J/
これは、アメリカで相当に物議をよんだ作品ということで、やっぱり観なくてはと思って、行ったのだけれ
ど、なんか消化不良の残る映画だったよ。
B/
一応意欲的な作品ではあるのだけれどねぇ。
J/
アメリカでは、古くから人種差別の問題に取り組んだ作品っていうのがある。日本みたいにタブー視するの
ではなくて、映画も積極的に作られているし、スタンダップ・コメディーなんかでも、開けっぴろげにジョ
ークのネタにしていたりする。それが健全な部分である一方、それはもう日常的な問題で、そうせざるを得
ないような複雑さもあったりすると思う。
B/
エリア・カザンの『ピンキー』『紳士協定』、エドワード・ドミトリクの『十字砲火』、アラン・パーカー
の『ミシシッピー・バーニング』、コスタ・ガブラスの『背信の日々』、ノーマン・ジュイスンの『屋根の
上のバイオリン弾き』『夜の大捜査線』ただこれらは、どういうわけか外国人が作った映画なのね。この
『アメリカン・ヒストリーX』の監督もイギリス人だし、これはどういうわけかしら。
J/
もちろん純粋にアメリカ生まれのアメリカ人が作った作品もあるにはあるけれどね。スタンリー・クレイマ
ー監督の『招かれざる客』『手錠のままの脱獄』なんてね。ただ『手錠のままの脱獄』なんていうのは、今
観るととってもステレオタイプ的で古臭いけれどもね。
B/
黒人の立場からっていうと、やっぱりスパイク・リーから始まって、最近ではずいぶん作られるようにな
ってきてるわね。こちらも人種差別の問題ってことから一歩進んで、差別される側の内部の問題にも踏みこ
むようになってきているわね。
J/
そうだね。先に挙げた作品っていうのは、どちらかというと差別している側から描いた作品だよね。
B/
それぞれにでも意欲的な作品よね。ユダヤ人に化けて、その立場でもって社会を眺めようとした新聞記者の
話しの『紳士協定』。そこからさらに進んで時代と共に、差別の実態ということから何が人をそのようにす
るのかっていうところまで触れるようになってくるのね。
J/
『アメリカン・ヒストリーX』がとっても意欲的な作品だなって思うのは、そのものずばり「何が人をその
ようにするのか」っていう部分を前面に押し出したところなんだよね。うまくいったかどうかは別にしてね。
B/
エドワード・ノートン扮する主人公デレクが、ナチスを気取った白人至上主義のグループのカリスマになっ
ていく過程を描くのではなくて、彼がそこから脱退した理由、それからそこにのめりこんだ理由というのを
弟のエドワード・ファーロングがレポートにして語っていくというところが、よりテーマを鮮明にしている
のよね。
J/
この白人至上主義の若者たちっていうのが、じつはポリシーなんていうのは何にもなくて、教養もなくて、
ただ自分が貧しいのを他人のせいにしたいだけだったり、あるいは日頃の鬱憤をはらしたいだけだったりす
る。そういったダメな若者をうまく利用している人間が背後にはいて、彼らを自分の思うままにあやつって
いるといったことが見えてくる。
B/
この映画の主人公っていうのは、元々頭はとても良くって、純粋に「犯罪が増えているのは、後から後から
まともに働く気なんてない不法入国者や移民たちが入りこんでくるからだ。」「真面目にやっても失業者が
多いのは、逆差別でもって黒人っていうだけで、採用が決められるような世の中だ」って信じ込んでいて、
統計の数字などもきっちりと押さえて、理論を作り上げていたりする。ところが、車を盗もうとした黒人を
殺した罪で刑務所に入れられて、考えが変わってくるのね。
J/
刑務所で仲間と思っていた、スキンヘッドの白人の男たちがポリシーなんてものは何もなく、メキシコ人と
ヤクの売買をしているのを目撃するところから疑問を持ちはじめる。おまけに彼らにはひどい仕打ちを受け
る。それで実際彼を助けてくれたのは、皮肉にも黒人の男だったということ。ここから自分の意識が変わり
はじめる。
B/
自分の回りにいる人間を見てみると、なんだクズみたいなやつばかりじゃないか。こんなんで一生を終わり
たくはないってね。
J/
じゃ、なぜ彼がそうした思想を持つようになっていたのかっていうと、家族の会話の中にあったことに弟のエドワード・フ
ァーロングが気付く。学校の「黒人文学」の試験のことを活き活きと語る兄に、「その授業は黒人教師の洗
脳なんだぞ。」と言った父親のひとことからだったということに。
B/
さらに父親がヤク中の黒人に殺されることによって、その理由が裏づけされたような気がしたのよね。憎し
みが彼を支配し、客観性がなくなってしまったのね。
J/
そうだね。ただ僕はそこのところがちょっと弱いような気がするんだ。もうちょっと突っ込んでほしいよう
な。父親が殺された。彼らが憎いというのはわかるのだけれど、父親のひとことから、彼が変わっていくと
いうのは、ちょっと考えられないんだよね。そんなことより、無教養で偏見を持った父親に育てられていた
としたら、彼は子供の頃からすでにそういった観念があると思うんだな。
B/
確かにね。その点では『ミシシッピー・バーニング』のほうがより説得力があったかもしれないわね。映画
のメイン・テーマではないにもかかわらずね。
J/
というと。
B/
こんなセリフがあるの。「憎しみは、生まれつき持っていたのではなくて、教えられたの。差別のことは学
校で聖書の中の一節にあると教えられたわ。私は七歳の時には憎しみをすでに持っていた。そしてその中で
育ち、生活し、結婚してしまったの」それがわかっていながらも街をでることができない女性の悲しみが、
とっても印象に残ったわ。
J/
それだよね。それだと思うよ。やっぱり父親のひとことからっていのは、あまりにも短絡的で不自然だよね。
『アメリカン・ヒストリーX』の弱い部分ってそこなんだよね。表面的には、例えば「白人至上主義の実態」
みたいなところが、とってもよく描けている。一番の問題は憎しみであると。ここまではいいのだけれど、
じゃ「憎しみ」はどこからきているのかっていうところにくると、理不尽というところで止まっちゃってる。
B/
あと一歩の突っ込みっていうのはそこね。入り口を開けて覗きこんだだけみたいなね。
J/
この映画、最後まで引きつける力っていうのはあると思うのだけれど、よく考えてみると、それは娯楽映画
のノリっていうのも、内容からしてうまくないね。監督と映画会社が対立しているって話しがあったから、
監督のせいかどうかはわからないけれど。
B/
私もこれは何って思ったのが、街のバスケット・コートの使用権をめぐる黒人と白人のバスケの試合のシー
ン。はじめに黒人の方が、エドワード・ノートンを試合中に殴る反則行為をするの。乱闘にでもなるのかと
思いきや、彼が血を流しながらも、奮起しフェアな実力でもってシュートを決める。
J/
まるで、バスケ映画のラスト・シーンみたいな感動的な音楽がかかって、彼がヒーローになってしまうんだ
よね。あの音楽はなんなのだろうね。まるで黒人たちが反則常習の悪役チームで、それを負かした、白人チ
ームがヒーローとなって祝福されてるようなね。違和感あるね。スポ根もののノリだもんね。
B/
それと主役のふたりのエドワード、おかあさん役のビバリー・ダンジェロ、黒人の校長エイヴリー・ブルッ
クスらがとってもいい演技をしているのに対して、その他の人たちが、ステレオ・タイプ的なのも惜しいわ。
J/
衝撃のラストっていうのも、唐突でよくないね。観客にショックを与えることで、「理不尽さ」を際立たせ
ようとしたのだろうけれど、伏線が弱いし、はっきり言ってストーリーの構造上反則だと思う。
B/
エドワード・ノートンが黒人を殺す最初のほうのシーンが回想ということで、モノクロになっている。それ
に対してこっちはカラー。モノクロの映像がカラー・フィルムからおこしたものだからベッタリとしていて、
鮮烈度がカラーよりも低くバランスを欠いているのね。
J/
エドワード・ノートンが殺しで警察につかまるシーンのスローモーションは異様さという点では、モノクロ
の効果が出ているのだけれど、モノクロだとやっぱり現実味が薄くなるという「副作用」もあることは否定
できないね。
B/
意欲的な作品で、この映画を観て、色々な議論はできる映画かもしれないけれど、「娯楽」かそれとも「社
会派」かっていうところの間で揺れ動いていて、結局「商業的成功」を選択してしまった。話題になるであ
ろう的な計算のほうが強くなってしまったところにこの映画の問題があるような気がするの。監督の意思が
映画会社によってつぶされちゃったのかどうかまではわからないけれどもね。
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