J/
さて、ミラノに戻ってきたロッコとナディアなんだけれども、このふたりに芽生えた愛っていうのが、深いところで連帯しているかのよう
で、見ていて実に気持ちがいい。ナディアの顔がこの時だけはとても綺麗に見える。ふたりが、乗り物に乗って、キスなんかしていても、
ちっともいやらしい感じがしない。ふたりの後ろの展望の利く窓から、ミラノの町並みがすべるように動いていって、すべてがふたりを
祝福しているかのよう。
B/
彼女はまるで生まれ変わったかのようね。タイピスト学校に通って、昔の連中とも一切交渉を持たなくなって。それだからこそ、私はその
後、ふたりが親密になっているということを友達から聞いた兄シモーネが嫉妬心に狂い、ナディアをロッコの目の前で犯すというのが、と
ても許せない。
J/
彼は、ボクシングでも弟のロッコにお株を取られ、その上好きだった女性まで奪われてしまったと思ったんだね。
B/
ボクシングでは、大敗を喫し情けないところを見られ、女の気持ちを引き止めるためには、盗みもしボロボロ堕ちるところまで堕ちている
というのは、わかるけれども、あそこまでする必要はあるのかしらって思っちゃった。ちょっと不愉快だった。
J/
確かに、あそこまでっていうのはあるやね。けれども、これがヴィスコンティらしさでもあるんだけれどね。後年の『地獄に堕ちた勇者ど
も』にしても『イノセント』にしても、ここまでするかなっていうの必ずあるんだよね。
B/
どこか近親相姦っぽい部分もあるのね。
J/
『熊座の淡き星影』なんていうのはまさに、それだったし。
B/
なんていうか、その辺に彼の血が現れているのじゃないかしら。昔のヨーロッパの貴族たちが身内同士血で血を洗うようなドロドロとした
争いを繰り返してきた歴史。その血が彼の中にもやはり入っているのじゃないかなって気がしてしまう。だから例え庶民の話であっても、
そういう部分が出てきている。好きか嫌いかと言われれば、私はあんまり好きではない。
J/
確かにね。だからって言って映画自体がそれでダメってことじゃない。そういう部分がダメでヴィスコンティが嫌いっていう人は確かにい
るけれど、それではあまりにも勿体無い。そのへん割り切ってでも見て欲しいなぁ。だめかな。
B/
それとその後、ふたりはミラノの大寺院ドゥオーモの屋上で会って、これからのことを話しする。そしたらロッコが「兄にはあなたが必要
だから兄とまた一緒になってほしい」ってああた、そりゃー違うでしょうよ。そりゃひどいんじゃないの。
J/
まあまあ。そりゃ違うんだけれどね(笑)これは、彼が大切にしている南部の大家族制度の価値観から来ているからしようがないんだよね。
おまけに彼はムイシュキン的な人物ときているから、むしろ兄がこうなったのは自分のせいだって、ヘンな責任感を感じているから、ああ
するしかないんだよね。
B/
映画の中でもセリフでてきたけれど、その彼の性格こそが悲劇だったって。このふたりの兄弟の性格の違いが、とにかく悪いほうへと悪い
ほうへと、転がっていく原因になっている。組み合わせとして最悪なのね。
J/
それにしても、あの屋上のシーンは、大変ドラマティックで綺麗だったな。ロッコに拒絶されてナディアが去っていくところ、キャメラが
俯瞰になって手前のほうにグーッと引いていく。教会の尖塔が見える。大勢の無名の民の間をぬって去っていく後姿、荘厳な景色の中を歩
く悲劇のヒロインが、段々小さくなっていく。その圧倒的な迫力。なにか運命を感じさせるような。
B/
人間の存在がとってもちっぽけに見えるのね。背後が壮大な歴史的建造物で、しかも神のいるところ、寺院の屋上だから。
J/
それとあの教会自体が、実はヴィスコンティの先祖が作った教会というのもなんかとても興味深い。今その教会を作った子孫が、そこを舞
台にして、しかも低所得層の庶民の悲劇的物語を描いているというところが、これはヴィスコンティの映画そのものじゃないかと。実はイ
タリアのほかのネオ・リアリズム(注:イタリアで戦後起こった映画、文学の運動。『戦火のかなた』『自転車泥棒』など)とは根本が違
うのじゃないかと思うのはそこなんだ。
B/
なんか言っていることがよくわからないけれど…
J/
物事をリアルに描いていても、キャメラの視点が彼等と同じ位置に降りてきていないような気がするんだ。悪い意味じゃないよ。もっと広
い視点、歴史的な視点で物事を捉えているんじゃないかってこと。言いかえれば、彼の座っている位置がそこに描かれている人たちよりも
高いところにあるんじゃないかってことなんだけれどもね。
B/
まるで、彼のお父さんが、自分の領地の村人たちを集めて、月一回自宅で舞踏会を開いていたみたいな。ドレスも全部プレゼントして。そ
んな貴族階級の人ならではの土地の人への愛情。そんな感覚がヴィスコンティ自身にもあったのかもしれないわね。もちろん形はまったく
違うのだけれども。そういう意味では「貴族の血を持ったネオ・リアリズム」とでも言ったらいいのかしらね。
<チーロ…運命に引き裂かれた兄弟>
J/
話がだいぶそれてきちゃったんで、元に戻そうね。この映画の最後の時にきて、完全に兄弟の明暗、生きていく方向っていうのが、はっき
りとしてくる。それが、第4章「チーロ」だね。
B/
チーロっていうのは、どこか冷めている分、非常に現実的で順応性があるのね。一所懸命勉強して、工場に就職して、都会のお嬢さんと将
来を約束する仲になる。それでそちらのお父さんにも気に入られて、順風満帆。
J/
彼は家族の問題もよくわかっているね。シモーネが警察沙汰になった時に兄弟の違いが一番はっきりと出てくるね。家族がいるからって関
わり合いたくないっていう長男のヴィンチェンツォ。いや自分が犠牲になっても兄を助けてやりたいっていうロッコ。それと、シモーネに
とっては、それは良くないことだっていうチーロ。
B/
今思えばそこが物語りの大きな分かれ目でもあったのね。もしチーロの言う通りにしていれば、その後の悲劇は避けられたわけだものね。
J/
けれどロッコは、シモーネの借金を肩代わりする代わりに、ボクシング事務所と長期契約をすることによって、文字通り身を犠牲にしちゃ
うんだものね。彼にとっては故郷に帰ることが夢であると同時に、家族全員が幸せでなければならないっていうところがあるから、そうせ
ざるを得ないのただけれど、これで完全に故郷への夢は絶たれてしまう。
B/
そうね。ボクシングでチャンピオンになるという栄光を掴むのだけれど、彼にとってはそんなことは意味のないことなんだものね。
J/
チーロが言う「兄は変ってしまった。虫も殺せない人だったのに、今では顔に憎しみが出ている」って言うね。
B/
フォローするには自分の身に余るほどの兄シモーネの堕落によってロッコも自分自身をどうにもできなくなっているのね。南部に心を残し、
いつかは帰ることを一番望んでいる彼自身が、兄を直接責めることはしないけれど、大家族主義の考え方につぶされていっている。怒りが
彼の心の中に宿ってきているのね。兄にそうするのは当然と思っている彼にとっての怒りの対象は、何に対してということでない漠然とし
たものなんだけれどもね。
J/
そういう意味でも、ロッコのボクシングの試合のシーンと、シモーネが憎しみでナディアを殺してしまうシーンが、時間の経過と共に平行
して描かれていくというのがすごいね。一見家族一番の栄光と、一番の悲惨の対比みたいだけれど、そうじゃないね。
B/
ふたりとも不幸なのね。社会的には栄光と転落なのだけれど、ふたりに共通するのは、故郷への道が完全に閉ざされるという悲劇に他なら
ない。
J/
ともにひとりの女性を愛し、ボクシングを始め、都会には馴染めなかったふたり。愛し合い、憎しみあい、殴り合ったふたり。性格的には
最悪の組み合わせでありながら、常にどこかでつながっていなければならなかった、ふたり。その相乗効果が生み出した悲劇が、片方は栄
光、片方は転落といったまったくの対象を見せて同時進行で進んでいく。これはすごいね。運命の皮肉。
<そしてルーカ…故郷への遠い道のり>
B/
ボクシングでのロッコの勝利を祝った身内のパーティーが素晴らしくいいわね。シモーネは当然ながらいない。「みんな揃えばもっといい
のに」ドアの向こうの呼び鈴の音に耳を澄ます母。乾杯の音頭、あたり障りのないことを言う長男。いまだ故郷への思いを口にするロッコ
「俺たちのうちのひとりはくにへ帰らなければならない」
J/
そして例の家を建てるときに、石を投げる話ね。「どうしてそんなことをするんだろう」ってルーカが聞くと、母親が「家をがっちり建て
るためには犠牲がいるからだ」って。その時チーロが映る。すると、背中を向けている。その視線の先にはシモーネのボクサー時代の写真
が貼ってある。その写真に言葉がかぶさる。「犠牲」
B/
背中を向けて、チーロが考えていたこと…。この時彼は確かに、このミラノで成功してうまくやっていくだろうけれども、その代わりに何
かを捨ててしまったという風に見えたわ。彼は家族たちとは疎遠になっていくのじゃないかと。
J/
そしてその後、すぐにそれが現実のものとなってくるね。シモーネが帰ってきた。けれども様子が変っていうんでロッコがひとり別室に引
き入れる。「とうとう殺っちまったよ」それだけで何が起こったかを理解して、泣きながら兄を抱きしめるロッコ。まるでふたりがここで
ついにひとつになるかのように。なんとも不思議な感覚でね。その時、チーロは兄を警察に通報しにいく。取り乱してわけがわからなくな
る母親。ついに家族が崩壊した瞬間でもあるね。
B/
家族の悲劇が最高潮に達してね。このラストの30分間は、一篇のオペラ悲劇のような圧倒的な迫力で観客に迫ってくるわね。例え成功し
ても家族を、あるいは故郷を捨てなければならない悲劇。失敗すれば、とことん堕ち、家族をバラバラにしてしまう悲劇。これらの悲劇が
いっぺんに襲ってくるのね。どう転んでも決して幸せにはなれなかった南部人の問題が象徴的に明らかになる。
J/
それでもラストには、わずかな希望も見られるのが良かったけれどね。シモーネが逮捕されたことをチーロに知らせにきた、末っ子ルーカ
が、真っ直ぐな道をむこうの方へ去っていくところ。その向こうには、オリーブの繁る虹のくに南部があるかのような気がする。せめて彼
には、問題が解決して住みやすくなった南部へと帰れる日が来てほしいっていう希望のようなものを僕は感じた。
B/
とても象徴的な、素晴らしいラスト・シーンだと思うわ。南部の方向(おそらく)へ歩いていくルーカ、それと反対の北部(彼の工場、す
なわち北部の象徴)へと歩いていくチーロ。そしてその真中には、もうどこへも行けなくなった、ロッコのボクシングの写真が塀に何枚も
貼られている。この3人の兄弟、その行く末を暗示しているようか気がしたわね。
J/
名作にはやっぱり、素晴らしいラスト・シーンがあるものだね。
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