J/
昨年は『ボーリング・フォー・コロンバイン』っていうドキュメンタリー映画が当たって、その後本なども出版されて、かなり話題を呼んだ
のだけれど、今度はそのコロンバイン高校の事件をモデルにした劇映画が公開されるというので、注目してたんだ。
B/
『ボーリング・フォー・コロンバイン』はアメリカの問題点についてちょっと奇抜な方法でもって声も高らかに主張している点が特徴の
映画だったのだけれども、この作品『エレファント』はあまりにも静かなので意外な感じがしたわね。
J/
アメリカ映画っぽくないんだね。素材を提供しましたってくらいにあっさりとしているんだね。
B/
とっても自然なのね。リアリティがある。高校生たちの会話が本当にどこにでもあるような会話なのね。どうも映画にはシナリオらしいシ
ナリオはないのじゃないかとも思ったくらいなの。「まったくうちのお母さんは、私のベッドの中まで調べるのよ。子供を監視するのが自
分のしなければいけない役目と考えているみたいに。早く大学に進学したいわね。あと一年の辛抱よ」とか、「このごろ彼氏とばかり会っ
ていて、付き合い悪いんじやない」とかダイエットの話とかね。
J/
ある意味全然ドラマチックでもなんでもないんだよね。自分たちが高校生のときテレビで『アメリカン・グラフィティ』なんてのを観て、
なんだアメリカのしかも時代の違う高校生たちも自分らとなんら変わりがないじゃないかって思った、あの感覚がある。いやそれでもあの
映画は『エレファント』に比べれば、かなりドラマチックだったのじゃないかってくらい平凡なのだな。
B/
じゃ平凡だから面白くないかと言えばそんなことはないのが不思議なところよね。たまたま最近テレビでやっていた高校バレーの選手たち
を追ったドキュメンタリーを観たのだけれど、それと似たような感じなのかもしれないわね。彼女たちが合宿生活をどんな風に送っている
か。ハヤシライスを作る予定が土壇場でカレーになっちゃって、ワイワイ騒いでいるところを映しているだけなのだけれど、なんか見てし
まうみたいな、そんな感じ。
J/
これ本物の高校生を使って撮影したのだそうだね。しかもほとんどの役名を出演者の名前をそのまま使い、人物設定も現実と同じにしたと
いうことだよ。例えばジョンを演じた青年の父親は、本当にアルコール依存症で、イーライは写真が好きでカンヌでも写真を撮りまくっ
ていたとかね。いやはや。
B/
だから、ドキュメンタリーを観ているような現実味があるのね。
J/
キャメラが彼女たち、彼らを追って後についていくというのが何回も繰り返されるね。彼女、彼たちの動きに合わせて彼らの視点でもって
周りの物や音もこちらに入ってくるのが、とても臨場感があって、スリリングでさえある。
B/
キャメラがあくまでも彼ら自身の視点ではなくて、彼らのすぐ傍で傍観者的な立場で彼らを映していくので、決して誰にも感情移入させる
ことはないのかもしれないけれど、彼らをすぐ傍で見ているという意味での臨場感は確かにあるかもしれないわね。
J/
それと人間の心理として、その先が見てみたいっていうところがあるのだけれど、ああいう風にキャメラが彼らを追っていくばかりで、その
先を見せない形になっていると、その心理を大いに刺激されるのかもしれないな。だから平凡でも飽きることがない。
B/
監督はこの平凡というところに徹底的にこだわったのかもしれないわね。この映画コロンバイン高校をモデルにしていると言ってたけれど、
実は高校の名前はまったく架空のものだし、場所も違えば、登場人物の名前も出演者自身の名前にすり返られているのね。この事件は決し
て他人事ではなくて、アメリカのどこで起こってもおかしくないものだったっていう意識の強い現れかもしれないわね。
J/
さっき、声も高らかに何かを主張しているわけではないと言ったけれど、実はこのところがこの映画の強い自己主張の部分なのかもしれな
いね。
B/
強い自己主張はない映画という風に見えるのだけれども、細かいところを観てみると、この事件で問題とされていたことは、さりげなくす
べて取り入れられているところも見逃せないわね。やっぱり自己主張はしているのよ。
J/
それはどういうところかな。
B/
「銃さえなければ…」「親が子どもにもっと関心を払っていたら…」「デイケア−にまかせきりの育児のつけがまわった」「いじめと
人種問題」「テレビゲーム・インターネット・映画の暴力」「ヒットラー」。
J/
確かにそう言われれば、そうだよね。銃が簡単に通販で買えちゃうことの怖さ…そうでなければ、彼らはそんな行動が取れていたはずが
ないし。もし仮に彼らの親が子供にあれほど無関心でなければ、あそこまで彼らが爆発することがなかったかもしれないし。
B/
閉じこもってテレビで殺人ゲームをやったり、ヒットラーのテレビを昼間から見て共感してみたり…彼らがなんで学校であんなにはみ出して
いったのだろうか…そんな考えさせられる素材が一通り盛りこまれているのね。
J/
ひつと言えるのは家庭環境が悪いことのすべてではないということ。現にアル中の父親を持つ男の子なんて意外にしっかりしていて、頼もし
い感じがあったりする。社会であり、学校生活にも問題がありそうだということかな。
B/
例えば、当時のアメリカの雑誌で取り上げられていたことなのだけれども、「今の高校生の社会は目に見えないが厳然とランキングがつい
た階級社会のようだという」そのことが問題を引き起こしているということ。これなんかもこの映画ではしっかり捉えられていると思うの
ね。
J/
そう言われれば、その階級社会の底辺にいるようないじめられっこの彼らが、一番憎んでいたのは、フットボールの花形選手たちだった。
B/
彼らはそういう意味ではピラミッドの頂点にいるというわけね。きっと私たちが今気づかない色々な問題がこの映画の中には「生」の素材
のまま置かれているのかもしれないわね。
J/
最後にこの映画の不思議な味わいのことに触れておきたいんだ。ドキュメンタリー・タッチであるにも関わらず、リアルタイムで進行して
いるのではなくて、あくまでも過去の出来事を傍観しているような感覚がこの映画にはあるんだ。
B/
確かに普通のリアリズム映画だったら、今まさに事件が進行しているような感じがするものよね。『自転車泥棒』みたいな古い映画にして
もそう。私たちがもうすでに結末を知りながら観ているからじゃないかしら。
J/
どうもそれだけじゃないんだよね。すべての出来事があの事件に収束していっているという感覚がもう最初っからあるんだな。
ひとつには時間がバラバラにされていることにあるんじゃないかなって気がする。
B/
確かに普通のドキュメンタリー・タッチの映画であれば、例えば「何時何分」と時間が表示されて、時間通りに、今まさに何かが起こって
いるというように映画は進んでいくかもしれないわね。
J/
ところがこの映画は時系列がバラバラにされていて、同じ場面が別の人物の視点で繰り返されるんだよね。そして何かすべてがその事件に
向かって流れていっているような感じがするんだよね。銃撃事件が起きるまでの時間、すべての人に同じように時間が流れていたというこ
とを強く感じさせるんだ。で、それだけじゃなくてやっぱりこれは過去の出来事であって今起きていることではない。そんなことを強く意
識させられるんだよね。一見リアリズム映画のようでありながら、その実高度な変形なのかもしれないね、これは。
B/
フィルムに焼き付けられた過去の忌まわしい出来事って感じかしら。
J/
常に過去の出来事って意識させられることによって、失われてしまった者たちの大きな喪失感みたいなものを感じてしまうんだ。取り返し
のつかない時間…犯人の高校生が最後まで弾くことができずに、途中で破綻してしまう「エリーゼのために」のピアノの調べも繰り返し使
われているのもね。どこかで狂ってしまった時間の流れ…その喪失感。
B/
そういえば、映画はファースト・シーンとラスト・シーン、空に流れる雲の映像で本編はサンドウィッチされているわね。永遠に流れる時
の流れの中でこの時間だけが特別に切り取られ、フィルムに永遠に焼き付けられた。確かにそんな印象もあるわね。
J/
私たちの時間は流れ続けるけれども、彼らの時間はここで時を止めてしまった。私たちはその過去の時間を眺めているしか術がない。そん
な感覚があるんだな。
B/
突然映画が終ってしまうこととあいまって、余計私たちは無力感、むなしさというものに囚われちゃうのね。その結果、「?」私達はどうすれ
ばよいのだろう。放り出されたような気持ちがするのね。多分こうしたことこそが監督の狙いだったのかもしれないわね。考えさせられる
映画だったわね。
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