J/
これは、香港返還直前の人々のドラマ。またしても子供が主人公なんだけれど、やっぱりこれがとてもいいね。
B/
この映画には、街の食堂の男の子、その両親それとおばあさん、不法入国者の家族がいる。フィリピン人のお手伝いさんがいる。それぞれ
の人たちが、それぞれの立場で、この歴史的瞬間を膚でもって感じている。その感覚がいいわね。
J/
香港返還の時が迫っているからって、彼らの日常が劇的に変わるわけではない。けれどもそれぞれに確実にその影が落ちているというのが
とってもいいね。
B/
その象徴のひとつが、リトル・チュンの乗っている自転車なのね。最初は自分のサイズにあった小さな自転車に乗っているのだけれど、
途中で誰かに使われてしまって、仕方なく大人用の自転車に乗るようになる。その時から彼は、自分の背丈より高い世界を見なくてはなら
なくなるのね。見たくないことも、いやでも見なくてはならなくなってくるのよね。
J/
子供にとって見えるのは、友達になった女の子ファンの家族、不法入国者のどこかコソコソした姿。あるいは学校で、不法入国者の子供たちが、
警察に連れ去られていく姿。また中国国旗掲揚の練習をさせられたりしたこと。邪魔をする知識がない分素直に物を見ているから、大人
たちの不法入国者への微妙な感情や、外国人労働者に対する差別意識などを直感的に感じ取っているね。
B/
あまり考えなくてもすんでいたことなのたけれども、香港自体がどこか揺れているので、それを膚で感じ取っているのね。
J/
大人たちは、どこか日常の生活、仕事のことやらなんやらで、結構せいいっぱいというところがあって、それほど敏感ではなかったりする
んだね。
B/
そうね。それでどういう部分で、歴史の流れを見ているかというと、それはテレビの中の出来事であったりするのね。
J/
国民的な大歌手が危篤で、その家族が本人の死ぬ前から、遺産問題でゴタゴタしているっていうそんなニュースに夢中になっている。でも
そんな出来事から、香港の歴史が変わっていくことを感じ取っていたりするんだね。
B/
「ああ、20世紀の終わりに、三船も黒澤も逝ってしまったんだなぁ。あの時が時代の変わり目だったんだなぁ」なんて、私たちもきっと
そんなことで、今をのちに振りかえるかもしれないわね。そんな感覚かもしれないわね。もっとも事はもっと大きいのだけれども。でも、
案外そんなものなのだろうなぁって気はするわね。
J/
香港の人は、意外に冷静で、まわりのほうが騒いでいたという気もしないでもないね。
B/
でも、そういった時にもっとも社会の影響を受けるのは、子供や弱い立場にある人なのね。
J/
この映画、最初のほうは、子供たちがとっても自然に描けているね。望遠で遠くから撮っているんだと思う。雨の日にトラックの荷台で、
リトル・チュンとファンが遊ぶシーン。屋根の上を傘でたたいたり、鉄棒みたいにぶるさがって蹴り上げたり、溜まった水がバシャバシャ
落ちて、通りかがりの人にひっかかったりする。その屈託のないこと。勝手に遊ばせて、それを撮影したみたいに活き活きとしているね。
B/
夜トラックの荷台でファンが、「ここには星空がない」っていうと、チュンが「ここにだってあるよ。ほら手の届くところに」って見ると
荷台の屋根に穴がいっぱい空いて、ネオンや街灯の光がそこから漏れて星みたいに瞬いている。いかにも都会っ子って感じがでているの。
とっても子供らしい。
J/
この映画の中でも特に素晴らしいシーンのひとつでもある、自転車で埠頭に行って、香港島を眺めるシーン。子供たちがいっしょに返還の
カウント・ダウンをする。「この素晴らしい眺めは、ぼくたちのものだぁーっ」て感じでね。「紅主席が来て香港が返還されるわ、私たち
に」とファンが言えば、香港生まれのチュンは「違うよ、僕らのものだ」微妙な食い違いが生まれるんだよ。香港が返還されれば、女の子
は不法入国者ではなくなる。それでやったふたりだけのカウント・ダウン。だけど、ニュアンスはちょっと違っているのが面白かった。
B/
そうそう。けれども後半、このシーン以降はしだいに厳しさを増してくるわね。それにしたがって、今度は意識的に子供たちに演技をつけ
ているなっていう感じがしてくるのよね。そここそが、監督の一番力を入れたかった部分かもしれないわ。
J/
父親の横暴に抗議して家出していたチュンが、ファンの家で見つかっていまう。お父さんは、子供を心配するあまり、女の子に「もし言わ
ないなら、警察に不法入国者がいるって連絡するぞ」って、それでたまらず彼女はチュンの隠れているところを泣きながら教える。辛いね
ぇ。
B/
狭い路地がとってもうまく使われていてね。Y字型の路地の左側では、ファンとその母親、右側では怒って担いでチュンを連れかえる父親
の姿。はっきりと、子供たちの置かれた境遇の違いが見えてしまうのね。ここからふたりの人生は大きく変わり始め、決してもうふたり
で過ごした楽しい日々は、もう帰ってこないだろう。そんなことを暗示しているみたいなのね。
J/
その後、父親は怒りが収まらず、チュンにおしおきをする。また逃げると困るっていうんで、逃げられないように、パンツを降ろさせ、店
の前に立たせる。それでチュンが歌を唄う。ブラザー・チュンの古い歌「♪清らかな心を持ちながら、いつも不運に見舞われる。生まれた
時代を間違えました…♪」ってね。雨が降ってくる。そのままの格好でおしっこをするチュン。なんだかとっても辛いやね。
B/
この映画で、また忘れてはならないのは、お年寄りたち。彼らの存在感のいいこと。ボケたふりをして値切ろうとする棺桶屋のじいさん。
ご近所で、その昔チュンのおばあさんに熱をあげていたらしいホイおじさん。チュンのおばあさん。あのおばあさん、とってもいいわね。
もうだまってそこにいるだけで、何かを語っているみたいな味があるのよね。
J/
どうも昔は女優で、スーパー・スターのブラザー・チュンと共演したことがあったらしい。思い出話しの断片、多くは語っていないのだ
けれど、相当に苦労をしてきているのがわかる。そんな彼女にとっては、香港の返還なんて、いまさらそれほどの意味もないんだろうな。
まるで、ブラザー・チュンの出ているテレビの中で彼女は生きているみたいなんだ。それが唯一の幸福の時だったみたいに。
B/
奇しくも、彼女の誕生日パーティーの日にブラザー・チュンは亡くなるのね。家に閉じこもって、ひとりテレビを見つめる彼女の寂しそう
なこと。そしてしばらくして後を追うようにして彼女は逝ってしまうのね。まるで自分の住む世界は、もうなくなってしまったかのように。
J/
チュンに昔話しをしながら、その姿がスーッと消えていくところ、何とも言えないね。亡くなったというより、静かに現世から退場して
いったみたいな。チュンの前からスーッといなくなる感じがとってもいい…なんかうまく表現できないけれどね。
B/
最後に彼女が残していった言葉、あなた覚えている?
J/
えーと、チュンのお兄さんの話だったような気が…。
B/
確かにそうなんだけれど…早く生まれすぎちゃって、ゆり椅子から転げ落ちちゃったていう童話みたいな話しね。最後に言う言葉が、「こ
の子は世間が早くみたかったていうお医者の言葉に対して私は思った。こんな世の中を見てどうするのって」なのね。
J/
ああ、そうだったね。しかし重いねー。ああいう穏やかな顔をしているおばあちゃんが言うと、ひじょーに重みがあるね。何て言ったらい
いのかねぇ。黙っちゃうよな。何にも言えない。それだけで歴史を語ってしまっているもんなー。
B/
でもなんだかリトル・チュンは、あのおばあさんの言葉をずっと記憶に残していくと思うの。彼はおばあちゃんっ子だったし。部屋に帰っ
てきても、もうおばあちゃんはいない。当然世話をしに来ていたフィリピン人のメイドさんもいない。ガランとした部屋の空気にたまらず、
「おばあちゃん」って何度も何度も呼んでみるチュン。でもこの時を境に彼は、一歩外に歩き出したような気がするの。彼女の後を受け継
いでね。
J/
そうだね。そんな気がするね。この後初めて彼はひとりで、フィリピン人のメイドさんに会いに行くんだね。親は親、自分は自分。しっか
りした意志を感じる。
B/
気付けば、彼は大人用の自転車をちゃんと乗りこなせるようになっている。三角乗りも覚えて。ものすごいスピードで細い路地を駆け抜け
ていくのよね。本当にたくましい。
J/
いつも麻雀ばかりしているお母さん、ブラブラしているホイおじさんの息子、彼はそんな人たちを超えていくと思うね。
B/
そうね。彼は香港の、もっと言えば中国の未来への希望でもあるのよね。そんな思いを強く感じたわ。この映画は、決して報道ではわから
ない、市井の人々の生の感覚の香港がわかるのね。
J/
僕はこういう作品を観ると、映画の魅力のひとつとは、まさにこういうところなんだなぁと思うね。でも厳しいところはあるけれど、決して
堅苦しい映画じゃないよ。ホイおじさんの息子デビッドには、ずいぶんと笑わされたし、ちゃんとメリハリはある。関係ないけれど、チュン
のおやじさんは、泉谷しげるによく似ていたし(笑)それぞれに味もあるね。だから、この映画は、色々な人に観てもらいたいと思う。
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