J/
邦題は『クリクリのいた夏』、原題は「沼地の子供たち」。映画の売り方も、今流行りの「ロッタちゃん」の路線のようだったけれど、
観てみたら、これが全然違ってた。子供が主役の映画ではないんだね。
B/
私は予告編を観たとき、一見すると子供の映画のようだけれど、もしかして違うのではないかって気はしていたのよ。
J/
「子供たち」とは、「子供のような大人たち」のことなんだね。でもこの邦題は、明らかに、「ロッタちゃん」の観客を呼びこもうっていう
魂胆が見えるよな。(笑)予告のナレーターはロッタちゃんと、同じ人がやっているみたいだったし。そんな売り方しなくてもいいのだけれ
どね。
B/
久しぶりに観た、フランス映画らしい映画だったわね。『パリのレストラン』や『パリ空港の人々』それから『百貨店大百科』『猫が行方
不明』みたいな。人間味溢れる一種の群像劇みたいな。
J/
古くは『巴里の空の下セーヌは流れる』に代表されるジュリアン・デュヴィヴィエ風の、伝統的な「セ・ラ・ヴィ」の世界。フランス映画
の一方の雄が恋愛映画だとすると、もういっぽうの雄は、この「人生模様」のドラマ。最近こういうフランス映画が少なくて、とても寂し
かっただけに、とても嬉しい作品だった。
B/
やっぱりフランス映画は捨てたもんじゃないわね。
J/
舞台は、第一次大戦後の、のどかな田舎町が舞台。出てくる大人たちは、おそらく今の世界では、とても生きていけないような人ばかり。
まず、あくせくと仕事をしている人がいない。お金が欲しくなったら、唄を歌ったり、森にスズランを取りに行って、それを売ればいい
みたいな暮らしをしている。
B/
その中でも快作『奇人たちの晩餐会』で奇人をやっていた、ジャック・ヴィユレ(役名リトン)の無神経ぶりには恐れ入る。いっしよにす
ずらんを取りにいったのに、足が痛いといって、川辺で一休み。取り終わったらいっしょに飲むはずのワインをひとりで飲み干し、相棒が
戻ってワインがないので、仕方がないので、川の水を飲み始めれば、隣で立ち小便。(笑)
J/
身近にいると、腹の立つ人なんだけれど、彼が演じるとなぜか憎めないけれどね。
B/
子供が病気で、薬代もいるのに、奥さんとふたりで、帽子を買いにいく呑気さ。あんたたちそんな場合じゃないでしょって。
J/
他の人も似たり寄ったりというところがあって(笑)アメデ(アンドレ・デュソリエ)は、本当に一度も働いたことがない人で、家の資産を
食いつぶして、生活をしている。本が大好きな夢想家で、土地を売って何をするかと思えば、家の壁紙を張り替えるなんて…。
B/
この人、みんなといっしょにエスカルゴ狩りに行っても、働いたことがないって言って、座って眺めているだけ。エスカルゴの取り方を
解説した本を持ってきたことが、彼の唯一のお手柄?なんて。
J/
でも彼はそれだけで、とっても幸せで、何度も何度も「来て良かった」を繰り返す。
B/
彼があの穏やかで上品な顔で「来て良かった」っていうと、本当に幸せな気分になってくるわね。
J/
みんな貧乏だし、電機製品だってないし、物語の中心人物、リトン(クリクリのお父さん)、その隣人ガリスに至っては、お金もない、小さ
な小屋には、家財道具もあまりないというのに、この幸福感はいったいなんなのだろうね。
B/
ストレスがないわよねぇ。朝遅刻しないように、時計をしかけたりする必要もないし、夜は好きな時間に寝て、会社の人間関係に悩まされ
ることもない。雨が降った翌日にはエスカルゴを取りにいって、時に自宅前の沼でカエルを取る。自然と仲良く付き合って生きているのね。
J/
自分が今、その生活がてきるかと言うと、実はできないことはわかっている。パソコンやDVD、ステレオに本棚から溢れるほどの本を
抱え、それはそれで幸せだから。ただ、こんなに色々物があっても、回りに欲しいものはたくさんある。それでそのためには、会社勤めを
して、一日の大部分の時間を自分を殺して生きていかなくてはならないのも事実。果たしてどちらの生き方が幸せか。これはわからない。
B/
映画のセリフ「自由とは好きなように時間を使う事だ。何をし、何をしないのか、自分で選び、決めることである。」「俺たちのような
生き方が、自由だ」というのを聞くと、なるほど私たちの生活はなんと自由の少ないことか。
J/
でもこうも言うね。「俺たちは最後の自由人」って。あの生き方はまさにあの時代で最後だったのかもしれない。もうすでに失われてし
まったもの。今やろうとしても、これは浮浪者にでもなるしかなくなってくる。でもそれは、彼らの自由とは明らかに質が違う。フリータ
ーといっても、バイトをしている間は、仕事のスケジュールはきちっと決まっているし、朝起きて今日は行くの止めようっていうわけには、
いかないから、これも質が違う。
B/
今だって色々な生き方はあるとは思うけれど、でもやっぱり街に出れば、物が溢れているし、電機製品なしでは暮らしていけない社会
には、必ず影響を受けて生きていくしかないからねぇ。でもその中で少しでも立ち止まってみれれば、それはそれでいいのじゃないかとは
思う。そうすれば、見落としているかもしれない本当の幸福が見えてくるかもしれない。
J/
映画の中で、かつてこの沼地に住み、カエル取りの名人として生きていたのだけれど、その後一代で財産を築いた老人(ミシェル・セロー)
が出てくるね。立派な邸宅に今は住んでいるけれど、あの沼地の暮らしが忘れられない。でも、それは郷愁であって、すでにその頃の心自
体は、自分の中の一部にしかない。彼が邸宅を捨てて元の生活に戻れるかといったら、答えはNOだと思う。映画ではその当たりの皮肉も
ちゃんと描かれていて良かった。
B/
私たちにも彼と同じことが言えるかもしれないわね。
J/
彼らは、みんな自由気ままに生きているみたいだけれど、それぞれが悩みは抱えているね。資産家で働いたことがないアメデは、神経を病
んだ妹がいて、家族はバラバラ。庭仕事先の老夫人は夫を亡くして孤独、クリクリのお父さんリトンは、ひとりではどうにも生きていけな
い。それとある人に復讐されるのではという恐怖心を抱えている。カエル取りの老人は、自分の家族と折り合わず孤独。しっかりもののガ
リスは、戦争で心の傷を持ち、今片思いの恋をし、自分の居場所を模索しているといった具合に。
B/
みんなだからこそ、寄り添って生きているのよね。お互いの良さを認めあって、少々の欠点には目をつむって。それが温かくてとても心地
がいいわね。
J/
この映画は、これらのお話が、成長したクリクリの思い出話しとして語られているのがいいね。すべては過ぎ去ってしまったことって。
B/
中には自分の中で脚色されてしまった部分もあると。
J/
もうそこには二度と戻れない。それを自然に受け容れているところが、とても好感が持てる。
B/
こうでなきゃいけないとは言ってない。失われてしまったものは二度と戻らない。人間も自然の一部なのだからと受け容れる謙虚さ。
J/
ラストのシーンはここでは語らないけれど、それはもう素晴らしい。この映画はこのラストで単なる佳作というんでなくて、傑作になって
しまったよ。
B/
そうね。『ザ・デッド』にも通じるようなところがあるのよね。この映画は必見ですよ。
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