世界観にずるずると引き込まれる。よくわからない。少なくとも、日本文化を解しない外国人を何らのターゲットにもしていないことは明らかであろう。あるいは、八百万の神に触れる機会のない現代人をも排斥した、民俗的な作品であるとも換言できよう。秀逸。

 

 名鉄電車みたいなのが出てくる。

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