[INDEX] 映画の感想 6月分  

A.I.

デンジャラス・ビューティー

メキシカン

メトロポリス


印・・・秀逸

A.I. 6/22 
 待望のスピルバーグ監督作品。ロボットに愛はふさわしいか、という問題を通して、人類のだめっぷりを提示してくれる作品だと思う。

 まず、寂しさをロボットで紛らわせようという発想はよい。人には、植物や動物、時には小石だっていとおしく思えるときがあるものだ。が、子供を愛し、子供に愛されたいという欲望を満たすために、あまりに子供に近すぎるロボットを作ってしまったのは、代用品で昇華するという人類の才能を無視した、安直な発想だった。愛情という、いわば思考の盲点によって、代用品と本物の区別がつけられなくなってしまうことは、代用品としては失格である。

 デイビッド君は、子を失った不幸な親のもとへ、その愛を満たすためにやってきた。彼のロボットとしての画期的なところは、彼自身が、親の愛情を求めつづけるということだった。が、所詮は代用品。本物があらわれれば、代用品はいらないのである。その代用品が本物に似ていれば似ているほど、代用品の存在は疎ましくなるものだ。結局、親たちは悩んだ挙句、泣く泣くデイビッド君を捨ててしまう。愛したいのに、代用品ゆえにどうにも愛せない、身勝手で複雑な親たちが、いかにも未熟な人類らしい。

 かわいそうなのはデイビッド君である。親を愛し、愛されよとプログラムされている彼の思考回路は、捨てられてからも母を求めつづける。幼心にも、捨てられたのは自分がロボットだからだと気づいていた彼は、ひょんなことから知り合ったジゴロ・ロボットと共に、ピノキオを人間にしたという、青い妖精探しの旅に出る。大都市が水没し、さまざまなメカが闊歩する未来都市は魅力的だ。

 そうしているうちに我々は、彼がロボットであることを客観的に認識しながらも、自然に彼に感情を移入してしまい、同時に一介の人間としても扱っているはずだ。そうでないほうがおかしい。演じているのは人間なのだから。しかし、それがロボットであることは、観客である我々が、いちばんよく知っている。にもかかわらず、デイビッド君に人格を発生させてしまう感情、それが、我々の愛すべきだめっぷりなのだと思う。我々の誰も、デイビッド君を捨てた親を非難することはできまい。

 と、まあ、いろいろと考えさせられる作品である。仏作って魂入れずということわざがあるように、物体に対する愛執という点では、欧米人より、むしろ我々日本人のほうが理解しやすい作品かもしれない。だんだん話が大風呂敷になって、壮大に過ぎる感があるけれど、それに値する内容だと思う。時間的に長い映画で、それでもところどころ端折った箇所さえ見られるのだが、まったく長さを感じさせない。秀逸。

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デンジャラス・ビューティー 6/15 
 キャンディス・バーゲンが出ているので観た。そう、あのマーフィー・ブラウンである。老けてはいるが、相変わらず美人である。

 物語は、サンドラ・ブロック扮する、外見にまったく無頓着なFBI捜査官が、大会潜入のため、ミスコンに出場するというもの。仕事一筋で気性も激しい彼女は、往年のマーフィーを彷彿させるが、当のキャンディス・バーゲンは、ミスコンの理事長。二人の間の確執はさておき、サンドラ・ブロックも出場者として女を磨かねばならない。肌や髪から立ち居振る舞いまで矯正されて、彼女はどんどん美しくなってゆく。同時に彼女の中には、これまで自らが抑圧してきた女らしさが芽生えてくる。ほかの出場者とも仲良くなり、ミスコンの捉え方も変わってくるが、捜査のことは片時も忘れない。切れそうになったり、インチキしようとしたり、ずっこけたりしながらも、その一生懸命な姿に、共感せずにいられない。

 往々にして、マーフィー・ブラウン的な作品だ。僕は好き。秀逸。

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メキシカン 6/-5
 評判の悪い映画だが、観てみたら意外とよかった。どことなく軽いノリで、それでいて命がけのヤバい商売をしている登場人物のギャップが面白かったと思う。ジュリア・ロバーツをさらって連れまわした大男の二面性も、ギャップの一つだ。それを、統一性がないと言ってしまえばそれまでだが。

 それと、銘銃(?)「メキシカン」の伝説がしっかりしていて感心した。単なる物語のエッセンスなのね、と思わせておいて、実は重要な役割を果たしている。銃が献上される直前、弾は2発込められたが、物語を通してメキシカンが火を噴くのは何回だったか。僕は感心してしまったけど、普通の人だったら、そんな筋書きは当たり前なのだろうか。

 まあ、大物が2人も出ているので、それにあやかっているような感は否めない。あと、ジーン・ハックマンの役どころが、どことなく不自然なのが、終盤で味噌をつけている。

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メトロポリス  6/-1 
 手塚治虫原作の近未来アニメーション。とにかく、画像がすごい。ものすごく手がこんでいる。精緻なCG背景の中を、無数の群集が、一人一人異なった動きをしている。階層に分かれた巨大都市は極めて写実的に描かれている一方、登場人物が手塚タッチというのも心地よい。

 が、何の話だったかなぁ、と思い出してみると、いまひとつ印象が希薄だ。基本的には、人間とロボットの共存する社会はどうよ?というストーリーだったと思うが、どうも、そういうメッセージは伝わってこなかったような気がする。あの都市の情景のみが、記憶の中で一人歩きして気を吐いている。人間の中では、ロック君の鬱屈した感情だけが、妙に重苦しく後を引く。ほかの人間はみな典型的に過ぎて、深みを欠くのである。いや、それはそれで普通なのかもしれないが、あの都市の強烈な描写に、かき消されてしまっている。その、都市対人間という構図なら、もっと現代的な展開になっただろうが、手塚原作の趣旨を損なう危険性があり、あくまでロボットと人間の対決に終始しなければならなかったことに、「おはなし」としての軋轢を感じる。

 個人的には、「バンパイアハンターD」のほうが面白かったような、「クレヨンしんちゃん」のほうが考えさせられることが多かったような気がする。

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