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第149回「オリバー・ツイスト」

画像なし 製作…アラン・サルド他 
監督…ロマン・ポランスキー
脚本…ロナルド・ハーウッド(『戦場のピアニスト』)
撮影…パヴェル・エデルマン(『戦場のピアニスト』)
キャスト… バーニー・クラーク、 ベン・キングズレー 
ハリー・イーデン ジェイミー・フォアマン
エドワード・ハードウィック

2005年英他/配給=東宝東和他)/上映時間2時間9分


<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ これは見事な映画だったねぇ。19世紀のロンドンの匂いまで漂ってきそうな映画。ロマン・ポランスキー監督は前作『戦場のピアニスト』 で、あの不幸な時代のワルシャワをセットでもって再現してみせたのだけれども、今度は写真には残っていないそのロンドンの時代の空気 をまたもや巨大なセットてもって再現してしまった。

B/ なんでも映画の中でも映されていたギュスターブ・ドレの版画を入念に観察し、それを元にセットを作ったということなのね。お店の看板 に到るまできちんと再現するという凝りようだったそうで。

J/ ギュスターブ・ドレという人はこの時代に活躍した有名な版画家で、ロンドンの町並みや下層階級の人々の生活の絵を多数残している。 この時代の歴史の本なんかを見ていると必ず出てくる人なんだね。どうもこの人の絵を元にセットを創ったのじゃないかなというのが、や っぱりある。例えば最近では、『フロム・ヘル』なんかもそうだった。

B/ その中でも、この映画のロンドンはその空気までもが伝わってくるようで素晴らしかったわね。オリバー・ツイストが初めてロンドンの街 に入るところ。広い大通りを馬車がものすごいスピードで行き交うの。しかもすごい数。歩行者がはねられないように狭い歩道にひしめき 合って歩いている様は、まさにあの時代のもの。本で読んだ世界そのものだった。

J/ お腹が減って、足も傷つき歩けなくなり、石造りの建物の壁にへたりこんだオリバーを助けた、ちょっとお兄さんの早業ドジャーが彼を 自分のアジトへと連れて行くところがすごかった。どんどん人がすさんでいくんだね。荷物を運んでいる労働者がいるなぁなんて思ってい ると、昼間からジンを飲んで酔っ払っている人や売春婦がいるさらに狭い通りへと変わって、その奥の奥にドジャーが住んでいるフェイギ ンのアジトがある。

B/ 狭い通りに入るたびに人口密度が高くなって暗くなっていくのね。なにか得たいのしれないエライところにきたなぁという感じがとっても するわね。

J/ 広い通りの横の構図から、狭い通りの縦の構図への移行。ビルが高くなっているわけではないのに、こうなんていうか、のしかかってくる ような圧迫感に変わっていく。まるで迷路に紛れ込んだような感じになっていく。映画からその時代の空気までが伝わってくるというのは 、こういう細部までが計算されているからなのだね。

B/ けれど、ここまで凝ってこの時代を再現し、しかもなぜ今『オリバー・ツイスト』なのかしらね。

J/ そうなんだよね。この題材では、デヴィット・リーン監督の『オリバー・ツイスト』っていう傑作がすでに存在するし、キャロル・リード 監督のミュージカル版『オリバー』なんていう映画もある。これだけ名前を残してきた監督が、何故って思いは、実は観る前にはあったね。

B/ 映画を観ているうちにそれは判ってくるわね。他のどの作品ともまったく違った映画になっているからおのずとテーマがはっきりと見えて くるのね。

J/ 原作の刈り込み方は実をいえばデヴィット・リーン版の『オリバー・ツイスト』に意外と似ているのだけれども、それゆえ余計に決定的な 違いがはっきりとしてくるといったらいいのかな。

B/ 最大の違いはなんといってもオリバー少年の血筋に関する部分だわね。オリバーは実はいい血筋の子供で、生んではいけない子を身篭った 母親がひそかに生んでそのまま死んでしまうところから始まるのね。この映画にはそれがない。だからその血筋の証拠となる母親の形見が 、フェイギンに奪われたり、またオリバーを助けるブラウンロー氏に知れるか知れないかという話も、一切削られてしまっているのね。

J/ このことが何を意味するか。もちろん血筋がいいからオリバーは善良だったなんていうのは…、前時代的すぎて現代ではあまり共感を呼ば ないだろうっていうこともある。

B/ でもそんなことだけではないわね。このエピソードが外れたことで、オリバーの性格、フェイギンの性格、ブラウンロー氏の性格すべてが 変わってきてしまうところにこそ意味があるのね。

J/ オリバーは救貧院という子供にとってはもっとも厳しい環境で育ち、年季奉公に出される。辛うじて悪党の煙突掃除屋の元へは行かされな かったとはいうものの、出された先の葬儀屋では先輩の男の子にいじめられる。救貧院の子はその親が大体はロクなもんじゃないというこ とで、先輩の男の子に母親の悪口を言われ、それでカッときて殴ったために、主人に鞭打ちにされそこを逃げ出すんだね。

B/ 実は葬儀屋の主人はオリバーのことを気に入っていたのね。この子の目は憂愁を帯びていて、葬列に加わればとてもいいと。なんとかして 助けてやりたい、どこかそんな善意を持っていた。けれども、彼の奥さんが悪すぎてね、彼女のヒステリーで泣く泣く鞭打ちをしたのね。 朝ひとりでそっと店を抜け出し、あの小さな身体で7日間歩き通しでロンドンに着いて拾われたのが悪党フェイギンのアジトだった。

J/ この過酷な運命…なぜそれでもオリバーは捻じ曲がることなく、素直さを失わず、無垢でいられたのか。それは血筋ではないね。

B/ それぞれの人なりの小さな善意、それを感じ取る繊細さを彼がもっていたからなのね。治安判事がオリバーの訴えを聴きいれ、悪党の煙突 掃除屋から逃がしてくれたこと。(これはよほどのことがない限りなかったことだという)葬儀屋の主人が、善意があり鞭打ちするにもため らいがあったこと。ロンドンへ行く道すがら、貧しいおばあさんが道で倒れた自分を介抱してくれ、貧しいながらもせいいっぱいの食事を 与えてくれたこと。そんなひとつひとつを心に染み込ませていったのね。

J/ そうだよね。彼はこれ以上葬儀屋にいれば、ご主人が困るだけだということもわかっていたし、親切なおばあさんに甘えてもうちょっとそ こにいようと思えばいれたはずだけれども、それも彼女にとっては大変だということもわかっていた。ものすごく聡明で優しい子だからこ そ、人々の善意も心に染み込ませ、それで捻じ曲がらずに耐えていたのかもしれないね。

B/ ブラウンロー氏もまた、自分の娘と面影が似ているというのじゃなくて、オリバーの素直さ無垢さにほだされて、真心から彼を受け容れ、 世話をしてやることになるわね。もちろん本を読ませても聡明な子であることも見てとった。たまたま子供もいないし、自分の子として 育てようと思った。かえって自分の血筋の子であるということよりも強い意志がそこに感じられるわね。

J/ フェイギンもまた、文字通りの守銭奴という設定ではなくて、彼なりに子供たちを可愛がっている節がある。これがまた原作、デヴィッド ・リーン版とはまるで違っているね。

B/ 彼は子供たちを使って、泥棒をさせ自分の私服をこやしている悪党ではあるのだけれども、それは彼なりのやり方なのね。決して子供たち を虐待しているという意識はない。本気で彼らを「立派な」泥棒にしようとさえしている。「こいつは大物になるぞ」というのはそういう こと。警察に追われても自分ひとりで逃げるんではなくて、子供たちと安全な場所に逃げようとしている。みんなで助かろうみたいに本気 でそう思っているのね。ベン・キングズレーが素晴らしい。フェイギンの屈折を表現し、またどこかにこの男の優しさみたいな微妙なニュア ンスみたいなものも漂わせているわね。

J/ 彼がオリバーに教えることは「恩は忘れるな」ということ。案外まともなことさえ言っている。オリバーはまたその言葉を深く心に刻みこん でいる。本当にダメな悪党は相棒のビル・サイクスのほう。彼は子供にも暴力を振るうし、利用することしか頭にない男。

B/ オリバーをブラウンロー氏の家への案内役として使い、強盗をしようとそんな非情な計画まで立てる、そんな男なのね。

J/ ビル・サイクスに脅されて、家まで連れて行くオリバー、恩人ブラウンロー氏への思いとの間で心が引き裂かれる思いのオリバー。この シーンもまた、ポランスーキ監督のオリジナルだね。オリジナルでも強盗は確かにするのだけれども、そこはブラウンロー氏の家では ない。また、オリジナルでは当然フェイギンが関わっていたのだけれども、この映画ではビル・サイクスともうひとりの仲間だけの犯行 という風に変えてあるね。

B/ この残酷さがいかにもポランスキーらしいわね。義理や人情、正義を貫くことの難しさね。少年時代、『戦場のピアニスト』のあの過酷な 状況を生き抜いてきた彼ならではの、演出という気もするし、物語を奥深いものにしているわね。

注:ここから先はラスト・シーンに触れてしまいます。これからご覧になる方でもうこれ以上ストーリーは知りたくないという方は、後でお 読みください。_(._.)_

J/ 結局、これは善意の物語なんだね。映画のラスト・シーン、今はもうブラウンロー氏の庇護の下に幸せに暮らしていたオリバーが、明日に 死刑が迫ったフェイギンのいる監獄に訪ねてくる。当時の監獄はそれはそれは悲惨なところ。聞けばフェイギンはすでに頭がおかしくなっ ているという。周りの大人たちは、そんな悲惨なところにオリバーが行くことにもちろん反対する。けれども強い意志でオリバーが彼を 訪ねていくんだね。

B/ かつて、野垂れ死にするしかなかった自分を助けてくれたこと。それに対する感謝の言葉を最期にひとこと言いたかった。それだけのため に彼は恐ろしさに耐え、勇気をもって彼を訪ねていくのね。

J/ 頭のおかしくなったフェイギンはそれでもオリバーのことだけはよく覚えていて、あの宝物は全部お前にやるという。どこそこに隠してあ るから、もって行ってくれという。この孤独な男、屈折した男が、最期にオリバーのその言葉が聞けたことがどんなに救いとなったか。

B/ ああそれでそうかと思ったわ…人の優しさには貧富の差はないのだと。人それぞれ自分のできることだけをオリバーにしてやってくれて いた。おばあさんは貧しい一夜の食事をオリバーに与えることが精一杯だった。フェイギンは、あのような形でしかオリバーに与えられる ものはなかった。ブラウンロー氏は裕福だからオリバーにこれだけの幸せを与えてやれた。でもその真心には、価値の大小はなかったの だと。

J/ 小さな優しさの大切さ、それを恩として感じることの大切さ。そのこ困難さと、乗り越える勇気の大切さ。この映画は、元はと言えばロマ ン・ポランスキー監督が自分の子供に見せたい映画を作りたいというのが動機になっているのだけれど、こういうことだったとかと思った ね。

B/ 19世紀、アダムフスキーの国富論がもてはやされ、貧富の差が拡大した。『オリバー・ツイスト』はその時代に出てきた小説。その後ケイ ンズ革命によって、経済優先主義というのは良くないということになるまで、こうした悲惨な状況は続いていった。現代はそれを抜け出し た世界(勿論先進国と呼ばれている国にとって)だったはずなのだけれども、日本も含めて、世界がアメリカ式の経済価値に飲み込まれてい こうとしている時代。それは何かというと新古典主義とよばれる、自由経済の原則なのね。

J/ その結果はもう見えているね。アメリカは、富の90パーセントがわずか5パーセントの人に集中しているっていうものね。日本も貧富の格 差が、その割合からいったら遠く及ばないとはいえ、いつの間にかアメリカについで先進国では第2位になってしまっているってニュース でやってたね。目下さらにアメリカ型にするための法整備が進んでいることだし、この先どうなるかわからない。

B/ こういう状況になってくると自然、人の心は荒れてくるもの。この間観た『クラッシュ』なんてアメリカ映画を観ると、そんなところが よくでている。だからこそ今『オリバー・ツイスト』なのね。「自由放任主義」そしてそれに伴う「自己責任」。みんなが利益に走り、 かつて松下幸之助が言った「会社は利益でもって世の中に福祉を還元しなくてはならない」なんて美徳は忘れ去られる時代。ライブドアみ たいな事件が起きる時代。こんな時代だからこそ、このメッセージが大切になってくるのね。ロマン・ポランスキー監督は世界的なそうい う傾向に対して、それだからこそ『オリバー・ツイスト』を現代に甦らせる必要に駆られたのではないかしら。大切なものをもう一度見直 す必要があるんではないかと。

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