[INDEX] 映画の感想 4・5月分  

リトル☆ニッキー

バンパイアハンターD

山の郵便配達

名探偵コナン

クレヨンしんちゃん

スターリングラード


印・・・特撰 印・・・秀逸

リトル☆ニッキー 5/28
 自分でも、コメディが好きだなぁとつくづく思う。といっても、スナッチみたいなかっこいいのはダメで、コテコテの笑えるギャグムービーじゃないといけない。もっとも、タダだから観ているのであって、1800円払えといわれたら、観ないと思う。アメリカで大ヒットしても、日本ではこける映画や、スタッフには評判がいいけれども客入りは悪い、という典型に、コメディがある。

 リトル☆ニッキーは、引きこもりの悪魔だ。自分の部屋で、ヘビメタに陶酔していて、兄たちからは馬鹿にされまくっている。それでいて、あきれるほどのお人よしなのだ。そのニッキーが、暴走した兄たちを追って地上で繰り広げる騒動を、面白おかしく描く。まあ、感銘を受けるような作品ではない。面白いので、それでいい。案内役の犬に先導されて、ひょこひょこニューヨークの町を歩き回るニッキーの姿がユーモラスである。

 さて、主演のアダム・サンドラーがよくわからない。コメディが多いので、日本ではあまり有名どころではないけれど、アメリカでは超メジャーな存在らしい。たしか、脚本も書いている。リトル☆ニッキーも、かの地では大作の一つだそうで、クエンティン・タランティーノやオジー・オズボーンをはじめ、各界の大物が本作に出ていることからも、それが推測できる。

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バンパイアハンターD 5/18
 アニメオタク御用達の感があり、ちょっと観るのをためらっていたのだが、評判がいいので、最終日に観てしまった。

 と、どうしてこれが、よくできた映画だったのだ。本編が始まった直後は、その強引な世界観に、多少は引かざるを得ない。「はるか遠い未来、吸血鬼である貴族に支配された人間は・・・」などと、あのファイナルファンタジーの天野調の絵と共に解説されれば、ふつうの人は身構えてしまうに違いない。日本風のアニメなのに、字幕版というのも、なんとなく腑に落ちない。ところが、物語が進行するにつれ、観るものは徐々にその世界観に引きずり込まれてしまう。

 これを実写でやるわけにはいかないであろう。CGでは描けないアニメの創造的な世界があり、孤独な人間や吸血鬼やその混血児があり、はじめて成り立つ作品なのである。要は、筋書きが余程しっかりしているのだ。設定環境は、ずいぶん身勝手なものだが、そうまでして訴えたいものが、この作品の作り手にはあるのだ。あるいは、そうまでしても、この作品が成功するという自負があったと換言してもいい。この物語を、よくぞ1時間半で描ききったと思う。

 有名な俳優を使っているというだけの洋画を見るよりは、こういう上質のアニメのほうが、鑑賞の価値があるというものである。

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山の郵便配達 5/14(岩波ホール)
 神田神保町の岩波ホールは、設備はしょぼいが、上映中に携帯を鳴らしたりする人がいないし、飲食物の持ち込みも不可なので快適だ。入口に「幼児同伴お断り」と明記してあるのも、なんとなく頼もしい。紳士淑女が多い。

 さて、これまでに2回も足を運んだにもかかわらず満員で入場できなかった本作は、期待したとおりの作品であった。80年代の中国湖南省の山間部。毎回、3日間も山中を歩きとおして郵便を配達する配達員と、その後を継ぐことになった彼の息子が、最初で最後の二人一緒の配達に出る。

 まず、美しい中国の山村風景に目を奪われる。緑が鮮やかで、川の水は豊かだ。日本の山里に同じようなところもあるが、日本の場合は山のてっぺんに送電線の鉄塔が立っていたり、山ひだから高速道路が飛び出していたりする。が、舞台は、僻地だ。この山々を、重い郵袋をかついで毎日歩くなんて、考えるだけでも憂鬱だが、安藤政信似の青年は「出世できる公務員だから」とか何とか自分なりに理由をつけ、父親と犬と共に渋々、配達に出かける。

 この年頃の父親と息子の関係は微妙だ。息子は、父親をどう呼ぶべきか、そんなこと一つで戸惑う。仕事の都合上、一緒に過ごした時間も少ない。青年は、その「仕事」を当の父親から継ごうというのである。道中の会話は少ない。犬が、ようやく二人を取り持っている感じだ。

 お互いをぎくしゃくといたわりあいながら、旅は続く。その苦しい山道で、配達先で、青年は次々と自分が知らなかった父親の姿を見出す。一方、父親は、知らぬ間に一人前になった息子に気付く。「お前、煙草吸うのか?」と驚く父親の表情がまんざらでもない心境は、おそらく女にはわかるまい。もちろん、この映画に女が出ていないというわけではなくて、青年がその父母を男と女として捉え、父親がその息子を一介の男として捕らえているという客観論にも、本作は踏み込んでいる。そのほかにも、生き甲斐とは、家族とは、民族とは、故郷とは、いろんなテーマに、さりげなく触れて作品を濃厚にしている。

 さて、二人にとっては非常に長くて有意義な旅も、所詮、3日間である。映画は、単身、配達に出かける青年を見送って、後腐れなく終了する。ラストのシーンは、NHKの新日本紀行のテーマが流れてきそうである。新日本紀行ほど淡々とした作風ではないが、何か似通ったものを感じる。観終わっても、心は、しばらくあの山里に取り残されたままだ。そういう放心状態で、いつもの半蔵門線に揺られるのも、岩波ホールの一興だと思っている。特撰

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名探偵コナン  5/-8 
 どうも、いつも犯人は誰か、という本来の視点を忘れて観てしまうので、今回は真面目に鑑賞することにした。

 結局、犯人はわからずじまいだったが、ちゃんとネタを明かしつつ物語が進行して、最後にコナンが犯人に結びつくネタをピックアップして観る者をうならせる、いつもの手法が丁寧でよい。後になって、「実は、こんな事実があったんです」と辻褄を合わせる三文テレビドラマとは質が違う。面白かった。

 林原めぐみと立木文彦の共演も光る。

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クレヨンしんちゃん  5/-1 
 何を隠そう、クレヨンしんちゃんの映画は全部観ているのだが、傾向として、だんだん同伴のお父さんやお母さんにも的を絞った作りになってきているのがよくわかる。今回はテーマが20世紀。懐古主義のオトナたちを腑抜けにして、古きよき20世紀を再び!と企む悪党に、野原一家が挑む。初回作からの差は歴然としていて、劇場版クレヨンしんちゃんの同伴者政策は、今作で頂点を究めたといっていい。

 随所に登場する高度成長期ネタに唖然とする。子供が観たってわからないだろうというギャグや車が大集合。だいたい、僕だって大阪万博には行っていない。それでも、あの夕暮れの町並みに郷愁を覚えるのだから、30代の子持ち世代にはたまらない設定だろう。一方、子供が喜ぶ下品ネタやおなじみのギャグは健在なのであって、劇場内からは笑い声が絶えなかった。制作者の苦労がうかがえる。

 が、ここでは、オトナ向きの見方をするべきだろう。僕たちが子供の頃、21世紀はどう描かれていたか。海底で生活したり、宇宙旅行に行ったり、東京・大阪間がリニアモーターカーで結ばれていたりしたはずだ。百科事典「人類の未来編」に載っていた、海上のコロニーで微笑みながら自分専用の「有線」電話で話す子供のイラストが、妙に印象的に残っている。あの頃は、夢があった。輝かしい21世紀を信じ、実際は地味だが心あたたかく暮らしていた日本人の姿があった。そう、悪玉のボスは言う。が、本当の21世紀はどうだ。たしかに、百科事典の未来編を読んでいて、心を躍らせていた21世紀に比べれば、ずいぶん陰湿な世紀だ。劇的に発展したものといえば、電話が「無線」になったことくらいであろう。

 しかし、だからといって新世紀を否定することが、大切なことなのだろうか。貧しかったが幸せだった高度成長期と、夢や希望が失われつつある現代。さあ、どっちを選択する?!と問われたとき、しんのすけの父ひろしは明らかに迷っていた。その彼をして「未来」を選択せしめたのは、いまの自分、いまの時代が、大好きな20世紀の延長線上にあるという厳然たる真実だと思う。その20世紀が、ただ時代的によかったというのではなくて、自分が子供で、愛する人たちに守られ、希望と共に生きてきた子供時代の世紀である点に気付けば、彼の選択に躊躇はなかった。ひろしと20世紀の関係は、しんのすけと21世紀の関係と同じだからである。ここで、ようやく劇場版クレヨンしんちゃんのテーゼに達する。

 おそらく、ここまでこの映画を分析する人はいないだろうなぁ、と思いながらも邪推してみた。僕はまだ24歳独身なので、100%この作品を味わったとは言い難いのが辛い。前述の通り、単なるしんちゃん好きの子供と、その両親にターゲットを絞りまくっている作品なので、その範疇から僕は外れるのである。が、子供時代との訣別、という意味では、どんなオトナが観たって納得できるだろう。誰もが、昔の感傷を断ち切り断ち切り、今日あしたをつくっていくのである。ちょっと哀しいけど、21世紀も、そういう20世紀みたいな世紀でありたい。秀逸。

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スターリングラード 4/14
 久しぶりに見た映画が公開初日の戦争映画になったが、とくに戦争映画が好き!というわけではない。偶然である。

 表題から想像がつくように、第二次大戦末期の独ソ戦の話だ。ひょんなことから英雄に祭り上げられてしまった凄腕狙撃兵のドラマ。次から次へと、ナチの頭を撃ち抜いてゆく。そういう仕事のかたわら、彼は応援のお便りに返事を書かねばならないし、恋に落ちたりもしなければならない。彼を仕立てた男は若きフルシチョフに尻を叩かれているので、そっち方面での気配りも絶やせない。まことに、忙しい英雄である。そうした充実した(?)市街戦生活と、狙撃という動と静の対比世界の中、ナチのライバルが現れる。老獪な狙撃兵だ。物語は、次第に二人の闘いに傾倒していく。ご存知の通り、スターリングラードは冬将軍の到来によって、ソ連は奪還に成功するのだが、二人の狙撃兵同士の戦いはどうなるのか。宣伝口調ですみません。

 舞台は最初から最後まで、破壊し尽くされた街。そこここに死体がごろごろしていて気が滅入るが、そんな中でも兵士は生きているんだなぁと、妙に納得させられる。注目したいのは、ソ連風味。先述どおり、フルシチョフなんて出てきちゃって将校連に圧力かけまくりだし、敵前逃亡は射殺だし、女も前線に出ている。作品そのものも、クレジットにソ連のプロパガンダ映画っぽい字を使っている。それと、撃ち殺されるときの音。なんとなく、バン!とかドキュソ!と音を立てるような先入観があるけど、それはあくまで発砲時の音なのだ。狙撃はしたくもないしされたくもないね。神経が磨り減りそう。

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