[INDEX] 映画の感想 2月分  

ふたりの男とひとりの女

キャスト・アウェイ

ペイ・フォワード

BROTHER

ザ・ウォッチャー


印・・・秀逸

ふたりの男とひとりの女 -2/26
 何かと『メリーに首ったけ』と比較されるコメディ。二人の人格を持つジム・キャリーは精神病だけど、精神病を極限にまで娯楽化している。いいのか。

 コメディなので、あんまり感想を書くことがない。とても面白い。口が悪くて立派な体躯だがめちゃくちゃ頭のいい子供たちが可笑しい。コメディの王道を行く感じだ。配給は抱き合わせとの噂があったが、それを否定できる面白さ。

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キャスト・アウェイ ★ -2/26
 あらすじは省略する。

 たいへん、素直に作られた映画だ。僕も、無人島に流れ着いて、そこに自社便の荷物が漂着すれば、とりあえず拾うしかないと思う。火がつかなかったり、思わぬ怪我をすれば、痛みをこらえるより先に、うまくいかないことに腹を立てると思う。そしてウィルソン。彼がウィルソンとけんかしたあとの行動は、痛いほど良くわかる。フェデックスのモーレツ社員が無人島に流れて・・・、という突飛な設定のはずなのに、彼の行動はおよそ常識範囲内で、そんな馬鹿なと突っ込みを入れさせる余地がない。話の成り行きが等身大で現実離れしていないのだ。

 この物語は、プロローグ・無人島・エピローグと展開されるが、意外と無人島部分が短い。単なるサバイバルを再現した作品ではないのである。図らずも浦島太郎になってしまったトム・ハンクスを、自然に描ききっている。見方によっては、退屈であるかもしれない。しかし、退屈をはるかに通り越した孤独の世界を映画で表現したのがこの作品であって、単調に感じる海辺の風景も、実は必要不可欠な脇役なのだと思う。ただ、本当の名脇役は風景ではない。もちろん、ヘレン・ハントでもない。ウィルソンである。ウィルソンなくして、トム・ハンクス(役名を忘失した)の4年間は語れまい。あるいは、ウィルソンがいなければ、彼はとうに死んでいたかもしれないのだ。そのウィルソンが、人形でも動物でも、ましてや人ではないという象徴的な手法が、孤独の境地を見事に言い含んでいると思う。

 難癖をつけるとすれば、前ふりが長いこと。「時間を大切に!」という説話は、それほど物語に影響を及ぼさない。懐中時計も、エピローグを飾るアイテムの一つに過ぎない。何となく無人島の前後で無駄な話が多い気がする。それと、フェデックスの社名やロゴが出まくり。とはいっても、フェデックスは自社便が墜落する設定に名前を貸したのだから、立派なものである。フェデックス広告は大目に見るとし、プロローグの長さはウィルソンに免じるとし、この作品、秀逸。

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ペイ・フォワード -2/22
 ハーレイ少年は中学生役。相変わらず、どことなく陰のある演技は絶好調だ。世の中を変えるにはどうすればいいか、という社会科の課題で彼が提案したのは、他人から受けた善意をまったく別の3人に、さらに施すというもの。ねずみ算式に善意の輪は広がってゆくはずだ。彼の思惑は、彼の知らないところまで波及して、クソの世の中をちょっとずつ変えてゆく。彼の母親も、社会の先生も、彼によって救われる。ホームレスも職を得た。

 この一連のペイフォワード運動を、末端でその恩恵にあずかった新聞記者が追う様子を、ハーレイ少年の奮闘と並行して描いてゆく手法は、この作品ならでは。たいへん興味深い。そして、記者と少年が出会った直後に、ラストシーンを迎える。

 詰めが甘い。みんなが絶賛するラストシーンは、それまでのハナシがうま過ぎることの辻褄あわせじゃないか。これまで現実的なユートピア論だったのに、冷めた。「話ができ過ぎだぞ」というつまらない謗りを免れるために、無理やりこうしたラストを挿入した感がある。だが、こういう形で損益を通算しないと、作品としてのバランスに欠けるのも否定できない。映画は難しい。

 変に、現実感を強調しすぎたのがいけなかったのか。その割には、社会の底辺を描く、という覚悟が不十分。割り切って、もっと楽天的なエンターテイメントにしたほうが、中途半端じゃなくてよかったと思う。いい意味でも悪い意味でもアメリカン・テイストな作品。少々、受け入れ難い。

 ダメな作品ではない。過度に期待すると、外す。

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BROTHER -2/14
 世界の北野映画。日本で居場所を失ったやくざが、アメリカでシマを持とうと奮迅する。

 やくざの世界は戦国時代に似ている。殺るか殺られるか。獲るか獲られるか。日本で組を獲られた、たけし扮する山本が、新天地でいきなり一旗あげるなんてできっこないのだが、兄貴たる人望によって、それなりの成果を上げる。自分の属国を奪われた戦国武将が、よそへ流れて国を乗っ取ろうというのだ。だが、強大な組織を前にして、次々と舎弟は倒れてゆき・・・。

 まあ、やくざ版アメリカンドリームを描いた作品ではないことくらい、最初からわかっている。兄貴だって、わかって渡米したはずだ。どうせ死ぬ身、人生の最後にパッと一花咲かせてやろう。いわば、死に場所を求めていたのだ。その美学を語る作品だと思うのだが、如何せん、極道の世界は私たちの住む世界と乖離しているように思う。兄貴のために命を奉じる子分の姿は、日本的な感動の頂点ではあるけれど、何となく浮き足立っている。やくざなら、それくらいのことしてもらわなきゃ、やくざじゃないな、という、一歩後ろに下がった客観的な冷静さが、ふと脳裏をよぎる。しかし、かたぎが死をもって報恩しちゃう映画は、北野監督にしてみれば、虚偽の感動になるのだろう。したがって、美学は描かなければ、でも嘘はダメだ、というバランス感覚を維持するには、いまの日本映画ではやくざが主役になるしかない。不躾な言い方をすれば、いまの北野武には、やくざでしか表現し得なかったともいえる。

 この日本的美学と感動の真実性を両立させるのにやくざが登場しなくなったとき、北野映画はある種、頂点を極めるのではないかと思う。

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ザ・ウォッチャー -2/-3
 アメリカの映画を見ていていつも思うのだが、あんなに廃倉庫や廃ビルが放置されているものなのか。撮影の都合で廃屋を使っているだけとすれば、大きな誤解を世界中に与えていると思う。日本の刑事ドラマの犯人が貨物駅に逃げ込んだり、ナントカレンジャーが採石場で決戦するようなものか。

 今回のキアヌ・リーブスは変質殺人鬼で、次々と殺人を予告して女性を殺す。何を考えているのかわからず、不気味。どんな思惑があるのか気になったが、本当に何も考えていない。サスペンスなのに、なんにも裏がない。キアヌの変人ぶりに多くを依存した作品だ。

 殺人を写真で予告されても、被害者を特定できないというのは、よくわかる。都市ならなおさらだ。しかし、孤独な女性を狙った連続殺人でも、マスコミで大々的に宣伝されれば、少なくとも本人くらいは気づきそうなものだ。絶対に職場や学校で話題になる。職場や学校に行かない引きこもった人ならば、絶対にテレビやインターネットで情報を知る。それでもなお、殺されてしまうという現代社会への警鐘がキアヌ演じるグリフィンの狙いなら、都市に住む我々にとって大変な戦慄だが、彼はそんなことを考えてはいない。

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